「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
欧州諸国は、通常戦力の視点から憂慮すべき状況に置かれている。欧米諸国からの経済制裁と戦場での多大な損失にもかかわらず、ロシアは、ますます防衛志向経済に牽引されて、通常戦力を徐々に再構築しつつある1 。ロシアは、NATOを1999年の拡大以前の状態に戻し、米国と欧州を切り離すことで、NATOを弱体化させるという目的を維持しながら、通常紛争まで至らないレベルにとどまり、大陸全域で「影の戦争」2 を続けている。一方、欧州の複数の情報機関は、ウクライナ戦争の結果次第では、ロシアがNATOの抑止力に挑戦するだけでなく、あるいは欧州の特定の国々に対して戦争を仕掛ける可能性についても繰り返し警告している3 。
好戦的な隣国の直接的な脅威に直面する一方で、欧州諸国は不可欠な同盟国を取り巻く不確実性の高まりとも戦わなければならない。マルコ・ルビオ米国務長官は、NATOに対する米国のコミットメントを再確認したが4 、拡大核抑止の保証は不確かなものと欧州諸国には受け止められているし、欧州駐留米軍を低減する可能性も示唆されている5。
脅威が増大し、同盟が不安定化するこの環境では、欧州諸国は、核エスカレーションの可能性を伴う通常紛争のリスクと、米国の支援が減少または打ち切られる可能性の両方を軽減するために、自国の防衛力の大幅な強化を意味する「内部均衡」を追求する以外に選択肢はない。
フランスの核抑止の欧州的次元に関する前例のない議論と6、この議論が欧州のいくつかの国にもたらした関心の高まりは、欧州の防衛と抑止の将来に関する重要な議論を促す貴重な機会を提供するものである。しかし、欧州唯一の核兵器国であるフランスと英国には、実際には米国の拡大核抑止モデルを再現する能力も政治的意志も今のところない。さらに、欧州における抑止力に対する理解は、核の側面に限定されがちである。現在、欧州諸国にとって最も喫緊の課題は、ロシアに対する通常抑止力をどのように強化できるかを考えることである。これは、攻撃的な隣国の脅威と米国という重要な同盟国の不確実な行動という同時に発生する課題に対して、最も信頼できる対応を提供することである。
通常戦力、戦略的イネーブラー、防衛産業に関する優先順位の現実的評価の必要性
数十年にわたるヨーロッパ自身の軍隊への投資不足と2022年2月までの相対的な安全保障感の後に、通常戦力を再建しようとする現在の欧州の努力は、しばらくの間、最適とは言えない状態にとどまるに違いない。現在の能力を考えれば、欧州はロシアの脅威に対する真新しい防波堤を築き上げるというよりも、防衛に生じた多くの亀裂を急いで補修しているに過ぎない。最近の記事が適切に指摘しているように、効率性よりも有効性を優先しなければならない7 。
欧州委員会が2025年3月19日に発表した初の防衛白書は、ヨーロッパ連合(EU)が差し迫って必要だと考えているものについて概要を示している。同白書は、「Closing the Gaps(ギャップを埋める)」と題されたセクションにおいて7つの優先すべき能力分野を挙げている。すなわち、防空・ミサイル防衛、砲兵システム、弾薬・ミサイル、ドローンと対ドローンシステム、軍事機動性、AI・量子・サイバー・電子戦、戦略的イネーブラーと重要インフラ保護である8 。
このリストは、ロシアがもたらす脅威の全領域をカバーしようとする包括的な方法で欧州諸国が防衛に取り組もうとする努力を反映している。しかし、このリストには明確な優先順位付けの枠組みがない。新興技術を含めることで示されるように、過度に広範な提言は、緊急の作戦上のギャップからリソースを逸脱させる危険性がある。例えば、量子技術の開発は、弾薬備蓄の補充と同じくらい緊急の優先事項だと言えるのだろうか。優先順位の決定は、単に産業上の課題であるだけでなく、戦略上の課題でもある。今必要なのは、シームレスな抑止態勢を精緻化することではなく、むしろ最も喫緊のギャップを埋めるための集中的な努力である。
短中期的には、欧州諸国は軍事的な質量と精密打撃能力の確保に重点を置くべきである。弾薬、大砲システム、無人機を含む軍事的な質量の確保は、長期にわたる高強度消耗戦の場合に不可欠である。一方、長距離ミサイルや無人機などの精密打撃能力は、ロシアの軍事資産を標的とするために必要であり、通常紛争における抑止とエスカレーション管理の両方に役立つ。
中長期的には、戦略的イネーブラーが重要な分野となる。現在、「欧州諸国は、長距離探知、識別、静的目標の位置特定および移動目標の追跡のための基盤構造について米国に依存しており、さらに目標データをリアルタイムで伝送、敵センサーを無力化し、作戦を支援して敵の対抗措置に対処するために必要な空中電子戦にも米国に依存している」9。
例えば、「全領域軍事モデル」(modèle d'armée complet)の維持を自負する核兵器国フランスでさえ、マリでの対テロ作戦では、情報・監視・偵察(ISR)能力、空対空給油、兵站輸送において米国に頼らざるを得なかった10。今後数年間、欧州大陸がロシアに対して効果的な通常抑止力を確保するためには、このようなイネーブラーを構築することが不可欠である。
欧州全体の広範な役割分担の中で、ヨーロッパ連合は適切な防衛産業基盤の整備に不可欠な役割を担っている。このことは、3月にヨーロッパ連合が発表した「ReArm Europe Plan / Readiness 2030」にも反映されており、2030年までに8,000億ユーロ(約130兆円)を動員することを目標としている。しかし、この目を引く数字は、より微妙で不確実な資金調達の仕組みを覆い隠している。欧州委員会は、8,000億ユーロのうち、1,500億ユーロをSAFE(Security Action for Europe)という優先融資制度を通じて提供する予定である。残りの6,500億ユーロは、各国の努力によって賄われる予定である。まず、EUの安定成長協定における財政ルール免責条項を発動して防衛費の増加を認め、その後、加盟国に対して今後4年間でGDPの1.5%分の防衛支出の引き上げを促す形で達成される予定である11。4月30日、欧州委員会は、12か国の加盟国が当該条項の発動を要請したと発表した12 。
こうした取り組みは歓迎すべきものの、まだ十分ではない。防衛はEU加盟国の国家的権限に留まるため、主に各国の努力に依存し、共同調達に重点を置かないこのアプローチは、分断のリスクを軽減できていない。加盟国がそれぞれ異なる調達戦略を追求し、最も緊急に必要とされる能力を協調的に開発できない可能性があるためである。
ハードウエアを超えて:防衛開発における政治的ビジョンと一貫性の必要性
分断の落とし穴を克服し、ロシアの脅威とアメリカの信頼性の低下に効果的に対応するためには、適切な戦略を形成する上で政治的側面を優先させなければならない。欧州諸国は産業開発や調達メカニズムについて活発に議論しているが、関連する政治的・戦略的枠組みをめぐる議論は依然として不十分である。兵器システムの開発と取得は極めて重要であるが、その潜在的な使用と抑止アーキテクチャーの中での役割に関する調整された計画がなければ、その有効性は著しく低下する。
第一の優先事項は、EUの防衛産業基盤の整備とNATOの防衛計画との適切な協力関係を明確にすることである。
確かに、「ヨーロッパの通常抑止力」について語ることはあまり意味がない。なぜなら、「ヨーロッパ」は政治的・軍事的アクターではなく、多様な国々や重複する機関で構成された地理的な単位だからである。一方で、EUという組織は防衛調達と産業開発の調整に重要な努力を払っているが、必要な軍事構造を欠いているため、抑止力構築の責任を単独で担うことはできない。さらに、カナダ、ノルウェー、英国、さらにはトルコといった重要な非EUのNATO同盟国を疎外するリスクもあり、これらの国々の貢献は信頼性のある抑止力に不可欠である。
したがって、NATOとEUは、EUの産業・調達努力がNATO防衛計画プロセス(NDPP)で定められた優先事項と一致するよう協力を深めるべきである。欧州諸国にとって、現在のところNATOの防衛計画構造に取って代わるものはない。EU主導の調達イニシアチブをNATOの軍事計画と効果的に結びつけることによって、NATO内のいわゆる「欧州の柱」を実質的なものにするためには、この点で効果的な協調を確保しなければならない。この柱を強化する手段として、EUはノルウェーとの既存の協定と同様に、EUと英国の間に安全保障・防衛パートナーシップを確立することが考えられる。
ラムシュタイン・グループの結成からワイマール・トライアングルの活性化、そして欧州政治共同体(European Political Community)の設立に至るまで、ロシアによるウクライナへの全面侵攻は、NATOの枠外かつ補完的な外交フォーマットの増加をもたらした。これらのフォーマットは、ウクライナ支援とロシアの脅威を背景としたヨーロッパ大陸の安全保障全般に対応するために設けられている。これらの多様な枠組みからは、英国、フランス、ドイツ、ポーランドを中心とした中核グループが形成されており、最近では彼ら首脳による共同のキーウ訪問によりその存在が示された。この4か国のグループは、NATOの内外における調整を確保する重要な役割を果たすとともに、ロシアの脅威に対する認識や対応の相違を調整する役割も担っている。
これらの枠組みの中で、第二の優先事項は、ロシアの脅威が短期的・中期的にどのように増大しうるかについて、明確なビジョンを策定することである。短期的には、ロシアの通常戦力による脅威に対抗するため、ウクライナへの欧州からの支援を強化することが不可欠である。それは、ウクライナの生存を確保するためだけでなく、ロシアの軍事力を封じ込め、低減するとともに、NATOへの挑戦を思いとどまらせる抑止力としても極めて重要である。特に、現在の停戦交渉局面においては、モスクワからのいかなる保証も信頼性に欠けることが、26年間に及ぶプーチン体制の実態からも明らかである。そのため、欧州諸国からの支援を維持することが一層重要となっている。
しかしながら、ウクライナへの支援は、大陸全体の防衛とは切り離されたものとして扱われるべきではない。ウクライナ国内での平和維持部隊や安心供与部隊に関する現在の議論は重要であるが、それらをロシアの脅威に対する最終的な対応策と見なすべきではなく、より広範な欧州大陸の防衛努力の一環として統合される必要がある。ロシアに対する抑止は、ドニエプル川で終わるものではない。
NATOの通常戦力の態勢と東ヨーロッパおよびバルト海地域への配備も強化する必要がある。ロシアがこれらの地域で集団防衛の信頼性を試そうとする可能性があるため、通常戦力レベルでのエスカレーション管理を改善・拡充し、核エスカレーションへの恐れによって行動を控えたり、柔軟な通常戦力能力の欠如による核エスカレーションを招いたりという二者択一のジレンマに陥ることを避けなければならない。
したがって、欧州各国はロシアとの潜在的な紛争の明確なシナリオを定義し、双方の戦力を考慮した上で、自国が求める能力を具体化しなければならない。また、通常抑止に伴う政治的シグナリングも考慮する必要がある。優先的に獲得すべきと定められた能力は、領土防衛にコミットメントするという信頼性をどのように反映すべきなのか。
この核心的な問いに付随して、欧州各国は、通常戦力の増強がロシア側に誤認や誤算を与えるリスクに対処しなければならない。そうしなければ、古典的な安全保障ジレンマのパターンとそれに伴う意図しないエスカレーションのリスクを回避できない。EUおよびNATO加盟国の通常抑止力を強化するあらゆる取り組みは、現在のウクライナ支援を超えた明確かつ統一的な政治的・軍事的シグナリングを伴う必要がある13。
第三の優先事項は、欧州各国が自国民に向けたロシアの脅威に関する情報発信戦略を強化・拡大することである。
ロシアの欧州諸国および彼らのウクライナ支援に対するアプローチは、二つの前提に基づいている。ひとつは能力の非対称性、もうひとつは利害の非対称性である。前者はミサイル分野における明確な通常戦力のギャップなどに基づいており、欧州の防衛費増大はこれを覆すことを目指している。一方、後者はウクライナの将来が欧州諸国にとってはロシアほど存在にかかわる問題ではない、という考えに基づいている。ロシアの賭けは、この利害の非対称性が欧州諸国とロシアの決意の非対称性も生み出し、長期的には欧州社会がウクライナ支援のコストを承認しにくくなるだろうというものである。ロシアによる核の脅しもこの状況を悪化させることを狙っており、大規模な偽情報や操作キャンペーンがそれを支えている。
欧州諸国はこのロシアの前提が誤りであることを証明しなければならない。なぜなら、信頼できる抑止戦略にとって決意こそが極めて重要だからである。通常戦力を強化するために必要な財政的投資は、教育的取り組みや国民に防衛費増額の必要性を説明する公開討論とともに行われるべきである。現在の欧州の社会的・経済的状況においては、民主的責任と財政的公正の組み合わせが不可欠であり、防衛力増強が欧州諸国の生活様式や社会モデルを損なうというロシアのナラティブに対抗し、最終的には欧州諸国内のロシアに同情的なポピュリスト運動が勢いづくことを防ぐ必要がある。
欧州諸国が通常戦力および防衛産業に関する議論に参加し、現在進めている取り組みを本格化させることは、長らく待たれていた。しかし、手段への注目によって目的の重要性が見落とされるべきではない。特に、これらの能力をロシアの脅威に合わせて調整し、一貫した政治的・軍事的ビジョンを明確にする必要がある。産業開発と信頼できる軍事計画を政治的枠組みの中で結びつけるこのアプローチを通じてのみ、欧州諸国は効果的な通常戦力抑止に必要な「体力」と「頭脳」の両方を築くことができる。
1Céline Marangé, "Après l'Ukraine, la Russie prépare la guerre d'Europe", Le Grand Continent, February 24, 2025, https://legrandcontinent.eu/fr/2025/02/24/poutine-prepare-la-guerre-deurope/
2Seth Jones, "Russia's Shadow War Against the West", CSIS, March 18, 2025, https://www.csis.org/analysis/russias-shadow-war-against-west#:~:text=Russia%20is%20conducting%
20an%20escalating%20and%20violent%20campaign,to%20a%20new%20CSIS%20database%20of%20Russian%20activity
3例えば、Ketrin Jochecova, "Russia Could Start Major War in Europe Within 5 Years, Danish Intelligence Warns", Politico, February 11, 2025, https://www.politico.eu/article/russia-war-threat-europe-within-5-years-danish-intelligence-ddis-warns/.
4Antoaneta Roussi, "Rubio Reassures Allies on US Commitment to NATO", Politico, April 3, 2025, https://www.politico.eu/article/rubio-reassures-allies-on-us-commitment-to-nato/
5Gordon Lubold, Dan De Luce, Courtney Kube, "Pentagon Considering Proposal to Cut Thousands of Troops from Europe, Officials Say", NBC News, April 8, 2025, https://www.nbcnews.com/politics/national-security/pentagon-considering-proposal-cut-thousands-troops-europe-officials-sa-rcna199603.
6Timothée Albessard, "Challenges and Opportunities in Debating European Dimension of France's Nuclear Deterrence", The Japan Institute of International Affairs, March 18, 2025, https://www.jiia.or.jp/en/column/2025/03/missile-fy2025-01.html.
7Torben Schütz, Christian Mölling, "Managing the Transatlantic Divorce:A Roadmap Towards a European Way of War", European Policy Centre, March 5, 2025, https://epc.eu/en/Publications/Managing-the-Transatlantic-Divorce-A-roadmap-towards-a-European-way-o~62bd58
8欧州委員会「欧州防衛態勢2030年共同白書」2025年3月19日、p.6-7、30b50d2c-49aa-4250-9ca6-27a0347cf009_ja
9Andrea Gilli, Mauro Gilli, Niccolò Petrelli, "Rearming Europe:課題と制約」『ウォー・オン・ザ・ロック』2015年4月15日、https://warontherocks.com/2025/04/rearming-europe-challenges-and-constraints-2/
10Gabe Starosta, "The Role of US Air Force in French Mission in Mali", Atlantic Council, November 4, 2013, https://www.atlanticcouncil.org/blogs/natosource/the-role-of-the-us-air-force-in-the-french-mission-in-mali/
11欧州委員会、「ReArm Europe Plan/ Readiness 2030:EUの防衛資金調達計画」、https://commission.europa.eu/topics/defence/future-european-defence_en
12欧州委員会、「12加盟国が、国防費増強のための協調的な動きとして、国家逃避条項の発動を要請」、2025年4月30日、https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_25_1121
13この問題について貴重なコメントを寄せてくれたデンマーク王立防衛大学軍事作戦研究所教授のオリヴィエ・シュミット博士に感謝したい。