はじめに
「インド太平洋」という政治的・地理的概念をとおして、日本とフランスとの間の安全保障面での協力関係強化を訴える主張が登場して久しい。実際、そうした関係の強化は進んでいる1。
よく知られているように、フランスは世界第2位の排他的経済水域を誇っている。このことから、フランスは「世界第2位の海洋大国」であると自らを位置付けている。こうした国際政治における地位(rang)はフランスにとって馴染みの深い概念であり、日本のような控えめな態度はとらず、堂々と「世界ランキング」のなかでの自国の順位を誇る傾向がある。
フランスの排他的経済水域の基盤となる領海の基線を提供しているのは、ニューカレドニアとその附属諸島、ワリス・フツナ諸島、フランス領ポリネシア、マイヨット、レユニオン、そしてフランス領南方・南極地域であり、いずれもインド洋と太平洋に点在している2。たしかにフランスは「インド太平洋のパワー(puissance)」なのだ。「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指す日本にとっては欠かすことのできない戦略的なアクターである。
「インド太平洋のパワー」と記したが、そのパワーの実態について見ていくことが重要である。なぜならばフランスは歴史に根差したこの地域特有の問題を抱えているからだ。2018年5月5日、ニューカレドニアのヌメアでエマニュエル・マクロン大統領が演説を行い、そこでは「世界第2位の海洋大国」の根拠となる排他的経済水域とともに、インド太平洋に拠点を構える150万の人々と「国防・国益・国家戦略を担う8000名以上の軍人」に言及した3。比較対象としてアメリカは巨大すぎるかもしれないが、8000名は日本、ドイツ、あるいは韓国に駐留しているアメリカ軍と比べて小さい数字である。フランスは8000名で、その海洋プレゼンスの4分の3に及ぶ地域を守っている。「世界第2位の海洋大国」は少ない人的・軍事的資源でパワーの座を守っているのである。
広大な海域は、海洋大国として存立するためのパワーの源となっているが、それを安定したものとして維持するとなると政治的・経済的・軍事的な資源の投入が必要となる。19世紀のナポレオン3世の時代からフランスはインドシナに植民地帝国を構築し、本格的なアジア進出を果たした4。こうして今日の「インド太平洋のパワー」の基盤を築いたが、それは同地域における他のパワーの存在を踏まえた場合、甚だ心許ない帝国であった。植民地の獲得競争のなか、拡張しすぎた典型例であり、フランス海軍の戦略家であったラウル・カステックス提督は、日本の台頭を目の当たりにし、インドシナ放棄論まで唱えたのである5。
今日の「インド太平洋」の概念に帝国主義の時代の史的枠組みをそのままあてはめることはできない。だが、点在する領域を拠点に据え、戦力投射能力はあるものの、その限界も明瞭な点では今も昔も変わらないのがフランスであろう。
1970年代初頭以降、フランス海軍はインド洋におけるプレゼンスを高めるようになった6。太平洋では、1965年から1980年にかけて、主にフランス領ポリネシアにおける核実験に関する任務で海軍の展開が見られたが、主要な活動は「領域主権のための作戦(Missions de souveraineté)」と呼ばれるものであり、1984年の末からニューカレドニアの独立派の動きが活発化すると海軍の活動も活発化した。また、太平洋の孤島であるクリッパートン島の主権とその排他的経済水域を守るため、定期的な艦船の派遣も行われ、メキシコやエルサルバドルの漁船が違法な漁を行うことを抑止しようとしている7。プレゼンスを主張することが、「インド太平洋」におけるフランス海軍の重要な活動の一つである。
そうしたフランスが「インド太平洋」地域で抱えている二つの問題がある。第1に、ニューカレドニアの独立問題である。第2に、活発な海洋進出を続けている中国への対処問題である。この点については日本と問題を共有している。「インド太平洋のパワー」であるフランスが抱えている「内」と「外」の問題をここでは鳥瞰してみたい。
ニューカレドニアの独立問題
フランスは「六角形(Hexagone)」の形状に近いヨーロッパの大陸国家であり、海外県、海外準県、あるいは海外領土などといった遠方地域にも領土のある海洋国家でもある。こうした遠方の領域は「海のかなたのフランス(France ultramarine)」とも呼ばれるが、ニューカレドニアは、フランスからの距離を鑑みて、そうした字面どおりの位置にある。
ニューカレドニアにはカナクという先住民に加え、ヨーロッパ系の人々が住んでおり、独立志向の強い前者に対し、後者はフランス共和国からの離脱を望んでいない。そのほかにもコミュニティは存在する。カナクとヨーロッパ系の人々との間では、経済格差、教育格差に加え、ニューカレドニアを構成する島々の中で最大のグランド・テール島の南北でそれぞれ主な居住区域も異なり、緊張した関係が続いた歴史があり、両コミュニティの衝突により死傷者も出た8。
フランス政府は、両コミュニティの和解に向け、1998年に政府、残留派、そして独立派との間でヌメア協定の締結に至り、外交、防衛、治安、司法、通貨発行を除き、権限がニューカレドニアに譲渡されることとなった。ニューカレドニアは「特別共同体(Collectivité sui generis)」の地位を獲得し、そこに住んでいる人々は、フランス国籍とともに「ニューカレドニア市民権」も取得し、欧州連合(European Union, EU)市民権も保有している。フランス国民であり、ニューカレドニアの市民であり、さらにはEUの市民でもあるというわけだ。なお、ニューカレドニアはEUの欧州地域開発基金の提供を受けており、補助金を受けている。
このヌメア協定に基づき、実施を約束されたのが、複数回にわたる独立を問う住民投票である。2018年11月4日の第1回目の投票では、独立への反対が56.7%、賛成が43.3%、2020年10月4日に第2回目の投票が行われ、独立への反対が53.26%、賛成が46.74%であった。フランス政府からしてみれば、ニューカレドニアの独立をなんとか回避できているというわけだ。その一方で、まだ第3回目となる住民投票の実施が可能である。独立は回避されたものの、地域別に投票の結果を見ると、両投票とも、独立への賛成票はカナクが多数を占めるグランド・テール島の北部に集まっているのに対し、ヨーロッパ系の移住者が多く住む南部では反対が多数を占め、分断が露わになっている。これがニューカレドニアの現状であり、「太平洋におけるフランス」の一大拠点の現実でもある。
フランスと中国
2020年10月4日、ニューカレドニアの独立を問う住民投票の結果を受け、パリではマクロン大統領が、共和国に残ることを希望した票が過半数を占めたことを歓迎する声明を発した。そして第3回目の住民投票の実施がなされる場合、その準備もできていると述べた。
この声明のなかでマクロン大統領は、自身が2018年にニューカレドニアを訪問した際、ヌメアで行った演説のなかで指摘した3つの挑戦について言及した。第1に「インド太平洋」であり、第2に経済発展、そして第3に環境問題である9。マクロン大統領は、ニューカレドニアの未来を考える際に、欠かせない視点をいくつか挙げ、その筆頭に「インド太平洋」を掲げたのである。何が「挑戦」なのかといえば、地域の中軸であった超大国アメリカが頼りにならなくなった一方で、中国が一歩一歩覇権を握りつつある点である。そこには中国に対する期待と脅威認識の両方が色濃く出ていた。一帯一路にせよ、太平洋における野心にせよ、それをフランスはうまく活用して利益を見出さなければならないものの、備えを怠った場合、中国はフランスの自由や利益獲得の機会を減じる役割を果たす覇権国家になるであろうと警告したのである10。
要するに、フランスにとって重要なのは、「フランスが理想とする国際秩序に中国を埋め込み、覇権国家へと変貌するのを阻止する」ことであるとまとめられよう。ただ、これを国際政治の舞台で実現させようとする場合、困難を伴うというわけだ。問題はどう「理想とする国際秩序」に中国を組み込むかである。
マクロン大統領の「インド太平洋」重視の姿勢は、フランス外交史上初となるインド太平洋担当大使の任命にも見られる。2020年9月16日、駐オーストラリア大使を務めていたクリストフ・プノが新設のポストに任命され、10月15日に着任した。インド洋と太平洋地域でフランスを代表するわけではなく、「インド太平洋」に関する諸問題を扱う大使である。報道によると、大統領直々の指名である11。パリに拠点を置くプノ大使の役割は、「インド太平洋」という概念を他のEU加盟国に周知させること、さらにはフランス、ドイツ、そしてオランダと同様、EUが「インド太平洋」戦略を持つよう促すことである。インタビューでは「特に最初の1か月はブリュッセルで活動することが多くなるであろう」と述べていることからも、そのことがうかがえる。すでに日本、インド、あるいはオーストラリアとフランスとの協力が進展している状況下、あえて新設の大使を任命した背景には、自国の足元で「インド太平洋」の概念をまずは浸透させ、さらには戦略方針を策定させ、共有させたいという思惑があるのだろう。そうした戦略に向けて役割を果たすことをプノ大使は求められていると思われる。さらに「インド太平洋」の主要なアクターとしてプノ大使も挙げた日印豪をはじめ、ASEAN諸国との協力をさらに深め、「より公正な国際秩序の構築」を目指すとのことである12。こうしたフランスの「インド太平洋」戦略の射程には中国がある。
おわりに
フランスはたしかにEU加盟国のなかでは随一の「インド太平洋のパワー」である。とはいえ、アメリカや日本、そして中国と比べれば、その限界が露呈する。国際政治の本質が権力闘争であることが明白な状況下、EUを巻き込んで「インド太平洋」に関与させれば、そこで主導権を握れるのはすでに「土地勘」があり、海上戦力を展開できるフランスであろう。とはいえ、EUが「インド太平洋」戦略を策定したとしても、そこには外交や安全保障に関しては加盟国の全会一致を原則とするEUの特性ゆえの限界がある。全会一致を原則とするEUの共通外交・安全保障政策に、特定多数決制を導入すべきという提案が度々なされているが、実現はそう簡単ではない13。
規範パワーとしての色彩が濃厚なEUがどう動こうと、やはり加盟国単位での「インド太平洋」への対処を見ていく必要がある。同じ「インド太平洋のパワー」であり、中国を国際秩序の枠組みに入れたいのは日本も同じである。だが現状は、経済協調を重視する中国よりも、力の論理で自らの描く国際秩序を構築しようとしている中国の方が目立っている。そうした中国に価値の論理で対応しても、「国際秩序に組み込む」というフランス、そして日本の目標を成就させることは難しいであろう。「インド太平洋」におけるフランスの軍事的プレゼンスの強化、そして日本自身の安全保障上の多岐にわたる努力が必要となる。