はじめに
2011年にリビアで内戦が発生し、42年間におよぶムアンマル・カッザーフィー政権が崩壊してから、既に6年が経過した。しかし、リビアでは領域の保護や国民への公的サービスの提供といった基本的な機能を備えた国家の建設が進んでおらず、治安が回復する目途も立っていない。そして、リビアにおける国家建設の停滞と脆弱な国境管理・治安維持は、過激主義組織の活動領域の拡大や、リビアに流入する移民の増加につながった。
これらの過激主義組織の活動および移民流入の要因としては、中央政府による法執行や治安管理がおよばない「非統治空間(Ungoverned Spaces)」の存在が挙げられる。ある国家が物理的な領域支配能力および明確な主権や統治を喪失し、また国境管理が不十分な状況下では、国境横断的に活動する過激主義組織や武装勢力が拠点構築や資源獲得を行いやすい環境が生まれる。現在のリビア南部からサハラ砂漠周辺地域にかけては特にこのような環境が形成されており、リージョナル、グローバルな脅威となっている。
リビアが抱える複合的な問題に対処するためには、周辺諸国の協力による過激主義組織の国境横断的な活動の防止が必要となる。リビアの統治秩序と治安の回復は、北アフリカ~サハラ砂漠周辺地域の安定化のための「特効薬」にはならないとしても、さらなる流動化を防止する「防波堤」の役割を果たすといえるだろう。
1. リビアにおける過激主義組織の活動
リビアで活動する過激主義組織は、同国を中心とした北アフリカ〜サハラ砂漠地域全体の治安悪化により生じた国境管理の弛緩、国軍や警察の弱体化を背景に、活動領域を拡大させている。「イスラーム国(IS)」は2014年秋からリビアに進出したが、2016年末に一度リビアから掃討された。しかし、リビアの国境管理や治安維持が脆弱であり続けていることから、統治領域の喪失後も国内に潜伏し、テロ攻撃や資源獲得のための活動を行っている。
また、近年の北・西アフリカ地域におけるアルカーイダ系勢力の影響圏拡大に際しても、リビアは経済資源の獲得や移動・輸送における重要なハブとなっている。「イスラーム・マグリブのアルカーイダ機構(AQIM)」やマリ北部を拠点とする「イスラームとムスリムの支援団(JNIM)」などは、ローカルなテロ活動・反政府活動とグローバルなジハード主義のナラティブを結びつけることで、地域への浸透に成功している。
2. リビアに流入する移民
過激主義組織や武装勢力は、リビア周辺諸国の国境監視能力の低下を好機と捉え、武器やドラッグ、密輸商品の越境的な移動・輸送経路、人身売買ネットワークを構築した。これにより、サブサハラ・アフリカ諸国から欧州を目指す多くの移民が、地中海への「玄関口」として国境監視の緩いリビアに流入した。現在は、地中海の中央部(イタリアおよびマルタ周辺)を通過する移民のほとんどが、リビアを経由するとみられている。国連や欧州の諸機関による報告では、2016年にリビアからイタリアに渡った移民は約18万千人、2017年には11万9千人に上った。欧州を目指してリビアに密入国する移民の大量流入はさらなるリビア情勢の混乱を招き、不安定化の負の連鎖が発生している。
この、サハラ砂漠を越えて地中海を目指す移民をめぐる問題について、筆者は、国際的な議論や報道において描写される「地中海を越える移民」という視座は問題の半分以下しか捉えられていないと考える。より重要なのは、地中海沿岸にたどり着く移民がどこを出発地および経由地として欧州に渡り(渡航を試み)、この巨大な人口の移動にどのような主体が関与しているのかという点である。2017年以降、欧州に渡る移民の数は減少している一方で、人身売買や労働搾取に巻き込まれるなど、「後発」の移民を取り巻く環境は悪化していると指摘される。欧州に渡る不法移民を対象とした地中海沿岸での移民対策・国境警備活動だけでなく、欧州を目指してリビアに入る不法移民を射程に入れた対策を行わなければ、移民をめぐる複合的な問題の解決には至らないであろう。
3. 「非統治空間」とリビアの不安定化
リビアの不安定化と過激主義組織の活動、そして欧州を目指す移民のリビア流入について分析する上では「非統治空間」、つまり「国家主体(政府)による統治がおよばない地理空間」という概念が有用である。「非統治空間」においては国家による治安維持や法執行が十分に行われないため、過激主義組織を含む非国家暴力主体が活動拠点や移動経路を構築しやすい環境が生まれる。また、「非統治空間」は薬物や武器の不法取引といった組織犯罪の越境的ネットワークにとって格好の活動領域となっている。
「非統治空間」は都市や地区といったレベルではなく、明確な境界線の提示は困難であるものの、国境を越えて広大な空間にまたがって発生しているという認識が必要である。通常、国家の統治がおよばず「非統治空間」となる場所は、砂漠地域や山岳地帯、離島など地理・気候的に厳しく、人口密度も低く、開発が遅れている所が多い。そのような地域では、国家が治安維持や国境管理を行うことは困難であり、また国軍や警察、情報機関が継続的に警戒活動を行うためのインフラも整備されていないからである。また、低開発地域では政府に対する信頼感が醸成されておらず、国軍や警察以上に非国家武装勢力が一定の秩序をもたらす存在として支持、黙認されていることも珍しくない。
リビアやサハラ砂漠周辺地域のテロ情勢を分析する上での重要な問題は、「過激主義組織」、「犯罪組織」、「少数民族の自警団」、そして「国境警備隊」といった区別が曖昧になってきているという点である。政府や国際社会から「犯罪組織」や「テロ組織」とみなされている集団であっても、地元住民が彼らを「治安・秩序・雇用の提供者」とみなし、消極的にではあっても警察や軍以上に信頼しているならば、過激主義組織や武装勢力の軍事力による排除は短期的な解決しかもたらさない。「非統治空間」をめぐる問題の解決のためには、リビア周辺地域において「非統治空間」がなぜ発生し、どのように存続しているのかを理解した上で、開発援助や平和構築を含めた包括的かつ持続的な施策の必要性といった問題について、包括的に検討する必要がある。
終わりに――今後の課題
現在のリビアでは、「非統治空間」の発生を要因として、過激主義と人口移動の問題が交錯する状況が発生しているといえるだろう。今後は、多国籍な過激主義組織における外国人戦闘員の摘発、移動・輸送経路や訓練拠点の発見、監視、遮断などが重要となる。ISによる領域支配の阻止だけではリビアにおける過激主義・テロ対策上の「ゴール」とはならず、上述の課題を達成するためには今後も中長期的な取り組みが必要となるだろう。
既にリビア周辺の北アフリカ諸国では多様な過激主義組織や武装勢力、犯罪組織の活動拠点と移動経路が構築されており、政情や治安の悪化につながっている。効果的な過激主義・テロ対策のためには、治安維持・国境監視の担い手として、ローカルな主体(地域・民族・民兵組織)を再評価することも必要になるだろう。この点については、「ハイブリッド・ガバナンス」の視点から、現地の多様な域内アクターに協調と妥協を促し、統治秩序の構築と課題解決(特に治安回復)を支援する、という視点が有効である。
リビア情勢はまだ安定の兆しがみえてこないが、他方でリビアの安定は、これ以上周辺地域が不安定化することを防ぐ防波堤になり得る。ISが一度リビアから掃討されたにもかかわらず、2017年夏から活動を再開したことは、地域の治安・テロ情勢におけるリビアの安定の重要性を物語っている。広大なサハラ砂漠周辺地域を安定させる「特効薬」は存在しないとしても、リビアを安定させるための努力が、引き続きリビア国内でも国際社会でも求められる。
※本稿は、「第13章 リビアにおける『非統治空間』の発生――交錯する過激主義組織と人口移動」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。