…中央アジアの民衆は旧ソ連地域の中でも特に安定志向が強く、権威に弱い面がある。それ故生活の安定が保たれるのであれば、権威主義体制であっても温存される可能性は高い。
4.今後の展開(その4)
(1)「革命」のドミノが中央アジアで起こるか
中央アジアの民衆は旧ソ連地域の中でも特に安定志向が強く、権威に弱い面がある。それ故生活の安定が保たれるのであれば、権威主義体制であっても温存される可能性は高い。その中ではカザフスタンとキルギスが比較的民主化に向かいつつある。
カザフスタンはナザルバエフ大統領が、91年12月の同国独立以降強力なリーダーシップを発揮しており、情勢は基本的に安定している。積極的に経済改革等に取り組む一方、特に石油価格の高騰によるカザフスタン経済の好調(一人当たりGNI 1,780ドル:03年世銀、経済(実質GDP)成長率 9.4%:04年CIS統計委員会)は同国の政治的安定も助けている。現に2005年12月4日行われた大統領選挙ではナザルバエフ大統領が得票率91%の地滑り的勝利で三選された。任期は7年で、90年に就任以来の長期政権になる。
天然ガス大国トルクメニスタンも同様にここ数年、年20%前後の経済成長率(同国政府発表値による)をほこっており(一人当たりGNI 1,120ドル:03年世銀)、99年に“お手盛り”で終身国家元首となったニヤゾフ大統領の独裁政治が続きそうである。
最も不安定なのはウズベキスタンであろう。アンディジャン事件ではテロは断固鎮圧するとの姿勢を示し、また外国NGOの活動への締め付けは今後も強化しよう。しかし、一人当たりGNI 420ドル(2003年:世銀)は小国キルギス、タジキスタンについで低く、民衆は増税や、ガスなどの各種公共料金の支払いの重い負担に悩まされている。そこにイスラム過激派がつけこむ余地がある。経済面でも独立当初は漸進的改革をめざす「ウズベキスタン・モデル」が成功したが、その後、民営化、金融市場の育成、農業の近代化は進んでいない(経済成長率 4.4%:2003年CIS統計委員会)。
カリモフ政権は今次事件をテロとの闘いで片付けようとしているが、民衆が生活改善と民主化を要求していることを認識し、形骸化している民主主義と経済活動の自由化にいささかでも本気で取り組む姿勢をみせるかいなかにこの国の将来がかかっているといえるだろう。穏健なイスラム原理主義者との対話を進め、時には政権に取りこむことも必要であろう。逆にカリモフ大統領が中国やロシアの支持を背景に徹底弾圧に踏み切ると、場合によっては、内戦状態になり、政権崩壊につながるおそれなしとしない。反政府の嵐が、ウズベキスタンからさらに中央アジア全体に広がり地域が不安定化する可能性も高い。民主化に向かうか、独裁的政権が続きテロが激化するか目が離せないところである。
さればこそ、資源小国キルギス(一人当たりGNI 330ドルー03年世銀、経済(実質GDP)成長率 7.1%―04年CIS統計委員会)とタジキスタン(一人当たりGNI 190ドル:03年世銀、経済(GDP)成長率 10.6%:04年CIS統計委員会)は国際的支援を必要としている。特にアフガニスタンと隣接するタジキスタンの和平履行による国内情勢の安定化はアフガン和平にとっても重要な要素である。ちなみにアフガニスタンでは、2004年10月の大統領選挙から約1年を経た05年9月18日に大きな混乱もなく議会選挙が終わり、この2回の選挙を通じて、同国は「民主化」に向けて本格的に踏み出して行こうとしている。アフガニスタンの今後の動向は逆に中央アジア辺諸国にも影響を及ぼす可能性があり、今後も国際社会はアフガニスタン支援・周辺国支援を続けるべきであろう。
なお、コーカサスのアゼルバイジャンでは2003年10月隣国グルジアとは全く異なる形で政権の世代交代がおこなわれた。大統領選挙でヘイダル・アリエフ前大統領の息子イルハム・アリエフ(43歳)が選出され、CISで初の「世襲」が実現したのである。アゼルバイジャンでは石油の産出が本格化しつつあり、欧米との関係が深まるのは確実と見られるところ、2005年11月の総選挙では政権与党が大勝したが、選挙は不正であったとするデモが続発した。イルハム・アリエフ大統領が父親同様に権威主義の道を歩むのか、公約の民主化を進めるのか、その行方が注目される。
(2)中央アジアをめぐる国際情勢の展望
(イ)ロシアのCISに対するグリップの弱化とウズベキスタンとの関係の深化
グルジアとウクライナにおける親欧米政権の成立、2005年10月の永世中立国トルクメニスタンのCIS脱退表明(准加盟国となる)などロシアのCISに対するグリップが弱化してきた。さらには2005年12月2日、キエフでGUAMのメンバーたるウクライナ、グルジア、モルドヴァに加えバルト3国、東欧のルーマニア、スロヴェニア、マケドニアの9ヶ国からなる地域フォーラム「民主的選択共同体」が発足した(アゼルバイジャン、ポーランド、ブルガリアも設立総会には代表を送っている)。このような動きに対し、ロシアの「ガスプロム」社は、石油・ガスの国際価格高騰を背景に、売却先のウクライナ国営ガス会社に対し、天然ガスの価格を従来の1000立方メートルあたり50ドルから2006来年度は欧州向け価格に近い230ドルに値上げする旨通告(ちなみにグルジアには110ドル、忠実な親露国であるベラルーシには据え置きと報じられている)、交渉は難航し、ロシアは本年1月1日ウクライナへのガス供給の停止を発表したが、ロシアからウクライナを通じるパイプラインでガスを輸入している西欧諸国の懸念に配慮して、4日ロシアは中央アジア産ガスと合わせて95ドルでウクライナに供給することで合意に達したと報じられている。
かかる状況で,ロシアにとって、ウズベキスタンとの関係強化は手放せない外交の勝利と言える。またウズベキスタンの上記のような事情からも、今次会議で見られるように、ウズベキスタン・ロシア関係は深化するであろう。ただし、余談ながら、今回のタシュケントでの会議では場外でロシア代表団の有力な一員は田中氏に対し、「ロシア当局を含め我々はウズベキスタンのロシア回帰を全面的に信用しているわけではない」といっていた趣であり、他方ウズベク代表団の一人は筆者に「ロシアの協力は結局はロシア自己の利益のため」とさめた口調で語っていたのが印象的であった。ともあれ、安全保障面で、ロシア・ウズベキスタン関係がどの程度進むかは、ウズベキスタンがこれまでの外交方針を大転換し、CIS集団安全保障条約機構に参加するか(05年10月ウズベキスタンはロシア外相に加盟の希望を表明したと報じられている)、さらにはロシア軍に基地を提供するかいなかが今後の趨勢を占う鍵となろう。
(ロ)上海協力機構(SCO)の影響力の拡大と「グレート・ゲーム」の激化
前述の通り、中央アジアの民衆が求めるのはまずは民主化よりも生活の安定である。ここでは「欧米スタンダード」の押し付けは必ずしも効を奏さないことは明かである。NISにおける一連の「革命」やアンデイジャン事件を契機として、ウズベキスタンやロシアは一部欧米系NGO事務所に閉鎖を命じており、少なくとも中央アジアにおいては、民主化の促進の面では欧米は一歩後退を余儀なくされたといえよう。
他方、エネルギー分野への進出の面では、欧米石油企業には採算重視の企業の論理があり、自国政府と一枚岩とはいえないが、今後、欧米、ロシア及びエネルギー需要が急増している中国、インドの間で「グレート・ゲーム」は激化しよう。中国による外国の石油会社の買収を通じて進出をはかる動きが目立つっている。 2005年6月、中国海洋石油(CNOOC)が米石油業界9位のユノカル買収に名のりをあげ、これに対しエネルギー安全保障の観点から米下院が本件買収差止めを求める法案を可決して注目されたが、下院軍事委員会のハンター委員長(共和党)は「中央アジアのパイプラインに投資しているユノカルを中国企業が買収すれば、米国がテロとの戦いで同盟関係にある中央アジアで中国が影響力を増しかねない」と述べ、警戒感をあらわにした。また7月19日米国防総省は中国の軍事力に関する報告書を発表したところ、その中で中国の軍事力増強のみならず、その資源戦略にも警戒感をつよめていると報じられている。しかし、同年8月中国石油天然ガス集団(CNPC)は、カザフスタンに油田の権益を持つカナダのペトロカザフスタンを買収すると発表した(買収金額は41億8000万ドル、ペトロカザフの原油生産量はカザフスタン全体の12%に相当する日量15万バレルで、可採埋蔵量は5億5000万バレル。油田開発から精製、販売まで一貫して手掛けている)。またかねて建設中であったカザフスタンと中国を結ぶ石油パイプラインが2005年12月に入って完成した。供給量は2010年には年2000万トン(日量40万バレル)に達すると見こまれている。石油開発には日本企業も参加している(後述)。
前述の通り2005年7月のSCO首脳会議でインド、パキスタン、イランの准加盟が決定した。中国のイニシアチヴであるとする見方が強いが、ロシアとしても、米の一極支配排除との点では中国と思惑が一致しており、今後、国際社会におけるSCOの存在が増大し、米対露中の勢力争いが中央アジアから西・南アジアにも拡大する前兆と言えよう。ただし、中央アジアにおいては、中央アジア諸国が一枚岩でないのと同様に、下記の通り中露の利益が必ずしも一致しているわけではなく、また、ロシア、中国、さらには中央アジア諸国とも本音では米国との関係の悪化は望んではいないので、米対露中の構図が一直線に進むとは思えず、虚虚実実の駆け引きが展開されよう。
さらに注目すべきはイランとトルコの動向である。今回のイラン出張では、イランの中央アジアからの麻薬の流入に対する危機感、反米感情の強さ、いわばその反動としてECO及びカスピ海協力機構を梃子として中央アジア・コーカサスとの連携を強化せんとする姿勢を印象付けられた。一方トルコは1987年EUに加盟申請後17年にしてようやく2005年10月EUとの加盟交渉が開始されたが、一部欧州諸国がトルコの加盟に消極的態度を見せて、加盟交渉の行方に早くも暗雲が立ちこめている。交渉を開始しても加盟までには最低10年を要すると言われているが、EU側の対応次第ではトルコは外交方針を大きく変える可能性もあり、行方が注目されている。「欧亜の掛け橋」を自認するトルコとしてはEUとの交渉を有利に運ぶ観点からも中央アジア・コーカサスとの連携を強めておきたいところである。イラン,トルコ両国がふたたび政治的影響をつよめる可能性は十分にある。
(本項続く)
筆者: 廣瀬 徹也(ひろせてつや)
アジア・太平洋国会議員連合中央事務局 事務総長
元外務省新独立国家(NIS)室長、在ウラジオストク総領事、駐アゼルバイジャン大使