研究レポート

米政権のアジア政策の展望

2021-03-30
湯澤武(法政大学教授)
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「インド太平洋」研究会 第7号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

2021年1月にジョー・バイデン米大統領による新政権が発足し、1か月以上が経過したが、この間バイデン大統領は、地球温暖化対策の国際枠組みである「パリ協定」への復帰や世界保健機関(WHO)からの脱退手続きの停止に関する大統領令に次々と署名し、「米国第一主義」を掲げたトランプ政権からの政策転換を進めた。他方アジア政策に関しては、中国への強硬策を中心に前政権からの継続性がみられる。本稿ではトランプ政権のアジア政策や米国が直面している内外の構造的変化の影響などを考察したうえで、バイデン新政権の今後のアジア政策を展望してみたい。

バイデン政権のアジア政策の方針は、主に「同盟諸国との連携」「多国間協調の推進」「中国との競争関係の制御」という三つにまとめることができる。バイデン政権が、これらの方針を強調する主な理由には、バイデン大統領個人の外交理念の影響はもとより、トランプ政権においてそれらが軽視された結果、東アジア地域において米国の政治的・経済的影響力が低下したことがある。トランプ政権が打ち出した「インド太平洋戦略」は、米国が標榜する規範に基づいた地域秩序を形成することを目的に同盟国や友好国との戦略的連携を深化するだけでなく、東南アジア諸国連合(ASEAN)との連携や東アジア首脳会議(EAS)などの多国間制度への関与を強化することを謳っていた。しかしこれらの戦略指針とトランプ政権下における米国の実際の行動には大きな乖離が見られた。紙幅の関係上詳細は省くが、同政権の日本や韓国などの同盟国への対処に関しては、米軍の駐留経費に関する同盟国側の負担増について法外な金額を要求するなどし、同盟関係の信頼性を損なう動きが目立つようになった。またASEANとの関係については、トランプ政権もASEAN諸国に対して一定の軍事的・経済的支援を提供していたが、その一方でトランプ大統領は米ASEAN首脳会議には2017年に参加した後3年連続で欠席し、EASにいたっては4年連続で欠席するなどし、結果として米国に対するASEAN諸国の信頼を失墜させた。

さらにいえばトランプ政権の対中政策も、アジアにおける米国の影響力の減退に拍車をかけたといえる。トランプ政権は、中国との貿易協議が行き詰まりを見せると、同国を「修正主義勢力」と位置づけ、軍事的・経済的圧力を加えるだけでなく、中国共産党の存在自体にまで批判の矛先を向けた。その結果、両国間に「新冷戦」と称されるほど激しい対立が発生した。軍事面では主に南シナ海において、「航行の自由作戦」の定例化や軍事演習の活発化といった対中けん制策を打ち出し、当初はアジア諸国の多くから支持を得ていたものの、その後米中間の軍事的緊張が極度に高まると、ASEAN諸国などは米国と距離を取り始めるようになった。また経済面では中国に対して関税合戦などを仕掛けたが、これらの措置はサプライチェーンの再編を促し、結果として特に東南アジア地域において中国の経済的プレゼンスの急速な拡大を招いた。この傾向は、昨年11月に締結された東アジア地域包括的経済連携(RCEP)によってさらに強まることが予想され、米産業界からもアジア市場から締め出されるとの懸念が出始めているが、長年停滞していたRCEPの交渉が勢いづいたのは、トランプ政権が環太平洋パートナーシップ(TPP)から離脱し、二国間貿易協定を追求するなかで、中国相手に貿易戦争を始めたからでもある。

バイデン政権は、トランプ政権が残したこれらの負の遺産を清算するためにも、東アジアにおける米国の核心的な戦略的利益、すなわち米国の軍事的・経済的優位性を基盤とする地域秩序の維持を追求するうえで、同盟国との連携や多国間協調を重視し、中国に対しても圧力だけでなく、協力関係も模索することで競争関係を制御していくことを明らかにしている。しかしながら実際のところ、バイデン政権がこれらの政策方針をどこまで実現できるかは未知数である。なぜならばバイデン政権も、トランプ政権と同様に二つの大きな構造的変化の影響から逃れることはできないからである。一つ目の構造的変化は、国内の政治・経済・社会構造の二極化である。所得格差や貧困層の拡大、移民の増加を起因とする米国内の分断は、トランプ大統領の言動によりさらに広がった。バイデン政権の最優先課題は、製造業を中心に雇用を再生し、中間層を再構築することで国内の分断を緩和することであり、そのために4年間で7,000億ドル(その他環境・インフラ産業への投資に2兆ドル)という過去に例のない国家予算を投入することを表明している。国内世論も総じて内向きであり、バイデン政権が軍事や外交に費やせる政治的・財政的資源は限られているといえる。

二つ目は国際環境における構造的変化、すなわち米中間の力関係の急速な変化である。中国の名目国内総生産(GDP)は、2010年の時点で米国の4割程度であったが、それは2020年度までに7割近くにまで拡大した。さらに中国がコロナ不況よりいち早く回復傾向にあることから、米政府の最新の予測では2020年代末までに両国のGDPは同程度になるとされる。軍事力の源である経済力の差異が縮まるにつれ、アジアにおける米軍の優位性にも陰りが見え始めている。バイデン政権が米国の戦略的利益を維持するためには、少なくともアジアにおいて米国と肩を並べようとする中国の軍事的・経済的影響力を押し返す必要があるが、そのためのコストはオバマ政権時と比較にならないほど増大している。

これら内外の構造的変化の影響を鑑みると、バイデン政権のアジア政策にはそれほど多くの選択肢がないようにみえる。まず多国間協調の推進に関して、バイデン大統領はオバマ元大統領のようにEASや米ASEAN首脳会合に顔を出し、米国の「アジア回帰」を演出していくであろうが、バイデン政権が自らの公約通りに多国間の通商ルール形成を主導できるかは未知数である。その初めの一歩であるかは不明だが、バイデン大統領は条件付きでのTPPの復帰を示唆している。TPPには知的財産権の保護や国有企業への規律、労働基準、環境保護など米国企業の競争力の向上に欠かせないルールが含まれており、それゆえTPPは広くインド太平洋地域に米国の国益に沿った通商体制を構築するうえで、有効なツールになると期待されている。しかし、米製造業に打撃を与えかない側面も持つTPPへの復帰には米議会でも反対の声が大きい。上述のようにバイデン大統領は、米製造業を立て直すことを最優先課題にあげており、それまで新たな貿易協定の交渉には入らないことも明言している。

また中国との競争関係の制御についても、バイデン政権は中国との対立緩和のために協調関係の構築を模索するよりも、むしろトランプ政権下で始まった中国に対する一連の強硬策―すなわち米国の軍事・情報技術の優位性を維持するために始めた機微技術を含むハイテク製品の対中輸出制限や通信インフラからの中国製品の締め出しなどの経済面における部分的なデカップリング(切り離し)、また南シナ海における米軍の軍事的示威活動など―の強化に力を入れる可能性がある。なぜならば、米中間の力関係が激変するなかで、米国が自らの核心的利益である自国の軍事的・経済的優位性に基づく地域秩序を維持するためには、これらの強硬策を採る以外選択肢がないからである。実際バイデン政権は、2月初旬に南シナ海に空母2隻を中心とする空母打撃群を派遣し、大規模な軍事演習を実行させただけでなく、同月下旬には半導体、高容量電池、レアアース、医薬品の4品目の供給について、中国に依存しないサプライチェーンを構築するための大統領令を発出するなど、少なくとも現時点においては前政権から始まった対中強硬姿勢を弱める気配はない。

最後に日本を含めたアジアの同盟諸国との関係だが、バイデン大統領は、日本の菅首相や韓国の文大統領との電話会談で、米国が防衛上の義務を果たしつつ、諸問題の対処において同盟国との連携を重視していくことを宣言するなど、同盟国を配慮する姿勢を見せた。ただ歴代の米政権が主張してきた同盟国との「連携強化」とは、程度の差はあれ、米国と戦略的利益を共有する同盟国に米国主導の国際秩序の維持に必要なコスト負担(費用や役割)を分担することを求めることに他ならない。上述のようにバイデン政権は、内外の構造的変化の影響により、そのコスト負担能力の更なる低下に苦しむと予想されることから、トランプ政権のように同盟の価値を金で測るようなやり方はしないにせよ、その費用分担として同盟諸国に国防費や米軍駐留負担費の増額を引き続き求めていくと思われる。また役割分担についても、中国の諸問題への対処については、一連の対中強硬策を含めて、二国間あるいは日米豪印の枠組み(QUAD)の強化を通して、同盟国や友好国から積極的な関与を引き出そうとするであろう。

日本は安全保障面では日米同盟の強化を通じて中国に対峙しつつも、経済面では米国とは違い中国と密接な関係を維持することを外交の基本方針としている。経済分野において米中のデカップリングが進むなか、日本が独自路線を維持することは容易ではない。しかし一方で、米中が相反するなかで、双方とも日本との関係強化を最重要視しており、逆に日本の外交レバレッジは高まっているといえる。米中間の深刻な対立が長期的に続けば、東アジアの地域秩序は安全保障・経済の両分野で二極化の様相を呈しながら、地域の経済成長の鈍化と合わせて、極度に不安定化していく可能性が高い。日本は、米国との安全保障面での政策連携を重視しつつも、双方に競争関係を制御するための知恵を提供するなど、日本にとって望ましい地域秩序の構築に向けた独自の外交的役割をこれまで以上に模索していくべきであろう。