研究レポート

湾岸アラブ諸国の財政支援とアラブ諸国の民主化

2021-03-01
松尾昌樹(宇都宮大学准教授)
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「中東・アフリカ」研究会 第7号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。



湾岸アラブ諸国が中東全体に及ぼす効果の一つに、資金援助を通じた体制安定化効果がある。莫大な石油輸出収入は財政援助に形を変え、周辺のアラブ諸国に流出した。中東・北アフリカ地域は世界的に民主化の進展しない地域として知られており、湾岸アラブ諸国からの財政援助が周辺諸国の体制を安定化させているのだとしたら、それは湾岸アラブ諸国が中東・北アフリカ地域において民主化を阻害する原因となっていることを示唆している。このような問題関心は古くはBeblawi(1987)に遡ることができるが、これまで実証されたことはない。そこで、本稿では政府開発援助統計と民主化指標を用いて、湾岸アラブ諸国が中東・北アフリカ地域に行った財政援助の民主化抑制効果について予備的な分析を行う。

分析を行うにあたって、権威主義国からなされた公的政府援助は、被援助国の民主化を促進しない、と仮定しよう。これは、権威主義国が他の権威主義国の民主化を支援しないという経験的事実に即して妥当だと考えられる。これに対して、民主主義国からなされた公的政府援助には、民主化の促進が期待されるような政策の施行が条件づけられている場合があると仮定しよう。これは、ワシントンコンセンサスを想定すれば妥当な仮説だと考えられる。では、公的政府援助が権威主義国からも、民主主義国からも同時に為された場合には、どの様な結果が生じるだろうか。おそらくは、権威主義的な被援助国は、権威主義国から提供された援助を利用して民主主義国から提案された政策が持つ民主化効果を希釈することが可能となるだろう。この見通しは、民主主義国から提供された政府開発援助と、権威主義国から提供されたそれのバランスによって決定される。では、このバランスはどの様に算出したらいいだろうか。

本稿では、援助提供国の民主主義の程度を重しとして算出された政府公的援助の加重平均を、その被援助国が当該年に受け取った政府開発援助の民主主義スコアとする。政府開発援助額を算出するために参照するデータは、経済協力開発機構(OECD)が作成している援助統計の一つ、Total official flows by country and region (ODA+ODF)である。このデータは、1960年から2019年まで(本稿筆時点)の、政府開発援助(ODA)とその他の公的援助(ODF)(以下、これらを合わせて援助と記述する)を、援助国と被援助国の間のフローとして集計したものである。このデータから、本稿で注目する中東および北アフリカ諸国として20か国(アルジェリア、バハレーン、エジプト、イラン、イラク、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、モロッコ、オマーン、カタル、サウジアラビア、スーダン、シリア、チュニジア、トルコ、アラブ首長国連邦、パレスチナ、イエメン)を抽出した。このデータを元に、上記20か国が1960年から受け入れた援助の各年の総額を算出する。また、民主主義スコアはCenter for Systematic Peaceが作成したPolity5: Authority Characteristics and Transitions Datasetsに含まれるPolity2スコアを使用する。これは1800年から2018年までの各国の民主主義の度合いを、-10から10の21段階で表した指標である。本稿では援助額のデータ収録年に合わせて1960年から2018年までを扱う。

この2種類のデータを元に、中東・北アフリカ諸国が1年間に受け取った援助の民主主義の度合いを、以下の式によって推定する。


ここでvaluenは各ドナーが中東・北アフリカ諸国に提供した当該年の援助額である。polity2nはドナーの当該年のPolity2スコアである。 は全てのドナーが当該年に支払った援助額の合計である。この式が示すように、Polity2スコアが高い(つまり民主主義の程度が高い)国から多額の援助が提供され、それがPolity2スコアの低い(つまり権威主義的傾向が顕著な)国から提供された援助額を上回れば、中東・北アフリカ諸国の受け取る援助の民主主義的傾向は強くなる。また、逆も同様に想定できる。

これに加えて、中東・北アフリカ諸国に対する湾岸アラブ諸国の援助額の総額も算出した。中東・北アフリカ諸国が受け取った援助の民主主義度合いと、同諸国に湾岸アラブ諸国が提供した援助額を比較することで、湾岸アラブ諸国の援助が中東・北アフリカ地域全体の援助に対する民主主義の度合いに対する影響を観測できるだろう。なお、湾岸アラブ諸国の中でOECD統計の援助国に含まれるのは、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦の3か国である。また、援助統計に含まれる最も古いデータは1960年のものであるが、サウジアラビア以外の湾岸アラブ諸国はこれ以降に独立したため、独立以前のデータは空白である。

分析結果は以下の通りである。図1は、中東・北アフリカ諸国に対して湾岸アラブ諸国が提供した無償府開発援助の総額である。ここから読み取れることは、第一に石油価格との関係である。1970年代初頭に急激に伸びていること、80年代になって急激に落ち込んでいること、2010年代前半から再び急増していることは、この援助が石油価格と概ね連動していることを示している。石油低価格時期の1990年に援助が突出しているのは、同時期に発生した湾岸戦争に対する支援だと推測される。第二に、その変動幅の大きさである。最も多かった1970年代前半では400億ドルを超えているが、90年代から2010年代前半にかけてはおよそ40億ドル前後で推移しており、変動幅が10倍程度であることが窺える。では、このような湾岸アラブ諸国からの援助の流入は、中東・北アフリカ諸国が受け取った援助全体に対して、どのような影響を与えたであろうか。


図2は、中東・北アフリカ諸国が受け取った無償政府開発援助額の民主主義度合いの推移を示している。この図から明らかなように、中東・北アフリカ諸国が受け取った援助には、三つの大きな「権威主義の谷」が存在する。一つは1970年代前半に急激に落ち込む谷であり、二つめは1990年の谷、そして三つ目は2010年以降に落ち込む谷である。これは、図1に示された湾岸アラブ諸国から提供された援助額と対照的な図となっている。ここから、我々は以下の点を読み解くことができる。


第一に、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦の3カ国からの援助は、それ以外の全ての国から提供された援助の民主主義度合いを大きく低下させる。権威主義的な国は世界中に多数存在するが、中東・北アフリカ諸国に流入した援助の民主主義度合いの変化は、概ね湾岸アラブ諸国3カ国の援助の増減によって説明することができる。

第二に、中東・北アフリカ諸国の統治体制の安定度合いについても、湾岸アラブ諸国の援助が影響を与えている可能性が高い。例えば、エジプトのイスラエルとの単独和平締結(1979年)は、70年代に急増した財政援助が安定的な政権維持を可能とし、エジプトに「アラブの大義」という足枷を外すことを可能としたと解釈できるかも知れない。さらに、1990年代に始まるエジプトやシリアでの構造調整プログラムや2000年代になってみられた部分的な民主化(エジプトにおける大統領選挙制度の改革や、シリアにおける「ダマスカスの春」)は、湾岸アラブ諸国からの援助が減少し、中東・北アフリカ諸国が受け取った援助の民主主義度合いが高まった結果としても理解できる。さらに、2010年代初頭以降の湾岸アラブ諸国からの援助の急増(つまり中東・北アフリカ諸国が得た援助の民主主義度合いの急速な低下)は、「アラブの春」が民主主義的な統治体制の確立につながらなかった状況を説明するかも知れない。

これらの見通しは、中東・北アフリカ諸国の統治体制と援助の関係をより詳細に検討することで明らかにすることができるだろう。




参考文献

Beblawi, Hazem (1987) "The Rentier States in the Arab World", Beblawi, Hazem and Giacomo Luciani eds., The Rentier States, London: Croom Helm.

Center for Systematic Peace (2020) Polity5: Regime Authority characteristics and Transitions Datasets (Polity5 Polity-Case Format, 1800-2018)( http://www.systemicpeace.org/inscrdata.html)

Organization for Economic Co-Operation and Development (2021). Total official flows by country and region (ODA+OOF) (https://stats.oecd.org/#)

(2021年1月27日脱稿)