2020年は、習近平政権にとって大きな危機を迎えた年になった。言うまでもなく、武漢から広がった新型コロナウイルスの大流行が中国の政治と経済を直撃したからに外ならない。
中国政治には大きく分けると「縦軸」と「横軸」という二つの次元があると考えられる。「縦軸」は、国家と社会の関係、あるいは中国共産党の言い方を借りれば党と大衆との関係を指す。そこでの今後の焦点は、一党支配体制の行方である。それに対して「横軸」とは、派閥抗争、政策論争、官僚政治といった、政権内部の高層政治を指す。そこでの今後の焦点は、言うまでもなく習近平一強体制の行方である。
新型コロナウイルスの衝撃と一党支配体制の揺らぎ
2003年に大流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)のようなウイルスが出現したという情報は、2019年12月には既に中国の医療関係者の間で指摘されていた。しかし、初期の段階で新型肺炎の広がりに警鐘を鳴らした医師たちは、不正確な情報をネットに流したとして公安当局から訓戒処分を受けた。その一人である李文亮医師が自らウイルスに感染して2月7日に死亡したことは、中国社会に大きな衝撃を与えた。ネット上に祭壇が設けられ、李医師の死を悼む声がソーシャルメディアを媒体に飛び交った。
亡くなる数日前、中国メディアの取材に対し、李医師は「健全な社会には一つの声だけがあるべきではない」と語った。真実を伝える自由な発言が出来ない政治体制に問題があるのではないか――。今回の新型肺炎の流行により、多くの人々にそのような考えが芽生えても無理はなかった。「党中央は大脳であり中枢であり、必ず一尊を定め、一発の銅鑼の音が全体のトーンを規定する権威を持たねばならない」。これは、2018年7月、春に憲法を改正して国家主席の任期を撤廃したことを批判されていた習近平が発した言葉である。彼は、李文亮とまったく逆のことを語っていたのだ。
習近平は危機の到来を認識し、三つのことに取り組んだ。第一に、ウイルスの抑え込みである。武漢の突然の都市封鎖や、日本の町内会に相当する社区居民委員会による住民の監視など、強権の発動によって人の移動を厳しく制限した。市民が公共交通機関を使った場合には、必ずスマホのアプリで乗降車を登録させ、その移動経路を追跡できるようにして感染者や濃厚接触者の行動を掌握した。こうした措置の結果、中国の感染者の数は3月以降、ほぼ横ばいで推移した。その後も、新規感染者が出現した都市では、厳しい移動制限と百万人単位でのPCR検査が実施され、高度の警戒が続いている。
習近平政権が次に力を入れたのは、ソーシャルメディアを厳しく統制する一方で、中国共産党の、そして習近平の威信回復のために展開された宣伝活動である。軍事用語をふんだんに使い、疫病との戦いに立ち向かい、多くの犠牲を払いつつ偉大な勝利を勝ち取ったリーダーシップを称える宣伝は、次第に人々の間に浸透したように見受けられる。それはなぜ成功したのか。一つには、SARSの経験もあり、伝染病に対して中国人一般が強い警戒心を抱いている状況下で、実際に防疫体制が効果を発揮したと認められたことがあるだろう。そして第二に、海外の、なかんずく欧米での大流行が、市民の行動を統制できない民主主義体制の欠陥を露呈しているとみなされたことがあるように思われる。特に、トランプ政権による経済制裁の強化が中国社会の米国への反感を高めていた一方で、米国が新型コロナウイルスによって大混乱に陥っている状況は、多くの中国人が共産党の領導を称える宣伝を受け入れやすくしたと言っても間違いではないだろう。
習近平政権が注力したもう一つの問題は、経済の回復である。公式統計によれば、成長率は1-3月には前年比マイナス6.8%に落ち込んだものの、4-6月にはプラス3.2%、7-9月は4.9%、そして10-12月6.5%の驚異的な回復を示し、2020年を通しては2.3%の成長を遂げたと発表された。国家統計局の発表数字に関しては、一部の経済学者から疑問の声が上がっている。例えば北京大学発展研究院院長の姚洋教授によれば、国家統計局の発表数値は企業の生産データを足したものであり、消費、投資、貿易収入を計算すれば、上半期の成長率はマイナス5からマイナス3%の間だという。しかし、強力なウイルスの制圧と、減税や補助金などの支援策により、他の主要国よりも速い回復を示したことは間違いない。新車の販売台数は通年で1.9%の減少を記録したが、トヨタは10.9%、ホンダは4.7%の伸びを示した。中国市場が息を吹き返したことにより、内外の多くの企業が救われたものと思われる。
以上の三つの措置は、いずれも基本的に功を奏し、習近平政権は発足以来最大の危機を乗り切ったと言ってよいだろう。もちろん、所得格差や就職難、債務の累積といった構造的な困難が解決したわけではなく、2019年末に指導者たちが認めていた厳しい経済社会状況に戻っただけとも言える。しかし、感染症対策の面でも経済の面でも、欧米諸国よりもうまく対応したという認識は広く共有され、一時は動揺した一党支配体制および習近平への評価はコロナ以前の水準よりも高まったように見受けられる。
高層政治の動向
2020年の前年、2019年は米国のトランプ政権との厳しい経済交渉が展開された年であり、中国当局が経済の下振れ圧力を強く懸念した年であった。10月1日の建国70周年の記念式典では壮大な軍事パレードが行われたが、天安門上で江沢民と胡錦濤に挟まれて立った習近平に笑顔はなかった。
その半月前に発行された党中央委員会機関誌『求是』は、5年前の2014年に、習近平が全国人民代表大会創設60周年記念大会で行った演説を再録した。そこで習近平は次のように述べていた。「一国の政治制度が民主的か、効果的かを評価するには主に国家領導層が法により秩序だって交代するか......を見ればよい。......長期の努力を経て......我々は実際上存在していた領導幹部の職務終身制を廃止し、普遍的に領導幹部任期制を導入し、国家機関と領導層の秩序ある交代を実現した」。これは、2018年の全人代で憲法を改正し、国家主席と副主席の任期を撤廃した習近平に対する、強烈な当てこすりに見えた。2019年末には、経済情勢の好転が見られないことや対米関係悪化もあり、習近平は政治的な圧力を党内からも受ける状況に立たされていた。
したがって、2020年1月以来の新型コロナウイルスとの戦いは、習近平にとって中国政治の縦軸のみならず、横軸の高層政治においても重要な問題だったことは間違いない。次の党大会が2年後に迫り、中国は政治の季節に突入した。
2020年に注目された事態の展開は、10月下旬の中央委員会総会の前に「中央委員会工作条例」が制定されたことである。そこには、いわゆる習近平思想を用いて人民を教育することや、全党の「核心」としての習近平の地位を擁護することなどが盛り込まれた。「習近平後」の時代にも適用されるべき党の条例に、一個人の権威と権力の保証が謳われたのである。まぎれもなく、同条例の制定は習近平一強体制のさらなる強化であり、長期政権への道を開く布石であった。
興味深いのは、9月末の段階では政治局会議で同条例案を審議したと報じられたのに、10月中旬に条例全文が発表された際には、その会議で審議のみならず批准したと記されていたことだった。こうした矛盾の露呈の背景には内部の意見対立があることが多い。9月末の政治局会議で批准されたのであれば、新華社はその時点で必ずその通り報道したはずだ。実際は様々な意見が出て批准には至らず、審議しかしなかった、だが来る中央委員会総会の議題にすればより多くの反対意見ないし疑義が提示される可能性があったため、持ち回り会議で調整してその前に批准したことにしたのだろうか。
総じて、抵抗勢力の存在は感得されるものの、強化された習近平の権威と権力は図抜けたものとなっている。相変わらず後継者の指定もなく、2022年以降の習近平政権の存続は既定路線となった感がある。だが、年齢制限などの制度上の障害もクリアしてそれがスムーズに実現するかどうかは、今後2年間の経済社会と外交の安定にかかっていると言うべきだろう。