国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2020-4)
新型コロナウイルスで激化、世論をめぐる米中情報戦

2020-04-09
桒原響子(日本国際問題研究所 研究員)
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国際世論をめぐる米中情報戦

 近年の中国のシャープパワー行使に対する米国の態度の硬化は劇的である。その結果、中国のシャープパワーは米国から排除され、米中間で繰り広げられる圧力や牽制といった対立構造が「米中貿易戦争」と呼ばれる状況から、「政治戦」や「情報戦」の様相を呈してきた。年初から、新型コロナウイルス感染症への対応をめぐり、米中が、批判合戦を展開している。米国が中国を批判すれば中国が米国に責任転嫁し、相互にメディアを用いてけん制し合うという、いわば「プロパガンダ合戦」が繰り広げられている。


イメージ挽回を図る中国

 中国武漢で発生した新型コロナウイルスは、世界中に感染が拡大し、その影響が広がっているが、中国政府の初期対応が遅れたこと、とりわけ情報開示が後手に回ったことなどから、世界での中国のイメージが随分と悪化した。危機管理の観点からだけでなく、パブリック・ディプロマシーの観点からも失態であったといえよう。
 その中国は、なんとか失態を挽回するため、情報開示に積極的な姿勢に転じた。これと同時に、中国に厳しい姿勢を示す米国を批判し、他方で日本等、米国以外の国々からの支持を取り付けるため、日本の対中姿勢を評価するなど、イメージ戦略も欠かさなかった。中国外交部は、新型コロナウイルスによる肺炎の流行をめぐる米国の対応が危機を煽っていると批判するだけでなく、そもそも新型コロナウイルスの発生源が米国であるかのような言説を弄する一方で、日本からマスク等の支援物資が送られたことなどを高く評価したのも、その一環と理解される。
 具体的には、華春瑩報道官は2月3日の定例記者会見で、米国は「実体のある支援を提供せず」、「パニックを生み出している」と強く非難し、3月12日には、趙立堅副報道局長は新型コロナウイルスについて「米軍が中国に持ち込んだ」との陰謀説まで唱え出した。それと対照的に、日本に対しては、華報道官は2月4日の定例記者会見で、「中国側は日本の人々の心温かい行動に関心を寄せており、日本を含む各国の人々から寄せられた同情、理解、支持に心から感謝を表明し、心に深く刻む」と、日本に対しては極めて異例の公式の謝意を示した。また、華報道官は自身のツイッターに、漢詩とともに日本語で親日的な応援メッセージを度々投稿している。さらに、イタリアやイランなどに対しては、中国政府は応援メッセージとなる漢詩を添付した支援物資を送っている。この手法は、日本の民間団体が中国に支援物資を送った際に、漢詩を添えたという「想いの伝え方」を真似ていると見られるが、中国はこのように、自らのイメージを挽回し、日本など諸外国を自国の味方につけるために躍起になってパブリック・ディプロマシーを展開していると考えられる。


米中批判合戦① —「スケープゴーティング」

 米中対立は、新型コロナウイルス感染拡大をめぐる批判合戦の様相を見せている。中国政府の一部高官は、米軍がウイルスを中国に持ち込んだと豪語し、一方の米国は、トランプ大統領がウイルスを「中国ウイルス」と呼称するなど、双方がウイルスの感染拡大の責任を巡って非難し合う事態となっているのだ。
 中国は、自国・武漢から発生した新型コロナウイルスの感染拡大防止の一環としての初期対応が後手に回った、いわば世界に感染を拡大させた「張本人」であるともいえる。しかし、3月10日に、習近平国家主席が武漢を視察し、「ウイルス拡散の勢いは基本的に抑え込んだ」とアピールしたのも、欧州や中東等に支援物資を送ることで、あたかも自国こそが危機に対応するグローバル・リーダーシップを発揮しているかのような振る舞いをするのも、中国で禁じられているはずのツイッターで、報道官自らが親日的な発信を繰り返すのも、中国の国際社会からの孤立を避けること、および国内からの批判をかわすことが目的であると見られる。
 習主席にとって最大の懸念は、新型コロナウイルス感染拡大が、自国経済や国内世論にマイナスの影響を及ぼすことである。中国経済の多くが数週間凍結されていたが、今や、企業の生産活動等の業務が再開され、国民の消費行動も回復し、経済活動は徐々に回復に向かいつつある。しかし、完全な回復までに長期間を要するとみられること、また、中国で初めてSNSで新型肺炎の流行を指摘した李文亮医師を中国警察が処分したこと、さらにその後、同氏が肺炎のため死去したことなどが、国内社会に不満を募らせる原因になっている。そのため中国は、米国に自国の責任を転嫁し、自国こそがウイルスの感染拡大を抑え込み、世界中の困難に直面している国に寄り添うヒーローであると国内外にアピールし、国内外の世論を味方につけることで、米中の二国間対立の構図を避け、自国が率いる国際社会対米国の対立構造をつくろうとしているといえよう。
 一方の米国は、今や感染者数が世界一となっており、トランプ政権は、「中国ウイルス」などと発言をすることで、米国内および国際社会に向けて中国の責任を強調しようとしている。


米中批判合戦② —メディア戦

 そして、米中対立の舞台は、熾烈なメディア戦へと拡大している。2月19日、中国は、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの北京駐在の記者3人の記者証を無効にしたと発表した。同紙が2月3日に「China Is the Real Sick Man of Asia(中国はアジアの本当の病人)」との見出しのオピニオン・コラムを掲載したことに対する対抗措置である。
 中国外交部の耿爽副報道局長によれば、コラムが「人種差別的なニュアンス」を含んだ内容であり、「中国政府と人民の疫病と戦う努力を中傷した」と断じた。ただし、同コラムは外部有識者によって書かれたものであり、対象となった記者3名によるものではない。これら米有力紙では、通常、ニュース欄とオピニオン欄を厳密に区別される。つまり、今回追放された記者3名は、コラムの執筆や掲載とは無関係であり、中国の対応は的外れなものであったといわざるを得ない。
 一方の米国務省は、中国国営新華社通信やチャイナ・デイリー、中国国際テレビ(CGTN)、中国国際放送(CRI)、人民日報系列の米国海天発展の中国メディア5社を「中国の外交機関」と認定すると明らかにした。つまり米国は、これら5社は単なるニュースメディアではなく、中国共産党の「宣伝機関」であると位置付けたことになる。さらにトランプ大統領は、3月2日、このメディア5社について、米国内で活動できる記者数を100人に上限を設けるとし、事実上、60人の中国人記者を国外退去処分にした。
 中国の耿爽報道官はこの措置に激しく抗議し、「中国は対抗措置をとる権利がある」と米国を牽制し、その報復措置として、Voice of America、The New York Times、The Wall Street Journal、The Washington Post、Times magazineの米大手メディア5社に対し、中国での業務について詳細を書面で提出するよう要請した。
 米中間の貿易摩擦から始まった米中対立は、すでに「米中新冷戦」との見方が一部では広がっているが、現在では新型コロナウイルスが要因となり、情報戦を戦っている。ウイルスの感染が拡大すれば、両国の情報戦もさらに激化することが予想される。


世界中で拡大する中国の影響力

 今回露呈したのは、WHOと中国との関係の深さだった。新型コロナウイルス感染拡大をめぐり中国の初動の遅れが世界中で批判される中、WHO側の明らかな中国への配慮が見え隠れする。
 WHOテドロス事務局長が3月11日、「パンデミックとみなせる」と表明したが、そのWHOの対応が遅れたこと、また宣言が出された定例記者会見の中でテドロス事務局長が「過去2週間で中国以外の感染者数が13倍に増えた」とわざわざ「中国以外」を強調したことなどは、いずれもWHOの中国への配慮と見られる。テドロス事務局長はこれまで、記者会見等で「中国は拡大を遅らせるために良いことをしている」とか、習主席を「危機に対応するリーダーシップを発揮している」などと、中国の対応を称讃するかのような発言を繰り返している。
 これらはすべて、中国がいかにWHOへの拠出を増やし、影響力を増大させてきているかを示唆するものである。資金面では、中国の国連への分担金負担率は、日本を追い抜き米国に次ぐ2位となった(2020年米国22%、中国12%、日本8%)。また、テドロス事務局長の出身国エチオピアは、中国から巨額な経済支援を受けており、中国との親密な関係を有する。WHOの歴代事務局長も中国寄りで、例えば前事務局長も香港出身だった。
 世界中での中国の影響力は拡大し、各国が容易に対中批判をできる時代ではなくなった。民主主義国家や、民主主義的な価値観を重んじる国際機関や組織にとって、権威主義国家とされる中国の影響力を全面から排除したり、中国とのバランスを保ったりすることは、難題になってきているともいえる。
 中国では、中国共産党の権威が保たれる限り、民主主義的市場体制下と同様の形での経済危機は起こりにくい。中国共産党が権威主義体制で中国を統治している限り、中国市場や中国経済に依存する国々は、中国の経済的影響力やそれをベースとした政治的影響力の行使を排除することは難しい。しかし問題は、中国共産党の権威が失墜した時である。中国国民が中国共産党統治に対する信頼を失い、社会が不安定化した時、政治体制は崩壊しかねない。中国共産党にとって、そのような事態は受け入れられない。そのため、米国の中国批判が国際社会において中国を孤立させ、中国の経済発展を阻害し、ひいては中国共産党による一党統治の政治体制を揺るがしかねないと考える中国は、国際世論を味方につけようと、反米パブリック・ディプロマシーや情報戦を展開するのである。
 米中は情報戦を展開し、各国を巻き込み、市場や価値観、そして情報通信ネットワークや安全保障面で、世界を二分化しようとしている。今回の新型コロナウイルス感染拡大の裏でも、米中が情報戦でしのぎを削っているが、米中以外の国々が最も警戒しなければならないことは、ディスインフォメーション・キャンペーン等によって偽情報や憶測が拡散され、それに国際世論が振り回されることかもしれない。日本が、危機管理の一環としての情報発信の重要性に気づき、情報戦を戦う覚悟を持たなくてはならないということでもあろう。