課題の多さに翻弄されたバイデン政権
早いもので、バイデン政権はすでに発足から3年半近くとなった。この政権ほど歴史的な使命を自認し、またそうせざるを得なかった政権は近年稀であった。
なによりバイデン政権は、戦後アメリカの内政、外交の基本的なあり方に根本的に意義を唱えたトランプ政権を否定するだけでなく、2020年1月6日に起きた連邦議事堂襲撃事件を受けて、自由と民主主義というアメリカの理念を再び示す必要があった。政権発足当初から、やや過剰とも言えるほど価値観を重視したバイデン政権からのメッセージは、アメリカが自らのアイデンティティを再確認する過程となることを意識していた。
バイデン政権は、トランプ外交との違いを同盟国、そして国際秩序の重視という点に見いだした。G7はバイデンの就任直後から異様に盛り上がったものだ。コロナによって閉ざされ寸断された世界につながりを取り戻すタイミングにおいて国際協調が重視されたことは、一般に歓迎されるものだった。トランプ外交を否定しつつも、中国を戦略的焦点に見据え、関与政策を見直す点でもバイデン政権は共通していた。
しかし、バイデンはその後、実に多くの問題に直面する。まず、ロシアのプーチン大統領は2022年2月、ウクライナに侵攻した。国連安保理常任理事国であり、核保有国でもあるロシアが軍事力を行使したこと、そしてアメリカをはじめとした各国がそれを止められなかったという事実は、国際秩序の効用をうたがわせるに十分なものであった。さらに、2023年10月には、ハマスによる大規模テロが発生し、それへの報復としてガザ地区へのイスラエルによる大規模作戦が展開される。イスラエル・ネタニヤフ政権に対するバイデン政権の対応は首尾一貫したものと言えず、アメリカのイスラエルに対する影響力の限界も露呈した。アメリカ社会における若い世代らの抗議活動は、対外政策に対する広範な支持、コンセンサスが得られづらいアメリカの将来を予感させるものにもなったi。さらに、ロシア、中国、北朝鮮などのいわゆる権威主義国家はネットワークを強化する傾向を強めているばかりか、外交課題によってグローバルサウス諸国のなかで同調する国家を増やしている。こうした状況を受けて、バイデンが帯びた歴史的使命は、当初の想像を遥かに超えた形で増えたのかも知れない。
バイデンがそれらの使命にどれほど答えているのか、その評価は立ち位置によって異なるだろう。ここでは、バイデンが担ったこの3年余りの時間は、次から次へ生じてくる内外の問題への対応が中心にならざるを得なかったこと、そして当初にあった中国への焦点はかろうじて維持しているものの、ウクライナ戦争と中東という課題に直面する中で、戦略資源は分散し、外交・安全保障政策に国内からの支持を調達することの難しさも増したことを指摘しておく。
大統領選挙後の見通しの悪さ
それでは、これからのアメリカ外交はどうなるのだろうか。2024年11月には大統領選挙が控えている。科学技術分野を含めた経済対立の構図は変わらず、またアメリカも中国もそれぞれのパートナーとの体制固めに余念がない状況ではあるが、少なくとも対中関係は昨年秋のサンフランシスコ米中首脳会談の効果もあり、当面は管理された形で進むとみられている。ウクライナ戦争やイスラエル・パレスチナ紛争は当事者の動きに左右されるところもあるが、バイデン政権の関わり合い方が大きく変わることはなさそうだ。アメリカの同盟ネットワークは強化されているものの、アジアやアフリカをはじめとした世界での影響力の広がりは弱い。(佐橋亮「中国に向かい合うインド太平洋システム ―米中首脳会談後も変わらない対立の構造的背景」『東亜』979号)中長期的な国際情勢に予断を許さない状況と言える。
こうしたなかで大統領選挙後のアメリカの状況には不安がつきまとう。それは第一に、ロバート・ケーガンが警鐘を鳴らすように、もし現職が再選された場合、その結果を共和党候補がすぐさま受け入れるのかという問題である。(Robert Kagan, Rebellion: How Antiliberalism is Tearing America Apart Again, Knopf, 2024.)この過程がスムーズさを欠けば欠くほど、それを利用した現状を書き換えようという動きが世界的に生じる可能性がある。影響力の弛緩とはそういうものである。
第二に、トランプ氏が当選した場合、トランプ第二期がどのような内政、外交を展開するのか。この点の見通しは難しいばかりか、選挙公約のようなものをみても不安を感じるものが多い。トランプ氏と側近、政権入りが予想される政治家、専門家のあいだでは様々な政策アプローチ、さらに目的レベルでの差異があり、最小公倍数がどのようなものになるのか、予断を許さない。トランプ氏と側近が「トランプ・ファースト」の考えで動き、自らの安全を確保し、名声を高め、そして政敵の排除と報復に動くことは言うまでもない。それを越えたところで、「アメリカ・ファースト」がどのように政策化されていくのか、この点に不確かさがある。
もちろん、思想的にいえばアメリカ・ファーストはこういうものだ、という解釈はあろう。しかし、トランプ前政権でも思想がそのまま政策になったわけではない。さらに、この数年のうちに公になっているトランプ陣営の資料を読むと、実に多くの専門家がアメリカ・ファーストの看板の下に集うようになった。軍や政府にバックグラウンドがあるそれらの人物は、保守派ではあっても実のところ思想の根幹でアメリカ・ファーストとは言い切れない。むしろアメリカの覇権政策を継承しているようにしか見えない意見をアメリカ・ファーストの看板の下で展開していることもあるii。(以下も参照iii。Fred Fleitz, ed. An America First Approach to U.S. National Security. Washington DC: America First Policy Institute, 2024)
トランプ氏が再選された場合のアメリカ外交はいったいどうなるのだろうか。各論で色々と検討することも一つの手だろう。たとえば、移民政策、エネルギー政策などを取り上げることができる。または人物に注目していくのも有効だと考える(小谷哲男「誰が『MAGA』外交のキーパーソンになるか」『外交』85号)。ただ、ここでは迂遠に思われるかも知れないが、代表的な論文を取り上げながら、トランプ外交の特徴を位置づけてみたい。
もちろん、こうしたアメリカにおける議論は、いつものことであるのだが、アメリカの独りよがりな論争に過ぎない。アメリカのパワーが相対化することを踏まえれば、アメリカ外交といえども、今後は他国の反応や国際環境の変化にこれまで以上に影響されてくる。アメリカ外交を国内論争、国内政治力学だけから分析することの限界に私たちは今まで以上に自覚的で無ければならない。それでも、まずは国内における議論をみておこう、それらがどのような関係にあるのか確認してみようというのが、数回にわたるであろう、この研究レポートの趣旨である。
ハル・ブランズが説明するアメリカ・ファーストと国際秩序
次のトランプ時代に、果たして国際秩序は維持できるのか。それは多くの人にとって気になるところだろう。それを考える上で重要となる論文は、ハル・ブランズ(ジョンズ・ホプキンス大学教授)が今春に『フォーリン・アフェアーズ』に発表した「アメリカ・ファーストの世界(An "America First" World)」ivである。
ブランズの興味深い指摘を幾つか取り上げれば、たとえばこうだ。「リベラルな秩序が...崩壊したとしても、アメリカ人がそれに気づくのは最後だろう。『アメリカ・ファースト』が魅惑的なのは、それが基本的な真実を反映しているからだ。アメリカは最終的に、より無秩序な世界で苦しむことになるだろうが、今とその時の間には、他のすべての人がより大きな代償を払うことになる。」「1945年以降の外交政策の大きな皮肉は、自由主義秩序を作り上げた国が、それを最も必要としない国であるということである...アメリカはまた、国際経済の分断を他の国よりもはるかにうまく乗り切ることができる。その莫大な資源、広大な国内市場、比較的緩やかな貿易依存は、保護主義的な世界にも比較的適している。」
たしかに、アメリカが自由主義秩序を「最も必要としていない国」という表現は気になる。それでも、国際秩序にコストを払っても、それに見合う、経済的利益など目に見える価値を他の国ほど得ていないという実感を持っていることを、アメリカ・ファーストと国際秩序の関係で理解しておくことは重要である。事実として、かつてトランプ政権では国際秩序という言葉はタブーに近い扱いを受けていた。
いってみれば国際秩序のコストパフォーマンスの悪さに気を取られたアメリカは、どうなってしまうのか。ブランズは「普通に戻ったアメリカは寡黙な同盟国になる」と述べる。そして「アメリカは最終的に、ユーラシア大陸内の問題が制御不能になった時点で、世界秩序の崩壊によって再参戦する必要があると判断するだろうが、その立場は著しく悪くなる」と見通すのである。
トランプ外交に関して、それが孤立主義なのかという論点が良く提起される。ブランズが言うように、おそらくトランプ外交を孤立主義と理解すべきではない。正しい理解は、国際秩序に参加する一般的な国のように、得るものは得たいが、コストに敏感な国になりたいというものだ。トランプ前政権は取引主義や、同盟国への圧力、権威主義者との協調などが融通無碍だと批判された。たしかに、それを(欧州や日本のリベラルな知的共同体が)道徳主義的にみれば正しくないと言うことは可能だろう。国際秩序へ責任感がない、同盟国への経済的威圧だと幾度もこき下ろされたものだ。
しかし、道徳主義を分析に用いれば、分析を誤ることもある。トランプ前政権期の外交を一歩引いて、彼らが国益をどのように評価し、それを得ようとしていたのか、という観点からみるべきだろう。もちろん、同じ目的のために他により良いやり方が存在したことは多いだろうが、トランプ前政権はどれほど自らが定義する利益を追求したのかという観点から、私たちは歴史的評価も今後の予測も立てるべきである。どうも、同時代的に書かれたトランプ外交評は、価値規範の軸が強いか、些細なエピソード、また放逐された者たちの憎悪に満ちすぎている。
トランプ政権は、もし再来しても、世界に関わらないという意味での孤立主義に支配される状況に簡単には陥らない。先に指摘したように、「アメリカ・ファースト外交」を担う候補となる人々には、世界のなかでのアメリカの利益を想定している人々が多数流入している。もし比較的に共通しているところを見つけようとすれば、それはコストに敏感で、国際秩序を背負い込むという意欲をそこまで持ち合わせず、その意味で普通の国としての融通無碍さを(少しでも)追求しようというものだ。トランプ個人の評価を越えて、私たちはトランプ外交の持つ、そうした性格を再確認しておくべきではないか。また、思想としてのアメリカ・ファーストが字句通りに外交に反映されるときは確かにある(たとえば環境や貿易)にしても、総合的に評価すれば、結果として出てくる政策は孤立主義や一国主義といわれるものだけでなく、国益重視の性格が強いとしても世界との関わりを否定しないものもが多いとの理解も持っておいてよい。
ここでは簡潔に指摘するだけに留めておくが、国際秩序を重視し、同盟国との関係を再構築しようとしているバイデン外交ですら、実は理念よりも自らの目先の利益を重視しているとしか解釈できないような動きを度々見せている。世界に関わろうとすることに従前のような支持が得られづらいアメリカは、その外交をかなり変質させている。
表題に掲げたとおり、国際秩序が危機に瀕している時代にもかかわらず、アメリカは一層に現実主義に立ち戻っている。トランプ流の政策手法や、民主党政権特有の外交的修辞を越えたところで、私たちは分析を行う必要がある。
(以下、(2)に続く)