はじめに
2020年は、NATOにとって自らと向き合い、将来の課題を洗い出すとともに、10年後の同盟のあるべき姿を模索する年となった。
「NATO 2030」と呼ばれるこのイニシアティブは、2019年12月のロンドン首脳会議での要請を受け、ストルテンベルグNATO事務総長が開始した1。そしてその第一弾として、事務総長が立ち上げた専門家会合によって作成されたのが、「NATO 2030:United For a New Era」と題する報告書である。報告書には、今後10年に渡ってNATOを取り巻く戦略環境を形作るトレンドに関する分析・評価に加え、同盟の政治的機能を強化するための138もの提言が盛り込まれている2。
現在NATOでは今後直面する課題と対処について、報告書をもとにした議論が様々なレベルで行われており、事務総長はそこでの議論をもとに独自のNATO改革案を練っている。以下では、「NATO 2030」イニシアティブが始まった背景、そして専門家会合による報告書の内容を概観するとともに、そのなかで日本にとって注目すべき中国の位置づけについて見ていく。
「NATO2030」イニシアティブの背景―同盟内に広がる不協和音―
NATOは2019年に創設70周年を迎えたが、そこに祝福ムードはなかった3。2010年に現行の「戦略概念」が採択されて以来、欧州を取り巻く安全保障環境が厳しさを増すなか、NATOは2014年のウクライナ危機以降、対ロ抑止防衛態勢を強化するなど軍事的には新たな状況に適応しつつも、政治面では深刻な内部対立を抱えることになったからである。
とりわけトランプ政権成立以降は、軍事面においては着実な成果が見られたものの、トランプ大統領の威圧的な言動や集団防衛に対する決意の揺らぎによって、NATOは大きく動揺した。また首脳会議を開くたびに指導者間の対立ばかりが目立ったことは、同盟の亀裂を内外に印象づけることとなった。
こうしたなか2019年秋にはマクロン仏大統領がNATOを「脳死」状態にあると述べ、加盟国に波紋を広げた。この発言は、直前のシリアからの米軍撤退とトルコによるシリア攻撃が一方的に決定されたことを受けてのものだったが、彼があえて論争的な言葉を用いたのは、上記の決定のように他の同盟国に多大な影響を及ぼす問題をめぐって、同盟内の事前協議が蔑ろにされている現状に警鐘を鳴らすためであった。
マクロンによる「脳死」発言は、メルケル独首相を含む他の同盟国からの反発を招いたが、一方で同盟の現状分析としては決して誤りとは言えず、軍事的に機能するNATOは政治的には危機的状況にあるというのが大方の見方だった。
そこで2019年のロンドン首脳会議において各国首脳は、「協議を含む同盟の政治的側面をさらに強化する」ための「将来を見越した前向きな内省プロセス(a forward-looking reflection process)」を主導するようNATO事務総長に求めた4。これを受け事務総長は2020年3月に、デメジエール元独国防大臣とミッチェル元米国務次官補を共同議長とする計10名からなる独立した専門家会合(Reflection Group)を立ち上げた。そして彼らは4月から10月にかけて、加盟国の政府、軍、議会関係者に加え、日本を含むパートナー諸国の関係者や民間の専門家など、計200名以上と90回を超える面談を行い、60ページ超の報告書をまとめあげたのである。
「NATO 2030」報告書―NATOを取り巻く戦略環境に関する評価―
この報告書では、まず2030年に至る今後10年の情勢評価として、NATOがこれまで経験したことがないような複合的な脅威や挑戦に直面するという厳しい認識が示されている。具体的には、大国間競争が復活するなかでロシアや中国が突きつける脅威や挑戦、また差し迫った脅威としてのテロ、気候変動やパンデミックといった新たなリスク、また新興・破壊的技術(EDT)がもたらす挑戦と機会などがその戦略環境を形作っていくという。
同盟が機能するには軍事態勢を整えるだけでなく、政治的な一体性も必要になってくる。しかし報告書でも指摘されているように、米欧間には、米国の欧州関与からの後退、負担分担をめぐる問題、欧州の自律的志向など、互いの長期的な戦略方針をめぐる不信感が存在する。また冷戦終結から30年の時を経て30カ国にまで増大した加盟国の間には、脅威認識や政策課題の優先順位をめぐって深刻なズレが生じている。
さらにトルコが、シリアのクルド人武装組織をNATOとしてテロ組織と認定しなければ、バルト三国やポーランドに関する防衛計画を拒否するという駆け引きを行ったように、域外の問題をめぐる同盟国間の対立がNATO全体の意思決定に悪影響を及ぼす事態も起きている。そして加盟国の一部では、いわゆる「民主主義の後退」や社会の分断が進んでいる。こうしたなか専門家会合は、同盟の亀裂がこのまま進めばロシアや中国につけいる隙を与える危険があるとして、各加盟国がこれを戦略的な問題として深刻に捉えるべきだと警告している。
NATOの政治的機能強化に向けて
では同盟の政治的結束をいかに高めるのか。報告書ではイシューごとに提言が示されているが、なかでもその「出発点」として位置づけられているのが、時代遅れになっている現行の「戦略概念」の見直しである。専門家会合は、これで諸問題が一挙に解決すると楽観視しているわけではないが、作業を通じて同盟にとっての優先事項を定め、その一体性を確保するとともに、過去10年間でアドホックに実施されてきた様々な措置を一つの戦略的構図のなかに落とし込むことを期待している。
また報告書では、政治的結束の維持をすべての加盟国にとっての優先事項とすべきだと主張されている。具体的には、各国が北大西洋条約の根幹である集団防衛、協議の精神、そして民主主義などの価値に従うという行動規範を再確認するとともに、集団防衛への意思を行動で示すべく、2014年に合意された負担分担に関する目標を達成する努力を引き続き行っていくよう求めている。
さらに今後、複合的な脅威や挑戦に対する加盟国間の認識のズレを少しでも埋めて共同行動をとっていくため、NATOを政治的協議の場として積極的に活用していく必要を強く訴える。興味深い提言として、NATO外相が同盟の健全性を定期的に評価すること、閣僚級会議の回数を増やすこと、また必要であれば外務・防衛以外の閣僚を参加させるなど形式を拡大すること、そして何よりも最高意思決定機関である北大西洋理事会を積極的に使って強化していくことがあげられている。また当局者同士の関係や信頼を構築すべく、シナリオベースの議論などが行える非公式な会議を増やしていくことや、域外情勢やサイバーなどの新領域といったNATOにとっては非伝統的なアジェンダを議論する定期協議の場を設けることも提言している。
中国への警戒感
日本、そしてインド太平洋地域へのインプリケーションを考える際、報告書のなかで注目すべきは中国の位置づけであろう。
NATOは2019年12月のロンドン首脳宣言において「中国の影響力増大やその対外政策は、同盟としての対処が必要な機会と挑戦をもたらしている」と述べ、史上初めて中国に言及した5。またストルテンベルグ事務総長も2020年6月の声明で、中国の影響力が欧州のみならず、サイバー空間、北極圏、アフリカにまで及ぶなか、NATOは「よりグローバルなアプローチをとる必要性がある」と述べた6。これは、NATOが南シナ海に向かうなど、そのプレゼンスをグローバルに示すことを意味しているわけではない。それでも、近年NATO内にも対中警戒感が広がるなか、同盟として何かしらの対処が必要だとの認識は着実に強まっている7。
こうした流れのなかで専門家会合は、今後の戦略環境を特徴づける大国間競争のなかでロシアと中国が「同時に地政学的・イデオロギー的挑戦」を突きつけていると評価し、両国を「体制上のライバル」と位置づけた。現行の「戦略概念」においては、ロシアは関与・協力の文脈で言及され、中国については言及すらなかったことに鑑みれば、独立した専門家会合の評価であるとはいえ、この報告書がいかに画期的であるかが理解できよう8。
もちろん現段階においてNATOにとっての最大の軍事的脅威はロシアであり、中国は直接的な軍事的脅威を突きつけているわけではない。しかし報告書では、中国による経済力を背景とした強制・恫喝外交、また新興技術やサイバーなどあらゆる分野において中国の台頭がNATOにもたらしうるリスクに対して強い懸念が示され、同盟国のレジリエンス強化や技術優位の維持などが課題としてあげられている。
そして専門家会合は、中国との対話の可能性を残すべきだと指摘する一方、「NATOは中国がもたらす挑戦についてより多くの時間、政治的資源、行動を投入すべきだ」と述べる。具体的には、既存の枠組みでこの問題を取り上げて同盟国間の連携を強化するとともに、日本を含むパートナー諸国や他の機関も含めて経験や情報を持ち寄り、中国に対する同盟国の姿勢を議論できるような新たな協議機関を設置することを検討すべきだと提案している。また「インド太平洋」に関する項目でも、NATOのパートナー諸国である日本、豪州、ニュージーランド、韓国との協議の強化を求め、これらの国を軸とする「NATO-Pacific Partnership Council」といった枠組み形成の必要性を示唆している点は、日本としても注目すべきであろう。
おわりに―バイデン政権の成立と今後の課題
以上の内容を含む「NATO 2030」報告書は、2020年11月に事務総長に提出され、事務総長はこれをもとに独自の改革案を作成し、2021年後半に開催予定のブリュッセル首脳会合で提出することになっている。またこのイニシアティブでは、NATOの将来に関する公開対話の場も数多く設けられ、業界や世代をまたぐかたちで様々な観点から議論が進められている。
折しも2021年1月には、トランプ政権下で悪化したNATO諸国との関係修復に意欲を示すバイデン政権が発足した。すでにバイデン大統領をはじめ政府高官からは、防衛コミットメントや同盟国との協議を重視する姿勢が相次いで打ち出されており9、「NATO 2030」を進めていく同盟内の雰囲気は改善しつつあると言える。
他方、トランプが去っても、NATOには脅威認識の相違や負担分担をめぐる問題など、同盟の根幹を蝕む構造的な問題が山積しているのも事実である。専門家会合が示した提言をいかに具体的な戦略や政策に落とし込み、NATOとして政治的結束を回復・維持できるかは、各加盟国の「意思」にも大きく関わるため未知数である。
ストルテンベルグ事務総長はすでに報告書の提言に基づき、「戦略概念」の見直しを2021年の首脳会議で提案する意向を示しているが10、その開始を首脳レベルで合意できたとしても、文書の策定過程に入れば、各国の認識や立場の相違が露呈するリスクも孕んでいる。また結果として合意された文書が、脅威や挑戦を羅列するだけで、限られた資源をどこに投入するかという優先事項や重点が不明瞭になる可能性も否定できない。
さらに中国の影響力拡大がNATOにも多様な課題をもたらしているという点で合意できたとしても、それが自動的に共同対処・行動につながるわけではない。同盟国の間にはいまだに中国に対する温度差があり、NATOが「グローバルなアプローチ」をとることに消極的な国も存在する。こうしたなか同盟としていかに中国に対処していくかを「戦略概念」で規定したり、対中共通アプローチを策定することは容易な作業ではないだろう。
この点で重要になるのがバイデン政権の動きである。中国がNATO(あるいは米欧関係全般)のアジェンダになったのは、欧州全体で対中警戒感が高まったことに加えて、トランプ政権による強い圧力があったからでもある。そのなかで一部の欧州同盟国は、トランプとの関係をうまく管理するために、その対中強硬姿勢に乗っていた面も否定できない。これに鑑みれば、今後バイデン政権が対中政策を形成・推進するうえでNATOをいかに巻き込むのか、また民主主義や人権といった価値のみならず、5G、サイバー、ポストINF問題などの個別案件をめぐってどれだけ欧州同盟国に共同歩調を強く求めていくのかは注目すべき点である。
日本としては、岐路に立つNATOがいかに新たな状況に適応していくのかを注視するとともに、そのプロセスで大きな論点となる中国について、まずは自らの立場を確立し、バイデン政権とはもちろんのこと、他のNATO諸国との協議も活性化させていく必要がある。
(2021年2月23日脱稿)