貿易と安全保障の接近・摩擦と日韓紛争
従来貿易と安全保障は比較的互いに節度ある距離感を保った関係にあった。各国は国際安全保障貿易管理レジームの合意と相場感や国連における制裁決議等を踏まえ、慎重に通商措置を援用した。また、GATT21条に規定される安全保障例外は「伝家の宝刀」であり、各国はみだりにこれを通商制限的措置の正当化に援用することはなかった。
しかしトランプ政権の発足後、この状況は一変する。同政権は、安全保障上の懸念を理由とした1962年通商法232条に基づく鉄鋼・アルミニウム製品に対する追加関税、そしてデュアルユース産業における強制技術移転や知的財産の盗用を理由とした一連の1974年通商法301条による対中関税引き上げを相次いで発動した。更に輸出管理規則(EAR)、2019年度国防権限法(NDAA)、国際緊急経済権限法(IEEPA)等に基づき、ZTE、ファーウェイ、ハイクビジョン、バイトダンスといった中国通信・IT大手の米国との貿易・投資からの排除を進めたのも、ここ数年のことである。WTOにおいても、2019年4月にウクライナ危機に関するロシア・貨物通過事件(DS512)、2020年6月にカタール危機に関するサウジアラビア・知的財産権事件(DS567)において、それぞれ安全保障例外の適用についてパネルの判断が示された。
こうした最中、2019年7月に韓国の貿易管理体制の脆弱性と、未だ詳細が明かされない「不適切事案」(輸出管理対象物資の第三国への流用あるいは軍事転用が窺われる)を理由に、日本は、①フッ化水素、フッ化ポリイミド、及びレジストの対韓輸出を包括許可から個別許可へ移行すること(3品目運用見直し)、並びに②韓国をキャッチオール規制の対象とすること(ホワイト国除外))を柱とする、対韓貿易管理の運用見直しを実施した。この措置をめぐって、おりからの日韓関係の悪化の文脈の中で、WTO紛争へと発展している。
対象の化学物質3品目ともワッセナー・アレンジメント(WA)またはオーストラリア・グループ(AG)のリスト搭載品目であること、キャッチオール規制もWA上の制度であることから、本件措置は大量破壊兵器等の不拡散を目的とした安全保障貿易管理レジームの実施に関係している。それゆえ本件は、米国鉄鋼・アルミ関税のような明らかな例外濫用の案件とも、また戦争に準ずる深刻な国際関係の緊張を背景とする2件のWTO紛争とも異なり、平常時にWTO法体系の中で許容される安全保障目的の通商措置にかかる裁量の限界を模索する事案である。
その一方で、この対韓措置は、いわゆる徴用工問題を背景とした日韓の政治的不和を背景としている。特に3品目の対日依存度の高さに鑑みるに、対韓措置はチョークポイントに照準を絞って輸出制限を行う「武器化された相互依存(weaponized interdependence)」の具現化であり、エコノミック・ステイトクラフトとしての安全保障貿易管理制度の戦略的利用としての一面を有しているようにも思われる。
安全保障貿易管理レジームとWTO協定
WAやAGに代表される安全保障貿易管理レジームの本質とは、同種の産品の輸出について、仕向地別に許可を求め、また異なる手続を課す差別であり、また時には輸出を禁じるものである。このような制度は、GATT 1条1項(輸出手続に関する一般最恵国待遇)、同11条1項(輸出許可・制限の禁止)、同13条1項(11条違反措置の差別的適用の禁止)等に適合しないことは明白である。
したがって、安全保障貿易管理措置にかぎらず、何らかの安全保障上の理由によって通商制限的措置が課される場合、いずれかの例外規定の援用によってこれを正当化する必要がある。このため、WTO協定においては、GATT21条、GATS14条の2、そしてTRIPs協定73条にそれぞれほぼ同一の文言からなる安全保障例外が設けられている。同様の例外は、例えばCPTPP29.2条、RCEP17.13条など地域経済協定にも設けられている。以下、一例としてGATT21条を挙げておく。
第二十一条 安全保障のための例外
この協定のいかなる規定も、次のいずれかのことを定めるものと解してはならない。
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締約国に対し、発表すれば自国の安全保障上の重大な利益に反するとその締約国が認める情報の提供を要求すること。
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締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める次のいずれかの措置を執ることを妨げること。
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核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置
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武器、弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引に関する措置
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戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置
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締約国が国際の平和及び安全の維持のため国際連合憲章に基く義務に従う措置を執ることを妨げること。
このGATT21条を含むWTO協定上の安全保障例外については、各国が慎重かつ抑制的に援用してきた結果、これまでパネルの判断が示されるに至った紛争は、前述のロシア及びサウジアラビアに関する2件にとどまる。これらはいずれもGATT21条及びTRIPS協定73条のそれぞれ(b)(iii)(戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置)に関する事案であった。
両パネルは例外が濫用されることのないよう、一定程度パネルによる事後的な審査を試みている。まず、被申立国は安全保障例外の援用あるいは事案の政治性を理由としてパネルの管轄権否認を主張したが、ロシア・貨物通貨事件パネルは、安全保障はパネル逃れの「呪文(incantation)」たり得ないと喝破し、これを拒否した。
また、GATT21条及びTRIPS協定73条のそれぞれ(b)柱書には「安全保障上の重大な利益」の保護目的での措置の必要性は「(締約国が)認める(which it considers...)」ものであるとして、自己判断(self-judging)を認める文言があるが、この自己判断は問題の措置の(b)(i)~(iii)適合性の判断には及ばす、この点はパネルの客観的な審査に服すると解釈した。更に自己判断的文言についても、パネルは安全保障例外を援用する被申立国がこれを誠実に解釈・適用しているかの審査(誠実審査-good faith review)を行うと判断した。
この柱書適合性の誠実審査については、それぞれの状況で「安全保障上の重大な利益」を定義する裁量は加盟国に広く認める一方、①安全保障上の重大な利益の明確な説明、②当該利益のために措置が取られたことにつき「もっともらしい説明が最低限求められる(a minimum requirement of plausibility)」と説示している。しかしいずれも求められる説明水準は極めて低く、例外の有効な濫用防止たり得るか否かは疑わしい。
もっとも、これら2つのWTO紛争はいずれも(b)(iii)の適用事例で、しかも切迫した国際関係の緊張の文脈での案件であった。それゆえパネルの誠実審査も限定的であったとも考えられ、そのような状況になく、また事案(b)の他のサブパラグラフが適用される事案ではパネルはより厳密な審査を行う可能性がある。
日韓紛争の争点
韓国は今回3品目運用見直しのみについてWTO協定違反を争っており、パネルでは日本が当該措置のGATT21条適合性の主張・立証を求められることになる。「不適切事案」が明らかにされない以上、現時点で当該措置の同条適合性の評価は難しい。しかしながら、措置の内容や日韓の政治環境から、本件で少なくとも同条の(a)、(b)(i)及び(iii)が援用できないことは明らかであり、おそらくは(b)(ii)適合性が争点となることが予想される。
(b)(ii)については先例がないため3品目運用見直しの適合性は見通しがたいが、対象貨物が広く定義されており(「その他の貨物及び原料」)、また間接的な(第三者が介在する、あるいは中途で原材料として使用される)取引も含まれる点で、間口は広い。しかし、「軍事施設(military establishment)」の範囲が狭く解釈される可能性、及び規制対象の取引が軍事施設への供給を目的としていること(「~ため(for the purpose of...)」)を立証しなければならない点には留意しなければならない。
仮に3品目運用見直しが (b)(ii)に該当するとして、更に(b)柱書の誠実審査に服することになる。誠実審査の内実については上述以外明らかにされていないが、国際司法裁判所(刑事司法共助事件判決(ジブチ対フランス))や常設仲裁裁判所(CC/Devas事件判決)の先例は、安全保障に無関係な事項の考慮や例外の目的外利用が認められる場合、自己判断的な安全保障例外の誠実解釈義務違反を構成することを明らかにしている。
本件では、見直し発表直後に、日韓の信頼関係毀損の背景として、安倍総理、菅官房長官、世耕経産相(いずれも当時)が、徴用工問題に言及していた。このことは、今回の措置がエコノミック・ステイトクラフトとしての側面を有し、政治的動機に基づく安全保障例外の濫用であることを窺わせる。紛争解決了解23条は他国の政策変更を目的とした一方的措置を禁止しており、その文脈に照らせば、エコノミック・ステイトクラフトとしての通商措置が(b)柱書の誠実義務に適合するものとは理解できない。
もっとも、WTO紛争においては、ある措置の規制目的は主観的目的にのみ依拠するのではなく、措置の構造や運用から客観的に読み解くことが一般的である。3品目運用見直しについては、そのWA及びAGに基づく貿易管理上の国際的慣行への準拠性、並びに本件における安全保障上の懸念(特に「不適切事案」及び韓国貿易管理制度の脆弱性)に鑑みた措置の合理性から導くことができる。とりわけ、数多くのリスト規制品目の中で特に3品目を選択したこと、また、見直し実施後に韓国側からの協議に頑なに応じなかったことに対する説明は、本件措置の客観的な規制目的が安全保障上の重大な利益の保護にあったか否かを示す点で重要になる。
「誤った事案」としての日韓紛争
しかしながら、本来は安全保障貿易管理措置のWTO協定適合性が争われることは望ましくない。GATT21条は第二次世界大戦直後に起草された古い条文であり、そもそも現代的な安全保障観を投影した安全保障貿易管理レジームとの整合性も図られていないため、パネル・上級委員会の解釈は両者の矛盾を露呈しかねない。また、パネル・上級委員会が安全保障名目の通商制限を協定不適合と認定すれば加盟国の主権的判断への干渉と批判され、逆に謙抑的な審査に終始すれば保護主義的な濫用が放置される結果になり、いずれにしてもWTOの正統性が損なわれる。
更に昨今の米中対立の文脈における本件判断の示唆にも留意する必要がある。中国は昨年から「信頼できない主体リスト」の制定、輸出管理法の施行、対中企業経済制裁の域外適用を遵守する外国企業に対する損害賠償請求規則の整備と、急ピッチで安全保障貿易管理関連の法制度を整備している。これらの背景にあるいわゆる「総体国家安全観」の下では、安全保障概念は伝統的な軍事上の課題から、経済、文化、社会、科学技術、情報、生態系、資源にまで拡張される。今後中国が、例えば海外企業のウイグル問題に関するスタンスを理由にした取引制限、また戦略物資としてレアアースの輸出制限を行うなど、これまでの欧米中心のレジームとは異なる基準で安全保障貿易管理を戦略的に利用することが懸念される。仮に日韓紛争パネルが安全保障貿易管理に関する加盟国の規制裁量に謙抑的なGATT21条の解釈を示せば、こうした中国の試みを後押しすることになり、現在の安全保障環境の変化に鑑みれば、結果において日本に有利な判断がかえって足枷となるおそれがある。
このように考えると、安全保障貿易管理レジームとWTOの制度的インターフェイスが図られない一方で、紛争解決手続によってGATT21条のみを通じた両者の調整を試みることには一抹の危うさが残る。かつて東京ラウンド後、ヒュデック(Robert E. Hudec)は十分に機能しない条文やパネルが審査能力に乏しい事項に関する紛争を「誤った事案(wrong case)」と称し、こうした案件の無理な司法的解決が GATTレジームの正統性を損なうと警鐘を鳴らした。現下の日韓紛争は正にこの「誤った事案」に属するものに他ならない。筆者としては決して徴用工問題、慰安婦問題での日本の韓国への譲歩を促すものではないが、日韓両国はこのことを十分自覚し、日本は韓国と精力的に本件紛争の収束に向けた議論を積み重ねる必要がある。さもなくば、挙げ句の果てに、日韓は疲弊し、米国は苦虫を噛み、結局嗤うのは中国のみ、という事態に陥りかねない。
参考文献
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