「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
2021年8月31日、バイデン大統領はアフガニスタンからの米軍撤退についての演説で、撤退の決定は「他の国を作り変えるための大規模軍事作戦の時代の終わり」を意味すると述べた。同大統領は、アフガニスタンにおける対テロ作戦が、歴史上「存在したことのない民主的で統一・統合されたアフガニスタンを作ろうとする国家建設(nation building)1」に変質したとして、米国はそのような考え方や大規模な軍事展開を変更すべきとした。本稿では、米国の「国家建設」からのディスエンゲージメントをふり返り、アフガニスタンの教訓と米国および日本を含む国際社会が直面するジレンマを検討する。
米国の「国家建設」からのディスエンゲージメントとバイデン演説の位置づけ
バイデン大統領の演説については、大統領自身が述べたように一つの時代の終焉を示すとする報道や、2013年9月にシリアへの軍事不介入を決定した際のオバマ大統領による「米国は世界の警察官ではない」との発言の論理的帰結とする解説がみられる。しかし、バイデン演説は、2009年のアフガニスタンへの大規模米軍増派(surge)と2011年の撤退開始の際にオバマ大統領によって示され、同年、リビアとシリアへの対応でも明らかとなった米国の「国家建設」からのディスエンゲージメントの再確認と貫徹として、最も良く理解できるであろう。
2009年12月、タリバンの攻勢に対応するため3万人の米軍増派を発表した際、オバマ大統領はアフガニスタンにおけるオープンエンドの「国家建設」へのコミットメントを拒否し、増派部隊は18か月後に撤退を開始すると明言した。同大統領は、「自らが最も国家建設に関心があるのは自国」であり、「米軍のアフガニスタンへのコミットメントはオープンエンドではあり得ず...アフガン人は自らの治安に責任を持つ必要がある」と述べた。当時副大統領であったバイデン氏は、当初は増派に反対し、米軍は対テロ作戦に集中する小規模なプレゼンスとすべきと主張していたとされる。2011年6月、前月のビン・ラディン殺害に続き、オバマ大統領は増派部隊のアフガニスタンからの撤退開始を宣言したが、その際もアフガン政府の責任を強調したうえで、「アメリカよ、自らの国家建設に集中すべき時だ("America, it is time to focus on nation building here at home.")」と述べた。これら2つのオバマ演説は、アフガニスタンにおける米国の目標を、タリバンに対する軍事的勝利や民主的な「国家建設」からアフガン政府への責任移譲に転換した(したがってその後に起こることは米国の責任ではない)と解釈されている。バイデン大統領の演説はこれらのオバマ演説を踏襲しており、アフガニスタンにおける対テロ作戦の目標達成後も10年間とどまっていたと発言したのは、バイデン大統領からすれば、治安に関する責任がアフガン政府・軍に引き渡された2014年以降、もっと早くに撤退を完了すべきであったと言いたいくらいだからであろう。
より大きな流れとして見ると、米国は、デイトン合意後のボスニアやコソボでのNATOの活動に続き、軍事侵攻後のアフガニスタンとイラクで「国家建設」に従事したが、そのディスエンゲージメントは2011年までには明確になっていた。この年、アフガニスタンからの撤退開始に加え、イラク、リビア及びシリアへの対応でもこの方針が顕著に示された。イラクでは、米国は2003年の侵攻後アフガニスタンの10倍の兵力を展開し(最初の数年間に対アフガニスタンの10倍の援助も注ぎ込んで)占領軍として「国家建設」プロジェクトを主導したが、わずか1年後の2004年夏にはイラク暫定政権に権限を委譲して「占領」状態を終えようとした。占領開始直後のイラク軍解体と大規模なパージ(脱バース党化)による治安悪化に加え、この早期の権限移譲と米国のコミットメント削減が、その後のイラク内戦につながったとされる。内戦に対応するため米軍は大規模増派(surge)を行ったが、2008年のイラク政府との合意に基づき2011年末までに撤退した。イラクのその後の治安悪化とシリア内戦の中で台頭したISISに対応するため再度米軍が展開されたが、バイデン大統領は、イラクでも年内に戦闘任務を終えると表明している。
2011年、「アラブの春」の際のリビア及びシリアへの米国の対応は、「国家建設」からのディスエンゲージメントを明確に示した。リビアにおいては、オバマ大統領はアフガニスタンとイラクでの失敗を繰り返さないためとして、"no boots on the ground"政策と、達成可能な限定された目標を多国間主義で追求するとの方針を貫き、介入をNATO主導の空爆に限定した。同大統領は、2011年10月、カダフィ殺害を受けた演説で、「一人の米兵も地上に派遣することなく」目標を達成したと誇り高く宣言した。軍事介入を行った米国やNATO諸国は、カダフィ政権転覆後の「国家建設」への関与を望まず、リビア暫定政権も外国軍の駐留を希望しない中で、リビア人の「オーナーシップ」を尊重し軍事部門を含まない小規模な政治ミッションである国連リビア支援ミッション(UNSMIL)が展開したが、リビアはほどなく新たな内戦に突入し「破綻国家」状態に陥ることとなった。
2011年にリビアに続き内戦状態に陥ったシリアについて、オバマ大統領は前述の2013年の演説において、「他国の内戦を力で解決はできない」ので軍事介入しなかったと説明し、アフガニスタンとイラクからの米軍撤退に言及した上で、米国での「国家建設」に集中するためシリアには地上軍を派遣せず、アフガニスタンやイラクでのようなオープンエンドの活動は行わないと述べた。この2013年の演説は、化学兵器が使用されたにもかかわらず軍事介入しないことを「世界の警察官」の役割放棄として宣言した点では米国の政策の重要な分水嶺であったが、米国の「国家建設」からのディスエンゲージメントという観点からは、オバマ大統領は2009年から一貫した対応をとっていた。さらに言えば、1990年代からの米国の「国家建設」へのコミットメントがむしろ例外であり、米国は遅くとも2011年までには完全にコースを変更していたが、その政策をアフガニスタンで貫徹するには2021年までかかったと言えるであろう。
アフガニスタンの教訓と国際社会が直面するジレンマ
9/11以前は「国家建設」に冷淡であったブッシュ大統領は、タリバン敗北後の一時期「マーシャルプラン」に言及するなど「国家建設」に傾いたとも思えたが、イラクが政権の主なアジェンダとなってからはアフガニスタンに対する米国の関心は大幅に薄れ、関心が戻ったのは治安が悪化した後であった。アフガニスタンで「国家建設」が失敗した要因については多くの議論が行われているが、以下の要素が影響したと言えるであろう。
- タリバン敗北後、米国は空軍力の支援を受けた少数の地上兵力による対アルカイダ・タリバン残党作戦を優先し、協力が必要な各地の軍閥を優遇して軍閥支配の継続を許した。また、米国の軍事作戦の巻き添えや誤爆により、一般市民の反発を招いた。
- NATO主体の国際治安支援部隊(ISAF)は、米国が自国の軍事作戦への影響を懸念したため、タリバン敗北直後の比較的平穏な時期に全土に拡大できなかった。ISAF拡大後はNATO 諸国が派遣軍確保に困難をきたし、治安の悪化に対応できなかった。
- 国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)は、初代ヘッドのブラヒミ(Lakhdar Brahimi)が提唱した、国際社会のプレゼンスを限定しアフガン人にできるだけ依拠する"light footprint"アプローチをとったが、治安確保の困難や人的資源の不足などのため、この方針は十分機能しなかった。
- アフガニスタンの新たなリーダーは国土に軍事侵攻した非イスラム外国勢力(米国)によって選ばれたとみられ、十分な正統性を発揮できなかった。タリバンは一貫して政治プロセスから排除され、包摂的な平和体制が構築できなかった。また、軍閥が自らの権限への脅威となる民主化に抵抗し、中央政府は権威と効率的な統治を全土に確立できなかった。
- 中央政府はまた、国際社会の支援を吸収・実施するための人的資源に欠け、開発プロジェクトで具体的な進展を示せず、外国の資金に依存する「レンティア国家」となって汚職もまん延した。ケシ栽培などの闇経済が軍閥やタリバンの資金源となった。
- アフガニスタン・パキスタン国境は元々コントロールが困難な地域であるが、中央政府の統治と国軍・ISAFによる国境管理が行き届かない中で、パキスタンによるタリバン支援が継続し、タリバン勢力復活につながった。
- アフガン国軍構築が米国防費により直接賄われたことも、中央政府の威信低下につながった。国軍は、部族の分断を超えた連帯や中央政府への忠誠心を醸成できず、タリバンとの戦いで数的に優勢でも士気に欠ける事例が相次いだ。日本が支援した軍閥の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)は、遅れてようやく実現した時には、国軍が弱い中でタリバンの進撃を助けることにつながった。
こうした多くの問題を抱え、アフガニスタンにおける安定的な「国家建設」は成功せず、タリバン政権が復活した。この経験から国際社会が学ぶべき教訓は多いが、軍事及び民生部門で1つずつ挙げるとすれば、政権転覆後早期かつ安定的に治安を確保すること、及び復興プロジェクトを効率的に実施できる人的資源を確保すること、の2つを「国家建設」プロセスの当初から可能とする必要性であろう。安定的な平和体制の構築は、その前提であると同時にこれらの要素がもたらす結果でもある。「国家建設」の成功には国際社会の強いコミットメントも必要であるが、外国勢力の介入が継続すると、国内の能力構築が遅延して対外依存が継続する一方で介入に対する国内の反発が高まるという、「国家建設」に不可避のジレンマも生じることとなる。
オバマ大統領は、アフガニスタンへの増派には乗り気でなかったが、アフガン政府の崩壊やタリバン復活という他の選択肢はさらに悪いものであったと回想録で述べている。いまやタリバンが支配するアフガニスタンという「さらに悪い選択肢」に直面する米国と日本を含む国際社会が、治安維持と人的資源で直面するジレンマは一層深刻である。治安維持については、タリバンがアルカイダとの関係を断絶したかは疑問であるが、タリバンが国土全体で支配を確立できなければ、その影響力が及ばないIS-Kなどの他のテロ集団を含め、アフガニスタンが国際テロの温床となる危険がさらに高まることとなる。人的資源については、過去20年間に米国や国際社会の支援で育成され活躍してきた女性や若者、外国政府・国際組織に協力したアフガン人が、身の安全を危惧し、あるいは将来に希望を持てないために出国を望むなら、米国と国際社会は支援すべきである。しかしその結果多くのアフガン人が自国でその能力を発揮できなければ、アフガニスタンの国家運営はさらなる困難に陥ることとなる。
米国と国際社会は、ソ連がアフガニスタンを撤退した後もタリバン政権が崩壊した後も、アフガニスタンを見捨てないと宣言したが、現実には「国家建設」からのディスエンゲージメントを繰り返してきた。新たなタリバン支配下のアフガニスタンに対して効果的なエンゲージメントを行い、上記の2つのジレンマを解決する方向に導けるのか、また、アフガン国民がそれを信じて新たな「国家建設」に取り組むことができるのか、米国と日本を含む国際社会は困難な挑戦に直面している。
1 紛争後の平和構築における「国家建設」は英語ではstatebuildingとされることが多いが、オバマ・バイデン両大統領の発言等、原語がnationbuildingの場合はそのまま使用する。
(注)本稿の議論の一部は、筆者の修士論文(Libya after NATO Intervention: Reasons behind the 'Minimum Footprint Approach'(2020年3月))に依拠する。
(参考文献)
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Dodge, Toby. 2013. "Intervention and dreams of exogenous statebuilding: the application of Liberal Peacebuilding in Afghanistan and Iraq." Review of International Studies 39 (5):1189-1212.
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