国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2020-2)
新型肺炎の流行と中国の政治経済への影響

2020-03-09
李昊(日本国際問題研究所 研究員)
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 2020年3月9日現在、新型コロナウイルス(COVID-19)が引き起こす肺炎の流行は、世界の100を超える国と地域に広がっている。中国では感染者が8万人を超え、死者は3千人を超えた。中国以外では、日本、韓国、イタリア、イランで感染が広がっており、世界の交流と経済に大きな打撃を与えている。本稿は、新型肺炎の流行による中国政治経済への影響について簡単に考察する。

初動の遅れ

 新型肺炎への対応について、中国の初動が遅れた結果、感染が広がったのではないかとの批判が根強い。2019年12月に湖北省武漢市で新型肺炎の発生が確認されて以降、充分な対策が取られず、1月には感染が広がる中、武漢で地方の人民代表大会や春節関連行事が行われていた。その後、習近平の感染症対策指示が伝えられたのは1月20日であり、そこから対策が大転換して、武漢市の都市封鎖、公共交通の停止など強制的かつ大規模な封じ込めが行われた。
 2003年のSARS流行の反省を受けて、中国は疾病予防管理センター(CDC)を設立し、統一的な疫病対策の強化に努めた。今回の新型肺炎においても、12月末に情報が上げられ、CDCも専門家チームを武漢に派遣したが、国民への情報公開や感染防止対策はなされなかった。それどころか、SARSと似た肺炎が発生していると警告した複数の医師が「間違った噂」を流したとして警察から警告を受けるという事態が発生した1
 このように、初動の遅れは明確であり、それが感染拡大を助長したことは否定し得ない。習近平もそのことを認識してか、2月3日の政治局常務委員会会議において、自分が1月7日の会議で新型肺炎対策について指示を出したと語り、早くから問題を認識し、取り組みを始めていたことをアピールした。他方で、初期対応に問題があったことを認め、新型肺炎の震源地となっている湖北省と武漢市の党委員会書記を解任した。それによって、地方幹部に責任を負わせ、自らが対策の先頭に立つという構図を作った。
 この初動の遅れの原因についての分析は、今後長い時間をかけて行われるだろう。意図的な情報隠蔽があったと考える者は多い。実際、1月に武漢市および湖北省の人民代表大会が開催されていた期間、肺炎の感染者に関する情報の発表が止まっていたことからも、数字の操作があったことは疑いようがない。しかし、それが誰の主導で行われたのかは明らかではない。1月27日の中央テレビによるインタビューにおいて、周先旺武漢市長は情報公開の遅れについて、「地方政府は情報を得ても、権限が与えられなければ発表することができない」とこぼし、中央にも責任があることを示唆した2。実際に、中央も1月の早い段階ですでにある程度の情報を把握しており、米国に情報を共有していたことが明らかになっている。とはいえ、事実がいかなるものであるにせよ、3月9日現在、地方幹部が責任をとり、中央が情報公開を促し、積極的な対策を行っているという基本構図が出来上がっている。
 ただし、初動の遅れについて、地方と中央の幹部がどの程度ことの重大さを認識していたのかは疑問である。1月中旬までの武漢市および湖北省の対応には明らかに危機感がなかったし、中央でも大きな議題になった形跡が見られない。その意味で、感染症の危険性を認識して、意図的に情報を隠蔽したというよりも、リスクを過小評価し、社会の安定を優先するために、充分な情報公開と初期対策を怠ったという可能性も考えられる。

習近平政権への影響

 多くの観察者やメディアは、この新型肺炎の流行が習近平政権にとって大きな試練となり、打撃となると考えている。習近平への権力集中のために、習近平による指示があるまで、効果的な対策ができなかった、習近平はトップとして責任を取らなければならないという論調である。しかし、状況の推移を観察するに、それは必ずしも正確ではない。
 習近平は多くの関連会議を開いて、次々に指示を出している。すなわち、自分が対応の中心にいることをアピールしている。自分が1月7日に指示を出したことを強調し、初動の遅れについては、地方政府の責任を厳しく追及している。湖北省と武漢市の党委員会書記を解任して、自らに近い人物を後任に据えていることからも、習近平は自らが守勢にまわっていないことを示している。習近平は自らが前面に出るというリスクのある選択をしたが、一連の対応から、責任は地方にあり、自らを中心として中央が積極的に対応するという構図を作り出すことに努めている。宣伝工作の甲斐もあり、それは今の所ある程度成功していると言える。
 感染拡大初期に警鐘を鳴らした医師は名誉回復した。肺炎と直接対峙する臨床医師たちも英雄視され、様々な美談が報じられている。今や中国は、国家を挙げて一致団結して疫病と闘っており、しかも勝利目前であるという雰囲気が漂い始めた。中国の発表によれば、新規感染者は減少しており、流行の拡大を封じ込めることに成功しつつあるという。中国にとって、この新型肺炎の流行は公衆衛生上の大きな危機であったが、政権はむしろその危機に打ち勝つストーリーを作り上げようとしている。そうであるならば、かつて胡錦濤政権がSARS対策で政権を強化したのと同様に、習近平政権もむしろ一層権威を高める可能性も否定できない。
 3月5日に開幕する予定であった全国人民代表大会の延期が2月24日に決定され、これも習近平政権にとっての試練であるといわれた。しかし、一部の地方人民代表大会が開かれていない状況の中、全国人民代表大会を開催するのは困難である。国が大人数での集会を禁止している上、代表の多くは地方幹部であり、新型肺炎対応から離れられる状態でもなかった。そのような事情もあり、この延期自体は自然かつ必然の決定であった。予算や法案の審議といった重要課題はもちろんあるものの、中国のような体制の下では、非常時であることを理由に、柔軟な対応が可能である。その意味で、会議の延期そのものが政権に与える影響は限定的である3。しかし、新たな日程は3月9日現在、発表されていない。仮に新たに定められた日程から再度延期を強いられるような状況が発生するならば、それは即ち新型肺炎対策に成功していないということであり、政権へのダメージになりうる。そのため、習近平政権は、日程の調整を慎重に進める必要がある。
 習近平政権にとって、この新型肺炎流行がもたらす最大の問題は、経済の停滞である。習近平政権は、春節前後から人の移動を制限し、一ヶ月にわたって強制的に経済活動を殆ど停止させて、流行の拡大を食い止めようとした。しかし、経済に与えた影響は甚大である。旅行業や飲食産業を中心として、すでに立ち行かなくなった産業や企業は多く、それらへの救済も含めて、流行収束後も経済成長の挽回のために難しい対応を迫れることになる。今は非常時であり、人々は不満を抱えながらも安全のために声を上げていない。しかし、経済活動の回復が順調に進まない場合、政権は難しい立場に立たされることとなる。習近平政権はそのことを充分に認識しており、経済活動の回復に強い決意を見せている。とはいえ、それが決して容易ではないことも明らかである。

対外関係におけるインプリケーション

 新型肺炎は中国にとどまらず、世界的な流行を見せている。急速に感染が拡大した背景には、中国の経済成長に伴う人的移動の拡大がある。新型肺炎の流行は、グローバル化の負の側面を明らかにした。また、中国の経済活動の停止に伴い、世界経済も打撃を受け、世界経済の中国依存の問題を浮き彫りにした。
 ウィルスに国境はない。しかし、中国発のウィルスという認識が広まり、韓国、日本での流行も相まって、東アジアに対する偏見が広がっていることも看過できない。一部の地域で、アジア系に対する人種差別が発生していることは広く報じられている。疫病の流行と差別の表面化は古くから存在する問題であるが、それが依然として深刻な問題たりうることが明らかになった。
 日中関係も新型肺炎の流行に影響を受けることとなった。4月初めに予定されてた習近平国家主席の国賓としての訪日の延期が3月5日に発表された。現在、日中の政治的な雰囲気は比較的良好であるため、多少延期したとしてもネガティブな影響は大きくないと思われるが、不安要素もある。中国で新型肺炎が流行する中、日本政府は当初中国からの入国を全面的に制限することは避けた。そのことが日本国内での流行拡大につながったと考える向きもある。3月5日、日本政府は習近平訪日の延期と中国からの全面的入国制限を同日に発表したが、このことは、それまで習近平訪日のために日本政府が中国政府に忖度をしていたのではないかとの憶測を呼ぶことになった。日本世論の対中親近感はここ数年低い状態で推移している。新型肺炎をめぐる一連の日中両国の対応が、日本世論の中国に対する不信感を強める可能性も排除できない。一方で、日中間の相互支援、協力についても多く報じられている。日本側が中国に送ったマスクの箱に漢詩を貼り付けて、連帯を示すといったエピソードもあり、両国の文化的繋がりの強さを示す機会ともなっている。


参考資料
"Analysis: China's Delay of National People's Congress," NHK World-Japan, 25 February 2020
(https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/videos/20200225183847310/)




  1. 1 この中には、有名人となった李文亮医師も含まれている。なお、李文亮は医者仲間のウィーチャットグループに注意を促す投稿をしたのであり、グループメンバーが名前と職業を隠さずにメッセージのスクリーンショットをウェブにアップロードしたことから情報が広まったのが実情である。
  2. 2 なお、周先旺市長は3月9日現在、解任されておらず、依然武漢市長を務めている。
  3. 3 今回の延期と2003年のSARS流行時に全国人民代表大会が開催されたことが比較されることがある。しかし、中国がSARSの感染拡大を認めたのは2003年の4月である。その意味で、3月の全国人民代表大会が延期されなかったのは自然である。