コラム

『China Report』Vol. 5
習近平政治の検証② :「大衆路線」

2017-03-31
角崎信也(日本国際問題研究所研究員)
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※この連載(習近平政治の検証)は、習近平政権前半期(第18期)の政治運営を総括し、さらに今後を展望するための視座を獲得しようとするものである。

 「フィードバックが欠けていたり、フィードバックされた情報に対する応答能力が存在しない場合には、いかなる体制といえども偶然による以外は長く生き残れない」とは、米国の政治学者イーストン(David Easton)の言である1。統治者が決定し、執行する政策が民衆の利害から著しく乖離したものであり、かつそうした状態が長期間改善されなければ、統治者は民衆の信頼を著しく損ない、やがて体制は崩壊に向かうことになる。むろん、全体主義国家や一部の権威主義国家がそうしてきたように、抑圧と管理を国家全域に張り巡らせることによって、体制を維持することも可能だろう。だが一般に、そうした手段のみに依拠するのは、とりわけ多くの人口と広大な領域を抱える大規模国家にとって、体制の安定を賄うにはあまりに高コストである。その意味で、中国も、イーストンのこの公理を完全に免れるわけではない。では、政策と民衆の利害をつなぎ止めておくための制度(例えば普通選挙)を欠く中国において、いかなる原理が統治者と社会の間のコミュニケーションを担保するのか。
 本コラムがとりあげる「大衆路線」の理念が重要なのは、このような文脈においてである。「大衆路線」とは、党が民衆の中に深く入り込んで民衆の意見を統括し、それに整理、分析、批判、概括を加えたものを党の政策として再び民衆の中へ持ち込み、これを民衆の自主的、主体的な行動に転化させていく過程を不断にくり返すことによって、党と民衆のエネルギーを発展的に統合しようとする理念である2。毛沢東が1943年の「指導方法の若干の問題について」の中で明示したこの中国共産党の執政原則は、徳田によれば、「一言でいえば、指導行動一般にみられるフィードバックの機能を、レーニン主義的な前衛党の原理に従って修正し、再構成したものである」3。つまり、先のイーストンの言に代入して言えば、中国共産党の場合、党員が「大衆路線」を歩まなければ、民衆の統治者に対する信頼は失われ、体制は崩壊に向かって徐々に衰退していく、ということになる4
 この伝統的な「大衆路線」の理念が、2010年代に入って再び注目を浴びている。『人民日報』紙上において、「大衆路線(群众路线)」に言及のある記事の数は、2001~2005年の718本、2006~2010年の550本に比して、2011~2015年は1974本に及んでいる5。とりわけ、2012年11月の第18回中国共産党代表大会において総書記に選出された習近平は、同大会における胡錦濤の「党の大衆路線教育実践活動を深く掘り下げて展開しなければならない」との言を引き継ぎ6、13年6月より、「党の大衆路線教育実践活動」を展開してきた。
 ではなぜ、毛沢東期の指導者たちによって度々唱導されてきたこの「大衆路線」なるコンセプトが、現代において再び強調されることになっているのか。後述するように、この背景には、とりわけローカル・レベルにおける党と民衆の間の関係に関する深刻な状況と、それに対する党指導部の強い危機意識がある。

1.党・政府-大衆関係の悪化7

 「改革開放」の開始以降、とりわけ1990年代以降は、中華人民共和国史上、中国経済がもっとも急速に発展した時期であった。だが他方で、中国の多くの研究者や政策担当者が認めているのは、この高度成長期は、党・政府と民衆の間の関係において最も良好な期間では決してなかったということである8。そのことを象徴的に表している現象の一つが、暴動やデモなどの集団抗議事件、中国語で言うところの「群体性事件」9の発生件数が急増してきたことであろう。図1から明らかなとおり、「群体性事件」の発生件数が公表されていた1993年から2000年代末までの期間、事件の増加とGDPの成長はほぼ同期していた。つまり、目覚ましい経済発展を遂げてきた中国は、それとほぼ同時並行的に、その社会を不安定化させてきた、ということになる。

図1:「群体性事件」・GDPの増加(1993~2009年)

 出所:張利軍「国内外関於政治参与内涵的辨析」『国外理論動態』2014年第2期、108頁他。
 党・政府と民衆の間の関係の悪化は、とりわけローカル・レベルで顕著である。例えば、約7000人を対象にした『人民論壇』によるアンケート調査の結果によれば、71%が、現在の地元政府は「多くの問題に直面し、日増しに弱化している」と回答し、68%が、現在の地元党員幹部のパフォーマンスに「あまり満足していない」と回答している10。また、いくつかの研究は、民衆の地元政府に対する不満の増大と、政治的信頼の減少は、1990年代以降に深刻化したものであることを示唆している。例えば、1998年から2001年の間に農民1200人などを対象に行われたアンケート調査によれば、1990年代に入って幹部に対する印象が極端に悪化していることが分かる(図2)。

図2:どの時期の幹部が最も嫌いか?

出所:肖唐鏢「従農民心態看農村政治穏定状況―一個分析框架及其応用」『華中師範大学学報』第44巻第5期(2005年9月)、13頁より筆者作成。

 ではなぜ、中国において急速な経済発展は、党・政府と民衆の関係を良好化させることなく、むしろ反対にその悪化を招いてきたのか。理論的な見地から言えば、民衆が政府に信頼を与えるのは「政府は民衆の利益に資する形で行動する」と想定できる時で、逆に不信が増幅されるのは、「民衆のためではなく政府やその幹部自身のために行動する」と想定されている場合である11。この観点から、「改革開放」期における地方の党・政府幹部の政策執行スタイルを振り返れば、上記の現象は容易に説明できよう。
 民主的な選挙制度を欠いている中国において地方の党・国家幹部の任免と昇級は、上意下達式の幹部任用制度(ノーメンクラトゥーラ)の下に決定される。鄧小平時代以降、とりわけ1980年代後半以降は、幹部に対する客観的で科学的な評価を可能にするため、考課基準の定量化ないし「数値化」が推進された12。こうした人事考課制度の下、多くの地方幹部は、政策の成果が、短い任期期間の間に数値として具体的に表れやすい任務、つまり地域の経済発展に関わる任務(GDP上昇や財政収入増加)を最優先課題と位置付け、これらの達成に精力のほとんどを費やすようになっていった13。この過程で地方幹部らは、所有する生産要素に対する権限、例えば土地の譲渡、企業認可、プロジェクト審査、間接的融資等を駆使して、地域の経済発展に有利とみる企業に対し、その成長を全面的にバック・アップした14。こうした「官商一体」構造は、市場における企業間競争と官僚制内部における幹部間競争を有機的に結びつけることにより、中国の急速な経済発展を促したと言える15
 ただし、地方幹部の「GDP至上主義」とも呼ぶべき行動様式は、短期的なGDPの上昇の「代償」として、民衆の彼らに対する信任を摩耗していくことになる。
 第一に、多くの地方政府は、地域の経済発展によって増大した財政収入を、教育や医療や福祉の充実のために支出し、地域住民に還元するよりは、さらなるGDP増大につながり得る投資のために費やしてきた。彭紅波が書いているように、「地方政府と幹部は、…本来自身が担うべき公共サービスの職能を市場に転嫁し、結果社会公共サービスの不足、官僚的ワークスタイルの隆盛を招き、そのことが大衆の地方政府と幹部に対する不満を引き起こした」のであった16
 第二に、多くの地方幹部は、民生に関わる諸任務の達成を軽視してきただけでなく、ときに、経済開発に必要な投資資金を確保すべく民衆から過剰な収税を行ったり、あるいは投資を呼び込むため彼らの使用する農地を強制的に収用したりしてきた17
 第三に、地方政府が有する生産要素に関わる権限は、地方幹部が経済発展に介入し、その主要な推進者となることを可能にした一方で、地方幹部に、地元企業と癒着することで私利を謀るための機会を付与した。このことが、地方レベルにおいて腐敗が蔓延する主要な原因となった18
 地方幹部の積極的な経済政策は確かに、地域の経済発展を促進した。だが、民衆の目から見れば、それは民衆の利益のためではなく、幹部の昇進や私益、及び一部の企業家の利益のためになされたものであり、また、ときに民衆の犠牲の上に達成された成果であった。こうした地方幹部の行動が「民衆のためではなく政府やその幹部自身のために行動する」存在としての地方政府に対するイメージを強化し、その信任を確実に低下させていったのである19。この意味においてローカル・レベルにおける党・政府と民衆の間の関係の悪化は、急速な経済発展の「副作用」として進んだものとして理解できる。

2.党中央の危機感

 上記のような地方の党・政府幹部の行動様式は、「大衆路線」の理念から明らかに逆行するものであった。彼らの多くは明らかに、「大衆」の意見を聴取し、これを総括し、「大衆」に奉仕するために政策を執行したのではなく、あくまで自身の利益を第一義的に重視してきた。すなわち、「改革開放」が進展し、経済発展が進むのと同時に、地方の党・政府幹部は「大衆」から乖離していったのであり、その事が、「群体性事件」の急増を含む各種の社会問題を生み出してきたと言える。
 こうした状況に対し、中央の指導者たちは、とりわけ2000年代末ごろより、極めて強い危機感を示すようになっている。その象徴は、2011年7月1日の中国共産党建党90周年を祝う大会における胡錦濤前総書記の講話である。胡錦濤は、ここで、「精神怠惰の危険、能力不足の危険、大衆から乖離する危険、消極的腐敗の危険は一層先鋭化して全党の前にあり、党が党を管理し、厳格に党を治める任務は過去のどの時期にも増して重く、切迫している」との現状認識を明らかにした20。習近平は、2013年6月に発した「大衆路線教育実践活動」に関する指示の中で、胡の「四つの危険」の内、特に「党が大衆から乖離する危険」に焦点を当て、「党内で大衆から乖離する現象は大量に存在しており、いくつかの問題は相当に深刻で、それは形式主義、官僚主義、享楽主義及び奢侈の風の“四風”に集中的に表れている」と論じた21。また、2013年5月に中共中央の名義で公布された「全党が党の大衆路線教育実践活動を深く掘り下げて展開することに関する意見」は、幹部に蔓延した「四風」が「人民大衆の中での党のイメージを毀損し、党と大衆、幹部と大衆の関係を深刻に損ねている」との見解を明確に示した22。習近平が述べたところによれば、こうした問題が解決されなければ、「人民大衆と疎遠になり、党風政風が傷つけられ、最終的に党の先進性と純潔性が深刻に毀損され、党の執政基盤と執政地位が深刻に損なわれる」ことになる23。このような認識の下、「大衆路線」を今一度浸透させるための政策の実行は急がれねばならなかったのである。
 ただし、2000年代末から、党指導部が、党・政府と民衆の関係を深刻な問題として強調するようになったことの背景には、地方幹部らの行動様式によって彼らと民衆の間の関係が実際に悪化していたことの他に、次の三つの外部的要因が挙げられよう。
 第一は、2008年の世界金融危機を経て、2009年ごろから、中国では、これまでの様な急速な経済成長の維持はもはや不可能であり、持続的な経済成長のために、比較的低い経済成長率を受容せざるを得ないという認識が共有されるようになったことである。中央の指導部は、地方党・政府の行動様式が民衆の不信を増幅させていることを認識していた一方で、彼らの旺盛な経済活動が実際に急速な経済発展に結びつく限りにおいて、そうした行動を一部で容認していたと言える。またおそらく、経済が急速に成長していくということに対する期待感が民衆の中に存在している以上、民衆の地元政府に対する不満が、大きな政治的混乱に発展するリスクは低いと考えられていただろう。だが、世界金融危機を契機に、そうした状況は大きく変化することになる。国家発展会改革委員会が発行する雑誌に掲載されたある論文が示した「中国式の統治方式、すなわち経済成長でもって政治社会の変革を代替する方式は、今まさに終結に向かっている」との指摘は24、おそらく党指導部の現状認識とそう離れてはいないだろう。経済成長に対するポジティブな展望が描きにくくなった状況下において、指導者たちは、悪化した党・政府と社会の間の関係の改善に注力する必要を強く認識することになったと考えられる。
 第二に、これも世界金融危機に関連するが、それ以降経済発展パターンの転換が急がれていることも、「大衆路線」が再度重視されている背景として重要だろう。経済発展パターンの転換の最重点の一つは、内需、とりわけ民間の消費需要を拡大することにあり、そのためには民生の安定・改善が不可欠となる。だが、前述の通り、これまで多くの地方幹部は、地域の経済発展によって増大した財政収入を、公共サービスの提供ではなく、もっぱらさらなるGDP成長のための再投資に費やしてきた。このことは、民衆の地元政府に対する不信と不満を招いてきただけでなく、中国における消費需要の拡大を妨げてきた。この意味において、地方党・政府の大衆からの「乖離」は、経済発展パターンの転換を遅らせてきた一因でもあったと言える。それゆえ、「大衆路線」を強調することは、地方幹部をして、その政策的関心を再度公共サービスの提供に向けさせ、以て中国経済を持続的成長の軌道に乗せる上でも、重要な手段でもあるといえる。
 第三に、同じく世界金融危機を経て、中国のさらなる発展を妨げるため、その内部の政治社会の安定を動揺させようとする諸外国の活動が活発化しているという認識が、指導部内で共有されている。当時中国共産党中央政法委員会書記の地位にあった周永康は、2010年6月の会議において「世界構造の変化から見るに、我が国が少しずつ発展し強大になるにともない、国際敵対勢力は自身の戦略的考慮から、繁栄した、統一された、強大な社会主義中国を目にしたがらず、…我が国に対して八方手を尽くして西化(西洋化)・分化(分裂化)の戦略を実施し、中国共産党の領導を覆し、我が国の社会主義制度を転覆させようとしている」と述べた25。武警政治学院の李黎の言葉を借りれば、「現在の我が国の国家安全情勢は、内憂があり、外患もある、というものであり」、外部諸勢力の試みによって「内外要素の相互連動性が強まっており、内部安全問題と外部安全問題が結節点を得たなら、共振が生まれ、国家安全にもたらす危害が特に深刻になる」26。それゆえ、外部勢力に侵入の余地を与えかねない様々な国内矛盾をできる限り小さくしておくことが必須であるとの観点から、幹部の「大衆路線」の再構築が急がれているものと考えられる。

おわりに

 上記の通り、習近平政権が、毛沢東期に頻出した「大衆路線」の理念を再び持ち出し、それを強化するための運動を大々的に展開しているのは、「改革開放」以降の急速な経済成長が、その代償として、ローカル・レベルにおける深刻な党・政府-民衆関係の悪化を招いてきたからである。むろん、現状において民衆の不満はもっぱら地元幹部に向けられており、そうである限りにおいて、共産党体制が崩壊の危機に直面しているというわけではない。だが、①経済発展が停滞期に入り、民衆の中央に対する支持を集めるための重要な手段の一つがその効能を弱めつつあること、②経済発展パターンの転換の喫緊性がより高まっていること、及び③中国に内在する社会矛盾を利用して体制の転覆を図ろうとする外部の陰謀が顕著になっているという認識を背景に、党指導部の危機意識は強まっている。それゆえに習近平政権は、再び党内の「大衆路線」を取り戻し、悪化した党・政府-社会関係を改善することを、最重要課題の一つとして位置付けているのである。
 本来、上記のような状況を改善し、統治者側が決定・執行する政策と非統治者側の利害関心との間の関係をポジティブな状態に保つための最も合理的な方法は、普通選挙制を含む民主主義的制度を導入することであろう。民衆の地元政府に対する不満が「群体性事件」等の非合法的な形で頻繁に表出されているのは、民衆の不満の増大や利害の多様化に対して、それを包摂するための「制度化」が間に合っていないことの証左でもある27。だが、現在の中国の指導者にとって、例え地方レベルに限定したとしても、民主主義的制度を整備するという選択肢はないだろう。共産党の一体性を保つ根幹は、上級の組織が下級の幹部の任免の一切を担う幹部任用制度にあり、選挙制度の導入はその事実上の放棄を意味するからである。巨大な党組織の一体性の確保を前提とするとき、党・政府の政策と民衆の利害関心をつなぎとめるための手段は、「大衆路線」を歩むよう党員を「教化」し続けること以外にはない。共産党が、建党以来繰り返し党員の思想や「作風(仕事に対する姿勢)」を点検・改造するための「整党」(「整風」)運動を行わなければならなかったこと、及び、習近平が現在に至ってもなお、同様の方式を採用しなければならなかったことの背景にあるのは、根源的には、それ以外に選択肢を有していないという事実である。
 むろん、習近平の「党の大衆路線教育実践活動」は一過性の政治キャンペーンにすぎず、それのみによって、良好な党・政府-社会関係が保証されるわけではない。この活動は、党員の「作風」の是正と中央への忠誠強化を図るより大規模で継続的な政治キャンペーン、すなわち「反腐敗闘争」に統合されることになる28。それと同時に、習近平政権は、党・国家幹部の管理・監視メカニズムを強化するための(民主化以外の)制度建設を進めている。そうした施策が、今後がどれ程の成果を上げるかによって、一党体制の長期的な安定性が左右されることになるだろう。



1 D.イーストン『政治生活の体系分析(上)』(新装版)(片岡寛光監訳、薄井秀二・依田博訳)早稲田大学出版部、2002年、45頁。
2 毛沢東「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)『毛沢東選集』(第3巻)外文出版社、1968年、170頁。
3 徳田教之『毛沢東主義の政治力学』慶應通信、1977年、274頁。
4 例えば習近平は、「大衆路線を堅持することは、党が人民大衆との血肉連係を保持するということである。我々党の最大の政治的優勢は大衆と密接に連係しているというところにあり、党の執政の最大の危険は大衆から乖離することにある」と述べている。習近平「在記念毛沢東同志誕辰一百二十周年座談会上的講話」(2013年12月16日)『人民日報』2013年12月27日。ただし、これまで中国共産党体制が維持されてきたことは、中国共産党が「大衆路線」の理想を実現できていたことを意味するのではない。「大衆路線」を欠いたまま如何にして共産党が一党体制を維持してきたかに関する初歩的な研究として、以下を参照されたい。角崎信也「『大衆路線』と『抗争政治』―『大飢饉』後における農村統治様式の変容、1960~62年-」国分良成・小嶋華津子編『現代中国政治外交の原点』慶應義塾大学出版会、2013年。
5 『人民日報図文数据庫(1946-2017)』より。
6 胡錦濤「堅定不移沿着中国特色社会主義道路前進,為全面建成小康社会而奮闘」(2012年11月8日)中共中央文件研究室『十八大以来重要文献選編(上)』中央文献出版社、2014年、40頁。
7 本節の議論は、以下にその大半を依拠している。角崎信也「『反腐敗』とは何か―ローカル・ポリティクスの視点から―」『海外事情』2016年1月号、47-51頁。
8 例えば、董振華主編『新形勢下堅持党的群衆路線幹部読本』中共中央党校出版社、2013年、104-105頁。
9 ここでは「群体性事件」を「民衆が、多くの場合政府や企業の管理者を対象として起こす非合法的な集合行為」として定義する。
10 人民論壇“千人問巻”調査組「関於“靠什麼支撐基層政権”的調査」『人民論壇』2010年第1期(2010年)、14-15頁。調査は、人民論壇雑誌社が人民網、騰訊網と協力してインターネット上で実施したもの。6704人が投票に参加した。このほか、中国社会科学院、中共湖南省委党校、中共河南省委党校、中共南京市委党校などが調査にサポートを提供し、302人から回答を集めた。両者を合わせた総サンプル数は7006人。人民論壇“千人問巻”調査組「関於“靠什麼支撐基層政権”的調査」『人民論壇』2010年第1期(2010年)
11 Margaret Levi, “A State of Trust,” in Valerie Braithwaite and Margaret Levi eds., Trust and Governance (New York: Russell Sage Foundation, 1998), p. 78.
12 Susan H. Whiting, “The Cadre Evaluation System at the Grass Roots: The Paradox of Party Rule,” Barry J. Naughton and Dali L. Yang eds. Holding China Together: Diversity and National Integration in the Post-Deng Era (Cambridge: Cambridge University Press, 2004).
13 栄敬本他著『従圧力型体制向民主合作体制的転変:県郷両級政治体制改革』中央編訳出版社、1998年、周黎安『転型中的地方政府:官員激励与治理』格致出版社・上海人民出版社、2008年。
14 例えば、Kellee S. Tsai, Capitalism without Democracy: The Private Sector in Contemporary China (Ithaka and London: Cornell University Press, 2007)などを参照。
15 周黎安『転型中的地方政府:官員激励与治理』格致出版社・上海人民出版社、2008年。
16 彭紅波「幹群矛盾問題」呉忠民主編『新形勢下中国重大社会矛盾問題分析』中共中央党校出版社、2014年、76頁。
17 任哲『中国の土地政治:中央の政策と地方政府』勁草書房、2012年他。
18 周黎安、前掲書、291-306頁;汪淑珍・王家峰「地方政府尋租性腐敗現状分析―以江蘇省北部某県為例」『北京科技大学学報』第24巻第3期(2008年9月)他。
19 鄧聿文「地方政府公司化削弱社会信任感」『上海商報』2009年7月2日。
20 胡錦濤「在慶祝中国共産党成立90周年大会上的講話」『人民日報』2011年7月2日。
21 習近平「党の大衆路線教育実践活動の指導思想と目標・要請を正確に把握する」(2013年6月18日)『習近平 国政運営を語る』外文出版社、2014年、409頁。なお、形式主義とは、“形象工程(実績を誇示するためだけの、うわべだけのプロジェクト)”や“政績工程(幹部の業績評価を高めるためのプロジェクト)”といった、大衆の利益のためではなく、GDPの上昇や官僚制内部における自身の地位の向上を目的として政策を行うことを、官僚主義とは、大衆から乖離し、実際から乖離して、大衆の利益や客観的規律に反した政策を行うことを、享楽主義とは、思想的、精神的に堕落し、積極的に責務を果たそうとせず、自身の快楽を優先させることを、奢侈の風とは、食事やその他の享楽のために金銭を節度なく浪費することを、それぞれ意味する。任仲文編『深入学習習近平同志関於党的群衆路線重要論述―人民日報重要文章選』人民日報出版社、2014年、141頁(『人民日報』2013年8月5日)。
22 「中共中央関於在全党深入开展党的群衆路線教育実践活動的意見」(2013年5月9日)『群衆路線網』http://qzlx.people.com.cn/n/2013/0930/c365007-23090188.html(2015年12月17日最終閲覧)。
23 習近平「在河北調研指導党的群衆路線教育実践活動時期的講話」(2013年7月11、12日)中共中央紀律検査委員会・中共中央文献研究室『習近平関於党風廉政建設和反腐敗闘争論述摘編』中国方正出版社・中央文献出版社、2015年、76頁。
24 袁剣「“戦略機偶期”転向“戦略挑戦期”」『改革内参』2010年第25期(総第662期)(2010年7月)、12-13頁。
25 周永康「加強社会建設,創新社会管理,維持重要戦略機遇期社会和諧穏定」(2010年6月19日)中共中央文献研究室編『十七大以来重要文献選編(中)』中央文献出版社、2011年、800頁。むろん、こうした認識は胡錦濤も共有していた。例えば、胡錦濤「堅定不移走中国特色社会主義文化発展道路,努力建設社会主義文化強国」(2011年10月18日)中共中央文献研究室編『十七大以来重要文献選編(下)』中央文献出版社、2013年、585頁;胡錦濤「論加強和創新社会管理」(2011年2月19日)『胡錦濤文選 第三巻』人民出版社、2016年、494頁を参照されたい。なお「西化(西洋化)」とは、民主主義、自由主義、あるいは人権などの欧米的な思想や価値観が浸透すること、「分化(分裂化)」とは、とりわけ少数民族地域や香港、台湾を境に国家が分裂することを指す。「西化」、「分化」に対する習近平政権の危機意識については、江藤名保子「習近平政権における世論統制の方針」『China Report』Vol. 3、http://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=265も併せて参照されたい。
26 李黎「総体国家安全観:中国特色国家安全新理念」『党政論壇』2015年3月号、17頁。
27 S.ハンチントンの「ギャップ仮説」によれば、民衆の政治活動(合法・非合法を含む)への参加意思の高さに対して、政治的制度化が低度である場合に政治秩序が不安定化する。Samuel P. Huntington, Political Order in Changing Societies (New Haven and London: Yale University Press, 1968).
28 「反腐敗」については、「『反腐敗』とは何か―ローカル・ポリティクスの視点から―」『海外事情』2016年1月号及び「習近平政治の検証③『反腐敗』」http://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=269 を参照されたい。