2018年10月4日にペンス米副大統領が、ハドソン研究所で対中政策に関する演説を行ってから約1か月になる。この間、米国内は勿論、世界各国においてこの演説の持つ意義について様々な議論が行われてきた。同演説は、強硬なレトリックで先方の譲歩を勝ち取ろうというトランプ大統領とその周辺に特有の戦術であり、中長期にわたる米国の対中政策の大きな変化を示すものとして捉えるべきではないとする意見がある一方、米ソ冷戦の契機となったジョージ・ケナンのX論文にも匹敵する米中間の新冷戦の到来を告げるものであるとの見方もある。しかし、この演説は、現在米国内で広く共有されるに至っている問題意識―「米国は、中国を国際社会に関与させ、その経済発展を支援していけば、中国はやがて民主的で、自由で開かれた既存の国際秩序にも調和的な国家(Responsible Stakeholder)になるであろうとの期待の下、「戦略的関与政策」を採ってきたが、習近平政権の動きは、中国の軍事強国化、国際秩序の改変、経済的覇権の樹立を志向するなど、米国の期待に全く逆行する動きを見せており、「戦略的関与政策」は見直さざるを得ない」―を反映していることは明らかであり、今後中長期にわたる米国の対中戦略の基調をなすものと捉えるべきであろう。
日本は、米国のアジア太平洋地域における最大の同盟国である一方、巨大な隣国である中国との間の意思疎通を維持し、安定的関係を構築していかなければならない立場にある。そのような日本にとっても、同演説の内容は示唆に富む。
以下、演説の主要点に沿って見てみよう。
安全保障関係
「中国は米国を西太平洋から追い出し、米国による同盟国への援助を阻止することを何よりも望んでいる。中国船舶は、日本が施政権を有する尖閣諸島の周辺で日常的に監視活動を実施している。南シナ海においては、人工島に建設された軍事基地の群島上に最新鋭の対艦・対空ミサイルを配備している。」
ペンス演説でも言及されている通り、2015年9月米中首脳会談時に習近平主席が「南シナ海は軍事化しない」と言明したにもかかわらず、その後中国は一貫して同地域での軍事拠点化に邁進してきており、現在では、米国の安全保障関係者は党派を超えて、中国の軍事拡張主義を明確な脅威と捉えるようになっている。トランプ政権は、核戦力の近代化、戦闘機・爆撃機・空母などの次期装備の開発、更には宇宙・サイバースペースでの能力拡大など、包括的な軍事的能力拡大策を打ち出しているが、今や中国は、ロシアと並んでその主要な対象として捉えられるに至ったのである。
中国の公船が尖閣諸島周辺で恒常的に確認されるという問題を抱え、中国機の領空接近に対抗して年間500回以上に及ぶスクランブル発進や度重なる中国艦船の領海近傍通過の監視にあたる日本にとっては、中国の軍事的拡張主義により受ける影響はより直接的なものであり、日本の防衛にも同盟国としての責任を負う米国の中国の軍事的脅威に関する認識の変化は言うまでもなく極めて重要な点である。日本としては、強大な隣国との関係をマネージしていくうえで、先般の安倍首相の訪中の際に示された「隣国同士として、互いに脅威とならない」との原則は、あるべき姿として重要な点であり続けようが、今後対中政治経済関係がどのように展開していくとしても、安全保障政策上は、米と共同歩調をとって中国の拡張主義、現状変更の試みに対抗していくことが必要となる。
貿易関係
「中国政府は口先では改革開放を今でも謳っているが、関税、クォータ制、為替操作、強制的な技術移転、知的財産窃取、産業への補助金など、自由で公平な貿易に沿わない数々の政策を利用している。」「共産党は、「中国製造2025」計画を通じて、ロボット工学、バイオテクノロジー、人工知能など世界の最先端産業の90%を支配することを目指している。」
現在の米中間の経済摩擦の動きを見る際、注意すべきは、トランプ政権に特有の関税の一方的引き上げを使った「交渉術」とそれに対する中国側の対抗措置からなる「関税戦争」と、先端技術を巡るテクノロジー覇権の争いという二つの側面がある点である。前者は米中間の経済的相互依存関係の現状にかんがみれば、中長期的に持続可能でなく、今後の米中間の協議で何らかの落しどころが探られていく(早ければ今月末のG20首脳会談の際の米中首脳会談で何らかの動きがある可能性は排除されない)であろうが、後者については、中国が国際ルールに基づいて競争する政策に転換するなどして、米国から見て最早脅威ではないと判断されるまでは、今後両国間で長期にわたり覇権争い、あるいは「優位性を求める競争(competition for pre-eminence)」が繰り広げられていくことになろう。なお、先般、米国は、ZTEに続き、「中国製造2025」の中核企業とされるJHICCに対しても米企業によるソフト・技術等の輸出制限措置をとるに至っている。
このような中で、日本としては何をなすべきなのか?中国の台頭など従来の国際ルールではカバーしきれなくなっている現状に対応するため、ペンス演説でも言及されている問題点のうち、強制的技術移転、知的財産、補助金等の問題については、二国間ではなく多国間で21世紀型のルール形成を行うことが急務となっている。TPPからの離脱にみられるように、米国が多国間主義に対して懐疑的姿勢を見せている中で、日本としてはその動きを主導していくことが求められている。すでに9月下旬の日米欧三極貿易大臣会合において、WTO補助金協定上の通報義務に関する制度改革につき米国を含む三極が共同提案を行っていくことに合意がなされたことは、中国問題に対応していくことのみならず、米国の多国間枠組へのコミットメントを確保していくという観点からも特筆に値する。今後、三極は、より広範なWTO改革についての検討に加え、強制的技術移転問題や国家による経済への過剰介入などの非市場経済国問題についての国際ルール作りを検討していくことになっている。また、その検討に当たっては、政府間だけではなく、民間においても各国のシンクタンクが協力してインプットを行っていくことが求められている。
対外支援・借金外交
「中国の融資条件はよく言って不透明であり、その利益は圧倒的な量が常に中国に流れ込んでいる。また、中国の戦略的目標を受け入れると約束した政党・候補者に直接的な支援を提供することで、一部の国家の政治を腐敗させている。」
中国がアジア・アフリカ諸国に対して経済援助の名目で行ってきているインフラ投資は、国際ルールの制約を受けている西側諸国による援助に比べ、規模が大きい、投資決定までの期間が短いなどの利点があるため、受け入れ国にとって魅力的であり、過去20年ほどの間に途上国のインフラ整備の市場を席捲してきた。他方、その投資決定過程は非常に不透明で、往々にして受け入れ国側の政治指導者に直接的利益を提供することなどで政治的腐敗を助長する傾向があり、また、融資利率が高い、据え置き期間が短いなど、融資条件が受け入れ国にとって恩恵的でない、インフラ建設に当たって中国の労働者を使用することなどが条件になるケースが少なくなく、受け入れ国の経済向上に必ずしも資さないなど、多くの問題点が指摘されてきたが、国際社会は効果的な対応策を打ち出せずに経過した。更にここ数年、一帯一路構想やAIIBの設立により、中国の経済援助が東南アジア・中央アジアからアフリカに至るまでの広大な地域における勢力圏確立のための道具として経済支援を利用しようという意図が顕在化し、東南アジア、インド洋・太平洋地域の小国などの主権が脅かされる例まで出てくるに至り、米国も官民を挙げて「自由で開かれたインド太平洋」の重要性を強調するに至った。
インド太平洋戦略はもともと安倍首相が2007年に提唱した「二つの海(太平洋とインド洋)の交わり」という構想に端を発したものと言われており、その後種々の肉付けがなされてきている。この間、日米豪印の4か国間協力(「Quad」)の枠組みの推進を含め、日本は主体的役割を果たしてきていると言える。また、日本は、インド太平洋地域における質の高いインフラ投資を推進すべく関係国との協力を模索してきており、米国も、中国の経済援助に対抗して新興国向けの投資を抜本的に強化するために、米国海外民間投資公社(OPIC)と米国国際開発庁(USAID)の開発信用保証メカニズム(DCA)を統合し、新たに米国国際開発金融公社(USDFC)を設立することになるなど、具体策に取り組み始めている。
10月下旬の安倍首相訪中の際に、第三国における日中ビジネス協力の推進につき提起したのも、一帯一路構想に参画するというということではなく、中国との間で、国際スタンダードに合致し第三国の利益となるプロジェクトを実施していくことで、中国のふるまいの改善に資するためとの意図に出るものと捉えるべきであろう。
今後は、そのような個別プロジェクトに加え、投資に関する国際的スタンダードの設定、例えばASEAN域内への投資に関して、中国を含む全ての投資国に適用される透明性や経済性等に関する規範を設定するようASEAN側に慫慂するといった、従来とは異なるアプローチを検討することは考えられないであろうか。
人権・基本的自由
「中国は比類のない監視国家を構築し、往々にして米国技術の助けを借りて、より広範かつ侵入的な状況を拡大させている。新たな迫害の波が、中国のキリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒を襲っている。」
(中国のプロパガンダ・干渉工作)
「中国共産党は、米国の企業、映画スタジオ、大学、シンクタンク、学者、ジャーナリスト、地方・州・連邦の当局者に褒賞または強要により、米国世論、2018年選挙及び2020年大統領選挙に向けた環境に影響力を行使するという前例のない取り組みを始めている。」
トランプ政権の外交は、貿易問題等の実利を優先し、相手国の人権や基本的自由の問題等にはあまり関心がないという見方が一般的になされてきたが、少なくとも中国に関しては、伝統的に人権外交に重きを置いてきた民主党の政権であるオバマ政権が強い批判を控えていたのに比べ、今回強いメッセージを打ち出したことになる。これは、宗教的価値に重きを置くペンス副大統領の個人的な考えを反映したものなどとの指摘もあるが、重要な点は、ペンス演説でも言及されている通り、中国の抑圧的手法が、国内の人権問題にとどまらず、世界中の各国との対外関係においても援用され、米国の国益に悪影響を及ぼしているとの問題意識が根底にあるという点である。
ペンス演説が、米国に対してより直接的な悪影響があるものとして、米国内における中国のプロパガンダ・干渉工作の問題を取り上げているのは、このような問題意識と通底するものである。この問題は、影響を受けてきた各界においては以前から認識はされていたものの、利益を失うあるいは強要を受ける怖れから、声を上げることが憚られてきた面がある。この点を特に取り上げたのは、最早、中国によるプロパガンダ・干渉が放置できないレベルに達しているとの認識に至ったためで、そのことの意義は大きい。因みに米国では、中国のプロパガンダ・干渉工作はパブリック・ディプロマシーの域を超えており、中国のような権威主義的国家が様々な手段を用いて相手国の世論を操作することを「シャープ・パワー」という概念を用いて説明することが一般化されつつある。
この問題は実は米国だけの問題ではない。日本に対しても、例えば歴史認識に関して、国内外でプロパガンダや干渉が行われてきていると指摘されている。日本としては、この点を直接中国に対して問題として提起していくかどうかは別として、常に念頭に置いていく必要がある。
なお、上記との関連で、安倍首相が先般の訪中時に李克強首相に対して、ウィグル情勢を念頭に、中国国内の人権状況について注視している旨述べたとされていることは注目に値する。
今後の方針
「我々は、中国政府との関係改善を望みながらも、米国の安全保障及び経済のために、強い態度をとり続ける。我々の価値観を共有する国々との絆を新たに築き強化していく。我々は、中国政府との建設的な関係を望み、中国に手を差し伸べている。しかし我々は、米中関係が公平、相互主義及び主権の尊重に根差したものとなるまで、屈することはない。」冒頭に述べた通り、ペンス演説は、従来の米国の「戦略的関与政策」の終了を告げる歴史的分水嶺をなすものと言えようが、それは、例えば米ソ冷戦時代のような「封じ込め政策」の到来を意味するのであろうか。この点については、米国関係者も一様に、現在の中国は、1950年代のソ連とは異なり、国際社会で全く孤立しているわけではなく、また経済のグローバル化を受けて、ほかならぬ米国自身が中国との間で経済的相互依存関係にあることから、仮に政権関係者がそれを望んだとしても実行可能ではないという見立てである。
それでは今後、米国はどのような方針で中国に臨むのか? ペンス演説にある通り、米国自身がその力を維持・強化するとともに、価値観を共有している国々との連携を強化して、中国が問題のある態度・行動を改めることを求めていく、そして中国側が実際に態度を改めるまでは、そのようなスタンスは変えないという「戦略的圧力政策」ともいうべきものとなろう。
このような中で、日本はどのように行動していくべきなのか?これも冒頭に述べた通り、隣国である中国との間で安定的関係を構築していかなければならない日本としては、個別の問題については米国と異なるアプローチをとることも当然出てこよう。しかし、全体的な方向性としては、米国の方針も念頭に、安全保障の面では軍事的拡張主義は容認しない姿勢を維持・強化し、その他の分野では、中国の問題行動を抑制するため、国際的標準・ルール作りに主導的役割を果たしていくことが求められていると言えよう。