2017年末、米トランプ大統領は、エルサレムをイスラエルの首都として認める大統領宣言を発出して国際的な物議を惹起した。この動きは、一面で米議会中間選挙を控えてキリスト教福音派など自身の内政上の「岩盤支持層」に訴求するという文脈で理解されるべきところもあった。しかし、いわゆる「エルサレム大使館法」制定以降、歴代の米政権が20年近く棚上げにしてきた米国大使館のエルサレム移転を断行すれば、中東和平交渉における従来の米国の姿勢が根底的に変化するのは明らかであった。したがって、二国家解決案を軸に調整が重ねられてきたこれまでのパレスチナ和平プロセスに対する国際社会の仲介努力が水泡に帰しかねないとの懸念から、日本や欧州など米国の同盟諸国を含む国際社会から反発を招くこととなった。また、当然ながら当事者であるパレスチナ側の反発は大きく、自治政府は「もはや米国を『公正な仲介者』とは看做さない」との立場を闡明するに至った。
しかしながら、指導層のレトリックにおける激高とは裏腹に、実際のパレスチナ自治区や他のアラブ諸国においても抗議運動それ自体は相対的に低調で、散発的な暴力沙汰や示威運動は見られたものの、例えば同じエルサレム問題が前景化して発火した2000年の第二次インティファーダのような住民蜂起といった事態には立ち至らなかった。その主たる背景としては、自治地域や占領地において蔓延するパレスチナ側のアパシーや厭戦機運と指導層に対する一般住民の不信感が挙げられるが、シリア、リビア、イエメン等で泥沼化する内戦やその他各国での政情不安の前に、パレスチナ問題やエルサレム問題のアラブ・イスラーム世界における比重が明白に相対化されているという事実がある。加えて、イランの台頭を主要な脅威と看做すサウジアラビアやエジプトなど、スンニ派アラブ諸国にとって、パトロンとして復帰した米国はもとより、いまや潜在的な「友邦」と位置付けられつつあるイスラエルとの決定的な対立を避けようとする思惑が、非難の姿勢を緩めるという経緯もあった。むしろ、トランプ米政権はこうした環境の変化を認識し、このタイミングでのエルサレム首都認定や米大使館移転に対する反発が、操作可能であると判断して既存戦略からの転針を図ったと見られなくもない。
いずれにせよ、従来はとりわけアラブ側・イスラーム側にとってエルサレムの帰属はパレスチナ問題の情動的な象徴であった。如何なる形であれ、これに触れることそれ自体が状況の極端な不安定化と紛争のエスカレーションにつながるというそこでの認識は、これまでのところ短期的には挙証されていない。しかし他方において、もう一方の当事者であるイスラエルでは、「ユダヤ人国家」のユダヤ人性が社会のさまざまな領域で前景化しつつあり、これに伴ってエルサレム問題などが従来以上に国民の情動を動員する政治的シンボル操作手段としての価値を高めつつある。すなわち、2000年のキャンプ・デービッド交渉では当時のバラク首相がアラファトに対して行えたようなエルサレム問題での事実上の譲歩はもはやあり得ない事態となったと考えるべきであろう。
イスラエル側におけるこのような状況の不可逆的な変遷を端的に物語っているのが、イスラエル国防軍(IDF)が直面しつつある聖俗問題の動向である。1948年の建国に際して、主として世俗主義(その多くは労働シオニズムと呼ばれる社会主義イデオロギー)に拠った民兵集団「ハガナ」を中核に建軍されたIDFは、伝統的にユダヤ教各派から距離を置いた宗派中立的な暴力装置として育成され、拡充されてきた。将校団の構成は、1980年代までは労働シオニズムの実践活動として設立されたキブツ(村落共同体)出身者が人口比に対して不相応に多く、彼らが予備役編入後に国家の政・官・財各界に指導的人材を供給してきた。しかし80年代以降のレバノン戦争や和平プロセスを契機として、世俗的キブツ出身者の構成比は漸減し、これに替わってイスラエル国家をユダヤ人救済のための「神の計画」の始動と看做し、ユダヤ人国家の神聖性を強調する宗教シオニズムを掲げた若年層が多数応召することとなった。彼らの多くは将校コースに進み、現時点で陸戦兵力の初級・中級指揮官(小隊長・中隊長級)の三分の一以上を占めているとの推計もある。
こうした宗教シオニスト勢力の伸長を背景に、IDF内部のイデオロギー教育の在り方にも変化が見られる。当初は絶対的少数派であったユダヤ教篤信者兵員の戒律遵守支援を目的としていた従軍祭司局は、21世紀に入ってユダヤ教経典の解釈に基づく「戦闘教範」を導入し、一般の世俗的兵員に対してユダヤ教的伝統の再注入や啓蒙に腐心するようになった。戦闘教範班はやがて「ユダヤ・アイデンティティー班」もしくは「ユダヤ性覚醒班」と呼ばれるようになった経緯からも、従軍祭司局がIDFを換骨奪胎していわば「ユダヤ防衛軍」にしようとしている思惑が読み取れよう。実際、1980年代後半から徴兵年限前の生徒を対象として、基礎的軍事訓練や事前教育を行ういわゆる陸軍幼年学校の類の中等教育機関が林立し、その修了生が兵役に就いた後に将校を目指すというルートが着々と拡充されている。問題は、現在46校に上るというこれら幼年学校の半数が宗教シオニスト系の管轄下にあり、しかもその多くは西岸の入植地に所在するという事実である。現在なお高級将校の大半はキブツ出身者を含む世俗主義者であると考えられるが、IDFにおいては急速にかつ確実に、将校団の「神権化(‘theocracization’)」が進むことになる。この趨勢を危惧する参謀本部は、「ユダヤ・アイデンティティー班」を解体し、イデオロギー教育を国軍教育総監部に統合しようと躍起になっているが、従軍祭司局はクネセト(イスラエル国会)の宗教シオニスト政党とも連携し、執拗に抵抗している。
宗教勢力のうち、非シオニスト・反シオニストと位置付けられる超正統派ユダヤ教篤信者に対する兵役免除措置の撤廃問題や、女子兵員の戦闘職配置をめぐる厳しい論争など、IDFの抱える聖俗問題は多岐にわたり、相互に錯綜する。しかし、IDF内部で存在感を強めつつある宗教シオニストの今後の動向は、中東和平プロセスの基本的前提である「領土と平和との交換」というフォーミュラを根底から突き崩す危険を孕む。彼らの忠誠の対象がもはや「国防」ではなく、「護教」に置き換えられる可能性なしとしないからである。
※本稿は、「第6章 イスラエル政軍関係と聖俗問題――『イスラエル国防軍』と『ユダヤ防衛軍』の狭間」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。