戦争後のイラク情勢は、復興や安定化が遅々として進まず、むしろ逆にその混乱と厳しさを増している。すでに報道されているように、米兵を狙った襲撃は英兵やデンマーク兵に拡大し、石油パイプラインや水道管といったインフラやヨルダン大使館、国連現地本部など、米軍や米英の暫定統治当局(CPA)ではない施設や組織が攻撃対象となっている。特に8月19日の国連現地本部の爆破は、今後の復興作業や計画に、深刻な影響を及ぼすものと懸念されている。
このような混乱の元凶は、おそらくイラク戦争の終わり方にある。イラク戦争が早期に米英軍の圧勝で終わった最大の要因は、イラク側の「戦争指導」がほとんどなかったことにあると言われている。それは、空爆による指揮系統の寸断によるものであれ、一部に伝えられるようなイラク軍将校と米軍との密約によるものであれ、とにかく戦略・戦術面での作戦指揮がイラク側に存在せず、イラク軍はただ各個に戦闘していたに過ぎなかったことを意味している。戦後、多くのイラク兵が司令部からの命令がなかったことや、直属の上司から「戦うなり逃げるなり、個人の判断に委ねる」と言われたことなどを証言しており、戦争中のイラク軍は、軍隊として体をなしていなかった。これは戦争の早期終結につながったが、同時に「戦争指導」がなされなかったことは、そのまま「終戦指導」もなされなかったことにつながった。
モスルなどの北部戦線で組織的に武装解除された部隊と、バグダード南方で壊滅的打撃を受けた共和国防衛隊2個師団をのぞくイラク軍は、武器弾薬を携えたまま「雲散霧消」してしまった。もちろん、その大半は自主的に武装解除して、一般のイラク国民として新たな生活をはじめているが、なかには米軍への抵抗心を失わずにいる者、現状に強い不満を持つ者、帰るべき場のない者たちが存在しよう。彼らに大量の武器弾薬が残されていることは容易に想像がつくが、その人数、所有武器などの規模や実態は明らかではない。米軍襲撃や爆破事件の犯人、首謀者は未だ不明であり、彼らと事件との関わりを今の時点で論じることはできない。しかし、襲撃や爆破という事件から離れても、「終戦指導」がなされずに、武装した元兵士が無秩序な状態のままに存在するという事態は、主体的な政府の不在やインフラの未整備をしのぐ、イラクにおける最も異常な状況であると思う。
遅々としてではあるが、イラク占領行政は、やるべきことはやっている。CPA内の各部局はイラク各省庁の職務を整備・監督し、統治評議会は会合を重ね、閣僚の人選や憲法準備委員会立ち上げ、総選挙の準備などを議論している。無論、これまでの成果は乏しいが、現在の態勢以外に望ましいやり方があるかと言えば、それは非常に疑わしい。人口2500万の国家を一から建て直すのだから、困難に直面し時間がかかるのは、至極当然であろう。問題は、治安の悪化がただでさえ困難な復興作業の障害となっていることにあるのだが、この治安対策が徹底した「対決姿勢」であることに、筆者は大きな危惧を抱いている。
これまでの米軍による治安対策は、旧フセイン政権の「残党狩り」であった。もちろん、武力で攻撃してくる残党を制圧することは必要かつ重要な対策だが、その治安対策には、上記した武装元兵士の社会復帰といった観点が欠落している。たとえば、武器弾薬を持参した元兵士を、優先的に警察や軍、その他に雇用するとか、武器弾薬を買い取るとかの方策が考慮された形跡はない。いわばムチだけであって、アメの側面がない。武装元兵士のすべてが破壊活動をしているとは限らないし、米軍への抵抗心を持っていても、社会復帰のプログラムを示すことで変心・転向する者も多かろう。治安対策が対決姿勢に終始している限り、武装元兵士は破壊活動の巨大な温床のままであろうが、彼らのための社会復帰プログラムといった懐柔の側面を設ければ、イラクが現在有している最も異常な状況を改善できる。それは、短期的なテロ封じにはつながらないであろうが、長期的なテロ対策には不可欠な要素となる。言うまでもなく、武装元兵士の社会復帰は、イラク復興自体にとっても必要不可欠な問題であり、主体的な政府立ち上げやインフラの整備と同時並行的に実施されるべき政策であると思う。