8月27日から29日、北京の迎賓館・釣魚台で北朝鮮問題に関する初の六者協議が行われた。協議は大方の予想通り、具体的成果を挙げることなく終わった。しかし何より、朝鮮半島問題に歴史的因縁を持つ六カ国が一同に会し、北朝鮮問題に関する自らの意見や立場を表明して、核問題を平和的に解決するべきことで合意したのは大きな成果であった。緊張した場面も見られたが、会議そのものは決裂せず、次回の開催を約して終わった。北朝鮮問題は今後この六者協議の動向を中心に推移していくことになろう。
日本にとっての拉致問題の重要性はこれまで周辺国からなかなか充分な理解が得られていなかったが、今回はこれを北朝鮮問題の一環として会合の中で提起することに成功し、米国からの援護射撃も得ることができた。北朝鮮は当初、拉致問題を六者協議の場で取り上げることに強い反発を示していたが、最終的には六者協議の際に実現した日朝協議の場で、日朝平壌宣言に沿って問題解決を図るべきだという発言を行った。これは日本にとっても前進と言えるだろう。
今回の核危機は、昨2002年10月、北朝鮮を訪問したケリー国務次官補に対し、北朝鮮が突如、高濃縮ウラン抽出施設の建設と核開発継続を告げたことに始まる。米国のイラクに対する武力行使の可能性が高まるのと並行して、米国は北朝鮮に対しても強硬なアプローチを採用するのではないかという懸念が関係国において高まっていった。米国では国務省と国防省が鋭く対立しており、対外政策の不確定性が高かった。しかし瀬戸際政策をとる北朝鮮は、本年1月にはNPT脱退宣言を行うなど、国際社会への恫喝をやめようとはしなかった。韓国での反米ナショナリズムの高まりに賭けた側面はあるのだろう。イラク戦争が間近に迫っていたため、米国国防省も非難の矛先をすぐに北朝鮮に切り替えることはなかったが、他方では北朝鮮に対する武力攻撃の可能性を示唆していた。この春先、米国の圧倒的軍事力の前にあっけなく瓦解したフセイン政権を目にしたときは、自ら挑発を仕掛けたとはいえ、金正日も心穏やかではいられなかったはずだ。北朝鮮にとってはこの六者協議が体制維持・体制内変革への最後の光明となるかもしれない。
北朝鮮問題をとりあえず外交交渉に持ち込むことができたのは、関係各国の懸命な努力とイラクの戦後情勢もさることながら、中国の外交姿勢の変化によるところが大きい。朝鮮半島問題をめぐっては、あくまで米朝二者協議を求める北朝鮮と、韓国を含めた多国間協議を主張する米国の意見がかねてから衝突しており、その構造は今回の核危機に際しても同じであった。80年代前半以降、中国は双方の意向を受けて何度か仲介を行ったことはあるが、これまで表立ってこの問題に積極的な役割を演じることを躊躇してきた。1997年から99年にかけては、朝鮮半島における平和体制構築のための四者会談(北朝鮮、韓国、米国、中国が参加)が開催されていたが、このときは中国の熱意のなさが伝えもれていたほどだったのである。
影響力の確保のため、周辺国の問題には介入するのが国際政治の常であるが、中国がこれまで朝鮮半島問題に消極的だった原因は主に二つある。第一に、歴史的に醸成されてきた北朝鮮に対する過度の配慮が挙げられる。中朝の共産主義者たちの協力は抗日戦争時代からのものである。1950年の朝鮮戦争はこの関係をいっそう強化した。60年代に中ソ関係が悪化すると、金日成は両国間をうまく立ち回り、中ソが自らの正当性を叫ぶためには北朝鮮の歓心を買わなければならない情況が生まれたため、北朝鮮の国威は高まった。このような中朝関係を前提とすると、朝鮮半島問題に関して北朝鮮に表立った圧力を加えることは極めて困難であった。1992年に中国は、北朝鮮と日米との国交正常化も近いと見て中韓国交正常化に踏み切ったが、南北朝鮮をめぐるクロス承認は結果的には実現せず、国際的に孤立化した北朝鮮は1994年の核危機への道を邁進していった。この反省もあって、腫れ物を扱うように北朝鮮問題を扱う中国の姿勢は、90年代以降も継続することとなった。
第二点目として、朝鮮半島問題に積極的に介入するインセンティブを中国側が持っていなかったことがある。中国は1949年10月に建国するとすぐに台湾解放への準備を進め、海軍の建設を急いだ。しかし翌年6月に朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮とソ連の意向に従ってこれに参戦したため、米国と全面的に敵対することになった。こうして台湾解放の望みは極小化し、経済建設においても大きな打撃を受けた。同様に、ベトナム問題への介入も中国にとっては苦い結果となった。そのため特に改革開放以後、中国は周辺国の問題に介入することに強い忌避感を示すようになった。経済的豊かさと台湾統一の宿願を捨ててまで、介入によって発生する責任コストを払いたくはなかったのである。
このような中国の姿勢に変化が生じたのは、大きく二つの国際的要因があるであろう。第一には、中国に対するアメリカの協力要請という二国間の要因である。これは特に4月下旬の三者協議以前について言うことができよう。中国は2月下旬の段階では、ロシアとともに米朝の二国間協議を主張していた。しかし米国は3月7日、国連での中国側との会見で、ブッシュ大統領は二国間協議には決して応じないため、多国間協議を行う必要があると「中国を説得した」という。その他、高官レベルの電話会談の際に米国側からこの問題が提起されたという情報もある。こうして三者協議が開催されたわけだが、この段階では、米国への協力は行うものの、自分がどこまでこの問題に足を踏み入れるのか、中国はまだ明確に決断できていなかった。これを示すかのように、三者協議に関する中国側の報道は、自らが米国と北朝鮮との仲介の労をとったことをできるだけ強調しないように書かれていた。
第二に、イラク戦争が終結に向かい、国際社会の関心が再び北朝鮮に向かい始めたという状況である。これは特に三者協議以降に強く働いた。三者協議では、中国が席を立った隙に北朝鮮は米国に対して核兵器の保有を告げ、中国を驚かせていた。5月以降、米国内では強硬派が北朝鮮問題を国連安保理に付託すべきだと強く主張するようになり、北朝鮮はそうなれば非常措置をとると反発を強めていた。強気の姿勢を崩さない北朝鮮を見て、北朝鮮は危険を顧みずに事を起こすかもしれないという懸念を、中国の指導者たちは改めて強くしたであろう。
中国はかねてから、北朝鮮の核開発が東アジアに軍拡競争を生み、日本や韓国が核武装の必要性を認識して地域の緊張が高まり、自国の安全保障、及び経済発展と台湾統一に向けた道のりに影響が出ることを懸念していた。特に日本については、もともと高い技術力・経済力を備え、国民の間で北朝鮮に対する脅威認識が強かったために、核装備に乗り出す可能性が最も高いと中国側には映っていた。このころ日本で有事関連法の成立準備が加速度的に整えられつつあったことも、以上のような状況判断を後押しする根拠となったであろう。最終的に中国は、東アジアの全体的な地域情勢に対する考慮から、北朝鮮問題の解決に積極的に関与していくことを決断したと考えられる。当時中国では政府系の研究機関やブレーンたちが北朝鮮問題に関する検討を重ねたようだが、その中にはかなりの日本研究者が含まれていた。
5月には、北朝鮮問題をめぐる中国の動きはなりを潜めていたが、おそらくその間にも政策調整は進められていたであろう。6月初めのエビアンサミットでは胡錦涛国家主席とブッシュ大統領が北朝鮮の核問題について多国間の枠組みで協議を開くことで合意し、7月上旬から中旬にかけては戴秉国・第一外務次官が、ロシア、北朝鮮、米国へのシャトル外交を展開する。(北朝鮮にとっては、戴氏がもと中共対外連絡部部長であり、建国後は長年外交工作に従事した黄鎮中将の女婿だということが重要だったはずだ。)中国はこの間日本や韓国とも積極的に意見の調整を行い、北朝鮮の核問題への積極的な関与を強めていった。
この文脈で注目されるのは、六者協議の時点では中国の外交姿勢の変化が後戻りのできない段階に到達したということだ。今回、中国は北朝鮮関連の問題としては初めて、事実報道だけでなく大量の評論報道を国内で許可するようになった。49歳の若々しい外務次官・王毅が五カ国の代表に英語で握手を呼びかける姿が生放送され、六者協議の開催に建設的な貢献を果たした責任ある中国外交の姿が、メディアを通して国内で大きく宣伝された。中国では90年代後期以降、国際社会に積極的に参加し栄誉ある地位を獲得するには、国際問題の解決において「責任ある大国」になるべきだという意見があり、これは現在では都市の知識層にも広がってきている。六者協議にかける中国の外交姿勢は、人々が指導部に期待する新しい祖国のイメージと合致していた。この両者を結合したことで、中国の新指導部は一方では外交において多くの得点を稼ぐことができたが、同時に問題解決への不退転の決意を国内的に示したことにもなる。
もちろん、中国の対外政策が変化したからといって、北朝鮮の核問題の解決が格段に容易になったわけではない。各国が表明しているように、六者協議によって意見の違いがより明確になった部分もある。本格的な交渉は第二回以降に委ねられているし、これまでそうであったように、北朝鮮が安易に態度を軟化させることはないであろう。問題の具体的解決をめぐっては北朝鮮以外の各国の考えも一致していないため、北朝鮮は当然、各国の動向を窺いながら最大の利益を追求しようとするであろう。しかし1894年の日清戦争以降、朝鮮半島が大国間の利権争いの焦点となり、武力という手段によってしか紛争を解決することができなかったことを思えば、これが大きな進展であることは確かである。
これまで大国間で漁夫の利を模索してきた北朝鮮に対しては、周辺国の団結が何よりの圧力となる。日本としては、これまで通り米韓と共同歩調をとるのは当然であるが、この機会を積極的に活用し、新しい外交姿勢を示し始めた中国とも意見をすり合わせ、最大限の一致を勝ち取るべきであろう。核戦争と背中合わせの北朝鮮問題であるが、六カ国協議の先には、北東アジアにおける多国間安全保障機構設立の可能性が少し見え始めたところだ。