第一次政権において、トランプ大統領は従来のアメリカの関税政策を変更した。アメリカは第二次世界大戦後、自由貿易を通商政策の基調としてきたが、トランプ大統領はこれを保護貿易へと変調した。2018年に課された鉄鋼とアルミニウムへの関税引き上げと、中国に対する大規模な関税引き上げはその象徴であった。
第二次政権においても、トランプ大統領は関税に執着し、自らを「タリフマン」として誇ってさえいる。2025年2月1日、トランプ大統領は3本の行政命令によって、カナダi、メキシコii、中国iiiに対する関税引き上げを命じた。緊張関係が長く続く中国だけでなく、アメリカと長らく自由貿易協定(1994年からNAFTA、2020年からはUSMCA)を結んできたカナダとメキシコを対象にしたことで驚きが広がった。トランプ大統領はいったい、どのような理由と権限で、関税引き上げを命じているのだろうか。本稿では、行政命令に示されている論理を明らかにしたい。
国家緊急事態と関税引き上げ
トランプ大統領が2025年2月1日に署名した3本の行政命令は、それぞれがカナダ、メキシコ、中国を名指ししているが内容はほぼ同一であり、いずれも国際緊急経済権限法(International Emergency Economic Powers Act)を根拠としている。同法の発動には、国家緊急事態宣言が必要とされるが、それは1月20日の大統領布告にて発令されているiv。
緊急事態を宣言する理由としてトランプ大統領は、アメリカ国民とアメリカ南部国境が「麻薬カルテル、犯罪集団、テロリスト、人身売買業者、密輸業者、外国の敵対勢力」から攻撃を受けていると言う。「不法滞在者の手による、女性や子供を含む多くの罪のないアメリカ市民に対する恐ろしくも許しがたい殺人事件」が起き、「南部国境を越えて流入した違法麻薬が原因で、数十万人のアメリカ人が薬物の過剰摂取により悲劇的な死」を迎えている。トランプ大統領は「最高司令官として、私は米国国民を守る以上に厳粛な義務はない」ため、「米国の南部国境において国家緊急事態が存在することを宣言」したv。不法な越境者と麻薬、これが安全保障上の脅威とされた。
2月1日に署名されたメキシコに対する関税引き上げを規定する行政命令14194号は、この緊急事態宣言に忠実に基づいている。「メキシコは、不法移民や違法薬物の流入を効果的に食い止めるために十分な注意と資源を割いてこなかった」だけでなく、「メキシコ政府は麻薬カルテルに安全な避難場所を提供し、違法薬物の製造や輸送を許してきた」とまで言う。「メキシコ政府によるこの不作為は、米国の国家安全保障、外交政策、経済に対する異常かつ特別な脅威を構成」しており、国際緊急経済法が大統領に認める「関税を課す以外の措置では、この異常かつ特別な脅威に対処するには不十分」である。そこで、「すべてのメキシコ製品に、法律に従い、追加の25%の関税」を課すことにしたvi。
カナダに対して関税を引き上げる行政命令14193号、中国に対する行政命令14195号もほぼ同様の内容である。1月20日の国家緊急事態宣言が南部国境を地理的に指定していたことが課題であったが、カナダと中国からのフェンタニルなどの違法薬物の流入を取り上げ、緊急事態の地理的範囲を拡大し、国際緊急経済法に基づく関税引き上げを決定している。カナダについては25%、中国については10%という数字が設定された。
中国についてトランプは、「中国には世界で最も洗練された国内監視ネットワークと、最も包括的な国内法執行機関」があり、「中国は政治的な反対意見と見なすものを脅迫、嫌がらせ、弾圧するために、世界中で日常的に域外適用を行っており」、「中国共産党には、世界的な違法オピオイドの蔓延を大幅に抑制する能力が欠けているわけではない。単に、そうする意思がないだけである」と手厳しいvii。
いずれの行政命令も関税引き上げを2月4日に実施すると定めているが、その通りに引き上げられたのは中国だけであり、カナダとメキシコについてはその後二度、延長されている。中国については3月3日、「中国が違法薬物の危機を緩和するための適切な措置を講じていない」という理由で、さらに10%の追加関税を課すという行政命令も出されたviii。
関税を引き上げるという決定を、トランプ大統領は外交上の脅しとして利用している。なお、脅しとして使うためには、相手国の出方次第で対応を変えられたほうがよい。そのためにも、国家緊急事態への対応としての関税引き上げという論理は便利である。安全保障上の脅威の存在と程度は大統領が最終的に判断するものであり、大統領によるその時々の判断が過去の判断を更新している。
関税引き上げを阻むことはできるか
大統領による関税引き上げを阻む仕組みはあるのだろうか。三権分立制の原則によれば、連邦議会と裁判所にはそれが可能であるものの、今日の政治環境では実現する見込みは低い。まず連邦議会は、関税引き上げについて広範な裁量を法律(上述の国際緊急経済法以外にも、通商法301条など)によって大統領に与えてきたので、授権している法律を改正するという対抗手段がある。しかしながら、近年の連邦議会は二大政党の勢力が拮抗しており満足に立法することができない。さらに2025年は上下両院で共和党が多数であり、共和党大統領の手足を縛る法案審議の進展も見込めない。もし仮にそのような法案が大統領に提出されたとしても、大統領は拒否権を行使することができる。そして、議会では拒否権を覆すために三分の二以上の議員が連帯することもないだろう。ゆえに、連邦議会が大統領から権限を取り戻すという道筋はほぼ閉ざされている。
連邦裁判所はどうだろうか。関税の引き上げにより不利益を被ったアメリカの輸入業者が連邦政府を相手に訴訟を起こすことは可能だと思われるが、関税引き上げの根拠が国際緊急経済権限法であり、安全保障上の問題に対処するためだと大統領が主張する限り、裁判所はその判断を尊重するものと思われる。さらに、現在の連邦最高裁の構成は9名の裁判官のうち、6名が保守派である。なおさら、共和党大統領に不利な判決が出る可能性は低い。
最後に、トランプ大統領による一方的な関税引き上げを、WTOが阻むことは考えられないだろうか。一方的な関税引き上げは、いかにもWTO協定違反に見える。WTOには、参加国の間で貿易制度についての紛争が生じた場合に備え、二審制の紛争解決制度が存在する。当事国同士の交渉で問題が解決されることが望ましいが、解決に至らない場合、紛争当事国は、WTO全加盟国からなる紛争解決機関に小委員会(パネル)の設置を申し立てることができる。そして、当事国は小委員会の決定に不服がある場合、上級委員会に上訴できる。小委員会は適宜設置されるのに対して、上級委員会は常設組織である。上級委員会は7名で構成され、審理には3名が必要とされる。任期は4年(一度のみ再任可能)で、任命方法は紛争解決機関によるとのみ定められており、実質的にはWTO加盟国のコンセンサスによって選出されてきたix。
アメリカはWTOに多大な分担金を拠出しているにもかかわらず、あるいは拠出しているが故に、WTOの紛争解決制度に対して強い不満を抱いてきたx。とくに第一次トランプ政権の米国通商代表部はあからさまに不満を表明した。ロバート・ライトハイザー通商代表の指揮のもとで作成された報告書は、上級委員会の問題を170頁にわたり指摘しているxi。
この報告書は、上級委員会の様々な問題を指摘するが、目を引くのは、上級委員の決定は中国を利する傾向にあるという主張と、上級委員会は法に基づいて判断するのではなく、新しい法を創出しているという批判である。とくに後者の主張は、アメリカの保守派が連邦最高裁に対して長年にわたり繰り返してきた主張で、司法積極主義と呼ばれるものである。
この批判に基づいて、第一次トランプ政権は(そしてバイデン政権も)、紛争解決機関の構成国として上級委員会委員選出を阻んできた。2019年以降、上級委員会は審理を行うための3名を確保できない状況が続いている。紛争国が申し立てをした場合、小委員会は設置されるも、上訴された場合に上級委員会は審理できず、結論は出ない。上訴された小委員会の裁決は宙に浮くことになるので、事実上効力を持たないxii。
アメリカは、上級委員会人事を阻むことで、WTOの紛争解決制度を機能不全に追い込んだ。関税の一方的引き上げというWTOルールに抵触しかねない行動について、それを抑制しうる国際機関は、事前にトランプ政権によって骨抜きにされているのである。トランプ大統領による関税引き上げについては、国内的、さらには国際的な歯止めも効きそうにない。
i Donald Trump, "Executive Order 14193: Imposing Duties to Address the Flow of Illicit Drugs Across Our Northern Border," February 1, 2025 (90 FR 9113).
ii Donald Trump, "Executive Order 14194: Imposing Duties to Address the Situation at Our Southern Border," February 1, 2025 (90 FR 9117).
iii Donald Trump, "Executive Order 14195: Imposing Duties to Address the Synthetic Opioid Supply Chain in the People's Republic of China," February 1, 2025 (90 FR 9121).
iv Donald Trump, "Presidential Proclamation 10886: Declaring a National Emergency at the Southern Border of the United States," January 20, 2025 (90 FR 8327).
v Ibid.
vi Donald Trump, "Executive Order 14194: Imposing Duties to Address the Situation at Our Southern Border," February 1, 2025 (90 FR 9117).
vii Donald Trump, "Executive Order 14195: Imposing Duties to Address the Synthetic Opioid Supply Chain in the People's Republic of China," February 1, 2025 (90 FR 9121).
viii Donald Trump, "Executive Order: Further Amendment to Duties Addressing the Synthetic Opioid Supply Chain in the People's Republic of China" March 3, 2025. <https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/03/further-amendment-to-duties-addressing-the-synthetic-opioid-supply-chain-in-the-peoples-republic-of-china/>.
ix Stephanie Nebehay, "U.S. seals demise of WTO appeals bench - trade officials," Reuters, December 10, 2019. <https://www.reuters.com/article/business/us-seals-demise-of-wto-appeals-bench-trade-officials-idUSKBN1YD1RV/>
x アメリカはWTOに長年に渡り分担金を拠出してきた。2024年実績では、アメリカは単独国としては最大の11.4%の分担金を拠出している。なお、2位は中国で11.1%、EUは27カ国で31.0%。WTO Annual Report 2024 <https://www.wto.org/english/res_e/booksp_e/anrep_e/ar24_e.pdf>
xi United States Trade Representative, "Report on the Appellate Body of the World Trade Organization," February 2020. <https://ustr.gov/sites/default/files/Report_on_the_Appellate_Body_of_the_World_Trade_Organization.pdf>
xii なお、上級委員会の機能不全を打開しようと、新たな仲裁制度として「多数国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA: Multi-party Interim Appeal Arbitration)」を設ける動きがある。ただし、小委員会と上級委員会の二審制の場合には不要であった紛争当事国間の合意が仲裁制度利用のためには必要になる点で大きく異なる。外務省「WTOにおける多数国間暫定上訴仲裁アレンジメントへの参加に関する閣議了解について」2023年3月10日<https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press6_001446.html>;伊尾木智子「MPIA活用でWTO「法の支配」回復なるか(世界)」日本貿易振興機構、2024年9月5日<https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2024/0901/278b76ae19726e0a.html>.