米国経済は金融危機の後遺症から抜け出した。先進国には珍しく、人口が増加を続けると見られていることも、米国経済の強みの一つである。財政に関しては、高水準に達する債務残高や、医療費の増加等の問題はあるが、少なくとも金融危機時に急上昇した財政赤字の水準は、既に歴史的な平均にまで低下している。米国の国力低下を指摘する向きはあるが、経済面における米国の「没落」は想定し難く、中国などの「他国の成長」が続いた場合に、米国の相対的な地位が低下する可能性が指摘できる程度に止まろう。
1.米国の経済
米国経済は、金融危機の後遺症から抜け出した。実質GDP(国内総生産)の水準は、既に金融危機前のピークを上回っている。英国、日本、ユーロ圏といった主要先進国と比較しても、米国経済の回復力は際立っている。個別項目では、個人消費、設備投資が危機前のピークを上回り、米国経済の成長をけん引してきた。住宅投資は回復に転じており、政府部門における緊縮財政の終了も、経済の回復にとっては好材料となっている。
回復の逆風となってきた家計のバランス・シート調整は、ほぼ終了していると言ってよいだろう。可処分所得対比で見た家計の債務残高は、歴史的なトレンドを下回る水準にまで低下している。歴史的な低金利に支えられ、家計の債務返済負担が可処分所得に占める割合も、低水準となっている。
緊縮財政は一巡した。当面の財政政策は、景気に対してほぼ中立となる見込みである。金融危機当時の米国は、大規模な財政出動によって経済の下支えを試みた。しかし、その後の米国では、膨らんだ財政赤字の削減が急ピッチで進められた。財政赤字の削減は、米国経済の成長に対する強い逆風となったが、今では緊縮財政も一段落している。
今後の米国経済の課題は、潜在成長率の回復である。金融危機を経て、米国の潜在成長率は鈍化している。企業による設備投資やイノベーションなどが、潜在成長率回復の鍵を握ることになろう。
2.米国の人口
人口動態は、米国経済の強みの一つである。先進国には珍しく、米国では人口が増加を続けると見込まれている。これに対して中国の人口は、2030年過ぎには減少に転じると予測されている。国連の予測によれば、2100年の人口を2000年と比較すると、米国では約1億8,000万人の増加となるのに対し、中国では約2億人の減少となる。絶対的な人口の数で米国が中国を追い抜くわけではないが、経済成長の観点からは、人口の増加が続くという事実が重要である。
他の先進国と同様、米国も高齢化は進んでいる。しかし、その速度は緩やかである。高齢化の速度は中国の方が早い。国連の予測によれば、現役人口に対する高齢者の比率では、2040年代前半に中国が米国を上回るようになる。中位年齢で比較しても、2025年頃には中国が米国を上回ると予測されている。
米国内では、ヒスパニックの増加等に伴い、白人の存在感が低下する。2060年までには、24の州で白人が人口の50%を下回ると言われている。もっとも、金融危機に際しては、他の人種と比較して、ヒスパニックの出生率が大きく低下している。ヒスパニックにおいて、金融危機の打撃が大きかったことの表れであると推測される。
3.米国の財政
金融危機で大きく膨らんだ米国の財政赤字は、足下では歴史的に平均的な水準にまで縮小している。財政赤字で見る限り、金融危機の影響は一時的に止まった。その一方で、債務残高の水準は金融危機によって上昇したままであり、今後は歴史的な高水準への上昇が見込まれている。米国における過去の債務残高の上昇は、戦争の影響を受けている場合が多かった。これから見込まれる債務残高の上昇は、大きな戦争を見込んでいないという点で、異例の展開となる。
米国は、大規模な財政再建策の実施によって、財政赤字の削減に成功した。2010年代に米国で実施された財政再建策は、規模の面では1990年代の財政再建策に遜色のない大きさであった。再建策は複数の法律によって構成されており、議会における投票行動を平均すると、民主党・共和党の双方が同程度の比率で再建策を支持している。
財政再建策の中身では、裁量的経費の削減に重きが置かれた点が特徴である。国防費も聖域とはならず、強制削減等の対象となった。但し、戦後の国防費削減は、米国財政の歴史では珍しくない。国防費を実質値で比較すると、今回のテロ戦争後の国防費削減の度合いは、過去に行われた戦後の国防費削減の度合いを大きく上回るわけではない。軍事力への影響を測るに当たっては、総額での削減規模だけでなく、人件費、研究開発費等、細目での検討が必要であろう。
今後の米財政では、医療費の増加が重荷になる。2030年頃には、「公的年金・医療・利払い費」といった過去の法律で使途が決められている費用だけで、歳入を使い果たすようになってしまう。財政面での自由度の低下を避けるためにも、医療費の抑制は大きな課題であると言えよう。