研究レポート

インド太平洋の経済的連結性及びガバナンスの新段階

2021-03-29
片田さおり(南カリフォルニア大学国際関係学教授)
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「インド太平洋」研究会 第5号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

インド太平洋の概念は、過去10年にわたりアメリカを中心とする西半球とアジアを結ぶ外交政策概念として大きく発展してきた。この戦略地政学的構想は、太平洋とインド洋という「二つの海」をまとめた広範な地理的領域をカバーし、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」という旗印の下で、航行の自由の確保から地域の平和と繁栄の確立まで多くの協力イニシアティブを生み出してきた。加えて、米国、日本、オーストラリア、インド各国の間では外交政策対話フォーラムとしてのクワッド(QUAD)が形成され、民主主義、法の支配、そして自由貿易堅持という志を同じくする国々を結集する骨組みとして、この地域の経済統合と連結性を高める取り組みの場にもなっている。

当初から、この広大な地域を結ぶインド太平洋の概念は幾つもの課題を抱えていたのは確かである。中国が、21世紀に入り多大な貿易と増加し続ける対外投資によってこの地域の経済活動の中心的存在となったことから、それに対抗する目的で、広範囲のインド太平洋という地域の概念化を目論む向きがあり、特にトランプ政権下(2017-2020)の米国は、インド太平洋を安全保障フォーラムとしても活用することに熱心になった。それに対して、インドはFOIPを安全保障や疑似軍事同盟として考えることには非常に消極的である。また、ASEAN加盟国は、こうした地域構想の拡大のおかげでASEANがアジアの制度構築における重要な地位や影響力を失うことを懸念している。そのような不満のかたわら、中心メンバーの利益と優先順位は、インフラ投資と経済ガバナンスを通じて経済的連結性を高めることに焦点が当てられてきている。

中国が2013年に一帯一路構想を開始して以来、中国からのインフラ投資がFOIPメンバーにとっては懸念の種となっている。中央アジアだけでなく、東南アジアと南アジア全体への経済連結性を中国が強力に推進することは、インフラへの資金提供に1990年代以来消極的であった旧来のグローバル開発体制からの転換として歓迎すべきものとも言える。その一方で、急速なインフラ投資拡大や過剰な資金供給は、甘いプロジェクト評価基準、社会/環境への負の影響、透明性や債務の持続可能性の欠如を招くだけではなく、中東、アフリカ、ヨーロッパへの中国の排他的アクセスを目的とする地政学的戦略の意図に対し懸念を引き起こしている。今後20年間で94兆米ドルのインフラ投資が世界で必要だと推定されることを考えると、より良いルールとより高い基準を通じてインド太平洋におけるこの課題に対処することが不可欠なのである。こうした課題に対して、日本は2,000億米ドルという資金で、ライフサイクルコストと債務の持続可能性に重点を置いた「質の高いインフラパートナーシップ」を推進することで対抗軸としての主導権を握り、米国が、新しい国際開発金融機関の設立するBUILD(Better Utilization of Investment Leading to Development)法でそれに続く。さらに、2019年6月の大阪G20サミットで「質の高いインフラ投資に関するG20原則」が宣言されたのに伴い、米国、日本、オーストラリアは、透明性、持続可能性、社会的/環境的影響などを含む高い基準を設定し、それに見合ったインフラプロジェクトを認定するメカニズムを作成するとの目的で、「ブルー・ドット・ネットワーク」をインド太平洋イニシアティブとして開始している。

コロナ禍は2020年を通して、インド太平洋にさらなる負担を課すことになった。ウイルスの封じ込め、医療機器の調達、ワクチンの確保などといった差し迫った問題のほかに、FOIPを主導する主要国は、同地域の地政学に今後影響を及ぼすであろう、3つの懸念に直面している。

第一は、サプライチェーンの寸断である。具体的には、多くの国の経済が中国からの輸入に対し過度に依存していることを懸念する動きが出始めており、インド太平洋の枠組みを通じて、中国以外にサプライチェーンを分散する取り組みが促されている。日本、オーストラリア、インドの通商担当閣僚2020年8月下旬に会合を開き、中国の圧倒的影響力に対してバランスをとるために、インド太平洋においてサプライチェーンのレジリエンスを促進することで合意している。またそれとは別に、日本政府は、民間企業が生産を日本または東南アジアおよび南アジアに移すことを促進するために22億米ドルの基金を設立した。また、2020年11月15日には、東アジア15カ国が参加して東アジア地域包括的経済連携(RCEP)が締結されたことで、交渉に加わっていない米国やRCEP交渉から最近離脱したインド抜きで、西太平洋の経済を結びつけるインセンティブも生み出された。

第二番目の課題は対外債務の持続可能性である。国内外の経済活動の低下で、2021年1月現在、世界の83カ国がIMFからある種の金融支援あるいは債務救済を受けている。このコロナ禍が起こる前でさえ、アジアの一部の借り手国は、特に中国のインフラローンに関して、返済困難に直面していた。コロナ禍で政府債務を再編成する必要性が拡大するとみられるため、G20の財務首脳は最近、債務の再編成を調整するプロセスを作り出すために、G20債権国間で共通の枠組みを確立することに合意した。経済成長への援助を通してFOIPは、これらの取り組みに貢献しうる立場にある。

最後に、コロナ禍によって、政府並びに政治指導者が経済及び社会に対する異例なコントロールを強める中、民主主義の後退や汚職の増加への懸念が生まれている。ウイルス発生地である中国で中国政府がウイルス封じ込めに成功したかと見える今、政治指導者たちが権威主義を望む衝動が広がっている。政府が人々の生活を支援すると同時に、国民の行動を管理するために介入することへの要望が高まっているのだ。この流れに対しては、選挙の一時停止や政治的反対派に対する抑圧といった、行政権の乱用が心配されている。また、時を同じくミャンマーでは軍事クーデターが起こっている。こうした中、民主主義のフォーラムとしてのインド太平洋諸国にとって、危機下にあるこの時期に、民主的統治を支援することは極めて重要な任務である。

最近のこのような動静は、地域の安定性、連結性、そして開放性を確保するための基盤としてのインド太平洋概念の重要性をより強めることになるであろう。しかし同時に、FOIPの二大主要関係国である日本と米国で首脳交代が最近起り、2021年3月にはQuad四首脳によるオンラインサミットが行われている。その内容は、コロナ危機を受け四か国がインド太平洋地域においてコロナ予防接種の供給などでどのような連携関係を取れるかなどが含まれた。今後も、コロナ危機からの経済回復も含めて、インド太平洋の枠組みを活用して米国の存在意義を再認識させることは重要な外交政策アジェンダではないだろうか。

コロナ危機収束後は、米国と日本は発展途上地域で持続可能な質の高いインフラ構築を促進していかなければならない。これらの社会が投資価値のあるインフラプロジェクトを探求し、それらのプロジェクトを経済回復と成長の推進力にすることができるように支援を続けなくてはならない。バイデン大統領の「ビルド・バック・ベター(より良き再建)」経済回復計画には、包括的開発及びクリーンで持続可能な成長に重点を置いた、開発途上国のインフラ改善をサポートするための国際的な要素を含めるのが、良い方策ではないだろうか。日本は、「自由で開かれたインド太平洋」を通じて、持続可能な開発目標という点で、質の高いインフラと持続可能な開発に関し主導的な声であり続けるべきだ。日米両国は、コロナ後、重大な財政逼迫に直面することになるが、内向きの回復に縛られないことが重要になる。両国の株式市場を過熱させている民間ファンドをアジアおよびそれ以外の地域におけるインフラ投資に振り向ける何らかの方策を見出すことが、両国および世界全体に長期的な利益をもたらすと考えられる。