はじめに
中国は高度経済成長を経験した後、2008年から2009年ころを境に対外政策を強硬化させた。周辺諸国との摩擦は絶えない。また中国の軍事力増強は驚異的なスピードで進んでいる。いったい中国はどの方向に進みつつあるのか、そしてその発展方向にはどのような問題が潜んでいるのか。
本稿では、社会・経済、政治、対外関係、軍事からの視点からこの問題に答えることを目的としている。中国は、2020年くらいまでを高度成長を望める「戦略的機会」と定義している。中国の「戦略的機会」とは何か、そして中国はこの機会をどのような戦略で利用するのか、そしてどのような「罠」が待ち受けているのか。東アジア諸国にはどのような影響が及ぶのか。
1.経済・社会 ―期限付きの発展と中所得の罠―
国土面積が日本の約26倍、人口が10倍強もある中国が、まさに少子高齢化社会を迎えようとしている。専門家を無視して多産を奨励しため、中国の人口はかつて爆発的に増大した。それを修正するために1979年に導入した「一人っ子政策」の歪みがこれから深刻化するのである。65歳以上の人口は2040-45年に20%超と予測されている。
しかも中国は、国民の大部分が豊かになる前に高齢化社会になる可能性が高い。このため、中国には限られた時間で持続的な発展をするために、資源を確保しようという強い欲求がある。また、高齢化社会を迎えると、社会保障・福祉支出の増大が不可避となり、他の様々な政策が手詰まりなる可能性がある。
それまでの間、中国の高度成長は持続可能であり、それが「戦略的機会」と言われている。そもそも中国における近年の高度成長の要因とは何なのか。中国経済が、社会主義的な計画経済から「社会主義市場経済」へと転換する過程で、グローバリゼーションの波に乗り、外国投資を呼び込んで中国を「世界の工場」に変身させたためである。
ここで中国の「巨大さ」と「格差」が大きな役割を果たした。中国には、経済成長に必要とされる、資本、企業、市場(すなわち消費者)、情報が大きな規模でそろっていたのである。「経済特区」や「開発区」などが沿海地域に多数整備され、資本と企業と情報は外国から大量に流入した。市場は当初海外に求め、今や国内需要拡大が課題となっている。
国内に巨大な経済的格差が存在するため、中国には様々なレベルの商品市場や労働市場が存在している。つまりシャンプーを使い始めた人から贅沢な高級外国車を乗り回す人まで、そして低賃金の単純労働者からハイテク技術者に到るまで、中国には相当な厚みで全てそろっている。いわば、巨大な国内に「先進国」と「最貧国」が共存して、「国際分業」と同じことを国内でできてしまうのが中国なのである。共産党という独裁政権が政治的安定を確保しつつ「巨大さ」と「格差」を組み合わせる政策転換をしたことで、「世界最大の工場兼市場」ができあがったのである。
しかし、巨大な格差を有する国が独裁的に運営されており、いずれ挫折する可能性が懸念されているということは、当然ながら将来への不安を持たざるを得ない。中国の発展に対して、極端な楽観論(超大国化論)と悲観論(崩壊論)が合理的に併存しているのはこのためである。
人口問題、資源の制約、環境への負荷などと合わせて考えると、中長期的に見て中国の持続的な発展は極めて困難な目標である。現実に、中国は急速な経済発展と一党支配のもたらす政治的腐敗が組み合わさり、混乱をともなうデモや陳情事件などが年間10数万件起きる不安定な社会になってしまった。
そこで、胡錦濤政権は、「科学的発展観」や「社会調和(和諧)論」などのスローガンの下、持続可能な均衡発展の必要性を強調し、社会に存在する格差を縮小しようと試みた。比較的貧しい西部地域への重点投資(「西部大開発」)や、「農業税」の廃止などがその例である。
ところが、現実にはそうした政策が効果を得るよりも速いスピードで中国は成長し、格差が拡大している。そもそも中国経済が成長しているのは、上述したように格差のおかげである。つまり出稼ぎを生む農村の窮乏と極端な外資依存のためである。賃金上昇と人民元高により、過去の発展モデルはもはや通用しなくなった。一人当たりのGDPが6,000ドル程度の中所得国となった中国は、もはや発展戦略を急速に転換し、経済を先進国型へと変質させなければならない。
しかし、格差是正を本気で進めようとしたら、経済発展の受益者――大部分は支配層である共産党幹部とその親類縁者――は利益を受け取れなくなってしまう。改革は既得権益者からの阻碍を受け、簡単に進まない。しかも、産業構造の高度化を急速に進めることは極めて困難である。少なからぬ中所得国がこの罠に落ちて経済低迷を経験している。中国は今まさにその挑戦を受けている。
2.政治 ―安定最優先と体制移行の罠―
中国が「中所得の罠」に落ちたら、中国政治はどうなるのか。答えは「正当性危機の悪化」である。どの国のどんな政権にも「正当性」――なぜこの指導者がこの国を統治するのかという理由――が必要である。たとえば、民主主義国家では政府が選挙によって選ばれる。そしてその実績がよければ、政権は持続する。前者は「手続きによる正当性」、後者は「実績による正当性」と呼ばれる。
中国共産党は、まさに今「正当性危機」のまっただ中にある。中国共産党は、1949年に武力革命により政権を樹立した。しばらくは革命が正しかったという論理で統治を続けることができたが、この「手続きによる正当性」は、もはや完全にすり切れてしまっている。社会主義イデオロギーが退潮し、1989年の天安門事件を経験したことで、共産党は抗日戦争や国共内戦を題材にしてナショナリズムを煽ることに依存するようになった。
他方で共産党は、改革開放政策に転換して以来、比較的順調に多くの課題に対応してきた。特に過去20年の高度経済成長はその最大の「実績」であり、中国社会の安定に寄与してきた。しかし、高度経済成長はいつまで持続するかわからないし、高度経済成長のもたらす歪みに対応するには、政策決定の透明性を高め、権力をチェックする必要性、つまり政治体制改革の必要性がある。しかし、天安門事件に見られるように、自由化を進めると、コントロール不能な状況を招く可能性がある。
それだけではない。中国では、共産党による一党支配が国家統合を保障している側面が否定できない。中国は、モンゴルなどを除きおおむね清朝の版図を受け継いだ。さらに中国は、少数民族を中心に国民形成が未完成のまま政治的統一を先行させてきた。少数民族が主体とされる「民族区域自治」の地域は国土の約64%を占めており、かつてのソ連のように国家が民主化によりばらばらになる可能性がある。
2007年と2008年にチベット地域と新疆ウイグル自治区で暴動・騒乱があったことは、記憶に新しい。民主化が進むと、国家が分裂する可能性への恐怖感は、民主化に踏み切る敷居値を高くし、政権に「安定第一」を選択させている。その結果、これらの地域では、高度な抑圧体制の下で反発が強まり、流血の事態が繰り返されているのである。
国民形成と民主化の相克を調整する高度な政治戦略がないかぎり、中国はナショナリズムに訴えて「民主化なき富国強兵路線」を継続せざるを得ない。共産党はハイリスクの政治体制改革を選択せず、「村レベルの選挙改革」、「党内民主」、「腐敗撲滅運動」、「法治主義の強化」などを提唱・推進するにとどまっている。これらは安定を優先して現行体制を限定的に手直しする弥縫策に過ぎない。
中国が政治体制改革を選択できずに2020年を迎えると、政治状況はもっと悪化する。政治的判断力を持つ中産階級や自由の味を知る留学経験者が増大し、政府への要求は高まるが、政府はそれにますます応えられなくなっているであろう。判断力を高めた市民はもはや共産党を信じない。小さなきっかけが、体制を揺るがす大事件や民主化運動のきっかけになりかねない。もしもそこに経済停滞が起きていたら事態はさらに深刻化する。中国はいずれこうした「体制移行の罠」に直面する。
3.対外関係 ―全方位外交とナショナリズムの罠―
「正当性危機」は、中国の対外政策にも暗い影を投げかけている。中国の対外戦略とは、国家の総合国力を向上させ、中国の大国としての影響力を増強し、「中華民族の21世紀における偉大な復興」(「中国の夢」とも言う)のために、有利な国際環境を作り上げることであり、「平和的発展の外交戦略」と呼ばれている。そのポイントは、平和的な国際環境醸成のため、敵を作らない「全方位外交」を推進することである。
中国の平和的発展外交には、4つの柱がある。第1は「大国外交」であり、中国は米国、ロシア、欧州連合(EU)、日本などと「戦略的な関係」を構築しようとしている。ただし、中国はロシアや欧州とは安定した関係を構築してきたが、日本や米国とは不安定な関係にある。第2は「周辺外交」であり、中国は多くの周辺諸国と、領土問題の解決を通じて緊張緩和を図り、善隣友好関係を促進して、国境貿易を増大させている。第3は「発展途上国外交」であり、中国はアフリカ、中近東、中南米などで、資源・エネルギー外交を図っている。第4は多国間外交であり、中国は大国としての地位を充分に利用して、国連、上海協力機構、東南アジア諸国連合(ASEAN)、六者協議、東アジア首脳会談などを舞台として、特に1990年代後半から積極的な多国間外交を展開している。
ただし、中国外交は常に問題をはらんでいる。1989年の天安門事件以降は先進国からの制裁に苦しんだ。1995年から2008年までは、台湾との関係が緊張し、台湾との関係が深い米国や日本とも摩擦が絶えなかった。2008年には中国との宥和政策をとる馬英九政権が成立したことで、台湾とは関係が改善された。
しかし2008年以降、中国は南シナ海や東シナ海で、従来から進めてきた海洋進出を先鋭化させている。つまり中国が真に全方位で良好な対外関係を持ったことはないのである。中国外交は、経済成長を維持するための資源獲得、政治的正当性を維持するための領土ナショナリズムが結びつき、一国主義的な対外政策になりがちになっている。今や中国では、「海洋権益擁護」を名目とした強硬策が優位に立っている。2013年現在日本が尖閣諸島をめぐって経験している中国の強硬な対日政策は、こうした背景の延長線上にある。
そもそも、中国は「革命国家」であり、公式の言説において国際社会の現状に対して常に強い不満を表明し続けてきた。中国語で表現される公式の世界観と歴史観は、必ずしも国際社会と調和的ではない。国力が増大した中国では、今こそ中国が現状を中国に有利に変更すべきであるという論調さえでてきている。こうしたナショナリズムは、マスメディアやインターネットを通じて一般国民の中でさらに強められている。
中国人は国内政治において、(特に地方の)党や政府の言うことをあまり信じない。しかしナショナリズムが入り込むと話は別である。尖閣諸島に関して、中国人の大部分は、全て日本が悪いという政府の宣伝を信じている。もともと共産党政権への求心力を維持するためにこの20年あまり動員されてきたナショナリズムであるが、今やインターネットを通じて自己増殖し、今やコントロールが困難になりつつある。もしも政権がナショナリズムに身を委ねて他国との関係を極端に悪化させたり、紛争に到ったりすれば、中国の発展は水泡に帰しかねない。これが「ナショナリズムの罠」である。
4.軍事 ―地域軍事大国化と過剰拡張の罠―
高度経済成長、旧態依然とした政治体制、そしてナショナリズムを追い風にしているのが、中国人民解放軍である。世界の主要国の中で、中国は群を抜くスピードで軍拡を進めている。中国の国防予算は、1989年以来持続的に2桁成長を見せ、2006年には日本の防衛予算を超過し、米国に次ぐ世界第2位に達した。しかも、中国軍の透明性は低く、たとえば、武器調達計画や現有の装備数を公表したことがない。つまり、中国とは、今どのような軍事力を保有しているのか、そして将来どのような軍事力を持とうとしているかを、意図的に隠している国である。
中国の軍事力近代化は、上述した高度経済成長と、敵を作らない全方位外交によって可能となった。戦略的なパートナーへと大転換したロシアから、豊富な資金によって多くの先進的な武器および軍事技術を導入できるようになったことが、中国の軍事力近代化の基礎を作っている。さらに、西側先進諸国との貿易や投資、そして様々な方法の情報蒐集により、中国は先進的な軍民両用技術や軍事技術を獲得してきたのである。
Su-27戦闘機、キロ級潜水艦、ソブレメンヌイ級駆逐艦、そして近年就航したキエフ級空母など、中国の海空軍力の主力となっている装備は例外なくロシア製・起源である。他方ロシアは対中武器輸出を通じて中国軍の近代化をコントロールしながら外貨を稼ぎ、中国軍を通じてアジア太平洋地域で米国を牽制している。中露双方の利害が一致した範囲で、中国の軍拡が進んでいるのである。
ところが、中国の軍事力近代化の方向性は、「過剰拡張」の可能性をはらんでいる。中国は、「ハイテク条件下の限定戦争」で勝利する能力獲得を目標として、軍拡を進めている。具体的には、海洋進出と宇宙開発を進め、潜水艦の行動範囲を拡大し、衛星打ち落とし(ASAT)実験を成功させるなど、米軍の接近を阻止し、地域的に米軍を拒絶する(A2ADと呼ばれる)のための能力を高めているとされる。これがうまく進めば、中国は近い将来アジアにおいて米国の牽制をはねのけることが可能な地域軍事大国になれるであろう。
しかし、近年中国では増大する予算を背景に全方位的な軍事力建設が進展している。たとえば、2012年に就航した空母・遼寧号のような装備は脆弱性が高く、A2ADには役に立たない可能性が高い。空母は「大国のシンボル」であると発言する軍関係者さえいる。それなのに、中国は厖大な予算を使ってその運用を進め、さらにその数を増やそうとしている。
軍備とは持てば使いたくなる代物である。文民政府や自由なメディアから統制を受けない「聖域」と化した軍隊は、増え続ける予算を維持するために、危機を煽ることさえありうる。他方で、いったん経済が挫折したら、厖大な装備は、ソ連崩壊後の極東ソ連軍のように使えなくなり、それまでの努力が無駄なコストになるかもしれない。中国軍はこのような「過剰拡張の罠」を抱えているのである。
本稿は規模の巨大さ、増大する格差と社会不安、多民族国家としての多様さ、共産党の一党支配などを念頭に、中国の経済・社会、政治、対外関係、軍事に潜む「4つの機会と罠」を明らかにした。当然であるが、中国が機会をうまく利用すれば成功し、罠に落ちれば失敗する。
中国が今後安定的に国家運営を成功させるにはどうしたらよいのか。まず、産業の高度化を進めて持続的発展の軌道に乗り、分配政策により国内市場を拡大し、徐々に国内の不安定要因を相対化していく。次に、経済発展がもたらす機会と大国としての地位を最大限に利用し、国際社会におけるその影響力拡大を図る。そして「民主化なき富国強兵」の発展モデルから脱却し、漸進的な自由化・民主化改革を実現していくのである。そうすれば、中国軍は自然と民意の監督を受けるようになる。これは東アジア諸国・地域から歓迎されるシナリオである。
逆に中国が罠に落ちて失敗するとしたらどういう道筋を通るのであろうか。まず、経済的挫折を経験し、格差や環境問題に起因する社会不安が噴出し、少数民族地域が混乱し、外資が撤退し、長期的停滞に向かう。こうなると共産党の支配は深刻な挑戦を受ける。この時、中国がナショナリズムに身を委ね、周辺国・地域や米国との関係を悪化させ、武力紛争に到った場合、中国は「戦略的機会」を喪失し、国家は分裂の危機に直面してしまう。この場合、東アジア全体が一緒に挫折してしまうだろう。
中国は、社会的動乱、国家分裂、あるいは重大な経済政策上のミスがなければ、2020年まで、東アジア地域のどの国よりも速い速度で経済成長を遂げるとみられている。さらに中国の国内総生産(GDP)は、2020年代の半ばに米国と並ぶとも予測されている。ただし、そのことは中国が先進国化することを必ずしも意味しない。
中国は経済を重視すれば他国との協調を追求しなければならないが、他方で資源獲得競争に走れば対立が増え、ナショナリズムが暴走すると他国に対して融和的な政策をとりにくくなる。したがって中国と東アジア諸国・地域とのトラブルは繰り返し発生する可能性が高い。
巨大な矛盾とリスクを抱えたまま、中国は今後も「罠の淵」を走り続けるだろう。こうした中国の戦略トレンドを背景に考えると、周辺諸国・地域は単独ではなく、協力し、協調しながら中国に対する関与を進めた方が合理的である。特にアメリカとの同盟国同士がパートナーとしてより緊密な関係を構築することは、ますます重要な選択肢になっている。