2013年のクーデター以降、イスラーム急進派によるテロが増加し、スィースィー政権の権威主義化が加速している。筆者はかつて、「スィースィー政権の支配はエジプトが1952年に共和国体制となって以降、構造的には最も安定的であるが、政権にとってテロが最大の弱点である」と指摘したが、この現状は2017年時点においても変わりない。スィースィー政権の急所であるテロに対する対策は、文字通り、力によるテロ組織の掃討作戦と、立法による社会統制という二つの手段を通して実施されている。前者は「イスラーム国」などグローバルなネットワークをもつイスラーム急進派や、同胞団支持者のなかで武力を用いて政権の打倒を試みる勢力に対して、後者は逮捕を免れた同胞団支援者や同胞団とは無関係であるが政権に批判的な不満分子を想定していると思われる。しかし、テロ防止を理由に民間人を軍事法廷で裁くことや、活動家を多く逮捕拘留するなど、その目的を越えるような事態もみられる。政権が権威主義化しているのは、イスラーム急進派などの反政府勢力を取り締まるためでもあるが、人権活動家で中東研究者でもあるアムル・ハムザーウィーが指摘しているように、スィースィーが国家体制の中核に軍が位置付けられる体制を積極的に評価しているならば、「テロとの戦い」に一定の目処がたったとしても、社会に対する統制は今度も継続されると思われる。
そもそも、法律による社会に対する統制の強化は、2013年7月に当時総司令官だったスィースィーが後ろ盾となったアドリー・マンスール暫定大統領のもとで着手された。まず、「公的な場所における集会および行進における権利の制限に関する法: 2013年第107号法」(通称デモ規制法)が制定された。これにより、デモは許可制となり、2011年以来頻発していたデモは事実上禁止された。そして2015年8月には「テロ対策法」が改正され、その第33条において、テロに関しては政府と異なる見解を報じた報道機関は罰金あるいは業務停止が課されることになった。さらに、2017年5 月には「NGO法」が改正され、NGOが独自に行った世論調査や統計データを公表する際には、事前に政府に許可を得ることが義務付けられた。近年NGO団体が行った世論調査がネット上で多く配信されるようになっていたが、それらは必ずしも政府の政策と相容れる調査結果ではなかった。2017年の改正にはこのような背景があったと思われる。
このようなスィースィー政権の社会統制の強化に対し、アメリカのトランプ政権は2017年8月、エジプトの人権状況の悪化を理由に、これまで毎年エジプト政府に提供していた13億ドルの軍事支援のうち、2億9070ドル分を一時保留することを発表した。しかし、人権状況の悪化を理由とした援助の停止は、文字通りに受け止めることはできない。援助保留の真の理由として、以下の2点を指摘できる。
第一に、エジプトと北朝鮮の長年に亘る軍事的な関係である。エジプトは、ナーセル期にソ連や東欧諸国から軍装備品の多くを調達したが、サーダートは大統領に就任すると、ソ連の軍事アドバイザーを追放し、親米路線へと切り替えた。以降、エジプト軍の軍装備品はアメリカ製が主流となったが、ソ連から提供された軍装備品は保持し続けた。そして、軍事的な関係を絶ったソ連に代わり、その維持管理の任を担ったのが同じくソ連の軍装備品を調達してきた北朝鮮だった。それ以降、エジプトは北朝鮮と軍事的な関係を強化してきた。軍事支援の一部差し止めは、トランプ政権の対北朝鮮政策の一環として、エジプト政府に圧力をかけることを意図したものと考えられる。
二つ目の理由は、強化されるエジプトのロシアとの関係である。これは、シリアやリビアを巡るアメリカを中心とした国際社会との政策の相違が背景にあると思われる。エジプトは、対シリア政策ではアサド政権を擁護するロシアと反体制派を支援する国際社会の間で、しばしば一貫性を欠いた態度を示してきた。一方リビアについては、ロシアと協力してリビア東部を軍事的に支配するリビア国民軍の指導者ハリーファ・ハフタル将軍を支援している。ハフタル将軍は2017年7 月には東部ベンガジを制圧し、地中海に停泊するロシアの軍艦上でロシア側と今後について協議するなど、ロシアやエジプトと関係を深めている。エジプトは、昨年ロシア空軍に対し、リビアとの国境に近い北西部のスィーディー・バッラーニー空軍基地の使用を許可したことを正式に認めた。2013年にスィースィーがクーデターで実権を掌握して以来強化されてきたロシアとの軍事的関係に釘を刺すことも、アメリカによる援助の一部停止の要因と考えられる。
スィースィー政権が社会統制を強化する最大の要因は、2013年のクーデターにより排除した同胞団の復活を防ぐためである。同年、同胞団は法的にテロ組織とみなされ、その支援者は厳しく処罰されている。現在、同胞団には統一された指揮命令系統は存在せず、海外に逃亡した構成員や支持者がトルコを中心に、カタル、欧州などで組織の立て直しを図っている。失脚した要因を省みた国内外の同胞団幹部らに共通する見解として指摘されるのは、「同胞団は政権を担う準備ができていなかった」「同胞団は革命的ではなかった(穏健的すぎた)」「政権を担っている間に、司法と軍を掌握すべきだった」という意見である。このような「反省」が、今後どのような形でスィースィー政権に影響を及ぼすのか定かではない。しかし、フェイスブックやツイッターを通して海外からエジプト国内に呼びかけられる反体制的な動きには、当局は非常に警戒しているようである。その一例は、2016年11月に変動相場制が導入された際にフェイスブックを通して「貧者運動」という名でエジプト国民に対しデモが呼びかけられた時に垣間見られた。
結論としては、 スィースィー政権の周辺アラブ諸国や欧米諸国との外交関係は今のところ概ね順調であるといえる。アメリカとの関係も、軍事支援の一部保留という事態は起きたが、同時に2009年以来初となる共同軍事演習「Bright Star」が実施された。一方、権威主義体制の制度化は、今後も進展するだろう。社会に充満する不満をどのように解消するかが、スィースィー政権の安定性に関わる重要な課題となるだろう。
※本稿は、「第4章 スィースィー政権に対する武装勢力による脅威の考察」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。