はじめに
安倍政権による対欧州外交を振り返ったときに浮かび上がる最大の意義は、日本外交における欧州との関係の「主流化(mainstreaming)」である。欧州との関係が単なる「お付き合い」ではなく、日本の主要な国益、アジェンダを実現するための欠かせないツールとして位置づけられるようになったのである。
前編で検証したEUとNATOとの関係を受け、中編では、英国やフランスとの二国間関係と、それ以外の欧州諸国との関係拡大を検討することにしたい。続く後編では、英国のEU離脱(Brexit)への対応と、日欧協力における「中国ファクター」を検討したうえで、安倍外交の遺産としての欧州主流化の行方を考える。
進展した日英、日仏の安全保障・防衛協力
欧州との二国間関係において顕著だったのは、英仏両国との安全保障・防衛協力の進展である1。日本にとっては、NATOやEUとの関係も重要であり、その度合いは上昇している。しかし、自らがEUのような強力な地域機構に参加していない日本にとっては、伝統的な二国間外交の方が慣れているために心地がよい。そのため、対欧州外交においても主要国との二国間関係が伝統的に重視されがちになる。
英仏との間で、安倍政権期に定着したのが「2+2」と呼ばれる、双方から外務・防衛の2閣僚が参加する協議枠組みである。多忙な4閣僚の日程を合わせる必要のある「2+2」は開催の敷居が高いものの、それが故に、開催されること自体が重要な政治的メッセージになる。時間の制約もあり、4閣僚による協議で細かい議論までできるわけではないが、こうした政治的イベントは、具体的な協力を進めるためのいわばペースメーカーとして有用である。懸案があれば「2+2」までの処理を目指す必要が生じ、また「2+2」を起点に調整が加速化したり新たな案件がスタートしたりする。
「2+2」プロセスを利用するかたちで進められてきた顕著な例の1つが、自衛隊と英仏軍との共同訓練・演習の実施である。2016年秋には、英空軍の戦闘機タイフーン4機が輸送機・空中給油機とともに三沢基地に飛来し、米国以外とは初めてとなる日本国内での戦闘機の共同訓練が行われた(ガーディアン・ノース16)2。また、2018年秋には英陸軍部隊(約50名)が来日し、共同訓練が実施された(ヴィジラント・アイル)。これも、米国以外とは初となる日本国内での陸軍種による共同訓練であり、長距離隠密偵察や統合火力誘導などの訓練が行われた3。
これらに加え、英海軍艦艇も頻繁に日本に寄港するようになっている。艦艇の場合は、北朝鮮に対する国連制裁の履行のために、いわゆる「瀬取り」監視の任務に従事することも多い。これは、対北朝鮮の国際連携と日英協力の完全なシナジーであり、日本側も英国の貢献を高く評価してきた4。そして、2021年には、英空母クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群(CSG)のアジア太平洋への展開が予定され、日本にも寄港する他、日英や日英米の各種共同訓練が行われる見通しである。
日仏防衛協力も、海軍種中心ではあるが、日英と並び安倍政権期に急速に発展した。艦艇による仏軍と自衛隊の共同訓練は、英国を上回る面が少なくない。2017年5月には、仏海軍の強襲揚陸艦が参加し、日仏英米の4カ国の共同訓練が行われた。訓練内容に「水陸両用作戦」が明記された点が注目され、着上陸訓練が行われた5。従来、欧州諸国の海軍との共同訓練は、「親善訓練」と区分される初歩的な通信訓練などにとどまることも多かったため、島嶼防衛の観点で自衛隊にとっても極めて優先度の高い水陸両用作戦訓練が行われたことの意味は大きかった。
もう1つ注目すべき事例は、菅政権になってからだったが、2020年12月に太平洋上、沖ノ鳥島周辺海域で行われた日米仏の訓練である。これには、仏海軍の攻撃型原潜エムロードが参加し、対潜水艦戦(対潜戦)訓練が実施された6。日米で仏潜水艦を追跡したのだろう。同潜水艦は2020年秋から長期の太平洋派遣ミッションを実施しており、グアムにも寄港した他、南シナ海航行も明らかにされた7。日仏の二国間のみならず、米国や英国も参加する3カ国、4カ国で共同訓練が実施されているのも、新たな展開として注目される。また、フランスの艦艇や哨戒機は、対北朝鮮の「瀬取り」監視にも複数回従事している。
なお、2018年12月に決定された防衛計画の大綱(防衛大綱)では、英仏との間で「より実践的な共同訓練・演習」を推進すると言及されていた8。すでに行われていたものの追認という側面もあったが、その後さらに実践的な内容に向かう根拠を提供するものでもあった。同時に、情報保護協定や物品役務相互提供協定(ACSA)も英仏両国との間で締結され、いずれも発効している9。これらは、共同訓練を含む防衛協力の枠組みを提供するものだが、部隊による相手国訪問に関する円滑化協定(ないし、相互アクセス協定:RAA)の締結が今後の課題として残されている。
そもそも、英仏を筆頭に、欧州諸国が艦艇の派遣を含めたアジア、およびインド太平洋への関与を拡大する背景には、それら地域の安全保障が欧州に影響をおよぼす度合いが増していることへの認識の高まりが存在していた10。その最大の要因は、欧州における中国への懸念の高まりである。加えて、北朝鮮に対する制裁の履行は、国連安全保障理事会常任理事国である英仏両国にとっては、譲ることのできない重要なアジェンダでもあった。さらに、安倍政権が欧州との対話においてアジアの安全保障情勢のインプットに努めてきたことの効果も指摘できるだろう。
日英、日仏の安全保障・防衛協力のもう1つの側面は、防衛装備品協力であり、共同研究・開発が模索されてきた。安倍政権の重要な決定だった武器輸出三原則等の変更も、端的には欧州諸国との装備品協力を可能にするものだった。というのも、米国との間ではそれ以前から必要に応じて(官房長官談話等による例外措置の積み重ねで)装備品協力が実施されてきたからである。そして、共同研究・開発に関しては、基本的に先端的な技術を有する国が対象であり、その観点でも、欧州が主眼となるのは当初からの既定路線だった。欧州側には、日本への装備品輸出を増やしたいという本音も存在したが、防衛装備品市場の競争が激化するなかで、有望な技術と類似の関心を有する新たなパートナーとして、日本に白羽の矢が立ったのである。
対する日本側の姿勢は、安倍政権期においても総じて受け身だったといえる。その背景には、国際的な装備品の共同研究・開発に関する知見が日本側にほとんどなかったこと、および、武器輸出三原則等の変更後も、何が許可され、何が認められないのかが必ずしも明確ではなく、慎重姿勢を強いられた事情がある。英仏の側でも、共同研究・開発を実施する日本側の態勢や制約に関して懐疑的な声が根強かった11。それでも、装備協力のための態勢整備として、一部は安倍政権発足以前からであるが、英仏両国とは、情報保護協定に加え、防衛装備品の共同開発・移転に関する協定などの制度的枠組みが整備されることになった。
こうして、共同訓練・演習や防衛装備協力を中心に、英仏両国との安全保障・防衛協力は安倍政権下で急速に具体化していった。これは、日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなるなかで、日米同盟を補強したり、日米の防衛協力を重層化するという意義をも持つものであった。日米に仏や英仏の加わる「日米プラス」の共同訓練は、その好例である。他方で、それらが実態として急拡大したために、日本側では、態勢が十分ではないままに、個々の訓練や各種提案に対する個別の対応になりがちだったことは否定できない。日本の安全保障とその基礎である日米同盟を見据え、英仏などの欧州諸国をその文脈でいかに活用し、日本独自の取り組みや日米同盟との相乗効果を確保するかという、一貫した方針に基づいて日本の側から働きかけてきたようにはみえない。新たな戦略の策定は、安倍政権後に残された宿題であろう。
欧州におけるフロンティアの拡大
安倍外交における顕著な特徴の一つは、総理自身による外交へのコミットメントの度合いの高さであり、それは、頻繁な外国訪問という結果にあらわれた。2020年春に新型コロナウイルス感染症の拡大により対面での首脳外交がほぼ全面的に停止するまでの実質7年間で、計81回(延べ訪問国176カ国)の外国訪問という数字は、ほぼ月1回の頻度である。週末も使う外国訪問を積み重ねることは、総理自身に強い意思がなければ続けられるものではない。このうち、(ロシアを除く)欧州訪問は20回にのぼった12。
在任期間が長期にわたったことで、訪問先が広がることになった。通常、就任したての総理は、同盟国である米国に加え、近隣諸国である中国、韓国などとの関係構築が求められる。そのうえで、初めてのG7首脳会合の前に、可能な限り多くのG7諸国を訪問し、「初顔合わせ」を行うという段取りになる。最近では、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国の重要性も増している。
総理の欧州訪問先としては、G7に参加する英、仏、独、伊、そしてEUが真っ先にあがる。このうち、EUとの間では毎年の定期首脳協議が実施されており、東京とブリュッセルの交互開催になっている。そのため、通常であれば2年に1度は自動的にブリュッセルを訪問し、その際にはNATO訪問がセットされることも多い。G20やASEM(アジア欧州会合)の首脳会合が欧州で開催されることも少なくない。そのため、日本の総理の欧州訪問は回数としては比較的多くなる。
しかし、欧州内でも訪問先はどうしても主要国に偏ってしまう。訪問先の幅を広げることが課題だが、そのためには長い在任期間が必要になる。この点で、憲政史上最長を誇った安倍政権はまたとない好条件だった。2018年1月のエストニア、ラトビア、リトアニア、ブルガリア、セルビア、ルーマニア訪問は画期的なものだった。訪問した6カ国全てが、日本の現職総理大臣として初の訪問国であった13。まさに「日本外交のフロンティアを広げる(菅官房長官)14」ことが訪問の重要な狙いだった。
さらに、ポーランドとの関係など、従来は安全保障面が必ずしも重視されてこなかった二国間関係において、安全保障が前面に打ち出されるようになったのも、安倍政権における対欧州外交の特徴として指摘できる。例えば、2015年2月に来日したポーランドのコモロフスキ大統領との首脳会談で発表された共同声明では、最初の項目に「政治・安全保障分野における協力」が挙げられている15。2013年6月には、安倍総理のワルシャワ訪問の機会に、「V4+日本」(ヴィシェグラード諸国:チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア+日本)の協力枠組みで初めてとなる首脳会合も開催されている16。これも日本の対欧州外交の厚みを増す試みであった。
もう一点、日本の総理として安倍総理が初訪問した欧州の国として忘れてはならないのが、ウクライナだった。2015年6月に首都キエフを訪れた安倍総理は、G7で連帯してウクライナの改革を支援する姿勢を強調した17。ただし、安倍外交におけるウクライナの位置づけは、実態としては極めて複雑なものだった。ロシアによるウクライナのクリミア併合、さらにはウクライナ東部へのロシアによる介入を受け、ロシアとウクライナとの関係は極めて対立的であるが、日本は一方でG7の一員として対露制裁に加わりつつ、他方では、平和条約締結を目指しロシアとの関係改善に本腰を入れていたからである。加えて、日本とロシアの接近に対しては、当時のオバマ米政権を筆頭に米欧で警戒感が存在していた。日露関係は本稿の対象外だが、そうしたなかで、安倍総理のウクライナ訪問には、日本の対露姿勢への疑念を払拭し、「G7の結束」を示すという狙いが存在していたのである18。
日本のウクライナへの関与のきっかけの一つが、たとえG7の結束を示すためのいわばアリバイ作りだったとしても、結果として、キエフにおける「G7大使サポート・グループ」としての活動などを通じ、日本はG7の一員として、ウクライナの各種改革に極めて深く関与することになった19。これは、日本の欧州外交の発展という観点からも興味深い事例だったといえる。
1 日英と日仏の安全保障関係の比較については、鶴岡路人「日英、日仏の安全保障・防衛協力」『防衛研究所紀要』第19巻第1号(2016年1月)を参照。http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j19_1_6.pdf
2 「日英戦闘機共同訓練のお知らせ」駐日英国大使館(2016年9月16日)。https://www.gov.uk/government/news/announcement-raf-typhoon-aircraft-to-visit-japan.ja
3 「平成30年度国内における英陸軍との実動訓練(ヴィジラント・アイルズ)について」陸上幕僚監部(2018年11月8日)。https://www.mod.go.jp/gsdf/news/topics/train/2018/20181108.html
4 「瀬取り」監視への英仏など各国の艦艇や航空機による参加や日本との連携事案のリストは、「北朝鮮関連船舶による違法な洋上での物資の積替えの疑い」外務省(2021年2月24日)を参照。https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/nsp/page4_003679.html
5 「日仏英米共同訓練(平成29年度米国における統合訓練)の実施について」統合幕僚監部報道発表資料(2017年4月28日)。https://www.mod.go.jp/js/Press/press2017/press_pdf/p20170428_01.pdf
6 「日米仏共同訓練について(お知らせ)」海上幕僚監部(2020年12月18日)。https://www.mod.go.jp/msdf/release/202012/20201218.pdf
7 "French nuclear sub prowls South China Sea," Nikkei Asia, 10 February 2021. https://asia.nikkei.com/Politics/International-relations/Indo-Pacific/French-nuclear-sub-prowls-South-China-Sea
8 「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱について」国家安全保障会議決定、閣議決定(2018年12月18日)、15頁。https://www.cas.go.jp/jp/siryou/pdf/h31boueikeikaku.pdf
9 「日・英物品役務相互提供協定の発効」外務省(2017年8月18日)。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_004920.html 「日・仏物品役務相互提供協定(日仏ACSA)の効力発生のための通告」外務省(2019年5月28日)。https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007458.html
10 例えば、Frederic Grare, "France, the Other Indo-Pacific Power," Carnegie Endowment for International Peace, 21 October 2020 https://carnegieendowment.org/2020/10/21/france-other-indo-pacific-power-pub-83000 ; Policy Exchange's Indo-Pacific Commission, "A Very British Tilt: Towards a new UK strategy in the Indo-Pacific Region - An interim report," Policy Exchange, 2020 https://policyexchange.org.uk/wp-content/uploads/A-Very-British-Tilt.pdf などを参照。
11 トレバー・テイラー「日英防衛装備協力の展望」ジョナサン・アイル、鶴岡路人、エドワード・シュワーク編『グローバル安全保障のためのパートナー――日英防衛・安全保障関係の新たな方向』国際共同研究シリーズ12(防衛研究所、2015年)。http://www.nids.mod.go.jp/publication/joint_research/series12/pdf/Chapter6_Taylor.pdf
12 これらの数字は全て外務省ウェブサイトより。「総理大臣の外国訪問一覧
(2006(平成18)年10月から2020(令和2)年10月まで)」外務省(2020年10月22日)。https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/page24_000037.html
13 このうち、セルビアは、旧ユーゴスラビア時代の1987年1月に中曾根康弘総理が首都ベオグラードを訪問しているが、同国が解体されセルビア(首都は同じくベオグラード)になってからは初めての総理訪問。
14 「安倍総理のエストニア、ラトビア、リトアニア、ブルガリア、セルビア及びルーマニア訪問について」内閣官房長官記者会見、2018年1月10日午後。http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201801/10_p.html
15 「日本国とポーランド共和国との間の共同声明」東京(2015年2月27日)。https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000069328.pdf
16 「『V4+日本』首脳会合(概要)」外務省(2013年6月17日)。https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/page23_000038.html
17 「安倍内閣総理大臣のウクライナ訪問」外務省(2015年6月6日)。https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/c_see/ua/page4_001242.html
18 例えば、「G7とロシア、両立にらみ苦心 首相ウクライナ訪問」『日本経済新聞』(2015年6月6日)を参照。https://www.nikkei.com/article/DGXLASDE06H06_W5A600C1PE8000/
19 「G7大使サポート・グループ」の活動などについては、下記に詳しい。「角日本国大使:G7大使は、月2回集まり、ウクライナの改革について議論している」『ウクルインフォルム(日本語版)』(2018年12月22日)。https://www.ukrinform.jp/rubric-polytics/2606787-jiao-ri-ben-guo-da-shida-shiha-yuehui-jimariukurainano-gai-genitsuite-yi-lunshiteiru.html
(上記URLは全て2021年3月14日現在)