研究レポート

アジア秩序が「紅色」に染まる日

2022-03-31
秋田浩之(日本経済新聞社本社コメンテーター)
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「日米同盟」研究会 FY2021-5号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

ロシアによるウクライナへの侵略によって第2次世界大戦後、世界の平和を保ってきた国際体制は大きく揺らいでいる。本稿ではこの戦争が米中関係にもたらす影響を分析したうえで、両大国によるアジア太平洋覇権争いの行方を占う。

ロシアの侵略により、米中の緊張はさら高まっている。米中は経済的に深く結びついている点で、かつて冷戦になった米ソとは異なる。だが、米中の対立はより固定化され、新型冷戦ともいえる関係に近づいていく。

2020年初めごろまでは、米中対立の主因はインド太平洋の海洋とハイテクの覇権争いだった。20年初めから新型コロナウイルスの感染が世界に広がり、新たに政治体制をめぐる争いが加わった。 

米国はパンデミックを起こした責任の一端は、中国共産党の独裁体制にあるとみている。共産党が報道や言論の自由を認めていれば、コロナ感染が始まった直後、現場による隠蔽は避けられ、ウイルスが世界に拡散するのも防げた。米政府や議会には、こんな認識が漂う。

中国はこれに対し、西側諸国で感染が広がったのは、民主主義体制に欠陥があるからだと主張する。中国は強力な措置でコロナを封じ込めたが、西側諸国は手をこまぬいている。共産党体制は民主主義体制よりも優れている、というのが中国の論法だ。

これは海洋やハイテクの覇権争いとは異なり、互いの政治体制の優劣をめぐるイデオロギー争いといっていい。

ロシアの侵略はこうした米中のあつれきをさらに強め、対立を新たな次元に引き上げつつある。なぜなら、世界秩序のあり方をめぐる米中の立場が根本的に異なることを、より明確に浮き彫りにしたからだ。

米欧日をはじめとする西側諸国は、ロシアに侵略を成功させたら世界秩序が壊れてしまうと信じ、経済封鎖に近い制裁を浴びせている。一方、中国はプーチン政権をかばう姿勢を貫き、米欧日による制裁を批判するなど、真逆の対応が目立つ。

西側諸国は米国主導の秩序を守ろうとしているのに対し、中国は現秩序を変え、世界を多極化しようとしている。この対立はいまに始まったわけではないが、ウクライナ戦争によって一気に先鋭化した格好だ。

こうしてみると、米中は海洋・ハイテク覇権、イデオロギー、そして世界秩序観という三層の対立になっている。人間に例えれば、複雑骨折に近い状態であり、すぐに関係が元通りになることは考えづらい。だとすれば、米中対立が長期にわたるという前提に立ち、この二大大国の競争がどう展開し、インド太平洋の秩序にどのような変化をもたらしていくのか、20~30年間くらいの単位で分析する必要がある。

多くの変数があるが、ひとまず軍事、経済に分けて、米中競争の行方を考察してみたい。まず、前者に目を向けると、インド太平洋の軍事バランス上は、中国がすでに物量で優位に立ちつつあることが分かる。

米軍の資料によれば、中国軍が保有する主力戦闘機は現在、米軍がインド太平洋に配備している数の5倍に達する。この差はさらに開き、2025年には約8倍になる見通しだ。

同様に、中国は今、在インド太平洋米軍の約5倍の主力戦闘艦艇を持っているが、2025年には9倍にふくれ上がる。さらに同年には潜水艦は6倍強、空母も3倍に増える。

米軍は世界中に部隊を展開しており、総体でみれば戦力は中国軍の比ではない。だが、米本土や中東方面から空母などをアジアに持ってくるには数週間かかる。

台湾海峡などで突然、紛争になれば、初動はインド太平洋軍の戦力を中心に対応せざるを得なくなり、中国軍に劣勢を強いられかねないという懸念がある。

米国防総省は近年、台湾海峡で米中が戦うというシナリオにもとづく図上演習を逐次、実施している。米メディアの報道によれば、ここ数年、米軍チームがほぼ決まって中国軍チームに惨敗しており、2018年ごろから負け方はよりひどくなっているという。

この種の図上演習では通常、米軍側により厳しい条件を設定するケースが多いとされ、実戦で米国がこれほど苦戦するとは限らない。とはいえ、米中の軍事バランスが中国優位に傾いていることを反映した結果といえる。

ロシアのウクライナ侵略は、こうした米軍の状況に追い打ちになりかねない。仮にウクライナで停戦が実現したとしても、ロシアによるウクライナや東欧諸国への軍事挑発が止まるとは考えづらい。このため、米軍としては近い将来、北大西洋条約機構(NATO)への関与を減らすことは難しいだろう。

問題は、それが対中軍事戦略にどこまで影響を及ぼすかである。今のところ、バイデン政権は米軍戦力をインド太平洋にシフトし、中国に対抗する路線は変えていない。3月28日に米国防総省がまとめた国家防衛戦略の概要でも、ロシアへの対応を怠らないものの、中国を最優先する方針を明示した。

欧州の緊張が対中戦略にしわ寄せを及ぼさないよう、バイデン政権は国防予算も増額する構えだ。3月28日に公表した2023会計年度(22年10月~23年9月)の予算教書では、国防費を前年度比4%増の8133億ドル(約100兆円)と見積もった。

しかし、実際に対中戦略と欧州への対応をどこまで両立できるかをめぐっては、ワシントンの軍事専門家の間でも議論が分かれる。このうち楽観論者はおおむね、次のように指摘する。

欧州方面に必要なのは、主に陸軍力とその移動に必要な輸送部隊だ。一方、対中戦略の主力は海空軍力であり、米軍が両方に対応することは可能だ――。

これに対し、悲観論者は次のように警告する。「陸上部隊は丸裸で戦うわけではない。欧州に陸上部隊を増強すれば、それを支援するための空軍力も増やさなければならなくなる。たとえば、戦闘機や爆撃機、さらには地上を偵察する情報収集機なども必要になるだろう。これらはアジア方面でも欠かせない戦力であり、対中戦略への影響は免れない」(元米国防総省高官)。

楽観論と悲観論のどちらが正しいのかは、一概には決められない。アジアと欧州の戦争に米軍が同時対処するのは難しいとしても、それ以外にも様々なシナリオが考えられる。平時の抑止と有事対処に分け、より緻密に議論しなければならない。

ただでさえ崩れつつある在アジア米軍の優位が、欧州緊張によって追い打ちを受ける危険があるということは言えるだろう。

最後に、米中競争を経済の側面からみてみたい。こちらについては、軍事面よりもさらに米国が劣勢にあるといわざるを得ない。米国が自由貿易の多国間枠組みから退くなか、中国が攻勢を強めている。

2021年9月、中国と台湾が相次いで環太平洋経済連携協定(TPP)に加盟を申請した。米国はトランプ時代に離脱しており、TPPは米国抜きの11カ国で署名、2018年末に発効している。

日本政府は再三、復帰するようバイデン政権に促しているが、見通しは立っていない。22年1月下旬、岸田文雄首相はバイデン大統領とのオンライン会談で対中戦略上、TPPがいかに大切かを説き、復帰を呼びかけたが、具体的な反応はなかったという。

自由貿易の多国間枠組みへの参加について、米政界内では国内雇用が奪われかねないとして、アレルギーが強い。TPP復帰には共和党内だけでなく、民主党左派にも反対が根深いため、バイデン政権が復帰に動くことは難しそうだ。

この状況はインド太平洋の覇権争い上、米国にとって極めて不利な展開である。TPPはただの自由貿易圏ではない。域内の通商やデータ流通のルールをつくり、インド太平洋の経済秩序を主導する枠組みだ。米国が入らなければ、中国主導で通商やデジタルルールが築かれ、サプライチェーンもより深く中国に組み込まれていくだろう。

TPPの新規加盟には、既存メンバーのすべての合意が条件になる。もし、中国が先に入れば、米国の加盟に拒否権をふるうことが可能になり、米国は恒久的に排除される恐れがある。

気がかりなのはインド太平洋の経済秩序を左右する、デジタル分野のルール作りでも米国が後れを取っていることだ。

中国は2021年11月、デジタル貿易に関する新協定「デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)」への加盟を申請した。シンガポール、ニュージーランド、チリが2020年に立ち上げた枠組みで、国境を越えたビッグデータの移管や電子商取引など、デジタル分野のルールづくりを手がける集まりだ。

DEPAの3カ国はブルネイと組み、かつてTPPの原型をつくったメンバーであり、DEPAを「デジタル版TPP」に育てる構想を描く。

今のところ、バイデン政権はこちらについても加入に慎重だ。米通商専門家によると、デジタルルールに関する多国間枠組みについて、またしても米民主党左派などが慎重な立場をとっていることが一因だ。同党左派は国際的なデジタルルールづくりは「グーグル、アップルといった米IT大手の事業拡大を利するものであり、望ましくない」という声が強いのだという。

米国は多国間ではなく、友好国によるミニマルチの枠組みを使い、巻き返しを図る考えだ。バイデン政権は近く、新たな「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」を発表し、そうした青写真を示すとされる。中国に依存しないサプライチェーンの構築やデジタル、ハイテクのルールづくりを提唱するとみられる。

しかし、IPEFには自由貿易の政策はあまり含まれない見通しだ。米国市場へのアクセスという利点がなければ、どこまで他国の参加を促せるか、不透明だ。とりわけ、経済分野での関与が遅れれば、インド太平洋での米国の影響力が下がり、域内の秩序が少しずつ中国色に染まっていく筋書きが浮上する。