コラム

金正恩政権1年の中間評価――「先軍」と対米関係の現在――

2013-09-13
倉田秀也(防衛大学校教授)
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※本コラムは、当研究所と韓国・国立外交院外交安保研究所の共催で2013年7月5日にソウルにて行われた日韓協議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。

1. 党軍関係の再調整――軍統制の形態
 (1)象徴としての崔龍海

 金正日の葬儀(永訣式)の際、霊柩車を左右から先導した7名の党・軍・政府の幹部が来るべき金正恩体制を支えるものと考えられたが、その認識には大きな修正が必要である。その7人のうち、人民軍を代表した李英鎬(朝鮮人民軍総参謀長)、金永春(人民武力部長)、金正覚(朝鮮人民軍総政治局第1副局長)、禹東則(国家安全保衛部第1副部長)は全員、権力の中枢部から脱落している。
 いま振り返ってみれば、金正日生存中、第3回朝鮮労働党代表者会(2010年9月)で、それ以前常務委員が金正日ひとりしかいなかった中央委員会政治局、中央軍事委員会を正常化したことに注意が払われるべきだったのかもしれない。金正日は遠くない将来、自らの死去によって発足することになる金正恩体制の輪郭を1966年の第2回を最後に44年間、機能しなかった党代表者会を復活させる形で整えようとした。金正日は自らが掲げた「先軍」の名の下で、党による軍統制の原則が動揺していたことを自覚していたのかもしれないし、あるいは、「先軍」の美名の下に、軍の一部が党、あるいは政府の利権を蝕むような現実があったのかもしれない。したがって、第3回朝鮮労働党代表者会以降、金正日死去を経て金正恩が党第1秘書となる第4回朝鮮労働党代表者会(2012年4月)に至る過程は、党軍関係の再調整を段階的に試みる過程でもあったといえるかもしれない。
 それを象徴する人物こそ崔龍海であろう。崔龍海は第3回朝鮮労働党代表者会で、党政治局員候補、党秘書、党中央軍事委員会委員に就任し、党内で政治局、秘書局、軍事委員会の全てに職責を得る形となったが、彼はその前日、朝鮮人民軍最高司令官金正日によって大将の称号を授与され、2012年4月に次帥に昇格したことが明らかになっている。よく知られているように、崔龍海は70年代前半に人民武力部長を務めた崔賢を父にもつとはいえ、金日成社会主義青年同盟委員長を務めた党官僚であり、軍歴はない。代表者会を復活することで党の権威を機能の回復しつつ、軍歴もない党人を軍の中枢に据える変則的な人事こそ、来るべき金正恩体制が党の権威と機能の回復に立脚することを示唆していたというべきであろう。
 (2)党主導の「先軍」?
 もとより、第4回朝鮮労働党代表者会で、党軍関係の再調整が完了したわけではなかった。その約3カ月後、金正日の葬儀の際、軍側の先頭に立った朝鮮人民軍総参謀長の李英鎬が全ての職責を突如解かれたが、これも党軍関係の再調整という文脈からみるべきであろう。そこでは本来、党・政府が管轄すべき領域に軍が介入し、利権化していたのかもしれない。後任には、玄永哲が就任するとともに、党中央軍事委員会副委員長に就いた。
 その他、とりわけ人民武力部長については、更迭が目立つことも指摘しておくべきであろう。金正日死去当時の人民武力部長の任にあった金永春は、第4回党代表者大会で解任され、その後を担った金正覚も同年11月に解任が確認され、その後任の金格植も2013年5月に更迭され、張正男という人物に替わっている。また、張正男の人民武力部長就任に合わせ、人民武力部第1副部長も玄哲海から全昌復に交替している。その他、崔龍海を含む軍幹部の階級についてもその変動は著しい。2012年秋に朝鮮人民軍への検閲の結果、首脳部10人以上が解任されたというが、その際、崔龍海もいったんは大将に降格され、2013年2月に再び次帥に昇格していることが明らかになっている。これらの人事に軍内部に不満が生まれていることは否定できないが、軍が頻繁な昇格と降格に応じていること自体、現在のところ、党による統制と管理が効力をもっていることを示している。
 しかし、これらの党による統制を「先軍」からの決別とはいい難い。権力継承は軍から優先的に行われ、金慶喜、張成澤らの血縁関係から金正恩を支える主要人物もまた、大将という軍の階級を得ることで集団的な輔弼体制を形成していった。金正恩体制下での党による軍統制の形態は、「先軍」を犠牲にするものではなく、だからこそ、軍内の不満は最低限に抑えられていると考えることもできる。金正恩体制においても、「先軍」に代わる統治理念、外交理念は見当たらず、軍統制の新たな形態が政治体制の穏健化を意味するものではなかった。そして、それは対外政策に顕著にみることができる。

2. 「閏日合意」崩壊後の対米関係――「非核化」なき米朝平和協定?
 (1)「閏日合意」崩壊の代価

 2012年2月29日に発表された「閏日合意(Leap Day Agreement)」の内容は、履行されれば、金正恩政権の対米関係改善の指針となるはずであった。この合意は文書化されなかったが、北朝鮮側の発表文では、米朝高官間の「結実ある会談が進行している限り」という条件ではあるものの、「(北朝鮮側が)核実験と長距離ミサイル発射、寧辺のウラン濃縮活動を臨時中止し、ウラン濃縮などの活動の臨時中止に関して国際原子力機関の監視を許容することにした」(括弧内は引用者)とされていた。しかも、北朝鮮側の発表文による限り、「閏日合意」には、米朝双方の合意として、「9・19共同声明を履行する意志を再確認し、平和協定が締結されるまで停戦協定が朝鮮半島の平和と安定の礎石となることを認めた」との一文も加えられた。北朝鮮が2010年に行った韓国海軍哨戒艦「天安」号撃沈、延坪島砲撃など、黄海で軍事停戦協定違反を繰り返してきたことを想起するとき、「閏日合意」が遵守される限り、黄海は最低限の平和を維持できると考えられた。
 「閏日合意」が崩壊する過程について周知の通りである。北朝鮮が「光明星3号」と称する「人工衛星」運搬ロケット「銀河3」打ち上げは、「閏日合意」で「臨時停止」された長距離ミサイル発射にあたらないと主張したのに対して、それを事実上の弾道ミサイル発射実験とみなし米国との間で齟齬が決定的となった。「銀河3」発射は失敗に終わったがとものの、第4回朝鮮労働党代表者会に続き、国防委員会第1委員長に推戴した最高人民会議では、核保有を明記した憲法が採択された。これ以降、北朝鮮の発表文では「閏日合意」の前提となっていた米朝高官協議も再開することはなかった。「閏日合意」が崩壊すれば、北朝鮮は核実験の実施、長距離ミサイル発射、ウラン濃縮などに加えられた制約を解かれ、自らの「対米核抑止力」強化のための措置をとることができる。
 また「閏日合意」では、軍事停戦協定を「朝鮮半島の平和と安定の礎石」とするところで米朝間に認識の一致をみた以上、その合意が覆されれば、北朝鮮は――それ以前から軍事停戦機構を意図的に無力化してきたとはいえ――もはや軍事停戦協定に拘束されることはない。もとより、それは北朝鮮が主張し続けてきた米朝平和協定の締結を断念することを意味しない。むしろ、北朝鮮が米朝平和協定締結のために軍事停戦協定を無力化し、あえて危機を演出することで米国に平和協定の締結を迫ることを意味する。
 そうなれば、北朝鮮は失敗した「銀河3」の再発射を試みることは当然であり、過去2回の核実験が弾道ミサイル発射実験と併せて行われてきたことを想起するとき、第3回の核実験は行われるものと考えられたのも当然であった。しかも、「閏日合意」の崩壊で北朝鮮が軍事停戦協定の拘束を解かれれば、北朝鮮の弾道ミサイル能力と核兵器能力の向上は、軍事停戦協定違反を伴う対南軍事攻勢を伴うことも考えられた。
(2)「核問題の全面的見直し」
 この文脈で取り上げるべきは、2012年7月20日、北朝鮮外務省が代弁人声明を通じて、「核問題を全面的に見直さざるをえなくなっている」と述べたことである。管見の限り、ここでいう「核問題を全面的に見直す」ことの意味を体系的に説明した文献はない。ただし、この代弁人声明が「米国の旧態依然とした対朝鮮敵視政策により、朝鮮半島では対決と緊張激化の悪循環が繰り返され、朝鮮半島の非核化もさらに遼遠となっている」と述べたことは、朝鮮半島の非核化のため2003年以来間歇的に開かれてきた――現在中断状態にある――6者会談との関連でも吟味されなければならない。
 本来、北朝鮮は6者会談で、北朝鮮がとる非核化措置と米国の「対朝鮮敵視政策」の解消の間では、「約束対約束・行動対行動」原則(同時行動原則)がとられるべきことを強調し、それは6者会談共同声明にも明記されていた。金正日もまた、死去直前までこの原則を強調していた。したがって、「朝鮮半島の非核化」が「遼遠となっている」とした上で、米国に「対朝鮮敵視政策」の清算を優先し、その根本的措置を求めた外務省代弁人声明は、朝鮮半島非核化を目的とする6者会談の主旨とも、「同時行動原則」を明記した共同声明の主旨とも相容れない。
 さらに、この声明で強調すべきは、「米国の対朝鮮敵視政策が先に根源的に清算されなければ、朝鮮半島の恒久的な平和と安定を保障する問題は絶対に解決されない」と述べ、米国による「対朝鮮敵視政策」の清算が優先されることと併せ、「朝鮮半島の恒久的な平和」という語を用いて米国に平和協定の締結を求めたが、それは朝鮮半島の非核化との関連で論じられてはいなかったことである。このことは2010年1月11日、やはり北朝鮮外務省が声明を通じて発表した「1・11平和提議」と対比してみればより明確となる。「1・11平和提議」は、「核問題の基本当事者」である米朝間に「信頼醸成」が欠如していたことが6者会談「失敗」の要因とし、米朝間の「信頼醸成」に「優先的な注目」を払わなければならないとして米朝平和協定を提唱していたが、それは「朝鮮半島の非核化プロセスを再び軌道に乗せる」ためであると明言していた。
 米朝平和協定が締結されれば、北朝鮮が核兵器を放棄するとは限らないが、少なくとも「1・11平和提議」は、米朝平和協定という米朝間の「信頼醸成」が「朝鮮半島の非核化プロセス」を稼働することを示すことで、米国を対話に誘導しようとしていた。これに対して7月20日の外務省声明は、米朝平和協定締結の必要性を強く示唆しながらも、それが朝鮮半島「非核化」に連動するとは示されていなかった。別言すれば、北朝鮮は「核抑止力」を温存した上で、米朝平和協定を求めていることになる。それは米国が北朝鮮の「核抑止力」を外交的に追認することに他ならない。

3. 対米「核抑止力」と対南軍事攻勢――相関関係
 2012年12月12日、4月に失敗した「銀河3」発射を再度試み、その結果、極軌道に何らの物体を投入することに成功した。この実験の「成功」は、対米「核抑止力」の向上とその既成事実化を図る北朝鮮を大いに鼓舞した。2013年1月23日、北朝鮮は外務省声明を通じて、国連安保理が弾道ミサイル発射に対して制裁決議を通過させたことを批判しながらも、「米国が強める対朝鮮敵視政策により、自主権尊重と平等の原則を基礎とする6者会談の9・19共同声明は死滅し、朝鮮半島の非核化は終末を告げた」と述べた。この声明で特筆すべきは、「将来、朝鮮半島と地域の平和と安定を保障するための対話はあっても、朝鮮半島の非核化を論議する対話はないであろう」と述べていたことである。ここでいう「対話」が米国との対話を指しているなら、北朝鮮はここでも非核化を峻拒しつつ、対米「核抑止力」の温存の上に米朝平和協定を考えていたことになる。この声明の内容は、先に示した「核問題の全面的見直し」とも軌を一にしていたといってよい。
 さらに、北朝鮮は2003年2月12日、第3回の核実験を強行し、対米「核抑止力」の向上を図った。この実験が少量の核融合物質を用いたブースト型の核爆発によるものであったかどうかは現時点で判別できないが、今回の核実験が核兵器の「小型化・軽量化・多様化・精密化」の一環であったことは確かであろう。ただし、ここで強調すべきは、「銀河3」の発射実験の成功と相まって、この核実験の「成功」以降、対米「核抑止力」の向上を自認した北朝鮮が米韓合同軍事演習を口実に、激烈なレトリックを用いて対南軍事攻勢を示唆したことである。
 例えば3月5日、朝鮮人民軍最高司令部代弁人が軍事停戦協定の「白紙化」を宣言し、板門店で米軍との軍事接触のため1994年に設けられた朝鮮人民軍板門店代表部の活動も全面中止すると予告した。さらに同月8日には、祖国平和統一委員会が「朝鮮半島非核化共同宣言」とともに、「南北不可侵合意」も11日に「全面的に破棄」すると宣言した。ここで北朝鮮のいう「南北不可侵の合意」とは、冷戦終結直後、南北高位級会談で採択された「南北間の和解・不可侵、交流、協力に関する合意書」(1991年12月13日採択、1992年2月19日発効、以下、「南北基本合意書」と略記)を指す。本来、「南北基本合意書」は包括的な合意文書であり、その第9条で南北間の相互不可侵に関する合意を盛り込んだだけではなく、第5条では南北間の平和体制樹立についても合意していた。ところが、北朝鮮はその後の「第1次核危機」の渦中、「南北基本合意書」第5条に反して、「新しい平和保障体系」の名の下に、米朝間の排他的な平和協定という従来の立場に回帰して今日に至っている。
 振り返ってみれば、北朝鮮は1990年代後半、朝鮮半島の平和体制樹立をめぐって展開された4者会談でも、「南北基本合意書」を「南北不可侵の合意」と呼び、米朝平和協定の主張を正当化していた。しかし、4者会談が展開されていた時期から北朝鮮は「南北不可侵の合意」としながらも、その合意を尊重する姿勢をみせ、その後に黄海で銃撃戦が起きた際も、米韓側にその責任を転嫁していた。
 北朝鮮が「南北基本合意書」についてこのような姿勢をとったのは初めてではない。直近の例を挙げるなら、3年前の2010年3月7日、朝鮮人民軍板門店代表部が「南北基本合意書」について「拘束を受けない」と宣言したことがあるが、その前年4月に北朝鮮は弾道ミサイルの発射実験に続き、5月25日に第2回の核実験を強行していた。すなわち、2010年の例もまた、北朝鮮の対米「核抑止力」の向上が対南軍事攻勢に連動することを示していたことになる。実際、北朝鮮はその後間もなく、黄海上で韓国海軍哨戒艦「天安」を撃沈し、11月には延坪島への砲撃を行うことになる。2013年3月以降の北朝鮮の姿勢も、北朝鮮の対米「抑止力」の向上が対南軍事攻勢に連動する力学を示していたのかもしれない。米韓合同軍事演習の終了とともに、北朝鮮は一時期の激烈なレトリックを控え、米国に対話を呼び掛けているが、それが「核問題の全面的見直し」を否定するものとは考えにくく、平和協定が対米「核抑止力」を犠牲にするものとも考えにくい。むしろ、対米「核抑止力」が対南軍事攻勢に連動する力学は、いつでも作動するとみなければならない。

*ここに示された見解は個人的見解であり、筆者が所属する機関を代表するものではありません。