はじめに
約10年の間で、中国を取り巻く国際環境は著しく悪化した。米中関係はトランプ前政権下で1972年以降最悪の状況に突入し、米中関係を支えるうえでこれまで重要な役割を果たしてきた経済の相互依存関係と人的交流を疑問視する声がアメリカにおいて広く聞かれるようになった。こうしたなか、米中両国は政治、外交、安全保障分野のみならず、経済、ハイテク、イデオロギーをめぐる対立も顕著になりつつある。
高まる米中対立を背景に中国はいわゆる「楔うち戦略」を採用した。米中関係の安定化を図りつつ、中国は日本やEU諸国との関係を強化し、「発展途上国」を中心に影響力を拡大させようとした。にもかかわらず、マスク外交で中国への称賛を強要する国際社会で不評を買う「戦狼外交」、香港や新疆問題での西側先進国との対立の高まり、尖閣諸島周辺での活動強化、インドとの国境地域の流血紛争など、 中国の対外政策は強硬な姿勢を貫いている。なぜ中国はこうした矛盾した対外政策の展開を見せているのか?本稿はまず習近平体制の政策のプライオリティを明らかにすることにより、中国の対外政策が抱える矛盾を明らかにしたい。
習近平政権の三つの闘い
戦争に直面していないにもかかわらず、習近平政権は中国の安全情勢が厳しさを増しているとみている。「西側の敵対勢力によるイデオロギーの浸透により、国際レベルにおいては主権、安全、発展利益、国内では政治安全、社会の安定による圧力が強まっている」1という。こうした1990年代初頭の「和平演変論」を基軸とした認識のもとで、中国国内では、主権と安全、経済発展、政治安全、社会安定を重要な政策、宣伝のキーワードとする政策が展開されている。つまり、「社会主義強国」を国家目標として掲げ、共産党政権の体制強化のために国家安全体制の構築に着手するなか、「イデオロギー・ナショナリズム」、「主権の擁護」と「党指導の下での集権体制の構築」は現政権にとっての最も重要な政策課題として浮上している。
イデオロギー色の強いナショナリズム
習近平は「中国の特色のある社会主義新時代」というキャッチフレーズを創り出し、自らの演説で共産党の優位性を強調し、中国は自由民主主義という西側諸国の政治制度を模倣しないことを明言した。こうしたなか、長年続いてきた愛国主義教育にもイデオロギー的な要素が色濃く出るようになり、いまでは「民族の誇り(民族自豪感)」や「国家の栄光(国家英誉感)」が強調されている。こうした政府方針を反映して、数多くのドキュメンタリーシリーズや映画が製作され、「戦狼外交」と揶揄されている「中国のすごさ」をアピールし、称賛を強要させる外交行動も頻発するようになった。
主権の擁護
習近平政権発足当初から、主権を重視する姿勢が全面に打ち出された。新疆ウイグル自治区、香港、台湾、南シナ海、尖閣諸島の問題、あるいはインドとの国境紛争など、ここ数年国際社会との軋轢を生みだしたいずれの政策も中国では主権問題と認識されている。習近平体制下において、こうした「主権」問題は妥協が許されない聖域となっている。
党指導の下での集権体制の構築
習近平体制になってからは、政策決定、政策執行、資源配分における党中央の絶対権威の確保を図るべく抜本的な改革が推進された。中央政府が「あらゆる要素と実行プロセスを総括的に見据えて、トップダウン方式で政策を定める(頂層設計)」重要性がしきりに強調されており、中央の外交・宣伝方針が地方政府、党校、国有企業で忠実に執行される体制づくりも進められた2。こうしたなか、中国の外交は国内政治と連動して動き、また国内政策のプライオリティが外交政策にも色濃く反映されるようになっている。
国際情勢に関する中国の見解と対外政策の基本政策
中国政府は国際環境の厳しさが増していると認識しつつも、習近平政権はいま「百年に一度の局面の大きな変化」が訪れていると認識している。そして、自国の国力が上昇し、アメリカをはじめとする民主主義国家が国内政治の難局を迎えていることから、今後の国際秩序は米中二極体制に収れんするであろうと多くの知識人が見ている。著名な国際関係学者である閻学通は10年後には米中両国の一人当たりの国内総生産(GDP)はいずれもほかの国の2倍ないし4倍となり、米中二つの超大国が影響力を競い合う世界となると予想した3。このG2論を後押しする形で、米中対立の先鋭化は中国の国力上昇によるものであり、遅かれ早かれ中国が経験しなければならない道筋であるという認識も広く受容されている4。
トランプ政権下で米中貿易摩擦が激化したが、中国政府は短期的に大規模なデカップリングは不可能であるとの公式見解を示した。こうしたなか、中国政府は第4次産業革命に乗じて、挙国体制で「自力・自強」の科学技術力を高めていこうとしている。2020年10月の中国共産党第19期中央委員会第5回全体会議(五中全会)で、2035年までにGDPを中等先進国並みにするという目標が打ち出された。なかでも科学技術のイノベーションは特別な重要位置を占めており、2020年12月に開催された中央経済工作会議で打ち出した経済計画で定められた8つの優先課題において中国の戦略的技術の強化は首位に位置づけられており、経済成長よりも重視されている。
「二つの循環」は五中全会で提言された経済政策のキーワードとなっている。対外開放を意味する「外需拡大」として提言された政策は上述した技術革新やサプライチェーンの安定と関連する政策が多く、グローバルサプライチェーン・グローバルバリューチェーンの構築、自由貿易協定(FTA)の推進、金融協力やeコマースなどを通じたデジタル経済圏の構築などが提示された。また「内需拡大」の政策として重視されている環境や貧困撲滅を通じた量から質への経済発展も、中国の対外政策に深いかかわりを持つ。
このような政策の方向性を背景に、対外政策におけるアジア・アジア太平洋地域の重要性はさらに高まっている。しかしながら、アジアないしアジア太平洋地域の中でどのような政策をとるべきかについては、中国国内で必ずしもコンセンサスが取れていない。アジア地域の戦略重点は北東アジアかそれとも東南アジアかについて学者の間では意見が分かれている。地域大国日本との関係については、日中関係を安定させるべきだという主張は圧倒的に多いが、日中関係に外交資源を多く投入すべきではないとの意見も見受けられる。
おわりに
習近平体制のもとでは、改革開放40年の間に低下し続けた中国共産党の求心力と国家統治能力を高めるために、イデオロギー色の強いナショナリズム、主権、集権体制の構築をめぐる三つの政策キャンペーンを展開している。こうしたことを背景として、中国の外交は国内政治と連動するようになり、また国際環境を改善するために推進される対外政策との矛盾を生み出している。
国内の政策展開に加え、中国の国際情勢認識も強硬な対外姿勢を助長している。中国は世界的な趨勢としてG2世界に向かっていると認識している。またデカップリングは短期的には起こりえないとする一方で、第4次産業革命を機会として捉えイノベーションを通じて今の国際環境の圧迫は乗り切れるとみている。
集権体制が進むいま、習近平政権は「戦略的なチャンス」を再び唱え、グローバルサプライチェーン・グローバルバリューチェーンやデジタル経済圏の構築、FTAの推進などを重視した対外政策を提示した。また国内アジェンダで推進される様々なプロジェクトのなかで、民主主義国家と中国との協力が可能な領域も浮かび上がってきている。グリーン投資、グリーンファイナンス、貧困撲滅をはじめとする領域は今後有望な協力分野となりえるであろう。
1 「居安思危、共筑国家安全精神長城」『中国国防報』2017年4月12日。
2 習近平体制下の外交分野における制度改革は、青山瑠妙「計画外交で推進されている一帯一路構想」(廣野美和編『一帯一路は何をもたらしたのか』勁草書房、2021年)を参照。
3 「閻学通:未来十年国際政治的格局変化」https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_10384350
4 青山瑠妙「中国とバイデン新政権との新しい『競・合関係』」、三田評論、2021年第2号、46-51頁。https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/features/2021/02-6.html