「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
南太平洋に位置するソロモン諸島は2019年9月に台湾と断交の上、中国との国交を樹立した。その後、両国間では各分野での関係が急速に進展しているが、2022年4月には両国間で「安全保障協定」が締結され、同地域に利害関係を有する日米豪ニュージーランド等の関係各国(以下「関係各国」)からは中国の軍事的な進出の足掛かりになり得る動きとして強い懸念が示された。
1.「協定」を巡る駆け引き
3月下旬、ソロモン諸島と中国との間で安全保障分野の協定が仮署名されたとの情報が豪州メディアで報じられた。米国は直ちに反応し、ソロモン政府に協定締結を再考するよう強く求めたが、4月19日、中国外交部のスポークスマンはソロモンとの間で「安全保障協定」が正式署名された旨述べた。その具体的な内容は明らかにはされていないが、同スポークスマンの説明によれば、「社会秩序の維持、人民の生命・財産の保護、人道主義援助、防災等の分野で協力する」との内容であり、「ソロモンが有する既存の多国間協定とは矛盾するものではなく、相補に補完するもの」とされている。ソロモンのソガバレ首相も「協定は、専ら国内的なものであり、第三国を対象としたものではない。ソロモンに中国の軍事施設を設置することはない。」としている。
上記の説明では、軍事警察分野における協力は明示されていないが、「社会秩序の維持」はそうした分野が協定に含まれることを示唆するものであり、また、関連報道では、「ソロモン側の要請によって、中国側が艦船・治安維持部隊などを派遣できる。」とされている。
こうした動きに対して、関係各国は、本協定の締結は中国が南太平洋地域への進出を進める上での大きな布石になりえるものとして強い懸念を表明した。米国からは4月22日、国家安全保障会議(NSC)のカート・キャンベルインド太平洋調整官、ダニエル・クリテンブリンク国務次官補(東アジア・太平洋担当)らがソロモンを訪問し、ソガバレ首相と会談した。ホワイトハウスによれば、米側は安保協定の目的、範囲、透明性について懸念を表明し、更に中国軍がソロモンに事実上駐留すれば対抗措置を講じる可能性に言及した。また、日本政府も上杉謙太郎外務大臣政務官を現地派遣し、ソガバレ首相への表敬及び外務大臣との会談を通じて、日本側として懸念をもって注視している旨述べた。
2.関係各国の懸念の所在
中国側は、関係各国は過剰反応しており、本件を針小棒大に取り上げているとして強く反発しているが、関係各国としては、この協定によって中国が南太平洋地域において軍事分野を含めて急速にプレゼンスを拡大していく可能性を強く懸念している。ソロモン諸島は、国土面積が約3万平方キロメートル、人口約70万人規模の国であり、また、経済的にも後発途上国(LDC)のレベルに甘んじている。しかしながら、地政学的には、1,000前後の大小様々な島から構成されており、国土面積に比して広大な領海及び排他的経済水域を有しており、ソロモン諸島は豪州と米国、日本をつなぐ重要なシーレーンの一部となっている。南太平洋地域において、中国は既にパプアニューギニア、フィジー、トンガ等とは外交関係を樹立し、いずれの国とも安全保障分野での協力関係を有しているが、ソロモンとの関係強化によって太平洋地域への中国の進出が一層加速される可能性が高い。
現状では、ソロモンにおいて巡洋艦など5000トン級の艦船が停泊できるのは、首都のホニアラ港のみであり、これまで豪州、ニュージーランドの海軍船舶、そして日本の海上自衛隊の船舶も友好訪問の目的で寄港している。将来、同様の形で中国海軍の船舶が寄港し、プレゼンスをアピールすることは容易に想像できる。
ただし、ソロモン自体は周辺国との関係で安全保障上のリスクをかかえているわけではない。最も近い関係にあるのは、パプアニューギニアであり、国境を越えた不法入国・密貿易等の問題はあるものの、基本的に両国関係は良好であり、安全保障上の懸念はない。こうした国際環境であることもあり、ソロモンには軍隊組織はなく、豪州より提供を受けた旧式の小型警備艇が漁業を含めた海上警備を担当している。
3.国内治安の懸念
前述のとおり、ソガバレ首相は、本協定の目的は専ら国内の社会秩序の維持を目的としたものと説明しているが、ソロモンの社会治安はどのような問題を抱えているのであろうか。近年、ソロモン国内の治安状況は基本的に良好であるが、わずか20年ほど前には、豪州から「失敗国家」と称されたほど深刻な国内対立が発生した。本質的な問題としては、伝統的なソロモン社会は、民族のルーツ、文化も異なる部族社会であり、自発的に国民国家を形成する基盤はほとんどなかった。1978年の時点でも地域住民から独立への強い要望があったわけではなく、いわば宗主国の英国から放棄された結果の独立であった。独立後は国内の人的移動も急速に活発化し、首都ホニアラのあるガダルカナル島には多数の他島民が移住することとなったが、特に人口の多いマライタ島出身者によるガダルカナル島での土地の占有は地元島民との摩擦を大きくした。これがエスカレートしたのが、1998年から激化した「エスニックテンション」と呼ばれる民族紛争である。その後紛争は長期化し、ソロモン政府は既に治安回復を図る能力を失っていたことから、2003年からは、豪州・ニュージーランド等の警察・軍隊からモン地域支援ミッション(RAMSI)がソロモンに派遣されることとなった。2000人規模の軍事・警察部隊がソロモンに常駐し、治安維持の業務に当たることとなった。同部隊は、その後、段階的に縮小され、2017年6月には任務を終了した。この間、特に豪州による財政支援・行政指導が強化された。
こうした取組みによって、ソロモンの治安は大幅に改善し、近年では凶悪犯罪、テロ事件などは発生していないが、ソロモン社会の基本構造としては、(1)前述のマライタとガダルカナルとの摩擦、(2)ソガバレ首相と反ソガバレ派との政争、(3)国民の反中感情等の不安定要因があり、これらの要素が複雑に絡み合い、時として社会騒乱を引き起こしている。これまでもホニアラ市内のチャイナタウンが暴徒に襲撃され、人的、物的な被害をもたらす事案が発生しているが、最近では、2021年11月、中国との関係強化を積極的に進めているソガバレ首相の退陣を求める大規模なデモがホニアラで発生し、チャイナタウンにおいて放火・略奪が行われた。この暴動では、ソロモン政府の要請を受けて、豪州を主体とする軍警察部隊が派遣され、沈静化が図られたが、その1か月後には、中国がヘルメット、警棒等の警備用品をソロモンに提供し、更に中国警察の顧問グループが派遣される旨の発表がなされた。国民の反中感情には幾つかの背景があるが、一つには、ソロモン経済の大半を華僑が支配しており、多くのソロモン人は中国に搾取されているとの反感を有している。また、中国は権威主義的な覇権国家ではないかとの懸念も強い。更に、従来から一部の政治家は中国側から「政治資金」の提供を受けており、こうしたことが不公正な中国ビジネスへの優遇、政治腐敗の大きな温床となっているとの見方が一般的になっていることである。とりわけ、ソガバレ首相は、親族も含めて中国との関係が強いとみなされており、反ソガバレの動きが活発化すると華僑も攻撃対象となり易い。
在ソロモンの中国系住民は、3~4000人規模とされている。国民生活にとって不可欠な食料品、日用雑貨等は多くの場合、中国系の商店で販売されている。また、ナマコなどの海産物、材木なども中国向けに輸出されている。今後、こうした中国系住民の保護を名目として、中国側が一定規模の軍隊・警察要員等を派遣、常駐させる可能性は排除できない。なお、中国の武装警察部隊は共産党の軍事委員会の傘下にあり、様々な治安情報は解放軍とも共有される。また、2017年には「中華人民共和国国家情報法」が制定され、中国国民・中国企業も諜報活動への参加の義務を負っている。
4.微妙な米国、豪州との関係
(1)米国
太平洋戦争において、ソロモンは同盟国側の一員として米国とともにガダルカナル戦に参加した。1978年のソロモン独立後、米国は現地大使館事務所を開設(大使は駐パプアニューギニア大使が兼轄)したが、1993年にはクリントン政権による行政改革の一環として閉鎖された。その後、ソロモンでの領事業務は同地に長期在住する米民間人が委託を受けてこれを代行している。このように過去30年近くにわたって、両国の関係は相対的に希薄であったが、2019年、ソロモンによる台湾との断交が取りざたされると米国はソロモン側に台湾との関係を維持することを強く求めた。こうした動きに対してソロモン側は、米側の自己利益のみを考えた高圧的な姿勢として反感を強めたことは否めない。最近では、米国のソロモンへのアプローチが加速されており、今般のカート・キャンベル調整官一行のソロモン訪問では、米国大使館再開の早期具体化の他、両国間での戦略対話の創設、新型コロナ対策を含む民生援助の提供などが米側より提案された由である。
(2)豪州
従来から、ソロモンにとって豪州は、政治、経済その他の分野において規模・内容ともに圧倒的に関係の深い援助パートナーとなっている。主要国によるソロモンへのODA供与額は、豪州119.6、ニュージーランド22.2、米国21.4、日本8.2(単位:百万㌦、2019年、DAC)と突出している。豪州からは、ODA援助に止まらず、主要官庁にも幹部としてアドバイザー、専門家が派遣されている。また、電力、水力等の国営系会社の実質的な経営も豪州人が握っているケースが多い。このように豪州は、各分野にわたってソロモンへの支援を継続しているが、反面、ソロモン側から見れば、膨大な援助の大半は実際には豪州人への高額な報酬であり、ソロモン側に直接裨益する部分が少ないこと、過去、ソロモンの首相人選に際しても豪州側が介入したと見られるケースもあったことなど、両国の関係にはデリケートな側面もある。
ソガバレ首相としては、国内の治安維持強化は自らの政治生命にも直結する事項であるので中国からの協力を強く望んだわけであるが、他方、国防上の懸念材料はなく、自国の存在が大国間での覇権争奪の焦点あるいは安全保障の駒となることは望んでいない。それにもかかわらず、今般、ソガバレ首相が関係各国との摩擦を承知の上で中国との安全保障協定を締結したことには、中国と関係各国間の綱引きをうまく利用して各国からより多くの援助を引き出したいとの思惑も見え隠れする。
5.日本とソロモン
太平洋戦争の初期、日本はガダルカナル戦でソロモン諸島に侵攻したとの歴史を有するが、ソロモンの独立時には直ちに外交関係を樹立し、過去40年以上にわたりソロモンとの協力関係を発展させてきた。両国関係において、ソロモン側は、ODAを柱とした日本の援助を高く評価している。また、民間ベースでも、1971年には、大洋漁業(当時)の出資によるカツオ・マグロの缶詰工場「ソロモンタイヨー」が設立された。他方、ガダルカナル戦に関わる戦没者の遺骨収集及び慰霊事業では、ソロモンの官民双方から献身的な協力を得ている。また、国際社会での日本の活動では常にソロモンから支持を受けており、近年では、国際捕鯨委員会第67回総会での日本提案(2018年9月)、WHO西太平洋地域事務局長選挙(2018年10月)、2025年大阪・関西万博などで、日本はソロモンから支持票を得ている。周知のとおり、近年、世界の各地域で中国のプレゼンスが急速に拡大しており、ソロモンと中国との間でも官民双方の関係が着実に強まっていくものと予想される。そうした状況において、仮に国際社会での活動で日中双方が競合すれば、ソロモン側は中国を支持するケースもあり得る。日本が今後も互恵的なソロモンとの良好な関係を維持していくためには、米豪を中心とした関係各国との連携を強化し、二国間の援助においても質・量ともソロモン側のニーズを満たす協力を推進していくことが不可欠になってくる。