米国は今、二つの混乱に揺れている。一つは新型コロナウィルス感染症の拡大によるものであり、もう一つは米国の社会に構造的に根深い人種差別によるものである。そして、これら二つの混乱は米国に長らく存在するあらゆるレベルにおける分断を改めて浮き彫りにしている。社会が大きく揺れる中、コロナ対策も人種差別問題も政治化し、党派的分断に端を発する米国の分断がトランプ大統領の言動とともに、ますます深刻化の様相を呈し、社会の混乱を増幅しているように見える。
新型コロナウィルスの感染爆発
世界で猛威をふるっている新型コロナウィルス感染症(COVID-19)。米国では3月に入ってから急速に国内における感染が拡大し、6月中旬時点で感染者数が200万超、死者数が11万5,000超と世界で最大の被害を受けている国となっている1。11万5,000超という死者数は、ベトナム戦争(約5万8,000人)2やイラク戦争(約4,400人)3、9.11同時多発テロ事件(約2,900人)4の死者数を大きく上回る数字であり、COVID-19が米国に与えている被害の深刻さを端的に表していよう。また、予防効果の有効なワクチンや治療薬が確立されておらず、米国でも被害の拡大を防ぐために他の多くの国々と同様に、人々の外出禁止やオフィスや店舗の営業停止といった措置が取られてきた。特に、ニューヨーク州やカリフォルニア州など経済活動の活発な大都市を擁する州では罰則規定も含む厳しい措置が取られ、これによる経済的損失も甚大なものとなっている。商務省発表のGDPは2019年第4四半期の2.1%から2020年第1四半期ではマイナス5%へと大きく落ち込み5、労働統計局による失業率は昨年来3%台を推移していたが、国内でのCOVID-19感染の拡大が目立ち始めてきた3月になると4.4%に上昇し、感染拡大の被害が深刻になった4月には14.7%に急上昇し、5月も13.3%と高い水準で推移している6。
「ブラック・ライブズ・マター7」運動の広がり
こうしたコロナ禍の渦中に社会を揺るがすもう一つの問題が起こった。5月25日、ミネソタ州ミネアポリスの路上で黒人男性を拘束する際に警察官がうつ伏せにした黒人男性の首を膝で圧迫し、死亡させた事件である。被害者の黒人男性は丸腰であり、拘束されている8分超のあいだ「息ができない」と悲痛な声を挙げ、この映像がSNSで拡散すると、事件の翌日からこれに対する抗議の声が挙がった。「息ができない(I can't breathe.)」という叫びは2014年7月にニューヨーク市で起こった同様の警察官による拘束時における黒人男性の窒息死事件で被害者の黒人男性が全く同じ叫びをあげており、繰り返される悲痛な叫びは人種差別が解決されない社会そのものの閉塞感をも表しているかのようでもあり、「ブラック・ライブズ・マター」とともに構造的に根深い米国の黒人差別に対する抗議の声を象徴するフレーズとなっている。抗議行動は瞬く間に全米に広がり、黒人の人権擁護を訴え、警察官の黒人に対する暴力を糾弾する抗議デモが全米の多くの都市に拡大している。大多数は平和的なデモであるが、一部が暴徒化し、略奪行為が散見されたこともある。また、抗議デモ中に警察部隊と衝突しけがを負う参加者もあり、抗議デモに関する混乱も広がっている。さらに、抗議活動において密集する参加者同士の間に、あるいは、参加者と抗議デモの鎮静化のために投入された警察官や州兵との間にも一定の距離(ソーシャル・ディスタンス)が取られていない場合が多く、経済活動の再開のみならず、抗議活動の拡大によってもCOVID-19の感染状況が悪化する可能性が指摘され、感染拡大の第二波も懸念されている。
混乱が政治化する可能性
これら二つの混乱は政治化する可能性をはらんでいる。まず、コロナ禍のなかで、経済政策のあり方が問われる場面が増えている。経済運営の手腕を11月の大統領選挙でのアピール・ポイントとしたいトランプ大統領にとって新型コロナウィルス感染症が引き起こした経済停滞は頭の痛い問題であり、トランプ大統領は経済活動の再開を急いでいる。しかし、経済活動の再開とCOVID-19の感染拡大第二波の防遏のバランスをどのように図るかについては党派別で考え方に大きな開きがある。例えば、知事が民主党であるニューヨーク州では感染拡大第二波の阻止が経済活動の再開に優先されている一方、知事が共和党であるテキサス州やアリゾナ州では経済活動の再開が急がれ、感染者の増加が報告されている。また、ピュー・リサーチ・センターの調査によると、共和党支持者では48%(4月7日~12日調査)、53%(4月29日~5月5日調査)が経済再開は十分な早さを以て行われなかったとする一方、民主党支持者では81%(4月7日~12日調査)、87%(4月29日~5月5日調査)が経済再開は早すぎると回答している8。加えて、外出制限下でオフィス・ワーカーの多い高所得層に在宅勤務が広がる一方で、低所得層は在宅勤務の難しい職業に就いている傾向があり、感染リスクが所得の格差に連関しているという指摘も多くなされた。格差の是正は民主党が主張する争点の一つであり、経済成長と格差是正のバランスについての議論も、経済活動の再開と感染拡大第二波の阻止のバランスに加えて、政治化する可能性がある。
また、医療保険のあり方についての議論が再燃する可能性も否定できない。米国では医療保険は雇用主から提供される民間保険会社による医療保険が多数を占めるが、COVID-19の拡大に伴う経済停滞による失業率の上昇とともに、COVID-19の感染リスクが高まる中で最も必要とされるものの一つであろう医療保険を失い、最悪の場合、無保険になってしまうリスクが浮かび上がった。医療保険制度に係る議論はオバマ前政権時代から続き、民主党の指名争いでもバイデン前副大統領と撤退直前まで競っていたサンダース上院議員が主要な争点にしていた。しかし、公的医療保険制度のあり方を含め、医療保険制度に対する意見は支持政党別のみならず所得階層別でも多様であり、議論が長引き、政治問題化する可能性が残る。
さらに、人種差別に対する抗議行動は米国の社会構造に様々な疑問を投げかけ、これに対して政治がどのような解決策を提供できるかという議論にも発展している。例えば、警察官の暴力に対する抗議の声は警察組織に対する予算削減など警察組織改革に係る議論を活性化し、一部では警察組織の解体にまで議論が及んでいる。与野党そして政権が、立法あるいは大統領令によって、今後どのような対応を示すのかにも注目が集まっている。
分断が混乱を増幅
二つの混乱を通じて、トランプ大統領の対応が様々なレベルにおける米国の分断を呼び起こさせているような場面も多い。
例えば、トランプ大統領はコロナ禍で米国民の雇用確保のためには移民の規制が必要であるとの考えを示し、4月22日に移民規制の布告を発出し9、実質的に永住権取得に必要な移民ビザの米国外からの申請受付を一時的に停止した。厳しい移民政策はトランプ大統領にとって優先度の高い政策であるが、合法的な移民ビザの取得手続きに対する例外的な措置は米国民と移民との分断を際立たせるものとなった。また、この段階では支持基盤である産業界や農業界の反対を意識してか、高度技能や専門知識を持つ外国人が米国で雇用されるために必要な就労ビザや農場等での季節労働を含む外国人の一時就労に必要な就労ビザなどの非移民ビザについては規制が行われなかったが、6月に入るとこれら外国人向けの就労ビザの発給に対する規制も行われる模様だとの報道10も出始めている。これが実現すれば、米国民と移民のみならず、米国民と外国人との分断もより顕著になり、コロナ禍における米国民の雇用確保という大義名分の下、「移民の国、アメリカ」や「磁石のように世界中から才能を結集させる国、アメリカ」という米国像が揺らぐことは否めない。
また、トランプ大統領は新型コロナウィルス感染症に対する初動対応を巡って世界保健機関(WHO)を非難する姿勢を強めているが、これもトランプ政権下で顕著な米国と国際機関との分断を際立たせるものとなっている。
さらに、近年の米国政治の大きな特徴である党派的分断に止まらず、政権や共和党の内部の分断もより目立つようになっている。特に、人種差別抗議行動に関して、トランプ大統領が6月1日に行ったホワイト・ハウスでの演説で抗議デモの鎮静化のために連邦軍の投入も辞さない考えを示した11ことに対しては政権内、共和党内からも批判や疑問の声が挙がっている。エスパー国防長官は6月3日の国防総省での記者会見で連邦軍の投入の考えに反対の意見を述べた。また、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は6月11日の国防大学の卒業式に贈ったビデオ・メッセージで、人種差別を糾弾するとともに、平和的なデモは合衆国憲法の謳う理念に適っていると述べた。加えて、トランプ大統領が6月1日の演説直後に、ホワイト・ハウスの北側に位置するラファイエット広場に集まったデモ隊が催涙ガスなどで排除された後に、同広場を渡ってセント・ジョンズ教会前で写真撮影したことに同行した点に関して、軍が内政に関与したとの誤解を与えかねないとし、「自分はあの場にいるべきではなかった。間違いだった」と述べた12。さらに、マティス前国防長官によるトランプ大統領の対応を批判する声明はトランプ大統が国民と国民を守るべき軍とを分断させ、国の分断を意図的に煽っており、トランプ大統領は成熟した指導力に欠けていると厳しく非難し13、注目を集めた。共和党からはアラスカ州選出のマカウスキー上院議員がマティス前国防長官の声明に賛同する姿勢を示し、トランプ大統領の再選の支持を明確にできないと発言した。
おわりに
党派的分断に端を発する米国の分断は、トランプ大統領の言動とともに、もはやあらゆるレベルにまで及んできている様相を呈している。そして、こうした分断がコロナ禍と人種差別に対する抗議行動の高まりという二つの歴史的な出来事のさなかで社会の混乱を増幅させている感がある。刻一刻と変化する大きな混乱に人々が傷ついている中で、米国政治がどのような解決策を示し、社会の混乱を癒していくことができるのか、さらには、究極的には米国の民主主義が未曽有の混乱の中でどのようにその強靭性を見せるのか、長期的な視点が必要になってこよう。
(2020年6月15日脱稿)