「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
カブール陥落後の米国の国際的地位を巡る論争
カブール陥落が世界における米国の地位に与えた影響について、米国では意見が二分されている。一方には、米国の国際的な評判に容易には回復できない傷がついたと考える人々がいる。リチャード・ハース外交問題評議会会長らに代表されるこのグループは、米国のアフガニスタン撤退がバイデン政権の目論見に反して混乱に満ちたものとなったことを厳しく批判する。アフガンの政府と国軍の崩壊が想定外の速度で起こってしまった結果、米国の主導により国際社会が20年にわたり取り組んできたアフガニスタンの国家建設のための努力がまたたく間に水泡に帰し、米国や北大西洋条約機構(NATO)、日本などに協力してきた多くのアフガン人が国外に脱出できずにとり残されてしまった。彼らは、こうした不手際が米国の信頼性に対する強い疑いを世界に抱かせたと主張する。
他方には、アフガニスタン撤退は長い目でみれば米国の国際的な地位の低下ではなく向上につながると考える人々もいる。ジョージタウン大学教授のチャールズ・クプチャンらに代表されるこのグループは、1975年のサイゴン陥落が当初喧伝されたような米国の衰退をもたらさなかったことを強調する。その後実際に起こったのは、米国の力の回復であったと彼らはいう。必然性のない戦争から手を引いた米国は国内の状況を建て直し、ソ連や中国との外交をよりうまく展開して最終的には冷戦に勝利することができた。今回のカブール陥落も、同様の結果につながる可能性が高いというのが彼らの見立てである。米国の国益にそぐわないアフガニスタンでの戦争に終止符を打ち、中国とロシアという米国にとっての「真の戦略的競争者」(ジョー・バイデン米大統領)に集中することにより、米国は、アフガニスタン撤退の際の不手際によってもたらされた国際的な評判の低下を克服し、長期的には同盟国をはじめとする他国の支持を得て世界での地位を強化することができるのだと、彼らは主張する。
将来の世界での米国の地位を左右するこれからの米国の意志
だが実際には、これら二つのうちどちらの方向に米国の国際的な威信が変化していくのかはまだ決まっていない。将来の世界での米国の地位は、世界とのかかわり方に関するこれからの米国の意志がどのようなものになるかによって大きく違ってくる。そして、カブール陥落をみた国際社会が何よりも注視しているのは、まさにこの点なのである。
カブール陥落により米国の国際的な威信が大きな打撃をこうむったという前者のグループの指摘には疑う余地がない。だが、今後の米国の意志と行動次第では、その失点は挽回不可能ではないであろう。米国の威信の失墜が、既に定まった事実であるかのように語るのは適切ではない。今日の世界にはアフガニスタン以外にもさまざまな難題が存在しており、その多くは米国やその同盟国、パートナー国にとってアフガン問題以上にさし迫ったものとなっている。そうした問題に注力するために米国が、「米国史上最も長い戦争」から手を引くというのであれば、それは撤退の正当な理由になる。バイデン大統領は、就任以来、「過去の課題に対応するためではなく、今日や未来の課題に取り組むため」の外交を行なうと強調してきた。そして、米軍のアフガニスタン撤退が完了した後の演説でも、「過去ではなく、未来に目を向ける時がきた」と宣言した。もし、このことばを裏付けるような米国の意志が世界に示され続けるのであれば、国際社会が米国を見る眼は変わり得る。
ここで、鍵となるのは中国政策である。バイデン大統領は「未来の課題」の中で、米国主導のルールに基づくリベラルな国際秩序への中国による挑戦の問題を特に重視している。今この挑戦が深刻になっているのは、米国が「永遠の戦争」に莫大な費用と人員を投入している20年の間に、中国がインド太平洋地域を中心に対外的な自己主張を強めるのを看過してしまったからである。もしこれからの米国が、これまでアフガニスタンでの戦争に使われてきた資源の相当部分を中国の挑戦への対応に振り向け、同盟国やパートナー国との連携をこれまで以上に主導して、インド太平洋地域の平和と安定のために力を尽くす意志を持てるならば、米国の国際的な威信と評判が向上する可能性は十分にある。その意味では、後者のグループの主張には正しさがある。
だが、その可能性が現実のものとなるのは、あくまでも米国が実際にそうした行動をとることができた場合に限られる。米国の威信の向上が必然であるかのように語ることもまた適切ではない。そして、今の米国にとって深刻なのは、バイデン大統領をはじめとする米国の指導者がそうする意志を繰り返し表明しているにもかかわらず、その意志が実行に移されるかどうかを疑う声が、国際社会に少なくないことである。この疑念を払拭できなければ、米国の国際的地位の向上は望むべくもない。
米国の意志をめぐる国際社会の疑念①:「中産階級のための外交政策」はバイデン外交の足かせとなるか
国際社会の疑念には三つの理由がある。一つは、バイデン外交が標榜する「中産階級のための外交政策」という基本方針が、中国やインド太平洋に対する外交を積極化しようとする際に足かせとなるのではないかという懸念である。
「中産階級のための外交政策」は、もっぱら米国の対外関与が普通の米国市民にとってどれだけの利益をもたらすかどうかという視点から外交政策を決定するとする。このような方針の下で進められる外交が、トランプの米国第一主義に近いものになってしまうおそれはないのかという懸念は国際社会で以前からささやかれていたが、今回のアフガニスタンからの米軍撤退のなされ方は、その懸念をいっそう強めた。同盟国からの撤退期限延長の懇願をもかえりみずに期限通りの撤退完了に向かって突き進んだバイデン大統領の姿勢は、普通の米国市民がもはや利益を感じなくなった戦争は一刻も早く終わらせるしかないのだという「中産階級のための米国第一主義」の色彩を強く帯びたものだったからである。
では、これからの米国外交はどうなるのか。アフガニスタンでの戦争が終ったことにより、これまでこの戦争に投入されてきた費用と人員が他の目的に利用可能になることは確かであるとしても、それが中国やインド太平洋に対する外交に使われるとは限らない。米国社会における経済格差の問題がコロナ禍の下でいっそう深刻さを増す状況では、アフガニスタン撤退で生じた余剰資源は海外ではなく国内における問題解決を優先して使われるべきだという声が高まることが予想される。そうした声を前にした時、バイデン政権は、果たして中国やインド太平洋に対して大きな資源を投入することを主張できるであろうか。これが、日本をはじめとする国際社会がポスト・アフガニスタンの米国外交に抱く第1の懸念である。
米国の意志をめぐる国際社会の疑念②:バイデン政権は一貫した外交を行なえるか
次に、国際社会には、米国外交の一貫性に対する不信感がくすぶっている。トランプ政権の外交は、米国の外交政策が、政権の方針によってはそれまでと全く異なったものに変わる可能性があることを世界に印象づけてしまった。パリ協定や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)がトランプの大統領就任と同時に放棄されてしまったことは世界に衝撃を与えたし、トランプ大統領の同盟軽視の姿勢は、数十年間にわたり米国の対外政策の根幹をなしてきた同盟構造でさえも将来にわたって維持されるとは限らないという印象を世界に与えた。
実は、この不信感はトランプ外交のみによってもたらされたものではない。たとえばインド太平洋諸国は、2016年の大統領選挙において、国務長官在任中にはTPPを強く推進していたヒラリー・クリントンが国内世論を意識してにわかにTPPの批准反対に転じたことを忘れてはいない。バイデン大統領についても同じことが言える。かつてはオバマ政権の副大統領としてクリントン国務長官らとともにTPPを積極的に推進していたバイデンは、米国の離脱後は、やはり国内世論を意識して、TPPが改善されなければ米国の復帰はないという立場に転換してしまった。
今回のアフガニスタン撤退は、米国外交の一貫性に対するこうした国際社会の不信感を増幅するものであった。特に、人権を重視する外交を掲げているはずのバイデン大統領が、後に残されるアフガンの人々の人権状況を一顧だにせずに撤退を急いだことは、世界に、米国の掲げる外交方針は結局は米国の都合次第でいかようにも変更されてしまう可能性があるとの印象を残してしまった。
しかも、バイデン政権が掲げる「中産階級のための外交政策」の旗印の下では、普通の米国市民が支持しない外交目標は、優先順位が下がり変更への圧力がかかることになる。だとすると、もしアフガニスタン後の米国外交がいったんは中国との戦略的競争に精力を注ぐものとなったとしても、それが長期的に維持されていく保証はないことになる。また、中産階級が経済的理由から中国との関係改善を求めた時、バイデン政権はその声に容易に動かされてしまうかもしれない。国際社会には、このような懸念もある。
米国の意志をめぐる国際社会の疑念③:バイデン政権の多国間協調は「ユニラテラルなマルティラテラリズム」か
最後に、米国の同盟国やパートナー国の間には、今後の米国による外交が、真の意味で彼らとの連携を重視したものになるのかという不安もある。バイデン大統領は、就任以来、米国外交を多国間協調を重視するものに戻し、同盟国やパートナー国との連携を立て直していくことを折にふれて強調してきた。だが、今回のアフガニスタン撤退の特に最終局面での米国のふるまいをみて、米国の同盟国やパートナー国の間には、バイデン政権のいう多国間協調が何を意味するのかについて、疑いと不安が拡がっている。
米国の同盟国やパートナー国からみると、米国が単に、彼らとともに行動することが単独行動よりも有利であるとみるだけでは、真の多国間協調とはいえない。米国と彼らとの間で、どのような行動をともにとっていくのかについての十分な意見の調整がなされなければならない。だが、今回のアフガニスタン撤退では、その点が著しく不十分であった。バイデン政権のアフガニスタン撤退は、アフガニスタンの国家再建にともにとり組んできたNATO諸国や日本などとの協議を十分に行うことなく進められた。先進7ヶ国首脳会議(G7サミット)での米軍撤収期限の延長要請も拒絶され、同盟国やパートナー国は自国民やアフガン人協力者の国外退避を混乱の中で行うことを強いられた。
バイデン大統領はカブール陥落後に、NATOや日本といった同盟国やパートナー国との連携の重要性を、あらためて強調している。しかし、同盟国やパートナー国の側では、バイデン政権のいう連携とは、米国が望ましいと考える行動に他国の協調をとりつけたいという一方的なものなのではないかという疑念がふくらんでいる。別の言い方をするならば、バイデン政権の掲げる多国間協調主義は、連携してとられるべき行動の内容については「普通の米国市民の利益」をはじめとする米国の都合が優先され、他国の都合はあまり考慮されないという、「ユニラテラルなマルティラテラリズム」なのではないかという冷めた見方が出てきているのである。
むすびにかえて
今回のアフガニスタン撤退が、米国が「世界の警察官」であった時代の終りを象徴する出来事であったとの見方がある。確かに、米国が単独で国際秩序維持の責任を引き受ける時代はもはや過去のものと言わざるを得まい。だがそうであるとしても、現在の世界における多くの難題への対応には、米国のリーダーシップが不可欠であることもまた疑いのない事実である。
カブール陥落後の米国の国際的地位を左右するのは、これからの米国にそうしたリーダーシップを発揮して世界とかかわり、国際協調を主導し、世界の難題、中でもとりわけ中国の挑戦に立ち向かっていく意志があるかどうかである。バイデン大統領がそのつもりがあることを繰り返し強調しているのは心強い。だが国際社会には、大統領のそうしたことばに対する疑念がみられる。それを払拭し、米国の国際的地位の回復と向上を現実のものとするためには、バイデン政権には、ことばによる意志表明を行動によって裏付けていくことが求められる。それが実行されるかどうかを、世界は期待と不安をともに抱きつつ注視している。