研究レポート

中東・北アフリカの食料安全保障―リージョナルな共通課題、ナショナルな食料確保の動き

2021-03-29
井堂有子(日本国際問題研究所研究員)
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「中東・アフリカ」研究会 第10号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

全世界がコロナ禍に見舞われた2020年、世界各地で食料不安・危機も深刻化した1。同年10月には、世界の紛争地での人道支援活動が評価され、世界食糧プログラム(WFP)がノーベル平和賞を受賞した。同代表は「食料が最良のワクチン」と述べたが、シリアやイエメン、リビア等での紛争が存在する中東・北アフリカ地域では、コロナ禍以前に深刻な飢餓の問題が懸念されてきた。紛争に加え、この地域は気候変動による影響に最も脆弱な地域と見なされており、また紛争の一要因ともみなされている。本稿では、こうした中東・北アフリカ地域の食料安全保障が直面する共通課題を整理し、今後の展望を述べる。

中東・北アフリカの食料不安・危機、直面する共通課題

食料安全保障(food security)は、グローバル・リージョナル・ナショナル・ローカルの複数の次元の課題が複合的に関連し合う領域である。従って、各国や時代でさまざまな定義が存在してきたが、FAOによる「全ての人が、常に活動的・健康的生活を営むために必要となる、必要十分で安全で栄養価に富み且つ食物の嗜好を満たす食料を得るための物理的、社会的、及び経済的アクセスが出来ることである」という定義が現在広く共有されている。他方、農業従事者や消費者、コミュニティの視点を重視する観点からの「食料主権(food sovereignty)」や「食への権利(right to food)」も重要な概念である。

食料安全保障は人々の生活基盤を成し、地域の安全保障全体を脅かす重要なリスク要因である。例えば、2010年末~11年初めの「アラブの春/革命」の遠因として、2006~08年の世界食料危機の影響も指摘されており、食料不安と政治不安の関連性は大きい。2019年、各地で「第二のアラブの春」と呼ばれる広範囲な抗議が広がり、スーダンとアルジェリアでは政権交代につながったが、過去10年でこの地域の食料不安は拡大していたと考えられる。

2020年2月以降、コロナ禍が全世界に急速に拡大する中、ロシアやウクライナ等の穀物輸出国が輸出規制を行う等、世界的な食料確保の動きが広がった。2月には東アフリカから中東・南アジアで「70年に一度の規模」のサバクトビバッタが大量発生し、各地で食料危機が発生した。8月にはレバノン・ベイルート港で爆破事件が発生し、少なくとも200名が死亡、6,000人が負傷した。レバノンは食料の85%を輸入に依存し、総輸入量の70%がこのベイルート港に到着していた。爆発現場のすぐそばにあった、15,000トンの小麦と大麦を保管する巨大サイロは破壊され、国民全体を食料難に追いやった。こうした影響は、いまやレバノンの4人が1人といわれるシリア難民にもおよび、両市民の苦境と分断を悪化させている。

レバノンの事例にみられるように、この地域の多くの諸国が高い比率で食料輸入に依存している。食料輸入は国によっても品目によっても幅があるが、中東・北アフリカ地域の「食料依存度」(一日当たりの消費キロカロリーのうち輸入食料品が占める比率)は1960年代の10%から2018年時点で約50%にまで到達している(人口も同期間で約1億人から約5億3000万人に増加)。

中東・北アフリカ地域の食料依存度がこのように高い背景には、急激な人口増加にもかかわらず、食料生産に適した農地や淡水・灌漑用水が希少であるという根本的な要因が存在しており、この地域の気候変動に対する脆弱性を増加させている。

中東・北アフリカの食料安全保障:地域協力か各国のアグリビジネスか

中東・北アフリカ地域は、地中海沿岸や大河川(ナイル川やチグリス・ユーフラテス川等)周辺を除いて砂漠性気候に属しており、水が希少な地域という点で均一的である。全体的に人口増加と特に若年層の多い社会、食糧需要の増加と多様化という点も共通する。アジアやEU諸国とは異なり、域内の農産物も類似しており、域内の相互補完性も高くはない。他方、化石燃料資源の有無により、所得や人間開発指標等で大きな格差が存在している。シリアやイエメンのように紛争の長期化により国内の食料生産が持続できず、流通過程も遮断され飢餓が懸念される地域もあれば、アラブ首長国連邦(UAE)のように、水資源不足や耕作地不足により増加する人口の消費を賄うだけの国内生産は出来なくても、一人当たり約2,564USドルの食料を輸入できる国もある。UAEの一人当たりGDPは39,180USドルに達しており、日本の40,000USドルに近い(2019年IMF発表)。こうした域内格差は、地域の食料安全保障を考える上で重要な要素である。

食料安全保障や水利用に関する地域協力の試みはこれまで多く存在してきた。近年の事例では、「Land and Water Days Conference」が、FAOや国際乾燥地農業研究センター(ICARDA)等を中心とした60以上の国際機関・各国政府の参加で開催されてきた。2019年カイロ会議では、「この地域の一人当たりの淡水(真水)は2050年までに半減することが予想され、地域の食料安全保障のために有効な土地・水利用が緊急課題である」として、具体的な技術的助言やベスト・プラクティス事例を盛り込んだ「FAO近東・北アフリカ水希少イニシアティブ」が提言された。

他方、こうした地域協力の呼びかけにもかかわらず、実際は各国ベースでの食料安全保障の実現に向けた動きが広がってきた。2006~08年の世界食料危機以降、世界中で展開されるようになったアグリビジネスは、資金力のある国・企業が特に途上国で農地をリースし、農業生産を行い、農産物を自国に輸出するというものである。こうした活動は投資側の国における食料安全保障の実現に貢献はしても、食料を生産する国(途上国)においては雇用や食料不安、砂漠化の加速化等、様々な問題を発生させ、国際社会では「土地収奪」として批判を受けてきた。

中東・北アフリカ地域の場合は、湾岸産油国のような資金力のある諸国の政府や企業が、資金力はないが相対的に農業生産力のあるガバナンスの弱い諸国に対する農地投資という形で広がってきた経緯がある。

日本の約5倍の国土を有する広大なスーダンは、農地投資の顕著な事例である。1956年の独立から2011年7月の南部の分離独立まで、幾度のクーデターと紛争で国土と住民は疲弊したが、ナイル川渓谷の豊かな農地の存在で「アラブの食糧庫」とも称された。2000年代後半以降、首都ハルトゥーム南方の青ナイルと白ナイルが合流するゲズィーラ州(州都ワド・メダニ)の農地に、湾岸産油国やエジプト、イラク、ブラジル等からの投資が集中してきた。この肥沃な灌漑地は、1925年の「ゲズィーラ灌漑計画」に遡る2。時間をかけてナイルの水を引き込み、主に綿花栽培を中心に、現在の約88.2万ヘクタール(広島県より広い)にまで拡大した。このうちの数千~数万ヘクタール規模の広大な土地で、外国資本・スーダン民間企業の運営により、食用・非食用の穀物や野菜、バイオ燃料用穀物を目的とした生産活動が行われてきた。スーダン国内の消費ではなく投資国や周辺諸国への輸出を意図した場合が多く、内外から批判も受けてきた。

課題と展望

現状として、中東・北アフリカ地域には地域的共通課題が存在しているが、各国がそれぞれの利益を優先した行動を取っていることが窺える。国際社会の注目は米国の関与や地域大国間の覇権争いに集まるが、地域全体でみれば気候変動の影響に最も脆弱な地域でもあることを鑑みると、水資源管理や農地投資等のあり方をより長期的に持続可能なものにしていくための地域協力の推進とルール作り、それに対する国際社会の支援が重要である。

(脱稿:2021年3月18日)




1 英語のFood Securityは、日本語では「食料安全保障」と「食糧安全保障」の二種類の表記がある。一般的に「食料」は食物全般、「食糧」は主要穀物を指す。「糧」としての重要性を強調する観点から「食糧」で食物全般を含める場合も多いが、本稿では、基本的に「食料」で統一するが、WFPやFAOの組織名(日本語の正式名称として「食糧」が使用されている)や伝統的な表現(「アラブの食糧庫」)等はそのままの表記とする。

2 Herve Plusquellec. The Gezira Irrigation Scheme in Sudan - Objectives, Design, and Performance, World Bank Technical Paper No. 120 (Washington D.C.: The International Bank for Reconstruction and Development/The World Bank, 1990) は、ゲズィーラ灌漑計画のデザイン構想を1920年代と推定しているが、近代スーダン史に関する大著である栗田禎子氏の『近代スーダンにおける体制変動と民族形成』(大槻書店、2000年)によると、ゲズィーラ灌漑計画の構想はさらに古く1913年に遡る(179-184頁)。同計画は、1899年に始まる英・エジプト共同統治下でのスーダンの「発展の正念場」とされたという。