現在、スィースィー政権のもとでエジプトの外交が多極化する傾向を見せている。エジプトの外交政策がこのような方向に大きく舵を切る契機となったのは、2011年の政変と2013年のクーデターである。特に、2013年7月に当時国軍総司令官であったアブドゥルファッターフ・アル=スィースィーが、ムスリム同胞団(以下、同胞団)とムハンマド・ムルスィー大統領に対する大規模なデモを背景にクーデターで政権を打倒して以降、これまでの親米路線とは明らかに一線を画す外交政策を採用するようになった。アラブ域内では、国内の同胞団勢力に対する脅威意識を共有するサウジアラビアやアラブ首長国連邦などと強く連携し、一方で親同胞団的な立場を取るカタルやトルコとは関係が悪化した。国際的にはフランスやドイツなどEU諸国と従来の関係を維持しつつ、ロシアと中国に接近した。ムバーラク期まで、エジプト外交の最大の同盟国はアメリカであり、エジプトはサウジラビアと並んでアメリカの対アラブ外交の柱となってきた。この点については、基本的に現在も変わりはない。しかし、ムバーラク期に両国間で問題が浮上するたび、アメリカ側でエジプト軍に対する毎年13億ドルもの軍事援助の停止を示唆する発言があったことから、2000年代後半にはエジプト国内では対米依存を修正する声が高まっていた。現在のエジプト外交は、基本的にこの修正路線の延長線上にあるといっていいだろう。しかし、スィースィー政権が新たに外交関係を強化した国々のなかで、ロシアと中国との関係は注目に値する。中国とは、相次いでメガプロジェクトの実施が発表されるなど、経済開発の分野での関係強化を特徴とする一方、ロシアとは軍事方面での協力体制の強化が目立つ。
ここで、ロシアがエジプトに進出した場所と内容を確認してみよう。東から西へ、ポートサイド東岸のロシア企業向け工業地帯建設、地中海沿岸のダブアにおける原発建設、同じく地中海沿岸でリビアとの国境に近いスィーディー・バッラーニー空軍基地の使用権確保である。ポートサイド東岸の工業団地では、ハイテク製品の製造が中心になるといわれている。つまり、程度の差はあるものの、いずれも軍事に関わるものであり、しかも新たに形成されるこれらのロシアの拠点は、地中海沿岸部という地政学的に重要な場所に位置している。なぜ、スィースィー政権はこのような重要な場所へロシアを進出させているのだろうか。ここで考えられる理由として示したいのは、エジプトとロシアはリビアに対するそれぞれの思惑は異なるものの一定の利害を共有しており、両国は新生リビアにおける影響力の拡大という目的のため協調しているということである。
現在、リビアは国連など国際社会が公式にリビア政府として承認しているトリポリにある国民統一政府と、リビア東部を拠点とするハリーファ・ハフタル将軍が大きな影響力をもつ「トブルク政府」に分裂している。ロシアのエジプト進出を象徴する事業のなかで、原発建設以外は、エジプトのみを視野に入れたものではないことに着目したい。リビアとの国境に近いスィーディー・バッラーニー空軍基地の使用は、エジプトにおける軍事力の拡大を意図したものではなく、むしろリビア東部におけるロシアの影響力の確保にあるように思われる。エジプトとロシアが支持するハフタルは、2016年から2017年の間に合計3回ロシアを訪問したほか、2017年1月には地中海上のロシア空母を訪問し、艦内でショイグ国防相と電話会談を行っている。またロシア軍はすでにリビア東部に一部兵力を展開しているともいわれており、報道ではハフタルがロシア側と協議し、ロシア軍にトブルクとベンガジに軍事基地の建設を認めたと伝えられた。ロシアはカッザーフィー時代、リビアとは軍装備品の輸出や経済開発など、軍事的経済的に良好な関係を築いていたが、2011年の「アラブの春」に際し、NATO軍が主導してカッザーフィー体制を倒したことで、ロシアは新体制の構築プロセスから排除された。ロシアとしては、「トブルク政府」を支援することで、新生リビアが西側諸国の意向のみでなく、ロシアやその影響圏にあるエジプトのような国の意向も反映される国家とする意図があるのではないだろうか。
では、エジプトはどのような意図をもって、リビアに対してロシアと足並みを揃えているのだろうか。エジプトがロシアとともにハフタルを支援する理由として、ハフタルの率いるリビア国民軍を支援することで、リビア東部に拠点を置く複数のテロ組織を壊滅する目的があるということを挙げることができる。このテロ組織には、2013年にエジプトの国内法でテロ組織とされた同胞団も含まれる。2018年10月には、リビアのディルナにおいて、エジプト国内で要人暗殺など数々のテロ事件を起こした容疑者である元エジプト陸軍特殊部隊員のヒシャーム・アシュマーウィーがリビア国民軍により逮捕された。また、この目的以外にも、リビアの治安を安定化させることで、2011年までエジプト人労働者の出稼ぎ先であったリビアに再び労働者を送り出し、失業率を低下させる狙いもあるだろう。さらには、リビアに労働市場を確保することで、クーデターで同胞団から政権を奪取したことの正当性を担保する意図もあると思われる。
現在、リビアは東西で個別の政府が樹立されるなど分裂しているが、中東域内では、同胞団との関係を巡り、反同胞団のエジプト、アラブ首長国連邦、サウジアラビアなどが「トブルク政府」を支援し、親同胞団の国民統一政府をトルコとカタルが支援している。またアラブ地域を除いた国際社会においては、「トブルク政府」をロシア、国民統一政府を国連など西側社会が支援している。つまり、現在のリビアの二つの勢力の対立は、東西政府による新生リビアの主導権を巡る対立であるとともに、同胞団を対立軸とした中東域内の争いでもあり、同時に西欧社会とロシアとの新生リビアを巡る勢力圏を巡る対立でもあるといえる。ここにロシアとエジプトが、それぞれの思惑から協調する背景があるといえるだろう。
総括すると以下の通りである。ロシアは、現時点でエジプトに対して、アメリカやEU諸国を上回る規模の経済的影響力を及ぼしてはいないが、エジプト政府はロシアに対し地政学上重要な場所に拠点を形成することを許している。これは、エジプト外交が明らかにムバーラク期とは異なる時代を迎えたことを示していよう。しかし、一方でエジプト政府は1970年代にソヴィエトとの関係を断ったサダトの対ソ政策を非難してはいない。現時点では、スィースィーはロシアをアメリカの代替とは考えてはおらず、ロシアもまた、エジプトにおいてアメリカに代わる存在になろうという意図があるとは思われない。しかし、今後も同様であると断言することはできない。なぜなら、少なくとも、ロシアはアメリカのように人権を理由にエジプトへの援助を停止することはない。さらに国軍を支持基盤とするスィースィー政権にとって、軍事分野での協力体制を重視するロシアとの関係の緊密化は、国軍が中核となった体制を強化することにもなる。エジプトが今後も親米路線を歩んでも、ロシア抜きでEUやアメリカが国際社会を主導することを好まないロシアという存在が一定の重みをもってくることは間違いないだろう。
(2019年3月19日脱稿)
※本稿は、平成30年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2019年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。