ドナルド・トランプ政権が成立して、2年が過ぎた。この間、世界はトランプ政権の意図を読みあぐねている観がある。そもそも米国は、しばしば潜在的に衝突しあう多様なインタレストを有している上に、超大国であるがゆえに行動の自由の余地が相対的に大きいため、その行動は―おそらく一般に考えられている以上に―読みにくい。そのような米国の歴代政権の中でも、トランプ政権がとりわけ「読みにくい」政権のひとつであることは間違いない。しかし、トランプ政権は、一般にイメージされているように、衝動的あるいは無原則的に行動してきたのであろうか。トランプ政権の行動にそのような側面が存在することは否めないが、その一方で、その最初の2年間の行動には一定の原則や方向性をも見出すことができるのである。
1.トランプ政権の全般的対外戦略
トランプ政権の対外政策や対外的行動を理解する手がかりは、2017年12月に発表された2017年度版国家安全保障戦略(National Security Strategy of the United States of America、December 2017:以下、NSS2017)、および2018年1月に発表された2018年度版国家防衛戦略の要約版(Summary of the 2018 National Defense Strategy of the United States of America:以下、NDS2018)に見出すことができる。何れの文書も、法的に作成を義務づけられた公式政策(declared policy)であるがゆえに、そこから得られる情報には限界がある。しかしそれにもかかわらず、両文書からは政権の基本的な認識や発想を窺い知ることが出来る。
NSS2017は、冷戦終結後の米国の歴代政権の対外政策への批判から始まる。冷戦後の歴代政権は、米国の国際的地位に安住して「自己満足」に陥り、米国の対外政策を「漂流」させた。そして、このような歴代政権の対外政策が、「現状変革勢力」としての中国とロシア、そして「ならず者国家」とされるイランと北朝鮮の台頭を招いた、という。そして、これらの脅威に正面から取り組み、米国の国際的地位を向上させることが、トランプ政権の安全保障政策の根幹であるとされる。NSS2017の最大の特徴は、中国、ロシア、イラン、北朝鮮という、国家が主要な脅威として名指しされ、安全保障がすぐれて国家間の競争や対立の次元で捉えられていることである。対テロ戦争を含む非国家レヴェルの脅威への関心は、国家レヴェルのそれよりも明らかに低い。その上でNSS2017は、米国の軍事的優位を確固たるものとし、それを国家間の競争や対立という次元において米国の国益を実現する手段として最大限に活用する方針を強調する。軍事力を抑止力としてのみならず、外交上の「強者の立場」を獲得するための武器としてもここまで明示的に位置づけたのは、冷戦後ではトランプ政権がおそらく初めてである。
以上のように、世界を国家間競争の場裡と捉え、そこに作用するパワーの最大の源泉を軍事力に求め、米国自身の国益追求を最優先するトランプ政権の安全保障戦略は、古典的なリアリストの立場に立っていると言える。一方、NDS2018は、基本的にはNSS2017の延長線上にあるものの、微妙なニュアンスの相違を内包している。たとえば、NDS2018に出てくる「規則に依拠する国際秩序の後退」という考え方は、NSS2017にも対応する叙述が無いわけではないものの、強調されているとは言い難い。また、NDS2018が「同盟国やパートナー」の重要性をたびたび強調して国際協調的な姿勢を示すのに比べると、NSS2017は単独行動主義的アプローチへの傾斜が強い。敢えて単純化するならば、NSS2017が古典的リアリストの立場を取るのに対して、NDS2018には、冷戦的国際主義とでも呼ぶべき、西側陣営の盟主の地位をもって任じた冷戦期の米国のありようが垣間見える。
過去2年間のトランプ政権の対外政策を振り返るならば、それは大筋でNSS2017およびNDS2018の方針に沿ってきたと考えられる。トランプ政権の対外政策に近い先例を探すならば、リチャード・ニクソン政権に思い当たる。冷戦の盛期、ニクソン政権は、かつて米国自身が主導して構築した国際的制度を破壊し、あるいは西側陣営の盟主たる責任を放棄することすら厭うことなく、しばしば単独行動主義的な行動によって米国の国益を赤裸々に追求した。トランプ政権が型破りな政権であることは間違いないにせよ、それが必ずしも前代未聞の異形の政権ではないことは、頭の片隅に置いておいてよいであろう。
2.トランプ政権の中東政策
NSS2017が概略する中東政策には、保守的な側面と革新的な側面が同居している。NSS2017は、中東における全般的な目標として、敵対勢力による中東支配の防止という地政学的目標と石油の安定供給という経済的目標を掲げる。これは冷戦期以来の米国の地域的目標を踏襲していると言ってよい。一方で、NSS2017は、全般的方針においても「ならず者国家」として名指しされていたイランの脅威を強調し、それが域内の諸問題の根源であるかのような極端な認識を提示する。すなわち、イランは域内の混乱に乗じて代理勢力の育成や武器・資金援助を通じて影響力を拡大しており、2015年のイラン核合意(JCPOA)以降も、弾道ミサイルの開発やサイバー攻撃を継続し、「当該地域内の暴力を永続化」しているというのである。以上のような地域的目標と現状認識を踏まえ、NSS2017は、①対決的なイラン政策、②パレスチナ和平の推進、③親米勢力へのコミットメントの再確認、という具体的な政策方針を提示する。
2018年末近くまで、トランプ政権の中東政策は、概ねNSS2017の方針に従っていたと考えられる。①については、2018年5月にトランプ政権はJCPOAからの一方的な脱退および対イラン経済制裁の再開方針を表明した。②については、2018年9月の段階で、トランプは4か月以内に中東和平案を提示するとの意向を示していた。③については、トランプ政権はシリアやアフガニスタンに米軍を増派するとともに、ペルシャ湾岸諸国を中心に親米諸国や親米勢力に連携強化を呼びかけてきた。駐イスラエル米大使館のエルサレムへの移転のような、明らかに国内政治上の配慮によって行われた政策(言うまでもなく、それはきわめて重大な決定であったが)もあったものの、トランプ政権の中東政策は、概ねNSS2017の線に沿って遂行されてきたと見ることが出来るのである。
しかし、2018年末以降、トランプ政権の中東政策には、NSS2017の枠組みから逸脱する動きが垣間見える。まず、中東和平については、大統領が明言していた期間内に和平案が提示されることはなかった。とりわけ湾岸諸国が政権の和平案に難色を示しているとの報道を信じるならば、トランプ政権は和平を放棄したわけではないものの、それを公表するに足るだけの親米諸国からの支持獲得に難渋しているということなのかもしれない。より大きな変化は、2018年12月に発表されたシリア及びアフガニスタンに展開する米軍の大幅縮小方針である。(当初はシリアからの「早急」かつ「全面的」な米軍の撤退方針として発表されたが、これに対する強い批判が内外に沸き起こった結果、現時点ではさしあたり大幅な縮小という所に落ち着いている。)これがきわめて大きな政策転換であったことは、ジェームズ・マティス国防長官が抗議の辞任をしたことからも窺われる。
じつは全般的な対外戦略と同様に、中東政策についてもNSS2017とNDS2018の間には温度差が存在した。シリアについて、NSS2017では、「ジハード主義テロリスト」の掃討、および難民の帰還を実現するような形での内戦解決を目指す方針が示されていただけであり、シリアにおける米国の影響力や軍事プレゼンスを維持する方針はもともと示されていなかった。この文面から見る限り、米国の方針は、「テロリスト」の脅威の源泉とならぬ限り、バッシャール・アサド政権による支配の回復を事実上容認するとも読める。一方で、NDSS2018では、「我々は、アフガニスタン、イラク、シリアその他あらゆる地点において獲得した前進(gain)を強固にするための持続的な連携(coalition)を構築する」との方針が示されていた。曖昧な表現ではあるが、この文言から米軍の早期撤退方針を読み取るのは難しい。また、NSS2017では、「安定に基づく安全保障(security through stability)を増進するため、パートナーシップを強化し、新たなパートナーシップを形成する」との方針が示され、「合衆国とその同盟国をテロ攻撃から防衛するとともに、有利な域内のバランス・オブ・パワー(a favorable regional balance of power)を維持するために必要とされる米軍のプレゼンスを当該地域内に維持する」との決意が示されていた。これに対してNDS2018は、「我々は、アフガニスタン、イラク、シリアその他あらゆる地点において獲得した前進(gain)を強固にするための持続的な連携(coalition)を構築する」との、さらに踏み込んだ記述を行っていた。
NSD2018を作成したのは国防省であり、マティス自身が作成を主導したと言われている。ややレトリカルに表現するならば、トランプ政権の中東政策は、NDS2018に表出していたような冷戦的国際協主義を切り捨て、より明確に古典的リアリズムに立脚する一国主義的性質を強めていくことになるのかもしれない。しかし、かかるスタンスは対決的な対イラン政策とどのように整合するのか。少なくとも本稿執筆時点では、トランプ政権の言動からその意図は読み取れない。
3.リアリストの視点から中東を見る
ここで、トランプ政権についての分析からいったん離れ、そもそも米国の中東政策はどのような場で遂行されることになるのか、リアリストの視点という、ある意味で最も単純化された分析視点から考察してみたい。
リアリストの視点から眺めるなら、現在の中東を特徴づけているのは、相互に関連する次の2つの基本的な状況である。ひとつは、2018年時点で、中東にはパワーの極(pole)が、イラン、トルコ、サウジアラビア、エジプト、イスラエルという5国しか見当たらないということである。そして、これと関連するもうひとつの特徴は、これら5国に取り囲まれる地域、およびそれらの周辺地域では、5国が影響力を競い合っている状況にあるということである。
一方、敢えて単純化の危険を顧みずに中東の諸政治主体の連携・敵対関係を図式化するならば、そこには大きく3つのグループを見出すことが出来る。第1のグループは、親イラン勢力と呼ぶべきグループであり、イラン、シリア(アサド政権)のほか、レバノンのヒズブッラー、イエメンのアンサール・イスラーム(所謂フーシ派)、イラクのシーア派諸組織などが含まれる。これと対立関係にあるのが、サウジアラビア、エジプト、ヨルダン、クウェイト、UAE、イスラエルという諸国よりなる、さしあたり親米勢力と呼びうる第2のグループである。第3のグループは、両者の中間に位置する勢力であり、トルコ、イラク、カタル、ファタハなどよりなるが、もともとは親米勢力であったが米国の政策や域内政治の影響でそこから離脱し、親イラン勢力に接近しているものが多い。つまり、静態的に見れば親米勢力に近いが、動態的に見れば親イラン勢力に近づくベクトルを強く帯びているグループである。以上は、現時点での中東における米国の位置を考察するための便宜的な分類であり、たとえば、上記の全てのグループに敵対しているスンナ派のイスラーム主義・ジハード主義組織は除外している。また、各グループ内部があらゆるイシューについて一枚岩的に団結していること、あるいはこの分類が中長期的に固定されていることを示唆するものではない。
以上のような限定を付した上で、3つのグループを、先述の現在の中東における2つの基本的状況と重ね合わせてみるならば、5つのパワーの極のうち、親米勢力にはサウジアラビア、エジプト、イスラエルという3国、親イラン勢力にはイラン1国のみ、中間勢力にはトルコ1国のみが、それぞれ属している。つまりリアリストの視点に立つなら、米国は依然として中東において有利な立場を維持しているようにも見える。あくまでも想像になるが、トランプ政権はこのような認識に立って、対決的な対イラン政策に勝算ありと判断したのではなかろうか。
しかし、現実には親米勢力はそれほど強力な立場にあるとは考えにくい。中間勢力が出現していること自体、親米勢力がむしろ縮小傾向にあることを物語っている。そして、5つの極に取り囲まれた地域における政治的影響力をめぐる競争において、親米勢力は明らかに劣勢にある。シリアにおいてもイラクにおいても、最大の影響力を保持しているのはイランである。また、米国と親米勢力との関係は、必ずしも強固であるとは言い難い。所謂「アラブの春」の後の一連の政治的混乱を経て、エジプトと米国の関係は冷却化している。米国とサウジアラビアは基本的に緊密な関係を維持しているものの、ジャマール・ハーショクジー(日本では「カショギ」と通称)殺害事件を経て米国の議会や世論のサウジに対する視線は厳しくなっている。さらに、親米諸国は磐石な国内支配体制を有しているとは言い難い。サウジアラビア、UAE、ヨルダンなどでは、国民の政治的不満が近年しばしば表面化し、統治の正当性が動揺していると言われる。その大きな原因のひとつは、石油価格の下落に伴う産油諸国の石油収入の低下にある。サウジなど産油諸国では、石油価格の低下に加えて人口の増加により、莫大な石油収入に基づく「地代国家(rentier state)」的な国民経済と社会契約のあり方が限界に達している。さらに産油諸国からの政府間援助およびこれら諸国への出稼ぎ労働者からの送金の停滞や縮小が、ヨルダンやエジプトの経済・財政、さらには政治的安定にも負の影響を及ぼしている。
以上のような、親米勢力の域内政治における劣勢、親米勢力と米国の間の連携の弱体化、そして親米諸国の政治的・経済的脆弱性の高まりは、すべて中東における米国の地位や影響力の低下を意味する。リアリストの視点に立ち戻るならば、これらはすべて、1990-91年の湾岸危機を起点とする中東における米国の覇権的秩序の終焉を指し示している。
そして、米国の覇権の衰退は、その間隙を突いて中東に影響力を拡大しつつあるロシアによっていっそう加速されている。ロシアは、シリアおよびイランと軍事的・経済的な協力関係にあるばかりでなく、親米勢力との関係も強化しつつある。とりわけエジプトとの近年の協力関係の拡大は刮目すべきものがあり、サウジアラビアやイスラエルとも一定の関係を構築しつつある。つまりロシアは、中東域内のパワーの極である5国すべてと一定の良好な関係を構築し、親イラン勢力、中間勢力、親米勢力のすべてに一定の影響を及ぼしうる立場にある。近い将来にロシアの影響力が米国のそれに代わるような事態は想定できぬものの、ロシアの存在により、イランやシリアには米国の圧力が作用しにくくなり、エジプトの例に見られるように、親米諸国にとってすら米国の政策や方針に盲従する合理性は明らかに低下しつつある。中東における米露の角逐は、今後の中東情勢に小さからぬ影響を与えることになろう。
むすびにかえて
現在の中東の国際関係は、冷戦期のそれに似ているところがある。中東における影響力をめぐる米露の角逐、そして域内政治の分極化は、1960-70年代の中東を想起させる。しかし、類似点以上に多くの相違点がある。国際秩序としての冷戦は存在せず、冷戦期にはまがりなりにも各主体の行動を拘束していたイデオロギーも存在しない。その結果、各国の行動はそれぞれの赤裸々なインタレストや国内政治によって決定される傾向、そしてより短期的に変化する傾向を強めている。シリアをめぐる、ロシア、イラン、トルコに仏・独も加えた連携がすでに出現していることに見られるように、イシュー毎の部分的協調が出現するような複雑な局面も増加していこう。つまり、冷戦期に比べると、各国の動きは短期的な性質を強め、中東域内の国際関係は流動化・複雑化する傾向を強めている。しかし、このことは各国の自律性が高まっていることを必ずしも意味しない。パワーの極と呼びうる諸国すら、冷戦期とは比べ物にならぬほどグローバルな経済や情報の動きの影響を受けるようになっている。自律的な強い国家をもつ諸国で構成される中東において対立し合うイデオロギーを有する超大国が影響力を競っていた冷戦期とは、状況が大きく様変わりしているのである。
それにもかかわらずトランプ政権は、冷戦期を彷彿させる国家中心の情勢認識に基づいて、中東における米国の覇権の頂点であった1990年代にすら成功しなかったイランに対する封じ込め政策を遂行しようとしている。シンプルなリアリスト的観点から考察するだけでも、対イラン封じ込め政策が成功する可能性は低いと言わざるを得ない。しかも、トランプ政権のシリア・アフガニスタンからの撤兵方針と対イラン政策がどのように整合するのかは、なお見えない。
何れにせよ、トランプ政権の対決的な対イラン政策は、親米勢力を拡大する方向にも、親米諸国の体制を中長期的に強化する方向にも作用しそうにない。さりとて、たとえ対決的な対イラン政策が採用されなかったとしても、米国の覇権の溶解を逆転させるような契機は見出しがたい。中東における米国の覇権は、その終焉が確実に視野に入ってきた。
(2019年3月11日脱稿)
※本稿は、平成30年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2019年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。