コラム

日米貿易摩擦の経験を踏まえて中国に話したいこと

2018-06-08
津上 俊哉(津上工作室代表 日本国際問題研究所客員研究員)
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 最近、米中貿易摩擦が深刻化しているせいか、中国の人から「昔の日米貿易摩擦の経験を聞かせてほしい」と頼まれることが多い。私はこう答えている。
 “1980年代の日本産業は強かった。鉄鋼、家電、自動車、半導体・・・向かうところ敵なしで、欧米の同業を追い詰めた。当時通産省貿易行政の最大の仕事は、欧米諸国に対して輸出を「手加減」してあげること、つまり「輸出自主規制(Voluntary Export Restraint)」だった。
 当時の通産省は「産業政策」を推進することでも知られていた。とくに、特定産業の振興を図る「ターゲティング政策」が恐れられていて、自動車も半導体もその産物だと見られていた。「官民一体」で産業を振興する日本は“Japan Inc.”と呼ばれて恐れられ、嫌われた。「日本異質論」も大きく喧伝された時代だった。
 ところが、1990年代に入ると、日本は「ターゲティング政策」をやらなくなった。その後は大きな貿易摩擦も起きなくなり、「日本異質論」も聞かれなくなった。
 変化の原因の一つは、日本がバブル崩壊後「失われた十年」期に入って国力が減退したことだが、 もっと大きな理由は、1980年代に欧米先進国(少なくとも西欧諸国)への「キャッチアップ」が達成されたことだった。
 戦災から復興して欧米諸国に追いつくことは、政府だけでなく国民も永年共有してきた国の目標だった。GDPが世界第二位になったのは1968年だった。それから10年あまりが経って1980年代に入ると、国民も生活、技術力、文化など様々な面で日本の成長を実感した。
 キャッチアップ達成後の日本に、国民が共有するはっきりした「国家目標」は生まれなかった。戦後の大目標を達成した後は、国民の目標も多様化したのだ。それは人間心理としても国のライフサイクルとしても、自然な成り行きだったと思う。
 翻って、いまの中国はどうか。
 最近の中国ニューエコノミーの発展ぶりは著しい。とくに、AI(人工智能)、ビッグデータなどのデジタル情報産業やEV(電気自動車)などの発展は目を瞠る。これに伴って、世界一を自任してきた米国で「中国に打ち負かされるのでは」という不安感、警戒感が台頭してきた。「スプートニク・ショック(注)の再来」が言われるようになったことはそれを暗示する。
注:1957年10月ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げに成功したことで、技術優位を信じていた米国が強い衝撃を受けて、その後宇宙開発競争に全力を挙げた事件
 「中国制造2025」は中国版「ターゲティング政策」だ。発表された3年前、米国はこの政策を気に留めていなかったが、いまはトランプ政権が警戒して是正を強く要求するようになった。その間に中国技術水準の向上が実感されるようになったからだろう。
 こうして見ると、いまの中国経済は1980年代の日本によく似ている。とくに、国家が主導する振興政策の後押しを得て、未来の重要産業分野を中国が独り占めするのではないかといった欧米の不安、反感は、30年前とよく似ている。
 しかし、30年前の日本と今後の中国が歩む道はここから分岐する。
 日本は「追いついた」感覚を得てから、明確な「国家目標」を持たなくなり、国家主導の産業政策もやらなくなったが、中国は「追いついた」後も国家目標を掲げ、国家主導の産業政策も止めないだろう。
 それは、中国共産党が国家目標として「2050年に『中華民族の偉大な復興』を達成する」ことを掲げているからだ。どうやらその含意は「先頭に立つ米国に追いついて、中国が世界一になる」ことのようだが、目標を達成するまでは手を緩められない、ターゲティング政策もあと30年続けていく・・・つもりだろう。
 ここから先の道は日本も歩いたことがないが、仮に日本が1990年代に入っても、「ターゲティング政策」を止めず、「失われた十年」で国力を減ずることもなく勝ち続けていたら、日本は自由貿易体制から孤立させられただろう。
 これからの中国はどうか。そのサイズと影響力の故に、中国を世界経済から孤立させることはできない。代わりに起きることは自由貿易体制の終焉だろう。
 麻雀に例えれば、いつも一人が勝ち続ければ、残る三人は一緒に遊ぶのが嫌になる。スポーツ競技に例えれば、特定の選手や国が勝ち続ければ、ルールが改訂される。しょせん「独り勝ち」は持続不可能、それが人間社会の生理だ。
 自由貿易体制の変質は既に始まっている。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」保護主義だけではない。米国の政策エリートの間でも、「戦略的競争相手」になった中国に対する政策を見直すべきという意見が多数を占めるようになった。欧州でも中国からの投資に対する警戒感が高まっている。今後の世界では、「無差別」原則と市場経済原理を基調とした自由貿易体制が退潮し、その後を「相互主義」と「安全保障」政策が占めるだろう。
 4月に米国政府がZTE(中興通訊)社に厳しい制裁を科したことは、象徴的な事件になった。ITは「ゼロ関税」に象徴されるように自由貿易がいちばん普及し、そのおかげでグローバル・サプライチェーンがいちばん発達した業種だ。この制裁が決定どおり実施されれば、ZTE社と取引してきた米、日、韓、台湾の無辜の部品メーカーが大きな損害を被る。米中交渉で制裁が緩和されても、中国は既に「米国半導体依存は危険」と判断して自主技術による国産半導体開発を表明している。このようにして、ITは「自由貿易」に代わって、予測困難な「安全保障」問題で左右される「リスク業種」になっていくだろう。
 「中華民族の偉大な復興」を掲げた昨秋の中国共産党大会報告を読んで浮かんだ疑問は、中国は「国家目標を達成する2050年までの間、世界貿易体制は今のまま続いていく」と考えているのではないか、ということだ。
 それは不可能だ。中国は産業政策を続ける自由があるが、世界に「貿易体制は変えるな」と要求する権利はない。産業政策を続けるなら、自由貿易が衰退したら中国はどうするのかを考えておくべきだろう。