経歴1
李希は中国西北部に位置する甘粛省両当県出身であり、地元の甘粛省、そして隣の陝西省と、西北部に長く勤めた。1982年に西北師範学院中文系を卒業し2、その後は甘粛省の宣伝部、弁公庁、組織部と様々な部門に勤めた。1995年以後、李希は甘粛省の下級行政区域の幹部として着実に昇進を重ね3、2004年には甘粛省党委員会秘書長に就任した。同年、陝西省に移り、省党委員会常務委員兼秘書長を務めた後、2006年から2011年まで5年間、陝西省第二の都市で、かつて中国共産党中央が置かれた革命聖地である延安市の党委員会書記を務めた(陝西省党委員会常務委員兼任)。この延安での経歴は李希にとって重要なものとなった。
2011年に李希は西北部を離れ、上海市組織部長、市党委員会副書記などを経て、2014年に遼寧省に異動した。遼寧省では、党委員会副書記、省長代理、省長を経て、2015年に省党委員会書記に昇格した。この時期の遼寧省は問題山積であった。省党委員会書記前任者の王珉は2016年3月に汚職腐敗の廉で摘発された。その後9月には、全国人民代表大会の省代表選出において票の買収行為があったとして、それに関わった省人民代表大会の代表454人が代表資格を失うという事件が発生した4。更に、遼寧省の経済状況は頗る悪く、2016年の遼寧省のGDP成長率は全国の省レベル行政区で唯一マイナスを記録した5。また、それ以前の省の経済統計において不正が行われたことが発覚し、2017年1月に省長がついにそれを公に認めた6。これらの問題に対して、李希は前任者の王珉に全ての責任を負わせ、徹底的に批判し、「私が就任したからには二度と悪いことは起きない」と話したという7。李希自身は責任を問われることなく、遼寧省の立て直しに努め、状況の改善に貢献したことになっている。この遼寧省での「功績」を引っ提げ、李希は2017年の党大会後の一中全会において政治局委員に選出され、直後に南方の重要地域である広東省の党委員会書記に就任した。
李希は西北地域でのキャリアが長いが、その後は上海、遼寧、広東と移り、華東、東北、華南といった中国の様々な地域の幹部を務めてきた。このキャリアパスの地域的多様性は栗戦書と相似している。なお、李希も他の多くの幹部と同じように、大学院の社会人コースを利用して、延安市党委員会書記時代に清華大学の修士学位(工商管理)を取得している。
人脈
李希は習近平に近いと言われている8。しかし、実は両者が業務上一緒に仕事をした期間はない。李希は2011年から2014年まで上海市にいたが、このころ習近平はすでに北京の党中央に移っていた。それでも李希と習近平が近いと言われるのは、いくつかのエピソードが根拠となっている。第一に、李希の出身地の甘粛省両当県は習近平の父親習仲勲ゆかりの地である。1932年4月、中国共産党はこの両当県で武装蜂起を決行しており、習仲勲はこの「両当兵変」を指揮していた9。2013年10月、習仲勲生誕100周年に際して両当県で記念行事が開催されたが、当時上海市党委員会副書記だった李希もそれに出席した10。
第二に、李希は1980年代半ばに甘粛省党委員会書記だった李子奇の秘書を務めていたといくつかの有力新聞が報じている11。李子奇は習仲勲と関係が深い事で知られており12、李希は李子奇を介して習家、とりわけ習近平と交流を深めた可能性があるとこれらの報道は指摘している。
第三に、李希は2006年から2011年までの5年間、延安市党委員会書記を務めていたが、周知のように、延安は文化大革命中に習近平が7年にわたって下放されていた場所であり、強い思い入れのある地である。延安市党委員会書記在任中、李希は習近平と交流があった。2007年、李希は延安市の党と政府の代表団を率いて、上海を訪れているが、当時上海市党委員会書記を務めていた習近平が訪問団を歓迎した13。習近平は2007年の党大会で政治局常務委員に昇格したが、2008年3月に李希は習近平が文革中に滞在した延安の梁家河村に出向き、直前に開催された全国人民代表大会の陝西省代表団の会議に習近平が参加した際に梁家河村への関心を語ったスピーチを伝達している14。また、梁家河村の村民と習近平は何度か手紙のやり取りをしているが、2008年の7月にも李希は梁家河村に出向き、習近平からの手紙を渡している15。
以上の三点は、李希と習近平の特別な関係の直接的な根拠とはならないが、両者の繋がりの可能性を示すものである。少なくとも、次の項で言及するように、習近平の総書記就任後、李希は事あるごとに習近平を持ち上げ、讃えており、両者が協力的な関係にあるのは明らかである。
李希と他の政治エリートの関係は如何なるものであろうか。まず特筆すべきは、趙楽際である。李希は2004年から2011年まで陝西省党委員会常務委員だったが、趙楽際は2007年から2012年まで陝西省党委員会書記を務めており、両者はかなり長い期間業務を共にしている。業務関係の存在は必ずしも私的な関係を示すものではないが、両者が共に習近平と協力的な関係にあることは重要な事実である。また、2011年に上海に移って以降は、兪正声、韓正両党委員会書記の下で働いた。そういう意味では、江沢民に連なる人脈とも交流があったと言える。
なお、遼寧省党委員会書記の前任者である王珉は江蘇省出身で、前国家副主席の李源潮と関係が深いと言われる16。李源潮は2017年の党大会で定年に達していなかったにもかかわらず、中央委員にも選ばれず、2018年3月の国家副主席退任に伴って完全引退となった。習近平と李源潮の関係が良好でないことは周知の事実であり、習近平は李源潮に近い人物の後任に自らと親しい李希を送り込むことに成功したと言える。
政策、思想的傾向
李希の政策選好について、公開されているインタビューや署名記事は殆どが時々の役職の立場からの発言であり、李希個人の考え方を知る材料とするには不十分である。例えば、延安市党委員会書記時代、胡錦濤の科学的発展観に絡めて「エコロジカル延安」の建設を訴える記事を党機関誌の『求是』に発表したり17、上海市党委員会組織部長兼党校長時代には、上海市党校が発行する『党政論壇』に、党校の始業式でのスピーチが掲載されたりしている。遼寧省時代には、省長及び省党委員会書記として、発言やインタビュー、署名記事が『人民日報』に掲載される機会が多くなったが、殆どは経済の振興を訴えるものであった18。地方幹部としてキャリアを積み、派手なパフォーマンスもしてこなかったため、政策面で独自色はさほどないと思われる。ただし、甘粛、陝西、上海、遼寧と経済発展段階が異なる様々な地域に勤めてきたため、中国経済の多様性についてはある程度理解があると考えるべきである。
特筆すべきことがあるとすれば、李希は習近平への権力集中を強く支持していることである。2016年始め、他の地方幹部に先駆けて「核心意識」という言葉を用いて、習近平を持ち上げた19。2017年3月の全国人民代表大会の遼寧省分科会では、「習近平総書記が党中央の核心となったことは、党最大の幸運であり、国最大の幸運であり、民族最大の幸運である」と習近平を讃えた20。2017年の党大会期間中には、習近平の政治報告を受け、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義重要思想」について、党の思想理論発展史上の新境地、世界社会主義学説と理論発展史上のマイルストーン、精神的支柱、行動指南、中華民族の偉大なる復興を実現するための思想的灯台、精神的北斗七星などと美辞麗句を並べている21。このように、李希は習近平のリーダーシップを強く支持していると言える。
今後の展望
広東省党委員会書記就任後の李希はかつての汪洋と異なり、派手な政策は打ち出しておらず、習近平政権の方向性と歩調を合わせている。党委員会書記就任後の李希の活動で特筆すべきものを列挙する。
2017年の党大会直後、習近平は政治局常務委員全員を引き連れて、上海の第一回党大会跡地記念館を訪問した。そこで共産党員が入党時に唱える入党宣誓詞を全員で再度唱和するというパフォーマンスをみせ、党のルーツを再確認した22。それを受けて、各地の幹部もこぞって革命聖地を訪問したが、李希も同様に11月2日と5日に続けて二度も広州にある第三回党大会跡地記念館を訪れた。11月5日には、中央の政治局常務委員たちに倣って、省党委員会常務委員全員で入党宣誓詞を再度唱和した23。
また、広東は改革・開放が始まった場所であり、経済特区の深圳は改革・開放の象徴である。歴代の党委員会書記も必ず深圳への視察を行ってきたが、李希は就任直後の11月6日から7日に深圳を視察し、鄧小平の銅像に献花した24。2018年は改革・開放40周年とされる年であり、李希は広東のトップとして、度々改革・開放について触れ、記念行事に関わった25。ただし、習近平が改革・開放40周年を必ずしも大々的に記念しなかったこともあり、李希の存在感は必ずしも大きくなかった。
もう一つ、李希が広東省党委員会書記として取り組む重要な政治課題は、「粤港澳大湾区」(広東香港マカオビッグベイエリア)建設である。習近平政権は広東、香港、マカオを一体的な大経済圏として発展させる構想を打ち出している26。李希は広東のトップとして、粤港澳大湾区建設領導小組の副組長を務め、経済一体化を推進する立場にある27。ただし、大陸側の香港業務の担当者は政治局常務委員の韓正であり、地方幹部で政治局委員の李希がどの程度実質的な役割を果たせるかは不透明である。
現在、李希には目立つ政敵がおらず、大きな失点もなく、無難に仕事をこなしている。このまま大きな問題が発生しなければ、次回の党大会が開かれる2022年、1956年生まれの李希は66歳となり、引退する年齢に満たない。次期政治局常務委員の有力候補だと言える。
1 李希の公式経歴については、新華社のウェブページを参照(URL: http://www.xinhuanet.com//politics/19cpcnc/2017-10/25/c_1121856438.htm 2019年8月6日閲覧)。
2 1978年に大学に入学する以前、李希は文化大革命中の1975年に、地元の両当県で「知識青年」となり、1976年から同県文教局及び県党委員会弁公室に2年勤めた。1977年に大学入学試験が復活しているため、李希はこの入学試験を経て、大学に入学したと思われる。なお、西北師範学院(現西北師範大学)は蘭州市にある。
3 この期間に李希は、甘粛省蘭州市西固区党委員会書記、蘭州市党委員会常務委員兼組織部長、蘭州市党委員会副書記、甘粛省張掖地区(2002年以後は張掖市)党委員会書記などの役職を歴任した。
4 平賀拓哉「遼寧省『議員』454人資格喪失」『朝日新聞』2016年9月19日。
5 原島大介「中国、東北部改革を急ぐ 高齢化で財政圧迫、道のり険しく」『日経産業新聞』2016年4月1日、朝日新聞中国総局『核心の中国 習近平はいかに権力掌握を進めたか』東京、朝日新聞出版、56-60頁。
6 統計不正があったのは、2011年から2014年までの4年間ということになっている。「遼寧省長首次対外確認連続四年経済数拠存在造仮」新華網、2017年1月18日(URL: http://www.xinhuanet.com/politics/2017-01/18/c_1120331714.htm 『新京報』より転載、2019年8月6日閲覧)、「遼寧省統計不正、再発防止求める 習氏『必ず抑え込む』」『朝日新聞』2017年3月8日。
7 Choi Chi-yuk "Rising Communist Star Blasts Chinese Party Bigwig Netted in Vote-Buying Scandal," South China Morning Post, 6 March 2017 (URL: https://www.scmp.com/news/china/policies-politics/article/2076258/rising-communist-star-blasts-chinese-party-bigwig 2019年8月6日閲覧)、張勇祥「習主席と親密な地方指導者 実務能力アピール合戦」『日本経済新聞』2017年3月10日、李希「堅定落実"四個着力""三個推進"促進振興発展」『人民日報』2017年8月11日、「扭転遼寧劣勢 李希勢再上位」『明報』2017年9月29日、宮葉「仕途向好 十九大新星李希"治遼"細説曝光」多維新聞2017年10月27日(URL: http://news.dwnews.com/china/news/2017-10-27/60020162.html 2019年8月6日閲覧)。
8 Nectar Gan "Xi Ally Named as New Boss of China's Manufacturing Heartland Guangdong," South China Morning Post, 28 October 2017 (URL: https://www.scmp.com/news/china/policies-politics/article/2117432/xi-ally-named-new-boss-chinas-manufacturing-heartland 2019年8月6日閲覧)、「広東省トップに習氏人脈の李氏」『朝日新聞』2017年10月29日、中村裕「広東省トップに習派・李氏 胡春華氏は中央に異動か」『日本経済新聞』2017年10月29日、東慶一郎「習派相次ぎ要職起用 中国共産党 広東省トップ交代」『読売新聞』2017年10月29日、林哲平・河津啓介「中国:上海市トップに習派 広東省も 地方人事で主導権」『毎日新聞』2017年10月30日。
9 習仲勲と「両当兵変」については、李東朗「習仲勲與両当兵変」中国共産党新聞2013年10月15日(URL: http://dangshi.people.com.cn/n/2013/1015/c85037-23212099.html 『甘粛日報』より転載、2019年8月6日閲覧)。
10 馬浩亮「李希仕途一路紅」『明報』2014年5月9日。
11 「整頓中央 地方不忘安挿親信」『明報』2015年10月3日、遊潤恬「李希:不同意遼寧経済"断崖式下滑"」『聯合早報』2016年3月6日(URL: https://www.zaobao.com.sg/special/report/politic/cnpol/story20160306-589342 2019年8月6日閲覧)。また、現代中国のエリート政治の専門家の李成も同様のことを著作に記述している。Cheng Li, Chinese Politics in the Xi Jinping Era: Reassessing Collective Leadership. Washington, D. C.: Brookings Institution Press, p. 318. ただし、これらはいずれも出典を示しておらず、この事が中国の公式メディアによって確認されたわけではないことには留意すべきであろう。
12 李子奇と習仲勲の関係については、習仲勲の生誕100周年に際して李子奇が寄稿した回想文を参照。李子奇「深切緬懐習仲勲同志」毎日甘粛網、2013年10月10日(URL: http://gansu.gansudaily.com.cn/system/2013/10/10/014708123.shtml 『甘粛日報』より転載、2019年8月6日閲覧)。
13 「弘揚延安精神 実現共同発展 習近平歓迎李希率延安党政代表団来滬訪問」東方網、2007年8月18日(URL: http://sh.eastday.com/qtmt/20070818/u1a343068.html 2019年8月6日閲覧)。
14 艾慶偉「春暖梁家河」『陝西日報』2008年3月24日。当時陝西省党委員会書記を務めていた趙楽際も同行している。
15 「習近平近些年給誰回過信?」中国共産党新聞網、2013年5月7日(http://cpc.people.com.cn/n/2013/0507/c164113-21386839-2.html 2019年8月6日閲覧)。
16 「両会打首虎 遼寧前書記落馬 李源潮親信 政壇少有航空専家」『明報』2016年3月5日、高新「習近平死整王珉意在羞辱李克強和李源潮?」自由亜州電台、2017年6月21日(URL: https://www.rfa.org/mandarin/zhuanlan/yehuazhongnanhai/gx-06212017143749.html 2019年8月6日閲覧)。
17 李希「建設生態延安 実現科学発展」『求是』2009年第23期、14-15頁。
18 孫健・何勇「用過去拼速度的勁兒追求質量」『人民日報』2015年3月31日、李希「搶抓機遇 攻堅克難 堅決打贏遼寧全面振興這場硬仗」『人民日報』2016年5月3日、李希「堅定落実"四個着力""三個推進"促進振興発展」『人民日報』2017年8月11日。
19 杜宝俊「多省党委表態:堅決維護習近平総書記這個核心」鳳凰聚集+、2016年1月31日(http://news.ifeng.com/a/20160131/47307703_0.shtml 2019年8月6日閲覧)。ただし、李希は他の多くの省党委員会書記と異なり、「核心意識」という言葉を用いるに留め、直接習近平を「核心」と呼称することはしなかったことに留意すべきである。
20 張勇祥「習主席と親密な地方指導者 実務能力アピール合戦」『日本経済新聞』2017年3月10日。
21 李希「新時代的思想灯塔和精神北斗」『人民日報』2017年10月21日。
22 この第一回党大会跡地記念館訪問の主たるテーマは、「初心を忘れない」であった。党員生活の始まりである入党宣誓を再度行うことで、入党時の志や使命感を再確認した。李涛、蘭紅光「習近平在瞻仰中共一大会址時強調 銘記党的奮闘歴程時刻不忘初心 担当党的崇高使命矢志永遠奮闘」『人民日報』2017年11月1日。
23 徐林「不忘初心牢記使命永遠奮闘」『南方日報』2017年11月6日。
24 「以習近平新時代中国特色社会主義思想為指引 在加快建設社会主義現代化新征程上走在前列」『南方日報』2017年11月8日。
25 李希「改革開放 開創広東新局面」『人民日報』2018年3月13日、劉磊・呉冰・賀林平「貫徹新発展理念 推動高質量発展」『人民日報』2018年4月9日、徐林「認真学習貫徹習近平総書記重要講話精神 堅定不移将改革開放進行到底 奮力譜写新時代広東改革開放新篇章」『南方日報』2018年12月19日。
26 益満雄一郎「中国、香港・マカオと大経済圏構想 習主席主導 『一国二制度』後退、懸念も」『朝日新聞』2019年3月10日。
27 大陸の中央政府や新華社は、李希が副組長を務めていることを公式的には発表していないが、マカオの新聞局が李希の役職を報じている。「粤港澳大湾区建設領導小組第一次全体会議 行政長官:全力配合国家統一部署投入建設」澳門特別行政府新聞局、2018年8月15日(https://www.gcs.gov.mo/showNews.php?DataUcn=128653&PageLang=C 2019年8月6日閲覧)。中央港澳政策協調小組組長(政治局常務委員兼国務院副総理)の韓正が港澳大湾区建設領導小組の組長を務め、国家開発改革委員会主任の何立峰がもう一人の副組長である。香港、マカオ両特別行政区の行政長官、林鄭月娥、崔世安も小組のメンバーである。副組長の李希は立場上、両行政長官よりも上ということになる。