国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2022-06)
有事と食糧安全保障――ウクライナ危機と黒海の封鎖、中東・アフリカ地域への影響

2022-04-13
井堂有子(日本国際問題研究所研究員)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。

はじめに

ロシアによるウクライナ侵攻開始から1か月半が経った。対ロシア経済制裁や黒海物流の混乱等により、既に上昇傾向にあった食糧価格はさらに高騰し、安定した供給をめぐって先行き不透明感が続く。3月29日のトルコ・イスタンブールでの停戦協議再開を受け、穀物・農産品価格は一時下落したものの4月以降再び高止まりし、2022年を通じて食糧の高価格が予測されており、国際食糧危機の再来も懸念されている。

人々の生活と経済活動を支えるエネルギーと食糧の国際市場は、相互に作用し合い複雑化し、紛争や自然災害等の有事には物流の断絶と安定的供給の危機が発生してきた。日々変化する戦況と既に450万人を超えたとされるウクライナ国外への避難民の苦境、各種経済制裁・連帯の進展に加え、今般改めて注目されたのは、ロシアとウクライナの食糧供給地としての重要性である。オデーサ(オデッサ)や日本船主保有船が被弾したピヴデンニー(ユージヌィ)1等の港町からは、原油や精製品(燃料油、ディーゼル、ナフサ等)、小麦やトウモロコシ等の穀物が黒海と地中海を通って世界に輸出されてきたが、黒海の物流は今回の戦闘で甚大な影響を受けている。特に海を隔てた中東・アフリカ地域は主要な穀物輸入国であり、ウクライナ危機は対岸の火事ではない。2006-2008年の国際食糧危機が2010-11年の「アラブの春」の遠因の一つと指摘されてきたように、食糧問題は社会・政治的安定に甚大な影響を及ぼしてきた。不安定化が続く中東地域でさらなる政治的混乱と混迷が起これば、今なおこの地域にエネルギー資源の輸入の9割を依存する日本の経済安全保障にも直結する課題となる2

本稿では、ウクライナ危機を踏まえ、穀物を中心とした国際市場の動向と中東・アフリカへの影響等について、基本的なデータを確認しつつ考察する。

14年振りの高値に近づく食糧価格>

国際穀物市場で最も多く取引される小麦の価格は、1月の米国産冬小麦の作付面積や期末在庫量、アルゼンチン産小麦豊作等のニュースにより、1月にはシカゴ商品取引所で7~8ドル/bu台で推移していたが、2月中旬以降のウクライナ情勢の緊迫化で高騰し、3月7日に14.25ドル/buに達した。これは14年前の世界食糧危機時の高値(2008年2月1日の10.77ドル)を上回る市場最高値であった3。4月以降も10ドル前後の高値で取引されている。

グラフ1: 国際穀物価格の変遷(2006-2022年3月)

(出所)シカゴ商品取引所(CBOT)

(注)1ブッシェル(Bu)は小麦と大豆は約27.2㎏、トウモロコシは約25.4㎏に相当。

他方、侵攻以前から既に世界的に広範囲な物価上昇は続いていた。国際通貨基金(IMF)によると、原油や天然ガス等の燃料、食品全般、肥料や各種金属等、全品目を含む物価指数は2020年以降上昇傾向にあった(グラフ2)。新型コロナ・ウイルスの世界的拡大を契機に、 各国の渡航制限や物流の停滞、世界経済の減退に対応するための米国を中心とした金融緩和、市場に出回った大量の資金余り、この結果としての物価上昇であったと考えられる。その後各地で経済活動が再開し、急落していた原油価格も上昇したが、これも全般的な物価上昇に繋がった。上述の通り、3月上旬に小麦価格は14年ぶりの高値を記録し、今後の展開によるが、2022年を通じて価格は高止まりし、エネルギー価格の上昇と共に、各国で国民生活への影響が予想される。また、2月以降「過去40年で最悪」レベルの干ばつに見舞われているエチオピアやソマリア、ケニア等のアフリカ東部、2021年8月にタリバン政権が復活し経済・物流の混乱と停滞により国民の半数以上が食糧難に直面しているアフガニスタン、紛争と難民問題の長期化の中で食糧危機が指摘されるも国際社会から見放されたような状況にあるシリアやイエメン等の国々で、既に厳しい環境に置かれた脆弱な人々にとって、さらなる事態の悪化が懸念される。

グラフ2: 物価指数(2005年~2022年1月まで:2016年を100とした場合)

(出所)IMF Primary Commodity Pricesより作成

<ロシアとウクライナ:世界有数の穀物輸出国>

2020年の国際穀物市場での全取引において小麦は41%(605億ドル相当)を占め、最も多く取引された主要穀物である。次いで、トウモロコシが29%(426億ドル)、コメ18%(263億ドル)、大麦7.5%(111億ドル)と続いた(Chatham House)。図1の地図は小麦の輸出入(2020年)の動きを視覚化したものであるが、小麦市場は限られた供給国と多数の需要国から成立していることがわかる。2020年は、ロシア・カナダ・米国・フランス・ウクライナ・オーストラリアの6か国が全供給の約3分の2を占めた一方で、エジプト(全輸入の10%)や中国(同7%)、トルコ(5%)を始め、多くの諸国が輸入国となった(グラフ3)。

図1:地図でみた世界の主要な小麦貿易(2020年)

(出所)The Chatham House Resource Trade Databaseより作成

グラフ3:小麦の輸出入国の内訳(2020年)

小麦輸出国(2020年)

小麦輸入国(2020年)

(出所)FAO Statより作成

ロシアとウクライナは、近年、両国だけで世界の小麦輸出全体のおよそ4分の1から3分の1を占めてきた。2020年、トウモロコシではロシアは1.1%、ウクライナは12%、大麦はそれぞれ7.1%と8%、ヒマワリ油でもそれぞれ20%と53%と輸出の上位を占めた4。このように両国は現在世界有数の農産物輸出国であるが、旧ソビエト連邦は1980年代初めまでは米国から小麦とトウモロコシを輸入していた(例えば1985年には5500万トンの小麦を輸入した)。ソ連崩壊後、ロシア政府は農業技術投資を進め、国際市場への農民の参入を許可し、2001年頃は国際小麦輸出の1%に過ぎなかったシェアを2018年には26.4%にまで増加させた。港の開設とルーブル安もロシア小麦輸出増に貢献したとされる5

2020年の小麦の主要輸出相手国としては、ロシアとウクライナ双方にとって、地中海南部のエジプトが大手輸出相手国であった(グラフ4)。トルコやレバノン、モロッコ、チュニジア、イエメン、UAE、リビア、ヨルダン、イスラエル、スーダン、ナイジェリア、ケニア等の中東・アフリカ諸国に加え、インドネシアやバングラデッシュ、パキスタン、韓国等を含むアジア各国も両国から小麦を輸入している。日本は小麦・トウモロコシ・大豆のいずれも米国・カナダ・ブラジル等からの輸入に依存しているが、今般のロシアとウクライナの穀物輸出の停滞により国際市場での代替輸入先・品目に需要が集中し、結果として価格高騰や安定的供給が困難になる可能性が予想される。

グラフ4:ロシアとウクライナから小麦を輸入している諸国(2020年)

ロシアから小麦を輸入している諸国

ウクライナから小麦を輸入している諸国

(出所)FAO Statより作成

<輸出制限>

ウクライナ侵攻開始以降、ロシアはSWIFTからの排除や中央銀行の国外資産凍結を含む制裁により経済的打撃を受けている。これに対する反応として、ロシアは3月10日、医療機器を含む200品目の輸出禁止を発表した6。ロシア自身はこれまでにも国内市場の安定化を理由に小麦等の輸出制限・関税措置を継続してきているが7、侵攻後にさらなる措置を取った(表1)。

ウクライナもまた、ロシアからの攻撃を受ける間の自国内の食糧安全保障の観点から、3月9日、小麦・オーツ麦・その他の基礎食糧品の輸出を、さらに3月12日には窒素やリン、カリウム等の化学肥料の輸出も禁止した8。その後、外貨収入源を確保するため一部食糧品の輸出再開を政府が検討している旨報じられたが、輸出は再開されているようである。

各国が輸出制限措置を取った2008年の食糧危機の状況とは異なるが、供給国の輸出制限行動は市場の不安定化に直接影響するため、今後の注視が必要である。

表1:ロシアの小麦輸出規制の経緯(2007/08-2021/22)

(7月/6月)

種類

具体的措置

2007/08

輸出関税

当初10%の輸出関税は2008年初めに40%に増加、同年7月まで継続。

2010/11

輸出禁止

2010年8月15日から2011年6月30日まで小麦輸出の完全禁止。

2014/15

輸出関税

2015年2月1日から5月15日まで輸出関税15%。

2015/16

輸出関税

2015年7月15日、輸出関税を商品契約額の50%に(99ドル差引き)。

2019/20

輸出制限

2020年4月1日から6月30日まで小麦の輸出制限。

2020/21

輸出関税

2021年2月1日、輸出関税をトン当たり29.20ドルに設定、 3月から5月まではトン当たり59.8ドルに増加6月に変動輸出課税が開始。

輸出制限

2021年2月15日から6月30日まで全穀物の輸出割当を1750万トンに制限。

2021/22

変動

輸出関税

2021年6月以降、輸出関税は指標価格とトン当たり200ドルの間の差額の70%に設定(計算は週毎)。小麦価格が上昇するとこの計算式は高めに調節される(90ドル/トン以上)。

輸出制限

2022年2月15日から6月30日まで小麦輸出割当が800万トンに設定された。

(追加)2022年2月14日、旧ソ連諸国への穀物・砂糖の輸出を一時的に禁止する発表。

(追加)2022年3月10日、医療機器を含む200品目の輸出禁止を発表。

(出所)USDA(2022)、12頁、ロイター紙(2022年3月15日付)等より作成

<穀物貿易における黒海の重要性>

ロシアとウクライナは穀物輸出で競合し、いずれも黒海を重要な輸出経路としてきた。図2は黒海沿岸の主要な港湾と軍事侵攻前の通航量を示しているが、侵攻前には非常に活発な交易が存在したことがわかる。

特に非常に肥沃な黒土に恵まれたウクライナは、その穀物輸出の95%を黒海経由で行ってきており、ウクライナ第三の都市オデーサ(オデッサ)やミコラーイウ(ニコラエフ)、ピヴデンニー(ユージヌィ)、チョルノモルシク(チェルノモルスク)の南西部の4港湾だけで全出荷量の80%を占め、南東のマリウポリも港湾都市として栄えてきた9。ウクライナ産小麦の半分は、各港からボスポラス海峡を通り、トルコのマルマラ海とギリシアのエーゲ海を経て、地中海南部および東部(中東・アフリカ諸国)に輸出されてきた。なお、黒海や地中海は古代から重要な穀物交易の舞台であったが、かつてローマ帝国時代には、現在のエジプトやトルコの都市が「穀倉地」として地中海北側に小麦を供給していたとされる10

3月13日のロシア海軍による黒海封鎖はウクライナ経済の血流を止めたに匹敵する11。ウクライナ経済省の発表(4月3日)を報じる日経新聞によると、ウクライナの3月の穀物輸出量は2月の4分の1に留まった(トウモロコシ110万トン、小麦30万トン)12。戦闘による民間船舶の被害に加え、多数の機雷が流出している問題もあり、ロシアへの国際的非難が高まる。「海上回廊」設置を求める動きもある中、ウクライナ国内では黒海封鎖の間でも何とか国内に留まる穀物・農産品を流通網に繋げようと模索が続いているようである。ウクライナの農業コンサルタント会社UkrAgroConsult社のSergey Feofilov所長によると、現在の戦時状況下では、黒海を利用する大手輸出業者ではなく、鉄道やトラックを用いた中小輸出業者が活躍しており、黒海以外の輸出ルートとして西側への鉄道(7割)とドナウ川の港経由(3割)がある。穀物コンテナーをオデーサ港からルーマニアのコンスタンツア港へ、あるいはウクライナ西部からポーランドを陸路で経由してバルト海の港に一旦輸送し、そこから各国への輸送に繋げる試みが模索されている。国際市場での小麦・トウモロコシ価格が高騰しているのに対し、輸出が頓挫するウクライナ小麦は国内に留め置かれ、国内価格も急落している状況という13

こうした黒海の封鎖状況を受け、全世界的な影響が予測される中、インドが東欧諸国との代替交易ルートとしてイランのチャバハル港を検討する動きもある14

図2:黒海とアゾフ海周辺の港と主な通航密度(紛争開始前)

(出所)BLACK SEA Ship Traffic Live Mapより

<https://www.marinevesseltraffic.com/BLACK-SEA/ship-traffic-tracker>

(注)赤・黄緑・青の順で通航密度が高い(通行している船舶数が多い)。

<中東・アフリカ諸国への影響と各国の対応>

ロシアのウクライナ侵攻は中東・北アフリカ地域にどのような影響を及ぼすのだろうか。カーネギー・ベイルート・センターのマハ・ヤフヤ所長によると、政治的交渉と軍事行動、人道支援と食糧安全保障、そしてガス・石油供給の三分野に影響がありえる15。第一の政治・軍事面は、湾岸諸国とイスラエルが自らの利益を最大化するため米国とロシアの間を往復しているが、対ロシア制裁が長引けば、軍事産業の多角化のためにロシアに接近していたエジプトやサウジアラビア、UAEには厳しい試練となりうる。第二に、米ロ協力が最も必要とされるシリアとイエメンは、さらなる苦境に直面するだろう。紛争が長期化するリビアにおいてもロシアの軍事的プレゼンスは欧州にとって脅威となり、トルコとイスラエルにとってはシリアでのロシアの関与も問題であり続けている。他方、米国・トルコ関係がトレードオフになることをシリアのクルド系住民は恐れ、イスラエルはシリアでのロシア・イラン関係の強化に懸念を抱いている。このようにロシアの行く末は中東・北アフリカ地域の地域政治に大きく影響する。第三のガス・石油供給の危機的問題に関しては、欧州は代替のガス供給源を求め、湾岸諸国と東地中海諸国にとっては好機となりうるだろう、とヤフヤ氏は指摘する。こうした複合的な影響に加え、ロシアが募っているとされるシリア民兵の参戦でさらなる混乱も懸念される16。また、ロシアの富豪がトルコやUAEで不動産購入や口座開設を急いでいるという報道もあり17、中東の不動産・金融市場へのロシア資金の流入が進めば、制裁の大きな抜け穴の一つとなる可能性もあるだろう。

2月24日のロシアのウクライナ侵攻開始以前から、燃料や食糧を中心とした物価高は既に全世界で起きていたが、中東・アフリカ地域での物価高はさらにそれ以前から問題化していた。2018年から2019年にかけて「第二のアラブの春」と呼ばれた広範囲な抗議活動がレバノンやイラク、イラン、ヨルダン、エジプト、チュニジア、パレスチナ等で広がり、スーダンとアルジェリアでは政権交代に繋がったが、2010年から2011年の最初の「アラブの春」の時と同様に、腐敗や汚職、社会的公正・尊厳の問題と並んで、この際も物価上昇が抗議活動の背景の一つであった。

各国政府は様々な物価安定政策を導入してきた。例えば、トルコ政府は2021年12月31日、既に導入していた穀物(トウモロコシ、小麦、大麦、ライ麦、オーツ麦)のゼロ輸入関税措置を2022年も延長することを決めたが、1月の物価上昇指数(食品・飲料)が前年度比で55%強増だったため、食品の付加価値税(VAT)を8%から1%に引き下げた(既に2020年8月にコロナ対策を理由に18%から8%に引き下げていた)18。にもかかわらず、3月の物価上昇指数はさらに上昇して20年振りの61.14%に達しており、物価高に歯止めが効かない状況にある19。イスラエル政府も国民の不満を受けて総額約13億ドル相当の生活費削減政策を打ち出した他20、輸入食品への関税の引き下げや撤廃、イスラエル中央銀行による1-3%のインフレターゲット政策を見直す等した21。アラブ諸国は食糧補助金制度により食糧価格を長年抑制してきたが、近年は燃料補助金・食糧補助金の削減により元々物価高が続いていた。エジプトでは、2021年の物価上昇率(前年度比)は6~8%台で推移してきたが、2022年2月は10%台となり、物価高の傾向が強くなってきている。

黒海通航の停滞による穀物市場全体への影響は非常に大きいが、ウクライナとロシア両国から最も小麦を調達してきたエジプト(2020年の全小麦輸入の約85%)やトルコ(同約77%)等は、短期的に打撃を受けることが予想され、既にそれぞれ代替輸入相手国を求めて交渉を進めてきた。エジプトは代替輸入先として14か国を想定していると発表しているが、ルーマニアやインド、オーストラリア等が候補地として挙がっている模様である。ただ直近の報道によると、ロシアによる黒海封鎖でウクライナ側の輸出はダメージを受けているのに対し、ロシアの港は営業を続けている。この結果、ロシア小麦の対エジプト輸出は47.9万トン強(前年度同月比で24%増)に達したが、ウクライナ小麦のエジプト輸出は12.4万トン程度(前年度同月比で42%減)に留まった22

エジプト政府の発表によると、同国内の小麦貯蔵は侵攻開始直後(2月末)の4か月分から4月初め時点の2.6か月分へと減少したが、国内小麦の収穫時期(4月半ば以降)が近く、輸入・国内小麦を併せて9か月分程度は確保できる見込みという。政府は農家からの小麦買取用に11億エジプト・ポンド(約74億円)を計上し、砂糖(5.6か月分)や食用油・コメ(それぞれ5.9か月分)等の基礎食糧品の貯蔵も当面確保できていると発表した23

エジプトが大量に小麦を輸入する背景に、同国のパン配給制度が存在する。政府補助金により小麦100%の平たいパン「エイシュ・バラディ」の価格は長年1枚5ピアストル(ピアストルはもはや使われていないが、100ピアストル=1ポンド=約6.7円)に据え置かれてきた。この安価なパンの配給制度を含む食糧補助金および燃料補助金制度の改革はムバーラク政権末期に開始され「アラブの春」で一旦頓挫した後、現在のスィースィー政権で再開されている24

なお、米国やカナダ産小麦に比べるとロシア・ウクライナ産の小麦は価格が安く、多くの諸国がこの10年ほどで米国産小麦からロシア・ウクライナ産に移行してきている。特にエジプトは、ここ20年で大きく米国からロシア・ウクライナへと輸入相手国がシフトしてきた(グラフ5)。輸入相手先も多様化してきていたが(2000年16か国→2010年28か国)、2020年には15か国へと減少し、その内ロシアとウクライナが85%以上を占める等、両国への依存が大きくなっていた。エジプトが米国から小麦を輸入し始めたのは、冷戦下1950年代のアイゼンハウアー大統領時代の公法第480号(PL480:「農業貿易開発援助法」)、後のケネディ大統領時代の「平和のための食糧法」の食糧援助に遡る。米国の対エジプト農産物品目はかつて小麦がトップを占めたが、2016年以降は小麦の比重は大きく下がり、トウモロコシや大豆、牛肉等がトップを占めるようになった。

グラフ5:エジプトの小麦輸入相手国(2000-2020年、単位:米ドル)

(出所)The Observatory of Economic Complexity (OEC)データベースより作成

トルコも、ロシアとウクライナの小麦輸入への依存度を高めてきた。2000年時点では出稼ぎ労働協定等で交流の深いドイツ、中央アジアのカザフスタン等の25か国から小麦を購入し、輸入相手国も年々多角化してきていたが(2010年28か国→2020年37か国)、2020年はロシアとウクライナからだけで小麦輸入全体の77%を占める等大きく依存していたことがわかる(グラフ6)。トルコは小麦生産国でもあるが、50年来の深刻な干ばつ25により2021/22年の国内生産は前年度比で10%減少した一方で、国内消費は3%増加した。トルコは国内消費だけのために小麦を輸入しているのではなく、大手小麦粉輸出国として世界各地に小麦粉やパスタ等の加工・再輸出をしており、イラク、イエメン、シリアが輸出先の3割を占める26。トルコへの小麦輸入はトルコ国内の消費だけではなく、近隣の特に紛争下にある地域への供給にも影響を及ぼしうる。

グラフ6:トルコの小麦輸入相手国(2000-2020年、単位:米ドル)

(出所)The Observatory of Economic Complexity (OEC)データベースより作成

トルコやイスラエルを例外として、多くの中東・北アフリカ諸国では、社会保障制度が不十分な代わりに燃料や食糧品等の基礎物品への政府補助金によって物価が低く抑えられてきた。しかし非産油国等では外貨収入源や財政余地が限られており、長年補助金削減がIMFからの支援条件とされてきた。エジプトでは、2014年にスィースィー政権になって以降、ガソリンを中心とした燃料補助金の削減やスマートカードの導入による食糧補助金の削減などが進められてきた。他方、人口の平均年齢が25歳程度という「若い社会」が多いこの地域においては、民間部門の振興や雇用機会の創出が人口構成に追いついておらず、若年失業率が高い。この地域に多くみられる政治的な権威主義体制も、2010-2011年、さらに2019年以降を含む幾度かの「アラブの春」を経てなお強化されているという指摘もあり、食糧価格の高騰が再び社会的緊張、政治不安に繋がる可能性は十分にあるだろう。

終わりに

今回のロシアのウクライナ侵攻により、再び「鉄のカーテン」という表現を聞くようになった。しかし現在は冷戦時代とは状況が異なる。まず、今般の紛争が改めて明らかにしたように、エネルギー・食糧・肥料等の各種資源を含む国際商品市場とサプライチェーンは非常に複雑化しており、モノ・カネ・ヒトを通じて国・企業・個人は冷戦時代よりもずっと深い相互依存の関係の中に置かれている。さらに水不足や干ばつ、2020年初めのサバクトビバッタの大量発生等、気候変動によると考えられる予測困難な自然災害が増大しており、食糧不安・危機を回避するためには国レベルを超えた国際社会の協力が必要である。しかし、今般の軍事侵攻により、脱炭素化への動きに歯止めがかかる可能性に加え、全体的な軍拡ムードが高まり、気候変動やSDGsのための予算が十分に確保されない事態が懸念される。

2006-2008年に発生した国際食糧危機の時は、バイオ燃料としてのトウモロコシの需要の高まりが要因の一つにあり、人間・家畜の食用目的と燃料目的との間で拮抗が存在した。この課題は継続しているが、現在の国際食糧生産・消費システムにはこの他にも複数の脆弱性が存在する。その一つが「緑の革命」以降の主要穀物(小麦、トウモロコシ、コメ)の単一化、という世界的傾向である。アフリカ各地では「忘れられた雑穀」と呼ばれる地元の気候・風土に根差した穀物や農産物が生産されてきた(例えばスーダンや上エジプトでのソルガム、エチオピアでのテフ、西アフリカのキャッサバ等)。小麦やトウモロコシを主食とする消費パターンが普及し、各国の農業生産や海外の輸入調達も単一化してきたが、干ばつや気候変動へのレジリエンス、あるいは近年の先進国での健康志向やアレルギーへの対応といった課題も背景として、こうした各地の「忘れられた雑穀」を見直す機運も高まっている。生物多様性や種の多様性の保護という観点からもこうした動きは望ましいと考えられる。気候変動による気温変化を見込んで南方の種を栽培する試みが欧州等でも進む。

確かに小麦やトウモロコシ、大豆、コメ等の価格高騰は短期・中期的に我々消費者に打撃を与えるものであり、幾度かの「アラブの春」を振り返るまでもなく、その影響は特に社会的弱者により重く圧し掛かる。他方、より長期的には、今後も人口増加が続くことが予想される。限られた種類の穀物等の価格変動に一喜一憂する現在の状況から一歩踏み出すためにも、限られた供給源・食糧の種類に依存しない、持続可能な農業生産の試みにもっと目を向ける必要があるのではないだろうか27




1「日本船主保有船が被弾。日鮮海運グループのバルカー」日本海事新聞、2022年03月01日。<https://www.jmd.co.jp/article.php?no=275284&msclkid=63a4460daf9311ec9c0b1cb13e29e102>

2 日本はエネルギーと食糧の両方において輸入に依存しており(2019年の自給率はそれぞれ11.8%とカロリーベースで37%)、エネルギー資源の輸入先は約9割が中東地域である。日本は小麦やトウモロコシ等の穀物輸入をロシア・ウクライナからではなく米国やカナダ等に依存しているが、さまざまな食品や工業用に用いられるトウモロコシを中心に、回り巡って穀物価格の高騰の影響は家計を直撃すると考えられる。

3 United States Department of Agriculture, Foreign Agricultural Service (USDA-FAS),

Grain: World Markets and Trade, Grain: World Markets and Trade, March 2022. <https://apps.fas.usda.gov/psdonline/circulars/grain.pdf>

4 Chatham House (2021), 'resourcetrade.earth', https://resourcetrade.earth/

5 USDA-FAS, ibid.

6 Bloomberg, "Russia Bans Export of 200 Products After Suffering Sanctions Hit", March 11, 2022.

<https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-03-10/russia-bans-export-of-200-products-after-suffering-sanctions-hit>

7 2020~2021年の穀物輸出規制の詳細については、長友謙治「ロシアの穀物輸出規制」Primary Review, No. 102, 2021. <https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/attach/pdf/210730_pr102_04.pdf>

8 Reuters, "Ukraine bans fertiliser exports - agriculture ministry", March 12, 2022.

< https://www.reuters.com/world/europe/ukraine-bans-fertiliser-exports-agriculture-ministry-2022-03-12/>

9 マリウポリ市はロシア軍の攻撃で約29万人が避難したが、3月末時点で約14万人が取り残され、甚大な被害が発生している他、ミコラーイウ州庁舎も爆撃され死者が報じられている。"Local mayor says 80 civilians killed in Ukraine's Mykolayiv since start of war", Reuters, March 30, 2022. <https://www.reuters.com/world/europe/local-mayor-says-80-civilians-killed-ukraines-mykolayiv-since-start-war-2022-03-30/>

10 ピーター・ガーンジィ著、松本宣郎・坂本浩訳『古代ギリシア・ローマの飢饉と食糧供給』白水社(原典1988年、翻訳1998年)。

11 The Independent, "Russian naval forces have blockaded Ukraine's Black Sea coast, say UK officials", March 14, 2022. <https://www.independent.co.uk/news/world/europe/russia-ukraine-black-sea-coast-b2035317.html>

12 「ウクライナ穀物輸出4分の1に 黒海封鎖、足止め100隻」日本経済新聞、2022年4月4日。 <https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR034EX0T00C22A4000000/>

13 2022年4月6日の同社ウェビナー「Black Sea Grain. Conflicting S&D」<https://ukragroconsult.com/en/news/black-sea-grain-conflicting-sd-webinar-recording-available/>での同所長の解説による。

14 Financial Express, "Black Sea route choked: India to explore alternative shipping routes for exports to CIS", March 21, 2022. <https://www.financialexpress.com/economy/black-sea-route-choked-india-to-explore-alternative-shipping-routes-for-exports-to-cis/2466115/?msclkid=ce31c575affc11eca54d94ac612872fc>

15 Maha Yahya, et al., "What the Russian War in Ukraine Means for the Middle East", March 24, 2022. <https://carnegieendowment.org/2022/03/24/what-russian-war-in-ukraine-means-for-middle-east-pub-86711>

16 Jack Losh, "Putin Resorts to Syrian Mercenaries in Ukraine. It's Not the First Time", Foreign Policy, March 25, 2022. <https://foreignpolicy.com/2022/03/25/russia-war-syrian-mercenaries-car-ukraine/>

17 Ceyda Caglayan, Saeed Azhar and Riham Alkousaa, "In Istanbul and Dubai, Russians pile into property to shelter from sanctions", Reuters, March 28, 2022. <https://www.reuters.com/world/europe/istanbul-dubai-russians-pile-into-property-shelter-sanctions-2022-03-28/>

18 Turkish Minutes, "Erdoğan announces yet another round of VAT cuts", March 29, 2022. <https://www.turkishminute.com/2022/03/29/dogan-announces-yet-another-round-of-vat-cuts/>

19 Daren Butler and Ali Kucukgocmen, "Turkey's inflation jumps to 20-year high as energy prices surge", April 4, 2022.

<https://www.reuters.com/world/middle-east/turkeys-inflation-jumps-611-march-highest-since-2002-2022-04-04/>

20 Reuters, "Israel unveils $1.3 bln plan to reduce cost of living", February 9, 2022. <https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-govt-unveils-13-bln-plan-reduce-cost-living-2022-02-09/>

21 Steven Scheer, "Bank of Israel seeks public input on whether inflation target needs adjusting", Reuters, February 10, 2022. <https://www.reuters.com/markets/us/bank-israel-seeks-public-input-whether-inflation-target-needs-adjusting-2022-02-10/>

22 Sarah El Safety, "Egypt's wheat imports from Russia rose in March despite war", April 4, 2022. <https://www.reuters.com/world/middle-east/egypts-wheat-imports-russia-rose-march-despite-war-2022-04-05/>

23 Samar Samir, "Egypt's stock of wheat enough for 2.6 months: Cabinet", April 4, 2022.

<https://www.egypttoday.com/Article/1/114551/Egypt%E2%80%99s-stock-of-wheat-enough-for-2-6-months-Cabinet>

24 井堂有子(2022)「危機とレジリエンス―エジプトの食糧配給と国家・軍部の役割」井堂有子・郷戸夏子・近藤則夫・長沢栄治著『胃袋を満たす国家の戦略―戦後日本・インド・エジプトの事例から』上智大学イスラーム研究センター、2022年3月、pp. 30-63.

25 Mehmet Emin Birpinar, "Effects of drought in Turkey and around the world", Daily Sabah, December 23, 2021. <https://www.dailysabah.com/opinion/op-ed/effects-of-drought-in-turkey-and-around-the-world>

26 USDA, pp.8-9. トルコの会計年度は6月―5月。

27 柴田明夫『食糧争奪 日本の食が世界から取り残される日』(日本経済新聞出版社、2007年)参照。柴田氏が指摘される通り、現在の食糧生産システムでは、コメ・小麦・トウモロコシ・根菜類・大豆の5種類の作物だけで世界の食糧生産高(40億トン前半)の半分を占め、自然環境の変化や異常気象に脆弱な生産状況となっている。