本報告は、日本国際問題研究所中国研究プロジェクト「中国の対外政策と諸外国の対中政策」の一環として、ベトナムの対中認識と対応を明らかにすることを目的としている。今回の報告は特に、最終報告の予備的考察として、1990年代のベトナムと中国の関係正常化プロセスを分析する。この分析は、冷戦終焉期に行われた両国の関係正常化のプロセスとその帰結が、現在に至るベトナムの対中関係の基本的な姿勢を形成したとの問題意識に基づく。
ベトナムは、1979年2月に勃発した中越戦争から2か月が過ぎた同年4月、早くも中国との間で関係正常化に向けた第1回協議をハノイで実施した。同協議においてベトナムは中国側に対し、「ベトナムと中国の関係における諸問題の解決に向けた諸原則」として、停戦手続き、関係正常化、境界線画定に関する、主として停戦手続きに焦点を絞った提案を行った1。これに対し中国は、中越国境地帯に部隊を展開し、ベトナムに対して軍事的な圧力をかけつつ、南シナ海の領有権問題を含む、より包括的な8項目を要求した。そこで中国は、「反覇権」の観点からベトナムにおけるソ連の軍事プレゼンスを否定し、華僑問題をベトナムの全面的な責任において解決し、かつ南シナ海の領有権について中国の主張を全面的に受け入れるという、ベトナムが到底受け入れられない要求を突き付けた。これは、中国がベトナムとすぐには関係を正常化する意思のないことを意味した。両国の主張の懸隔は大きく、2回の協議を経ても関係改善に向けた実質的な成果はなく、両者はかろうじて捕虜の交換で合意したのみであった2。
2回の協議が成果なく終わったことを受け、中国はベトナムとの直接交渉に見切りをつけ、中越関係の正常化問題をソ連との交渉の場で扱うことにした。1982年3月、ブレジネフ・ソ連共産党書記長が対中関係改善の意思を表明し、中ソ間の協議が開始された。同年10月の第1回協議において中国は、まずベトナムは無条件でカンボジアからすべての軍を撤退することを宣言しなくてはならない、ソ連はベトナムのカンボジア撤兵を監督しなければならない、そしてベトナムがカンボジアからの完全撤兵を決定した場合は、撤兵が始まった時点で中国はベトナムとの間で国交正常化に向けた協議を開始する、と主張し、ソ連を介してベトナムが軍をカンボジアから撤退させるよう圧力をかけた。さらに83年3月の第2回協議において中国は、ソ連との関係正常化前に克服すべき3つの障害を提示し、その1つはベトナム軍のカンボジア駐留に対するソ連の支援であった3。ベトナムはこの間、中国がベトナムに対し中越国境地帯で、またタイを通じてカンボジアに対し軍事的圧力をかけることを停止することを要求するとともに、ポルポト派が排除された場合、ベトナムはカンボジアから完全に撤兵するとし、中国に対し2国間協議を呼びかけたが、ベトナムの条件付き撤兵の提案に中国側が応じることはなかった。同時にベトナムは対ASEAN外交を推進し、インドネシアやマレーシアといったASEAN諸国との関係改善を通じ、これらの国々からベトナムの主張への理解を得ようとした4。こうした活動は、ASEAN諸国との関係改善には一定の成果を生んだものの、中国の態度の変化を引き出すことはできなった。
ベトナム・中国関係正常化交渉は結局、1985年8月のインドシナ3国外相会議においてベトナムが、90年までに、あるいはそれより早期にカンボジアからの撤兵を完了すると宣言することによって再開の運びとなった。87年6月、ファム・バン・ドン()首相は鄧小平最高指導者に親書を送り、中越2国間協議を提案した。両国間の協議は、89年1月にようやく再開された。同年4月、ベトナムは9月までにカンボジア完全撤兵を完了することを宣言し、これを実行した。これを受け90年8月、李鵬首相は訪問先のシンガポールで、ベトナムとの関係正常化の意思を表明した。これに対しド・ムオイ()大臣会同首席は歓迎の意を表した5。
1990年9月、成都でベトナム・中国間のハイレベル協議が行われた。ベトナム側からはグエン・バン・リン()書記長、ド・ムオイ首席、ファム・バン・ドン顧問が出席し、中国側からは江沢民国家主席と李鵬首相が出席した。同会談において両国は、カンボジア問題の政治的解決と国交正常化について基本合意に至った6。
両国の関係正常化が最終的にかつ正式に表明されたのは、1991年11月のド・ムオイ新書記長による北京への公式訪問の際であった。当時出された共同声明の概要は次の通りである。
(1)両者は、平和五原則に基づき、善隣友好関係を発展させる。
(2)ベトナム共産党と中国共産党は、自主独立、完全な平等、相互尊重、互いの内部事情に介入しない、という各原則に基づき正常な関係を回復する。
(3)両者は経済、商業、科学技術、文化といった各分野での協力を、平等互恵の原則にのっとって推進する。
(4)両者は国境地域の平和と安全を維持するために必要な方策を続ける。
(5)両者は領土国境問題を協議によって平和的に解決する。
(6)両者は華僑問題を協議によって友好的に解決する。
(7)ベトナムは「1つの中国」原則を支持する。
(8)両者は政治体制を問わずそれぞれ他国との関係を強化する。
(9)両者はカンボジア問題に関するパリ協定と、独立、平和、中立のカンボジアを支持する7。
ベトナム・中国間の関係正常化プロセスは、次の3点において現在の両国関係の基底を形成した。第1に、両国関係の悪化から関係正常化に至る過程は、特にベトナムの要請に中国が「カンボジアからの無条件撤退」という条件付きで応じる形で正常化交渉が行われた意味で、ベトナムに歴史の教訓をもたらした。それは、ベトナムは両国の絶対的に非対称な関係を前提に対中関係を構築すべきであって「中国との全面的な対立関係にあっては、小国ベトナムは、国内的にも国際的にも身動きのできない状態に置かれてしまい」、そのような状況はベトナムの国益に合致しない、ということであった8。この教訓は、以後ベトナムの安全保障政策の絶対の原則となる。
第2に、ベトナム・中国間において冷戦期の「社会主義国間の特別な兄弟関係」は終了し、両国は「一般的な国際関係における隣国関係」となった点である。1991年の首脳会談時に出された共同声明は、以後のベトナム・中国関係の基本方針を端的に示しているが、そこには「ベトナムと中国は相互の主権・領土の一体性の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の平和5原則に基づき、友好的かつ親密な隣人関係を発展させる」とあり、両国は社会主義イデオロギーによらない関係構築を進めることが明確となった。実は首脳会談時ないしはその直後に、ソ連・東欧社会主義圏の政治変動を背景に、ベトナムは残存社会主義国間の連帯に基づく軍事同盟の形成を中国に求めた。しかし中国は、両国はもはや「同志ではあるが同盟ではない」としてベトナムの求めを退けた9。第2の前提条件も第1の条件と同様、中国側の意向を反映して形成されたものであった。両国関係を規定する原則から社会主義イデオロギーが除外されたことは、中越関係にも冷戦の終焉が波及したことを意味した。ただベトナムにとって中国の存在は以後も、共産党一党独裁体制を保持する大国として、自らの政治体制を守ることに重要な意味を持ち続けることとなる。
第3に、1991年の共同宣言に「両者は経済、貿易、科学技術、文化等の分野における協力を推進する」、とあるように、両国関係において軍事・安全保障面より経済協力関係が強調されるようになった点である。これはベトナムにとって、国内経済の立て直しを目的として国際的な貿易・経済協力の体制へ積極的に参入していくというドイモイ(刷新)の基本政策に合致していた。実際、関係正常化後にベトナム・中国間の貿易は陸上国境地帯での交易を中心に急増し、ベトナム経済にとっては消費財・軽工業品の供給国かつ原油の主要な輸出先としての中国の重要性が高まっていった10。また社会主義国が市場経済を導入し経済発展を成功させるという意味での「先行モデルとしての中国」の有効性が、ベトナムの政治指導部に認識されていた11。以後、中国が経済大国としての存在感を増し続けることによって、ベトナムにとっての中国の経済的意味は対中関係の文脈で無視できない要因となる。
本報告は、1990年代の冷戦終焉前後の時期とも重なる、ベトナムと中国の関係正常化プロセスの分析を中心に行った。同プロセスは、後のベトナムと中国の関係を基本的に規定する諸原則が導き出される重要な過程であった。本プロジェクトの一環として今日のベトナムの対中認識と対応、そして将来展望を考察するにあたっては、ベトナム・中国関係の一貫した規定要因と、時代の移り変わりによって変化する諸要素を峻別しつつ、かつ両者間の相互作用に留意することにより、複雑な反応を示すベトナムの対中姿勢を包括的に理解する手がかりとしたい。
(本稿における見解は筆者の所属する組織の公式見解ではない)
1 Lưu Văn Lợi, Ngoại giao Việt Nam (, 1998), tr. 193-194.
2 Sách trên, tr. 197-199.
3 Sách trên, tr. 202. ちなみに他の2つの障害とは、中ソ国境と中蒙国境に展開するソ連軍と、ソ連のアフガニスタン侵攻であった(毛里和子『中国とソ連』(岩波書店、1989年)118頁)。
4 Lợi, , tr. 203.
5 Sách trên, tr. 208.
6 Sách trên, tr. 209.
7 “Thông cáo chung Việt Nam-Trung năm 1991.”
8 古田元夫『ベトナムの世界史―中華世界から東南アジア世界へ』(東京大学出版会、1995年)261頁。
9 Carlyle A. Thayer, “Sino-Vietnamese Relations: The Interplay of Ideology and National Interest,” Asian Survey, vol. 34, no. 6 (June 1994), p. 523.
10 Brantly Womack, China and Vietnam: The Politics of Asymmetry (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), p. 229.
11 Henry J. Kenny, Shadow of the Dragon: Vietnam’s Continuing Struggle with China and the Implications for U.S. Foreign Policy (Washington D.C.: Brassey’s, 2002), pp. 89-90.