コラム

『China Report』Vol. 14

諸外国の対中認識の動向と国際秩序の趨勢③:

インド・モディ政権で強まる対中警戒

2018-03-30
伊藤 融(防衛大学校准教授)
  • twitter
  • Facebook


 冷戦後のインドは、隣接する国々のなかで唯一自らより大きなパワーである中国に対し、「関与」しつつ「警戒」するという政策をとってきた。2014年5月に誕生したモディ政権は、インド経済再生のため、中国からインフラ部門への投資も「解禁」して二国間経済関係を強化する方針を示した。同時に、未解決の国境問題で攻勢を強めるとともに、インド周辺地域にも影響力を拡大させている中国に対し、国境インフラの整備や近隣への「巻き返し」政策、日米豪といった「インド太平洋」との連携強化も進めた。すなわち、従来の政権にも増して「関与」と「警戒」双方を強化してきたのである。
 しかし2016年半ば頃からその政策は、「警戒」の比重が大きくなってきている。国内世論の対中観もこれまでにないほど悪化している。2017年のBBC World Serviceによる世論調査によれば、世界に及ぼす中国の影響について肯定派は19%にとどまり、否定派は過去最高の60%にまで膨れあがった。いったい、なにがこの変化をもたらしたのであろうか。
 第一に、対中経済関係がモディ政権の当初の期待通りになかなか進展せず、インド経済に寄与していないとの見方が広がっている。以前から問題となっていたインドの対中貿易赤字の構造は変わらないばかりか、むしろ悪化した。政権発足直前の2013年度、148億ドルの対中輸出額は、2015年度には輸入額のわずか7分の1程度となる90億ドルにまで縮小し、貿易赤字は過去最高の527億ドルを記録した。インドの得意分野での市場開放による対中輸出拡大への期待は裏切られた。そのうえ、中国家電などがインド市場を席巻し、国内企業が駆逐される傾向も出てきた。与党の支持基盤、ヒンドゥー至上主義団体などを中心に、中国製品をボイコットする運動も目立ちはじめた。
 「解禁」する意向を示した中国からの投資については、たしかに急増してはいるものの、貿易同様、国内企業への影響を懸念する声も高まっており、モディ政権はジレンマに立たされている。2016年7月に発表された、上海の復星国際グループによる印大手製薬会社、グランド・ファーマ買収計画は、インド内で大きな懸念を呼び、モディ政権は認可を先送りし続けた。中国からの投資を歓迎する意向を示したモディ政権の内部でさえ、その過剰な投資に対する懸念が存在するのは間違いない。
 第二に、モディ政権が掲げる主要な外交政策目標を中国側が阻止し続けていることに対する強い不満が蓄積されている。具体的には、原子力供給国グループ(NSG)加盟とパキスタン過激派指導者の国連制裁指定をめぐる印中対立である。
 NSG加盟を「合法的な」核大国への道に繋がると考えるモディ政権は、これを外交上の最優先課題に掲げ、力を注いできた。その結果、インドの加盟申請に関して、2016年6月、韓国・ソウルでの年次総会で回答が出されることとなり、大きな注目を集めた。しかし、総会前から強い疑問の声を上げたのは、中国であった。中国は、そもそもNPT未加盟の国を加盟させるべきなのか議論すべきだという主張を展開したのである。そこでインド政府は、中国に国境問題を含め宥和姿勢を示すなど、特段の配慮を示し、モディ首相自ら習近平国家主席に直談判した。しかし、インドの加盟は見送られた。印外務報道官は、「ある国が手続き的な障害をしつこく提起した」と述べ、中国非難のトーンを強めた。何とか加盟を実現しようと全力を注いだインドの落胆と憤りは小さくなかった。中国の拒絶姿勢はその後も変わらず、2017年6月の総会でもインドの加盟は実現しなかった。
 もう1つのパキスタン過激主義者の国連制裁指定問題とは、2016年の1月と9月にパタンコート空軍基地、ウリ陸軍基地を襲撃した、ジャイシュ・エ・ムハンマド(JeM)創設者のマウラナ・マスード・アズハルを安保理決議1267に基づく対タリバーン・アルカーイダの制裁対象者に加えるべきだというインドの要求である。米英等もインドの主張を支持してきたが、パキスタンを擁護する中国がつねに難色を示し制裁指定は実現していない。
 第三に、中国の進める「一帯一路」への懸念が深まっている。モディ政権は発足以来、「一帯一路」について、いずれの政府間協議の場でも共同声明等に盛り込むことは拒否してきた。他方で、構想を資金面で支えるとみられる「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」には、設立メンバーとして正式参画するなど、中国側に期待を抱かせてきた。しかし、NSG加盟問題ならびにイスラーム過激派指導者の国連制裁指定問題をめぐり、中国の頑なな態度に不満が募るなか、モディ政権は「一帯一路」に明確な反対表明を行うことになる。2017年5月北京で開催された「一帯一路フォーラムサミット」を前日になってボイコットするとしたのである。
 印外務報道官が述べた反対理由は大きく分けると3点に整理される。1つは「一帯一路」の一部となる「中パ経済回廊(CPEC)」への反発と警戒である。中国の新疆ウイグルとパキスタンのグワダル港を結ぶ巨大計画は、カシミールのパキスタン実効支配地域、ギルギット・バルチスタンを経由する。同地域の領有権を主張するインドとしては、これは安全保障面だけでなく、そもそも政治的に「主権と領土保全に関する核心的懸念を無視したプロジェクト」であり、受け入れられない。次に、スリランカのハンバントタ港などを念頭に、中国のプロジェクトは、対象国を借金漬けにし、また生態系を破壊しているとの批判である。それと関連して最後に、中国のプロジェクトは透明性を欠いており、裏に政治的な影響力拡大の野心があるのではないかと示唆した。
 インドがこれに代わる構想として示したのが、日本と協力して進めるという「アジア・アフリカ成長回廊構想」である。同構想は、質の高いインフラによるコネクティヴィティ構築、能力・技術向上、保健・医薬品・農業・災害管理などの協力、人的交流を柱とし、「自由で開かれたインド太平洋地域実現のため、アジアとアフリカの成長と相互連結を改善」することを目指すという。「一帯一路」を意識したものであることに疑いの余地はない。
 また2017年10月末には、インドが開発支援するイランのチャバハール港経由でアフガニスタンに小麦を供与し、中央アジアへの南北輸送回廊構想を加速させるなど、「一帯一路」への対抗策を具体化しはじめている。
 こうした経済・政治対立の拡大と深化のなか、2017年夏、新たな印中軍事対峙が起きた。舞台となったのは、インドとともに「一帯一路フォーラムサミット」に加わらなかったブータンが中国との間で抱える係争地、ドクラムである。2017年6月16日、同地で人民解放軍が道路建設を行っているのをブータン側が確認した。これを受け、ドクラムにほど近いインド北東部シッキム州の部隊270名余りが現場に入って中国側の作業を妨害したことで、印中両部隊がわずか100メートルの近距離で睨み合う事態へと発展した。印側部隊はその後、最大400人規模にまで増員された。
 これに対し、中国外務省は、道路建設は自国領内での活動であり、インド側の「不法侵入」は明白だとして、インドの撤退が対話の前提だとの立場を示した。しかし、インド側も譲歩する構えを見せなかった。インドにとって、印中に挟まれたブータンは、かつての「保護国」であり、最も従順な隣国とみなされてきた。しかし近年は中国の接近と、それに一部勢力が呼応する動きがみられる。それゆえ、2018年に総選挙を迎えるブータンへの影響力を維持するという外交的観点から部隊撤退には応じがたかった。また、シッキム州に近接する戦略的要衝に道路が作られれば、有事の際、中国側にインドの「本土」と北東部を簡単に分断される恐れがある。安全保障の観点からも、道路建設は絶対に容認できない。これらの要因に加え、前述したNSG加盟問題、過激派指導者国連制裁指定問題、CPECと一帯一路への反発という政治対立が、モディ政権に対し、安易な譲歩を許さない環境を醸成していた。インド側の強硬姿勢は、ジャイシャンカール外務次官が8月4日に行なった講演からも読み取れよう。同次官は、インドの外交方針に関し、インドはほとんど何もやらずにおくという注意深いアプローチではなく、「大胆かつ自信に満ちた」アプローチを採用すると述べた。前会議派政権の対中政策とは異なり、領土や安全保障では妥協しないことを示唆したものと考えられる。8月15日の独立記念日演説でも、モディ首相は、安全保障を最優先事項とし、いかなる課題に対しても「インドは国を守る力がある」という自信を示した。メディアもこうした政府の立場を支持した。
 しかし、両国、とくに中国側は、今回の軍事対峙を終わらせる必要性も認識していた。9月3日からは中国のアモイでBRICS首脳会議が予定されていた。万一、モディ首相が首脳会議をボイコットする事態になれば、習主席の面目を潰すばかりか、中国の国際的な影響力低下につながりかねない。
 8月28日、インド外務省はプレス・リリースを発出し、この数週間の外交交渉の結果、「ドクラムの対峙地点での国境要員の迅速な離脱(disengagement)が合意され、進行中である」と明らかにした。これを受け、中国外務報道官は、中国の国境部隊は今後も駐留と警備を続けるとしつつも、対峙の発端となった道路建設については、「現場の状況に応じて、天候を含め、すべての要因を考慮に入れる」として、当面は建設を中断することを示唆した。インドの「即時撤退」という表現を避けつつも、実質的に部隊撤収を始めることで中国の面子を保つ一方、インド側が求めてきた道路建設の中止を天候等を理由に認めるという外交的決着が図られたのである。
 しかしドクラム高地でのインフラ構築を中国側が恒久的に停止したわけではない。2017年末頃には、通常なら冬の時期に撤退するはずの人民解放軍がドクラム近辺で駐留を続け、トンネルなどの工事に従事しているとも報じられ、インド側は警戒を強めた。またアルナーチャル・プラデーシュ州でも中国の「民間人」作業員が道路敷設に関わる調査を実施しようとし、インド側が追い返すという事案も起きた。中国外務省は、いずれも「自国領内での正当な活動」との立場を掲げていることから、同様の危機が、同じ場所、あるいは別の場所でも再現される可能性が高い。
 今回のドクラムをめぐるインドの強硬姿勢は、モディ政権の進めてきた対中「関与」策による経済・政治的利益が得られないなか、インド国内で「警戒」論が強まり、インドの主権・安全保障、地域覇権に関わるイシューでは決して妥協しないというメッセージを中国側に送るものであった。その意味で、印中関係にとって新たな時代の幕開けとなる可能性もあろう。