大統領選が8ヶ月後に迫った現在、各種の世論調査では、民主党の最有力候補である現職大統領バイデンに対し、前大統領トランプがややリードしている。今年の1月末に行われたNBCの世論調査によれば、トランプは不法移民対策や経済政策、犯罪対策など、有権者の関心が高い問題についてバイデンより信任されている。とりわけ同調査でバイデンに圧倒的な差(35ポイント)をつけたのは、メキシコとの国境付近の不法移民対策だったⁱ。

バイデン政権が発足した2021年以降、国境付近の不法越境者は増え続け、再選を目指すバイデンの大きな課題となっている。税関・国境取締局(CBP)によると、2023年12月にメキシコ国境付近で拘束・保護された不法移民は、前年同月比約20%増の約30万2,000人に達し、過去最多を更新したⁱⁱ。ギャラップ社の1月の世論調査では、バイデンを支持しないと答えた人は54%に上り、その理由として国境沿いの不法移民対策を挙げた人は19%にのぼり、経済政策などを上回る、最多の数となったⁱⁱⁱ。また、大統領戦の帰趨に大きく影響する接戦州でも、不法移民問題への関心は高まっており、バイデンの責任を問う声が強まっているとする調査もある^iv。

2020年大統領選時には、「私の政権下ではもう1フィートの壁も造らせない」と明言したバイデンだったが、厳しい世論を背景に、政策を転換しつつある。昨年10月、バイデンは、トランプ政権時代に進められたメキシコ国境沿いの壁建設を再開すると表明し、今年に入り、中南米からの不法移民の流入急増を阻止するため、一時的にメキシコ国境を閉鎖する考えがあるとも明らかにした。報道によれば、バイデンは現在、アメリカに不法入国した人々が亡命を申請できないようにする行政措置も検討しているという。

上述のNBCの世論調査で、バイデンがトランプより信任されている項目は、移民の人権の擁護(17ポイント)、中絶問題(12ポイント)、民主主義の擁護(2ポイント)だった。具体的な政策ではトランプ支持に傾きつつある人々も、人権や民主主義といった価値の擁護についてはバイデンを信任しているといえそうだ。もっとも、「移民の人権の擁護」についてバイデンがトランプよりも支持されている事実は、バイデンに難しい問題を突きつけてもいる。上述のように、バイデン政権は、不法移民についてより厳格な対応を打ち出そうとしているが、民主党の支持層には、トランプ流の排他的な不法移民対策を批判的に見る人も少なくない。バイデンや再選を目指す民主党議員にとっては、不法移民問題についてどのような態度をとるかは非常に繊細で難しい問題となっている^v。

「民主主義の擁護」。この項目については、バイデンはトランプにリードを保っている。しかし2021年1月の議会議事堂襲撃事件の衝撃を考えれば、たった2ポイントのリードは小さいともいえる。ワシントンポスト紙とメリーランド大学の共同世論調査によれば、事件から3年経った今、依然として連邦議会議事堂襲撃は「決して忘れてはならない民主主義への攻撃」であったと考えるアメリカ人は過半数(55％)だが、共和党支持者の7割超が「議事堂襲撃事件はあまりに大きく扱われすぎており、それに拘るより、前に進むべきだ」と考えている。また、共和党支持者の7割超が「トランプは政治的な理由で訴追対象になっている」とも考えている^vi。

さらに今、民主党支持者の中から、「バイデンもまた民主主義を踏み躙っている」との怒りの声があがっている。中東パレスチナ自治区ガザで今も続くイスラム組織ハマスとイスラエルとの戦闘について、バイデンの政策があまりにイスラエルに寄りすぎており、アメリカ国民の民意を踏み躙っているという批判だ。昨年10月7日、ガザを拠点とするハマスのテロ攻撃を受けたイスラエルは、「ハマス壊滅」を掲げ、ガザ全土で大々的な軍事行動を展開してきた。2月末の現在でガザ市民の犠牲は3万人に迫り、ガザに居住する人口の4分の1にあたる57万人超が「飢餓にあと一歩」という、極度の人道危機が起こっている。ガザでの犠牲が増えるにつれ、バイデンのガザ危機対策への不支持は過半数となり、若年層の不支持は7割に及んできた^vii。「民主主義の擁護者」を国内外で自負してきたバイデンだが、ガザ危機については民意を汲み取った外交を展開しているとは言い難い。

バイデンのガザ危機対応への不満から、いよいよバイデン不支持の動きを活性化させてきたのがアラブ系アメリカ人たちだ。10月末にアラブ系アメリカ人研究所が発表した世論調査では、アラブ系のバイデン支持は2020年大統領選時の59%から17%に急落した^viii。同じ頃に発表されたニューヨーク・タイムズ紙とシエナ大学の共同世論調査では、勝敗の鍵を握る接戦州であるアリゾナ、ネバダ、ジョージア、ペンシルベニア、ミシガン、ウィスコンシンの6州うち、ウィスコンシン州以外の5州で、トランプがバイデンより支持された。いずれも2020年大統領選ではバイデンが制した州だ^ix。

中でもガザ危機の影響を最も大きく受けるとみられるのがミシガン州だ。アラブ系アメリカ人は全米の人口の1%程度にすぎないが、ミシガン州には21万人超のアラブ系が居住している。アメリカ議会唯一のパレスチナ系下院議員として、早くからガザ即時停戦を訴えてきたラシダ・タリーブを選出してきた州でもあり、全米の中でもとりわけ即時停戦を求める世論が強い州でもある^x。2020年大統領選で、同州でバイデンがトランプを破ったとき、その差は154,000票にすぎなかった。2016年大統領選でトランプがヒラリー・クリントンを破った際、その差はわずか11,000票弱だった。アラブ系の投票行動は、同州におけるバイデンの勝利、ひいては大統領選の勝利の行方も左右する。

バイデンのガザ危機対応へのミシガン市民の不満は、2月27日に行われた同州の予備選で具体的にバイデンに突きつけられることになった。現職大統領であるバイデンの圧勝が確実視され、実際に80%超の得票で圧勝した予備選だったが、13.3%にあたる10万人超の有権者が「支持者なし(uncommitted)」に投票したのだ。2020年の民主党予備選では「支持者なし」票は約2万票だったことを考えても、今回は明らかに多い。

「支持者なし」への投票の多くは、バイデン政権のガザ危機対応への不満を示す抗議票だったと考えられている。同州では予備選に先立ち、民主党の政治家や支持者たちによって「支持者なし」への投票を呼びかける「ミシガンの声を聞け(Listen to Michigan)」キャンペーンが展開されてきた。このキャンペーンには、民主党の州議会議員や市議会議員、全米で有数のアラブ系人口を誇るディアボーンのアブドゥラ・ハムード市長などに加え、タリーブ下院議員やユダヤ系のアンディ・レヴィン元下院議員も支持と参加を表明してきた。キャンペーンの推進者や支持者たちは、このキャンペーンは決してバイデンの落選運動ではなく、バイデンと民主党を救う運動なのだと強調してきた。つまり、バイデンのガザ危機対応がこのまま修正されず、有権者の不満も解消されないまま大統領戦の本戦を迎えた場合、トランプ勝利という致命的な結果がもたらされかねない。そうなる前に、バイデンのガザ政策に抜本的な軌道修正を求めることがキャンペーンの目的だという^xi。キャンペーンは、バーニー・サンダース上院議員(バーモント州)が2016年大統領選に挑戦した際に誕生した非営利団体で、ミシガン州に87,000人の会員を有する「私たちの革命(Our Revolution)」等の賛同も獲得し、大きな草の根運動となっていった。当初キャンペーンは、1〜2万票の「支持者なし」票の獲得を目指していたが、結果は10万を超える得票となった。

「ミシガンの声を聞け」キャンペーンを中心となって推進してきたディアボーンのハムード市長は、「これはアラブ系だけの問題ではない。イスラム教徒だけの問題でもない。これはモラルの問題だ」と語り^xii、もし今回の予備選の結果を受けても、バイデンが停戦へのイニシアティブを発揮せず、イスラエルへの軍事支援を続けるようであれば、11月の大統領戦の本戦でも「支持者なし」運動を行う意向を示している^xiii。バイデンは、アメリカ人を含む人質の救出のために、イスラム教徒の断食月(ラマダン)が始まる3月10日までに、少なくとも6週間の戦闘休止を実現するようネタニヤフ政権に働きかけたが、「ミシガンの声を聞け」キャンペーンは恒久的な停戦を求めている。今回のミシガン州予備選で「支持なし」に投票した人々が、大統領選の本戦でトランプに投票することはなかったとしても、選挙当日、家にとどまり、投票に行かないだけでもバイデンには大きな打撃となる。キャンペーンを推進してきたタリーブ議員は、今回の「支持者なし」キャンペーンは、即時停戦を求める民意をバイデンに届け、「アメリカの民主主義を守る」ためのものだと説明している^xiv。「トランプからアメリカの民主主義を守る」と掲げてきたバイデンだが、ガザ危機対応をめぐって、身内の民主党左派グループやその支持者たちから寄せられるイスラエル・ハマス紛争の即時停戦を求める声にどう応えるか。これは単なる道義的な問いではなく、大統領戦の帰結も左右する問いになっていくかもしれない。

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