はじめに
2020年9月27日〜11月10日、44日間にわたり、アゼルバイジャンとアルメニアの間で第2次ナゴルノ・カラバフ紛争 1が再燃した。ナゴルノ・カラバフとは、アゼルバイジャン国内の山岳地帯であるが、アルメニア系住民が多く、ソ連時代には自治が与えられていた 2 。ソ連末期にアルメニア系住民の分離独立運動が起こり、やがてアゼルバイジャン、アルメニア間の紛争に発展した。ソ連解体後は、両国間の全面戦争になったが、ロシアの支援も得たアルメニアが勝利する形で、1994年に停戦を迎えた。その結果、アルメニア系勢力が、ナゴルノ・カラバフ全域のみならず、アルメニアとの接続(アルメニアから見ると、ナゴルノ・カラバフは飛地になる)を可能にするラチン地域を含む緩衝地帯を占拠するに至り、それはアゼルバイジャン領の20%近くに相当した。紛争は、OSCEミンスク・グループ(共同議長国は米仏露)が停戦を担ったが、停戦交渉は不調のまま、同紛争は「凍結された紛争」となり、ナゴルノ・カラバフは事実上、未(非)承認国家(国家の体裁を整えながらも、諸外国から国家承認を得られていない自称国家) 3となった。だが、その間も小競り合いは続き、2016年4月には、「4日間戦争」も起きた(アゼルバイジャンが若干、領土を奪還)。さらに、2020年7月にはアゼルバイジャン西北部のトブズで衝突が発生し、緊張が高まっていた中で発生したのが、第2次ナゴルノ・カラバフ紛争であった。
本稿では約25年の時を経て、再発した紛争で何が変わったのか、またその結果をどう評価できるのかを検討する。
紛争勃発の背景と第2次紛争の特徴
まず、何故この時期に紛争が再燃したのだろうか。再燃の発端については、両国が共に先制攻撃を仕掛けられたと主張しているが、アゼルバイジャン側が先制攻撃を行ったとする評価が一般的である。そして、その理由としては以下6点を指摘できる。
第1に、新型コロナウイルス問題で国内に社会不安が起きていたこと、第2にアゼルバイジャンが2018年の政変でアルメニアの最高権力者に就任したニコル・パシニャン首相に対する鬱積を募らせていたこと、第3に兄弟国・トルコがアゼルバイジャンに対して軍事面も含む全面的支援を行ったこと、第4にベラルーシにおける抗議行動(アゼルバイジャンも権威主義国家であるため、抗議の波及を危惧したはずである)、第5に欧米社会が新型コロナウイルス問題や米国大統領選挙で混乱する中では戦闘に干渉することがないという判断があったことが挙げられる。そして、最後にロシアファクターとして、ロシアの求心力が低下していることに加え、ロシアもパシニャン首相に不信感を持っており、またアゼルバイジャンの国際的地位向上によってロシアもアゼルバイジャンとの関係を悪化させたくないことから、ロシアの参戦がないと判断したことがあろう。
実際、アルメニアはロシアが主導する集団安全保障条約機構加盟国であり、アルメニアの戦争にはロシアが参戦して然るべきなのだが、ロシアはアルメニア本土での戦闘がない限りは参戦しないという姿勢を貫き、中立を維持した。ロシアは第1次紛争では、アルメニアを支援していたので、このロシアの姿勢の変化の意味は大きい。さらに、かつてはアルメニアを支援していたイランもザリーフ外相がアルメニア勢力の撤収を呼びかけるなど、事実上、アゼルバイジャン側についた形だ(ただし、イラン・メディアはアルメニアに寄った報道を展開)。そして、トルコはこれまで、アゼルバイジャンに対して精神的な支援しかしていなかったものの、第2次紛争では軍事面に踏み込んだ支援を行い、周辺の地域大国が、第1次紛争とは大きく態度を変えたのだった。
戦闘においては、石油・天然ガス収入を軍事費に注ぎ込み、最新兵器も備えていたアゼルバイジャンが、イスラエル製やトルコ製の最新鋭の軍用無人機(UAV)を効果的に使用し、サイバー戦・情報戦なども同時に展開した「現代戦」を、トルコのアドバイスやNATOの戦闘方法の研究などで培った優れた戦術で戦い、アルメニアを圧倒した。そして第1次紛争の時には弱かった陸軍・特殊部隊がかなり強化されており、UAV等でアルメニアの防空網が破られたところを突いて効果的に攻撃をしたことが、戦闘の勝敗を決定づけた。
途中、ロシアが2度、米国が1度仲介した人道的停戦が瞬時に破られたことは、ロシアの影響力の低下を印象付けることとなった。
停戦合意
だが、11月10日、ロシアの仲介により完全な停戦が突然成立した。この背景には、アゼルバイジャンが要衝のシュシャを陥落させたこと、また9日にアゼルバイジャンがロシアの軍用ヘリコプターを誤射した事件が発生し、そのことが停戦受諾の取引材料にされたことがあると考えられている。アゼルバイジャンのアリエフ大統領、アルメニアのパシニャン首相、ロシアのプーチン大統領が署名した停戦合意は以下の9点から成る([]は筆者の補足)。
- 2020年ナゴルノ・カラバフ停戦協定 6
- ナゴルノ・カラバフ紛争におけるすべての戦闘行為の中止を、モスクワ時間2020年11月10日0時から実施する。
- アルメニアの占領地アグダム地区(アゼルバイジャン南西部)およびガザフ地区(同北西部)をアゼルバイジャンに返還。
- ナゴルノ・カラバフ境界線およびラチン回廊沿いにロシア陸軍平和維持部隊1,960人、装甲兵員輸送車90両、車両380両が展開する。[平和維持部隊は第15独立親衛自動車化狙撃旅団で構成。11月12日までにステパナケルト入り]
- ロシア陸軍平和維持部隊は、ナゴルノ・カラバフからのアルメニア軍撤退と並行して実施され、平和維持部隊の駐留期間は5年間で、当事国のいずれかが駐留期間満了6か月前までに反対を通知しない限り、自動的に駐留期間が5年間延長される。
- 紛争当事国の停戦合意の履行に向け、平和維持センターを設置する。 [ロシア・トルコが共同運営]
- アルメニアはアゼルバイジャンにキャルバジャル県を2020年11月15日[後に11月25日まで延期]まで、ラチン県を12月1日までに返還する。ただし、アルメニア本土とナゴルノ・カラバフおよびシュシャ間の幅5キロメートル(3.1マイル)におよぶラチン回廊は現状のままとする。当事国の合意に基づき、今後3年以内にラチン回廊新ルートの建設計画を策定し、新ルートにはロシア陸軍の平和維持部隊が警備のために展開する。アゼルバイジャンは、ラチン回廊での人、車両および物資移動の安全を保障する。
- 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)管理下にある避難民のナゴルノ・カラバフおよび隣接地域への帰還を促す。
- 捕虜、人質、その他拘束者および遺体の交換を行う。
- 地域内におけるすべての経済および輸送制限を解除する。アルメニアは、アゼルバイジャン西部地域とナヒチェヴァン自治共和国間の人、車両および物資移動を保障し、ロシア連邦保安庁国境警備隊が輸送路管理を行う。当事国の合意に基づき、アゼルバイジャン本土とナヒチェヴァン自治共和国間の新しい輸送路建設が行われる。
(露・モスクワ時間11月10日0時発効)
このように、アルメニアはそれまで占拠していた緩衝地帯の全てとナゴルノ・カラバフの約4割をアゼルバイジャンに返還し、残ったナゴルノ・カラバフ領にロシアの平和維持部隊が展開することとなった。また、アルメニア側がアルメニア本土とナゴルノ・カラバフの州都ステパナケルトを結ぶ輸送を、アゼルバイジャン領を経由して得られるのと引き換えに、アゼルバイジャンはアルメニア領を通過する形で、アゼルバイジャン本土と飛地のナヒチェヴァンを結ぶ輸送路(ロシア連邦保安庁(FSB)が平和維持を行う)を獲得できることになった。後者については鉄道敷設も計画されており、トルコがアゼルバイジャン本土のみならず、カスピ海を経由して陸路で中央アジアにまでつながることを意味する。
だが、この停戦合意に記されていない重要な点がある。それがナゴルノ・カラバフの地位問題である。この合意では一切触れられておらず、今後の決定事項として先送りされたが、ナゴルノ・カラバフの地位が不明確なままアゼルバイジャン国内に存在し続けるという状態は、またいつ紛争が勃発してもおかしくないということを意味する。また、これまでの交渉基盤が崩れたことで、交渉もさらにやりづらくなった。ナゴルノ・カラバフの地位問題は早急に解決されるべき問題である。
誰が勝者なのか?
今回の紛争の勝者はアゼルバイジャンであり、敗者がアルメニアであるということは間違いない。だが、アゼルバイジャンについては、何故全ての被占領地を奪還しなかったのか、またロシアの平和維持軍を国内に入れることを認めたのか 、という不満がすでに野党などから出ている。また、アルメニアはかろうじてナゴルノ・カラバフの6割に相当する領域を確保できたものの、損失の多さにより、首相への退陣要求をはじめとした国民の不満が募っている。
他方、決定的な勝者となったのはトルコであり、ロシアもかろうじて勝者となったということも言える。
前述の通り、トルコはアゼルバイジャン本土に至る回廊を手に入れ、中央アジアに至るまで、影響力を拡大させる上で有益な手段を獲得した。また、今度のアゼルバイジャンの勝利によって、トルコのUAVの世界における評価が極めて高まり、ロシアと緊張関係にあるウクライナがクリミアや東部の奪還を目論み、UAV購入にとどまらず、トルコとの軍事協力を深化させるようになった。今後、トルコの旧ソ連地域における影響力拡大は極めて大きくなりそうだ。
一方、ロシアは今回の紛争で、最終的には停戦を主導し、紛争の仲介役としての欧米の面目をつぶし、南コーカサスにおける欧米の影響力を著しく低下させることができた。また、旧ソ連の未承認国家では唯一影響力を及ぼせていなかったナゴルノ・カラバフに、言い換えれば本来は国内法により外国軍の駐留を禁じているアゼルバイジャンに、駐軍できるようになったこともロシアの存在感を高めることになるだろう。だが、アルメニアの敗北の大きな理由として同国の防空システムが破壊されたことがあるが、それがロシア製であったこと、またロシアがアルメニアを事実上見放し、集団防衛の義務を果たさなかったことは、ロシアの軍事的ポジションを貶めることになった。加えて、平和維持軍の展開には費用がかかるが、それによってロシアが得られるものはあまりないのではないかという議論もある。本紛争勃発の理由の一つにロシアの求心力低下があったことは間違いなく、さらに、紛争の結果、トルコの影響力拡大が現実の脅威として大きくなり、本問題についてはロシアにとってプラスもあったが、マイナスも大きかったと見るべきではないかと考える。
また、米仏は共にナゴルノ・カラバフ紛争の仲介役としての資格も、コーカサスに影響力を及ぼしうる大国としての立場も喪失したと言える。両国は共にコロナ禍や米国大統領選挙の混乱もあって、紛争にほとんど影響力を及ぼさず、仲介役としての役割を、ロシアに完全に奪われてしまった。両国がアルメニアに肩入れをしてきた背景もあり、今後、本紛争の仲介役として返り咲くことは極めて難しいと考えられると共に、コーカサスにおける影響力も著しく喪失したと考えて良い。
最後に、地域の大国であるイランでも、本紛争の結果が「イランの敗北」を意味するとして国民の不満が高まっているという。イランと関係が厳しいトルコやイスラエルの兵器でアゼルバイジャンが勝利しただけでなく、アゼルバイジャン本土とナヒチェヴァンを結ぶ回廊は、アゼルバイジャンにとってのイランの重要性を低下させることを意味し 、またイラン北部の緊張が高まり、イラン革命防衛隊は紛争中からイラン北部国境付近に軍を展開していたが、停戦後に増強されている。
むすびにかえて
以上、述べてきたように、ナゴルノ・カラバフ紛争は停戦を迎えたものの、同地の地位問題は先送りされ、問題は積み残されたままであり、紛争再燃の可能性がいまだ残っている状況だ。国際社会は早期に、問題の抜本的解決に向け、努力をするべきだろう。同時に、地雷除去を含む紛争地の復興やインフラ・生活基盤の整備の問題に加え、新旧の難民・国内避難民の安全な生活や帰還などについても、国際社会が支援してゆく必要があると考える。また、そのような中で、ロシア・トルコの動きをはじめとした地域の地政学的勢力地図が、今後大きく変わる可能性があることも、留意されるべきである。
1 1988-94年のナゴルノ・カラバフ紛争(第1次)と区別するために、便宜的に第2次とする。確立された呼称ではないが、このような呼び方が増えてきている。
2 1991年11月26日にアゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフにおける自治制度を廃止するとともに行政区画を解体。
3 未承認国家については、拙著『未承認国家と覇権なき世界』(NHK出版、2014年)を参照されたい。
4 クレムリン・ウェブサイト(http://en.kremlin.ru/events/president/news/64384)
5 アゼルバイジャンの国内法で禁止されている。
6 紛争が凍結されている間は、アゼルバイジャン本土とナヒチェバン間の輸送は空路かイラン経由しかなかったため、イランへの依存度は必然的に高かった。