中国・習近平政権における「経済安全保障」の概念
近年、「経済安全保障」が注目を集めるようになっている。その主な背景には、①新グローバリゼーション、②大国による「エコノミック・ステイトクラフト」(経済的国策)の手法を用いた目的の達成、③「ゲームチェンジャー」技術を含む新興技術の発展がある1。とりわけ、中国による窃取を含む技術および人材の獲得・確保や経済力を背景とした他国に対する「強制」や「服従」、「説得」を試みる言動に国際的な警戒感が高まっている。
そもそも、安全保障の要諦は、想定し得る脅威に対して「対処」、「抑止」することにある。その中でも、「経済安全保障」は、国家の経済的側面の安定や発展を阻害し得る脅威に対して「対処」すること、あるいはそうした脅威を「抑止」すること、あるいは脅威をもたらす対象に対して強制的な手段を含めた働きかけを行うことを含む包括的な概念である。
具体的には、「対処」とは、経済的要素に対する規制や管理の強化、あるいは備蓄や保護、国産化、あるいは代替などによって経済的な侵害を受ける場合に対処することを意味する。また、「抑止」とは、経済的要素への国際的競争力を構築し、経済的な侵害を受けないように抑止することを意味する。その目標達成のためには、「エコノミック・ステイトクラフト」の手法として、経済力を背景に他国に「強制」や「服従」、「説得」することも含まれる。
翻って中国では、2014年4月15日に開催された中国共産党の中央国家安全委員会第1回会議で、習近平政権下で初めてとなる「総体国家安全観」(総体的な国家安全保障観)が提示された2。この「総体国家安全観」とは、対外的な脅威以外にも、政治、経済や文化、社会など11の領域を国家安全保障の領域に含めるという、非常に幅広い中国独自の概念である3。
中央国家安全委員会主席を務める習近平・中国共産党中央委員会総書記・国家主席・中央軍事委員会主席は、国家安全に係る活動について、「総体国家安全観」を堅持し、「人民の安全を趣旨とし、政治の安全を根本とし、経済の安全を基礎とする」と述べた。この発言からは、「総体国家安全観」が政治の安全すなわち中国共産党による統治体制の維持を根本に据え、経済の安全を保障することで統治の正当性を担保していることが伺える。
中国の経済安全保障の重点
この「総体国家安全観」に基づき、翌2015年7月1日には、全国人民代表大会常務委員会第15回会議において、「中華人民共和国国家安全法」が可決、成立した4。
同法では、「経済安全」(保障)に関して、「国家は、国の基本的な経済制度と社会主義市場経済の秩序を維持し、経済の安全リスクを防止・解決するための制度的メカニズムを改善し、国民経済の生命線である重要な業界と鍵となる領域、重点産業、重要インフラおよび重要建設プロジェクト、およびその他の重要な経済的利益の安全を保障する」(第19条)と規定された。
また同法に先立ち、2015年5月の時点で、中国共産党および国務院は、経済の対外開放を掲げる一方で、「核心的利益」を守り、開放型経済における経済安全保障システムを確立するために、①外国投資のための国家安全保障審査メカニズムの改善、②グローバル化によるリスク予防および管理システムの確立、③経済および貿易の安全保障システムの確立、④財務リスクの予防および管理システムの改善を掲げた5。
このことから、中国が経済の安全保障的側面として、国家安全保障に影響する分野への外国企業による対中投資の事前審査や、市場の管理監督強化による安定の維持、資源の安定供給のための国際チャネルの確保、輸出管理制度の確立、システミックリスクへの対応などに重点を置いていることを読み取ることができよう。これらの重点は、いずれも国内経済の安定や管理監督を強化することにより、自国経済を保護しようとするものである。
こうした中国の「経済安全」の概念は、米国トランプ前政権による経済安全保障重視の姿勢を受けて、2018年以降若干の変化が見られるようになっている。たとえば、2018年以降、中国の指導者層が「経済安全」という用語を用いる際の文脈は、コア技術および関連する知的財産権やデータ、産業の保護、サプライチェーンの確保などを強調するものへと変化している。
2020年には、中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大と、米中間の対立が深化する中で、中国は経済の「自力更生」や「双循環」を掲げ、自国の企業に対する減税や融資、補助金などを拡大するとともに、インフラ投資や産業チェーンの移転、消費と輸出の拡大などの経済政策を打ち出した。その一方で、中国は経済の安全保障的側面を強化すべく、国内法の整備を進めてきている。
「輸出管理法」の制定
中でも国際的な注目を集めているのが、2020年10月17日に制定、12月1日から施行された「輸出管理法」である。「輸出管理法」は、中国の輸出管理の分野で最初の特別法であり、管理政策、管理リストと管理措置、監督管理、法的責任、および附則の全5章49条からなる6。同法は、規制品リストの整備や特定品目の輸出禁止に係るエンティティ・リストの導入、みなし輸出、再輸出規制導入、域外適用の原則、報復措置などを規定している。
同法は、2017年6月16日に意見請求稿、2019年12月28日に全人代常務委員会第1次草案、2020年7月3日に全人代常務委員会第2次草案がそれぞれ公表されており、制定までに変更が加えられてきた。この「輸出管理法」の意見請求稿は、トランプ米大統領の就任後に公表されており、米中対立が本格化するより前に公表されたものの、中国の新興ハイテク企業への規制を強める米国への対抗措置の一環であるとの見方が強い。
その内容は、当初は米国への対抗措置という意味合いは薄かったと見られるが、意見請求稿の段階から「国の安全と利益の発展を守」る(意見請求稿第1条)、「輸出管理は総体国家安全観に基づく」(同第8条)、「如何なる国家(地域)にあっても中国に対して差別的な輸出規制を行う場合においては、中国は当該国家(地域)に対し相応の措置を講じる」(同第9条)など、習近平政権の対外強硬姿勢を示すものとなっている。
また、制定、施行された条文では、「国の安全と利益を守り、拡散防止等の国際業務を履行し、輸出管理を強化・規範化するために本法を制定する」(第1条)と規定された。この「国の安全と利益」を守るという文言はその他の条文でも繰り返されているが、第2次草案では同法の適用範囲は「国の安全」に危害を及ぼす場合とされていた。つまり、同法制定に際して、中国政府が「利益」に危害を及ぼす恐れがあるとみなした場合にも、同法を適用することが明記された。
さらに特徴的なのは、「国または地域が中国の国家の安全や利益を損ねる輸出管理措置を乱用する場合、中国は実際の状況に基づき、その国または地域に対して対等の措置を講じることができる」(第48条)と、報復措置を規定していることである。こうした条文から、中国企業の排除を進める米国に対抗する狙いや、輸出管理をエコノミック・ステイトクラフトの手段の1つとしてみなしていることが読み取れる。
リスト規制の「戦略的曖昧性」
輸出管理法の第9条第1項では、「国の輸出管制管理部門は、この法律および関連する法律および行政規則の規定に従い、輸出管理方針および所定の手順に従って、関連部門と協力して、管理品目の輸出管理リストを作成および調整し、適時に公表するものとする」と定められた。施行翌日の12月2日、商務部は「商用暗号輸入許可リスト、商用暗号輸出管理リスト、および関連管理措置に関する公告」を公表、2021年1月1日から適用を開始した7。
同公告は、「輸出管理法」および「暗号法」に基づくもので、データの暗号化技術、ソフトウェアなど、商用暗号に関する品目を対象としている。具体的には、暗号の演算を行うICチップや量子暗号通信、電力、金融などの分野に特化した専用暗号設備、暗号化機能を搭載した電話やスマートフォン、ファックスなどが規制の対象となった。同時に、商用暗号に関する物品や技術の輸入に関しても許可の対象とした。
このように、輸出管理リストの第1弾が公表されたものの、最大の問題は、輸出管理法の運用方針と適用範囲が未だ明らかにされていないことにある。ただし、米国が2018年に米国輸出管理改革法(Export Control Reform Act、ECRA)の対象14分野を公表したものの、具体的な品目リストを公表できていないように、戦略物資の価格や需給、新興技術および製品の開発状況、対象となるエンド・ユーザーおよびエンド・ユース、他国との政治的関係の変化などによって適用範囲が変化し得るため、あえて運用方針や適用範囲を明確にしていないのかもしれない。
むしろ中国は、そうした国内法の運用方針や適用範囲に「戦略的曖昧性」を残すことによって、中国に有利なルールを設定可能な状況を作り出そうとしていると見ることもできよう。実際、中国は輸出管理法に基づいて最大2年間、「輸出管理リスト以外の貨物、技術とサービスに対して臨時管理を実施し、公告することができる」(第9条第2項)。こうした条文は、他国の輸出管理法には見られず、中国内の輸出業者や関連企業に対して、追加の負担や「後出し」への対応を課す内容となっている。
また、2020年9月19日には、「信頼できない実体(エンティティ)リスト」の規定を公表、同日に施行した8。これは、リストに掲載された外国の実体の中国における貿易、投資などの活動を禁止または制限することを規定したものである。ただし、本規定に基づく実体リストも同時には公表されず、米中対立をはじめとする国際環境の変化に応じて公表、追加されることが予想される。
知的財産権の保護強化に向けた法改正の動き
一方、知的財産権の保護強化に向けた法改正の動きも見られる。知的財産の保護が科学技術のイノベーションに必要であるといった議論は、中国内でも2000年前後から語られるようになっている9。この点に関する注目すべき動向として、輸出管理法の施行日、2020年11月30日に、習近平が中国共産党中央政治局第25回集団学習会を主宰し、知的財産権の保護業務を全面的に強化すべきであると述べたことが挙げられる
この集団学習会では、中国の知的財産の保護に関して集団学習が行われた10。この学習会では、北京大学法学院教授兼国際知的財産権センター主任で国家知的財産権戦略実施研究基地主任も務める易継明氏を招き、知的財産の保護を包括的に強化し、イノベーションを刺激し、イノベーション駆動型の新たな発展方式を促進する必要があるとの認識が共有されている。
同会議において、習近平は、「イノベーションが開発の最初の原動力であり、知的財産権を保護することはイノベーションを保護することを意味する」と述べた。その上で、「民法の関連規定を厳格に実施する一方、関連する法規制の改善を加速し、特許法、商標法、著作権法、独占禁止法、科学技術進歩法の改正を調整および促進する必要がある」と知的財産保護のためにこれらの法制度を改正する必要性を強調した。
さらに、習は知的財産権の分野における国家安全保障を維持する必要性も強調している。具体的には、「国家安全保障に関連する主要なコア技術の独立した研究開発と保護を強化し、法律に従って国家安全保障に関連する知的財産権の移転を管理することが必要」であり、「知的財産の独占禁止や公正な競争に関連する法規制や政策措置を改善し、合法かつ強力な抑制を形成することが必要」であるとの認識を示した。
習は、グローバルな知的財産ガバナンスに深く参加することを掲げる一方で、こうした国内の法整備に加えて、「中国の知的財産法や規制の域外適用を促進し、国境を越えた司法調整の取り決めを改善することが必要」であり、「効率的な国際的な知的財産リスクの早期警戒と緊急対応メカニズムを形成し、知的財産の外国関連リスクを防止および管理するためのシステムを構築することが必要」であるとも述べている。
外国からの投資や法令の域外適用への規制
他方、2021年1月9日、商務部は「外国と法律および措置の不当な域外適用を阻止する弁法」を公表、同日に施行した11。同法制定の目的は「外国の法令や措置の不当な域外適用を阻止し、国家主権、安全、発展の利益を保護、中国の国民または法人の権利利益を保護すること」(第1条)にあるという。具体的には、同法に基づき、商務部を中心とした審査機構を設置し、中国の国民または法人が不当な域外適用に遭遇した場合に審査が行われる。
その審査結果に基づき、商務部は外国の法令や措置について承認、執行、遵守の禁止を決定する(第7条)。また、当事者が外国の法令や措置を遵守することで、中国の国民や法人などに損害を与えた(と商務部がみなした)場合には、損害賠償を請求できると規定されている(第9条)。また、外国の法令や措置が不当に域外適用されている場合、中国政府は必要な対抗措置を講じることができる(第12条)。
ただし、対象となる「外国の法令や措置」や「当事者」、「対抗措置」など用語の定義や適用範囲が曖昧なことから、中国政府が同法を恣意的に解釈し、適用する余地が残されている。そのため、中国政府が「不当な域外適用」と見なした場合、あらゆる外国の法令や措置が対象となる可能性がある。そのため、日本企業が米国等の域外適用に関する関係法令や措置を遵守し、中国企業との取引を打ち切った場合、中国から損害賠償を請求される可能性がある。
このことから、今後、外国の法令や措置を「不当な域外適用」として対抗措置を講じる一方で、中国の知的財産法や規制を域外適用するという「二重基準」によって、中国の「安全と利益」を確保しようとすることが想定され得る。すなわち、中国の経済安全保障に関連した国内法は、中国企業の利益保護や他国に対する経済的強制の手段として、あるいは中国に対する規制を抑止する手段としても適用される可能性がある。
そのため、2020年11月10日、日本国内主要産業団体が経済産業省に対して提出した「中国及び米国の域外適用規制について(要請)」でも示されているように、中国の国内法が「国際競争力や優位性の維持・発展のために運用がなされるのでは」との懸念を生んでいる12。換言すれば、中国による経済安全保障は、経済の安全を保障することに留まらず、利益や技術、資源の「囲い込み」となることが懸念されていると言えよう。
中国の経済安全保障強化の背景
このように、中国が経済の安全保障的側面を強化する背景には、第1に、「総体国家安全観」の下で、経済の安全を保障することが国家安全保障の基礎であるとの認識を中国共産党指導部が有していることが挙げられる。そのため、中国は、経済の安全を保障するという目標を達成するために、「エコノミック・ステイトクラフト」の手法を用いて、他国に「強制」や「服従」、「説得」を試みることを厭わないと考えられる。
第2に、米中対立や中国による技術の獲得、開発、囲い込みなどに対する先進諸国の懸念が増す中で、戦略物資やサプライチェーンを確保する必要があると認識するようになったことが挙げられる。そのため、グローバルに開かれた環境下で、経済の安全を保障するための施策として、関連する国内法を整備するとともに、自国に有利な国際ルールの形成を目指していると見られる。
第3に、特許出願件数で世界一となるなど、守るべき技術や知的財産、および新興技術を支える重要なデータなどが急増したことで、中国がそれらを守る立場になったことが、経済の安全保障的側面を強化している背景にある。そのため、中国の法整備は、他国による知的財産権の侵害も意識したものとなっている。中国が、他国から権利侵害を問題視される一方で、新興技術をはじめとする知的財産を重視するようになったことは、重大な変化である。
そこで、関係諸国は、戦略物資やそのサプライチェーンを多角化するなど、「エコノミック・ステイトクラフト」の手法に対する備えが必要となる。また、中国の一方的かつ不透明な国内法に対しては、国際社会が説明と改善を求めていくことが肝要である。加えて、知的財産や情報・データなどの保護については、世界貿易機関(WTO)や経済連携協定(EPA)をはじめとする国際的な貿易管理の枠組みの中で、公正性や実効性を担保していくことが重要であろう。
(了)