「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
Zeitenwendeとは何だったのか?
2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻を受けて、2月27日にドイツのオラフ・ショルツ首相が行った連邦議会での演説は2022年のドイツを特徴づけるものとなった。演説の中でショルツが語った「Zeitenwende(時代の転換点、英語訳はWatershed)」と言う単語は2022年ドイツの流行語大賞となり、あらゆるメディアでこの単語が使用された1。
一方で、多くのメディアがこの単語を使う中で、その意味が変化していったことも見過ごせない。当初のショルツ演説の中ではロシアのウクライナ侵攻そのものがZeitenwendeと言われていたのに対し、徐々にそれに対するドイツの対応がZeitenwendeと言われるようになっていった2。そのほかにも、こうした危機的状況の中でNATOやEUがそれまでは見られなかったような変化を見せたことで、それら全てがZeitenwendeと捉えられるようになっており、言葉が一人歩きしている印象がある。本稿では侵攻後一年を経て、ドイツの安全保障政策の何が変化し、何が変化していないのかを改めて考えてみたい。
ドイツの「変化」と「無変化」
前回の拙稿で述べたように、伝統的にドイツ外交には三つの原則があると考えられてきた。一つ目がNever again(nie wieder Krieg)であり、二度と戦争を起こさないという原則、すなわち平和主義を意味する。二つ目がNever alone (kein Alleingang)と呼ばれる、多国間主義である。そして三つ目が、コソボ空爆の際に新たに生まれたNever again Auschwitz (nie wieder Auschwitz)である。これは人道主義的観点から、必要であれば軍事的攻撃にも参加する新たな道を作り出した。そしてこの三つの原則は、必ずしも三つ全てが常に同時に実現されるわけではない3。
こうした原則を念頭に入れながら、ドイツ外交のこの一年の変化を振り返ってみよう。まず、開戦前のドイツはいかなる武器供与についても明確に消極的であった。2022年2月初旬時点で500個のヘルメットを送って国内外から痛烈な批判を浴びたことは記憶に新しい。だからこそ、侵攻3日後の2月27日にショルツ首相が行った演説は注目を浴びた。演説の中でショルツはドイツを含めた欧州の安全保障環境が一変したことを強調し、こうした変化に対応するために防衛費のGDP2%達成を含む安全保障政策の変化が必要であると主張した。
一方で、こうした「変化」をどう捉えるかについて注意が必要であることは拙稿でもすでに述べた通りである。防衛費の増額については発表時から概ね賛意が多かったものの、その配分についてコンセンサスが取れていたわけではない4。ドイツは2022年2月を境に一変したわけではなく、その後も変化の波に晒され続け、その度に国内での議論は紛糾した。例えばショルツ演説の中で約束されたウクライナに対する武器供出にしても、ゲパルト自走対空砲のような重火器供与が決定されたのは実に2ヶ月後のことであり、さらにそのゲパルトがウクライナに到着したのは7月末であった5。
秋になり戦闘が長引くと、徐々に戦車をめぐる議論が加熱し始めた。12月初旬にはゼレンスキー大統領のアドバイザーであるポドリアックがTwitterで「クリスマスのウィッシュリスト」として「1. レオパルト2. マルダー3. エイブラムス4. パトリオット5. エイタクムス」と書き6、ゼレンスキー大統領は12月19日の英国合同遠征軍での会議、21日のアメリカのバイデン大統領との首脳会談で繰り返し戦車の供与を要求した7。
この時アメリカ政府はパトリオットミサイルと戦車の供与ともに否定的であった8。同様に、ドイツ政府も戦車の供与に否定的であった。2023年1月5日に行われたショルツ首相とバイデン大統領との電話会談の後に発表された米独共同宣言の中で、マルダー歩兵戦闘車については供与を約束した一方で、レオパルトには言及されなかった9。また、レオパルトを諸外国がウクライナに供与するにあたっては生産国であるドイツの輸出承認が必要とされていたが、この同意にも躊躇した。
こうしたドイツの態度はとりわけ周辺国から強い批判を浴びた。また、ドイツ国内でも、ベルリンの有識者を中心にショルツ政権に対する強い批判が向けられた10。こうした中で年明けに、それまで数々の失策を繰り返してきたランブレヒト国防相(SPD)が事実上更迭され、新たにピストリウス(SPD)が国防相になると議論のスピードは更に加速した。
最終的にショルツ首相が戦車の供与を発表したのは1月25日のことだった。この時ショルツ首相はドイツ政府がレオパルトを供与し、同盟国がウクライナにレオパルトを供与することにも同意する旨を明言した。さらに、アメリカがエイブラムスを供与することも同時に発表した。ドイツ政府はアメリカとの共同歩調の成功を強調し、改めてドイツのNever aloneの原則を示したと言えよう。
政党政治と国内世論
ドイツ政府の戦車供与に関する逡巡は、三つの原則のうちのNever again、すなわち非戦主義を象徴すると考えられている。一方で、当初からこうした姿勢には国内からも批判の声が上がっていた。批判の最前線に立ったのは、政権与党の一員である緑の党である。現政権で緑の党は外務大臣ポストを握っており、ベアボック外務大臣は戦争開始直後から一貫してウクライナ支援の姿勢を示してきた。同じく緑の党のハーベック経済大臣も、ロシアへのエネルギー依存からの転換のために原子力発電所の停止を遅らせざるを得ないという難しい立場に立たされても、ウクライナ支持を口にしていた11。また、財務大臣を擁し、緊縮財政派の自由民主党(FDP)も当初からウクライナ支持を明確にし、院内会派のリーダーであるストラック・ツィマーマンも早い段階から戦車の供与に前向きな姿勢を示している12。
両党に対し、最後まで消極的な姿勢を見せたのが、他ならぬ社会民主党(SPD)であった。とりわけ院内会派リーダーのミュッツェニッヒは戦車供与反対派の中心人物と目されていた。彼の主張は、戦車供与がさらなるエスカレーションを生む可能性を指摘し、外交努力の必要性を説くものであった。こうした姿勢は、SPDが「開発した」東方政策の成功とも深い関係があると理解されている。冷戦期にソ連との関係改善に成功したのは他ならぬSPDであり、そしてその関係改善は「接近による変化」を通じて行われたのである。こうした成功体験からSPDが抜け出すことは容易ではなかった。
一方で、SPD党首であるクリングバイルは武器供与に対して比較的積極的な姿勢を見せていた。彼の発表したSPDの新しい外交政策指針ではSPDがどれだけ変化してきたかが主張されている。同文書は党内左派の反対によりかなりの表現が修正されたと言われており、党内の意見の振れ幅が見て取れる13。ショルツ首相は、こうした自党内の意見の違いを睨みつつ戦車供与に踏み切ったのである。Never again原則を破り、自党内の意見対立を収めるという難しい綱渡りを成功させるためには、Never alone原則を遵守する必要があった。この点において、ドイツの政策決定の「あり方」は変化していない。
また、現在のドイツ政権は歴史上初めての3党連立政権でもあり、政権運営はますます難しさを増している。更に言えば、政権与党のFDPや緑の党の内部もそれほど一枚岩ではない。緑の党にとって原子力問題が政党アイデンティティの観点から重要であることは先ほども述べたが、やはり党内で対立は存在した14。また、最重要テーマである環境問題をめぐっては、未曾有のエネルギー危機の中で石炭の消費量が増えたことで、炭鉱の拡張に反対する環境活動家が大規模なデモを引き起こすに至った15。こうした背景もあり、戦車供与の議論は世論レベルではさらに複雑な様相を呈している。
1月19日時点で発表された世論調査では、戦車供与に関する意見は見事に二分されている(供与すべきが46%、供与すべきでないが43%)。旧西ドイツ地域に戦車供与賛成派が多く、旧東ドイツ地域に供与反対派が多いのは想像に難くないが、興味深いのは年齢別の結果である。若年層の方が戦車供与に反対派が多く、年齢層が上がるにつれて賛成派が増える16。これは比較的若年層の票の掘り起こしに成功している緑の党の戦車供与に対する積極姿勢と合わせて考えても、いささか奇妙な結果に映る。また、政党支持別の賛成・反対を見ても大変興味深い結果が出ている。例えば、SPD会派リーダーのミュッツェニッヒを舌鋒鋭く批判したストラック・ツィマーマンを擁するFDP支持者の中では、戦車供与賛成・反対は見事に真っ二つに割れているのである(賛成48%、反対48%)。
このようにドイツのZeitenwendeの中身を詳しく見ると、それが必ずしも一気に変わったものでもなければ、帰属政党だけで説明がつくものでもないことは一目瞭然である17。東西ドイツの異なる選好、年齢、また当然ながら環境問題やエネルギー政策といった他の政策分野とも関連しながら、ドイツのZeitenwendeは進行してきた。その際に拠り所になったのは、これまで通りの三原則の思考である18。
おわりに
国内政治と国際政治の双方で意見が対立している中で、なんとかショルツ政権は戦車供与という「転換」を演出してみせた。こうしたドイツの変化は諸外国にどのように受け止められているか。2023年2月に発行されたミュンヘン安全保障会議のレポートに掲載されている「ロシアのウクライナ侵攻への各国の対応に対する各国市民の評価19」によると、ドイツ政府に対する評価は軒並み高い。特筆すべきはウクライナ市民からの評価の高さで、英国、アメリカ、カナダ(1〜3位)に対する突出した評価と比べれば数値的には劣るものの、4位EU、5位ウクライナに次ぐ第6位がドイツである。ドイツによる支援はウクライナ国民から高い評価を受けていると言える。
その他の国からも比較的高い評価(20ポイント前後)を受けている中で、突出してドイツに対して「低評価」をつけている国が日本である(数値はマイナス2)。日本は日本自身に対してもマイナス22という低評価をつけており、全体的に「辛め」の採点が目立つものの、それでもドイツに対する低評価は興味深い。歴史的に共通点が多く、「非戦主義」的文化からも比較されることの多い両国は、今回のZeitenwendeについてもパラレルに語られることが多い。また、特定国への輸入依存を抱える経済構造も似ており、この観点からも日独協力の道が探られようとしている20。こうした緊密な関係強化の中で、更なる相互理解が進んでいくことを願う。