現代の安全保障は、伝統的な陸海空の戦力によるものだけでなく、サイバーや宇宙、電磁波といった新たな分野の重要性も高まっているといわれている。しかし、事態はこれらの新分野にとどまらず、これらの新分野を支える技術をめぐる問題にまで広がっている。現在、筆者が主査を務める日本国際問題研究所での「安全保障と新興技術」研究会では、将来的に安全保障に影響を及ぼしうる技術を取り上げ、それらの技術がどのような安全保障上のインプリケーションを持ち、またそれらの技術をどのように管理するのかを検討している。本稿はその研究会での議論の枠組みを設定するため、現代の安全保障と新興技術の関係を「技術覇権」の概念で整理するものである。
とりわけここで争点になるのは米中の「技術覇権」をめぐる問題である。これまで技術的優位性を保つことで軍事的な優位性を保っていたと思われるアメリカが、急速に技術力を伸ばす中国に追い上げられていることが問題とされる。その一方で、軍事技術と民生技術の区別が付けにくくなり、民生技術がグローバル市場を通じて流出する懸念があると同時に、グローバルなサプライチェーンのネットワークを通じてアメリカが中国製品に依存する状況が生まれているという問題にも直面している。こうした状況の中で「技術覇権」は軍事的な摩擦だけでなく、経済分野における優位性の奪い合いという状況にもなっている。かつての米ソ冷戦時代とは異なり、経済的な相互依存が深まる中での「技術覇権」競争は、単に冷戦期のCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)のような技術管理の仕組みを作るだけでは解決しなくなっている。
1.「技術覇権」とは何か
こうした議論を始める前に、「技術覇権」とは何かを定義しなければならない。「覇権」の定義は様々あるが、ここでは他国を圧倒する力を保持し、国際秩序を形成する能力とする。この「覇権」の概念を敷衍すれば「技術覇権」とは「特定の技術を保有し、他国が長期にわたってその技術を得られない状態を作り、その技術を用いて国際秩序を形成する力」といえよう。こうした「技術覇権」は単に科学技術的なイノベーションや技術開発力だけでは達成することができない。技術覇権を持つ国にとって開発した技術を特許などで知財として守り、他国によるアクセスを制限することは重要である。しかし重要となるのは、その技術を用いた社会システムや兵器などをつくり社会実装していくことであり、そうした技術を国際秩序形成能力に転化できるかどうかにかかっている。
こうした点から考えると、アメリカが「技術覇権」を持つことができるかどうか、という点は怪しくなってくる。アメリカは確かに新しい技術を開発し、それを実用化する能力を持つが、それを社会実装し、国際秩序を形成するだけの能力があるとは言い切れない。逆に中国は自らが持つ生産能力でグローバル市場におけるシェアを拡大し、新たな技術をもって国際秩序に影響力を与えることが可能となりつつある。現代の「技術覇権」をめぐる議論は単なる技術開発力だけでなく、それに伴う工業力やグローバルシェアを獲得する能力と強く連動しているといえる。
2.5Gは米中技術覇権争いなのか
しばしば米中の「技術覇権」をめぐる問題として5Gが取り上げられるが、果たしてこれは「技術覇権」の争いなのだろうか。技術的に見れば5Gはすでに確立された技術であり、中国企業だけでなく、欧州のノキアやエリクソン、また日本もNECや富士通などがその技術を持ち、ファーウェイ製品などと類似のものを提供することはできる。その意味で、他国からのアクセスを拒否したり、その技術を独占して、それを覇権的な権力に使うという問題ではない。
では5Gをめぐる争いをどのように見るべきなのか。5Gはグローバル市場における中国企業のシェアが急速な勢いで拡大している技術分野であり、中国企業の競争力は西側諸国の企業を凌ぐものになっている。そのため、市場の原理に任せておけば、中国製品が市場を圧倒し、西側諸国の企業が市場から駆逐されるという懸念がある。
そうなった場合、5Gという通信インフラを中国企業に依存するという状況が生まれ、この通信インフラを通じて交換される情報が中国に筒抜けになってしまう可能性があることが懸念されている。また、米中間の対立が激しくなった場合、中国企業からの製品の提供が止まったり、中国製品の中に埋め込まれたコードによって中国製品が社会経済的に不可欠なインフラを攻撃するようなことになる可能性もあるという懸念もある。つまり、5Gをめぐる問題は、「技術覇権」の問題ではなく、製品の国際競争力で中国企業が優位にあることで、中国への依存が安全保障上のリスクを高めるという「経済安全保障」の問題である。
3.新興技術を巡る攻防
「技術覇権」をめぐる争いは一般に言われているように5Gをめぐる争いで起きているわけではない。技術覇権をめぐる争いが起きているのは今後の経済社会活動に大きな影響を与え、さらには軍事的な能力にも貢献しうる技術分野で起きている。その分野とは、本研究会で取り扱う新興技術(Emerging Technologies)が生み出す新たな技術分野である。具体的には、アメリカが輸出管理強化法(Export Control Reform Act: ECRA)で示した14分野、すなわち(1)バイオテクノロジー、(2)人工知能および機械学習技術、(3)測位、(4)マイクロプロセッサー技術、(5)先進的計算技術、(6)データ分析技術、(7)量子情報およびセンシング技術、(8)ロジスティクス技術、(9)3Dプリンティング、(10)ロボティクス、(11)脳・コンピューター・インターフェース、(12)超音速、(13)先進的材料、(14)先進的サーベイランス技術である。
これらの分野では、アメリカとその同盟国が技術的な優位性を持っている分野もあるが、中国は急速に技術力を伸ばしており、いくつかの分野では中国が優勢となっているものもある(例えば量子技術や顔認証などの先進的サーベイランス技術)。ここで挙げられた新興技術の分野は、経済社会活動に大きな影響を与えることは間違いないが、これらの技術が軍事的に応用されれば、その軍事能力も変化させ、安全保障秩序も変化させうる可能性のあるものである。
もちろん、技術の有無だけで技術覇権が決まるわけではない。研究開発で新たな技術が開発されても、それを実用化するまでの過程で「死の谷」と呼ばれるギャップがあり、実用化された技術が社会システムや軍事システムとして組み込まれていくには、まだいくつものハードルがある。現在、新興技術と呼ばれているものは、まだ実用化、社会実装の段階に至っていないために「新興(Emerging)」と言われているわけだが、この時点で米中のどちらが技術的に優位に立ち、どちらが先に社会システムや軍事システムに応用できるかという競争が起きている。これこそが「技術覇権」をめぐる競争だと言って間違いはないだろう。
4.新興技術が生み出す安全保障上の変化
新興技術が社会実装され、社会システムとして定着してくることで、軍事・安全保障の分野においても大きな変化が生まれる可能性は高い。それは必ずしも核兵器のような「ゲームチェンジャー」になるとは限らないが、少なくとも、情報収集能力の飛躍的な向上や情報処理能力の向上による意思決定速度の加速化など、その技術の有無が戦闘の方法や軍事的優位性を得るための手段の変化をもたらす可能性は高い。
そうなると問題になってくるのは、いかにして技術覇権を確立するために、その技術を管理し、技術の流出を阻止するかという問題となってくる。冷戦時代から大量破壊兵器の不拡散といった観点から技術移転を管理し、COCOMやワッセナーアレンジメントなどの枠組みを通じて兵器となりうる技術を管理してきた。これらの技術管理は兵器に応用される技術を持つ国々が有志連合として集まり、自発的な輸出管理レジームを形成して対応してきた。しかし、これらの技術管理は、主として軍事技術になりうるハイスペックな軍民両用の製品や、兵器に直接適用される技術を管理するものであり、そのスペック以下のものを原則としてグローバル市場で流通する汎用品として認めることで、グローバルなビジネスと安全保障の両立を図ってきた。
ところが、新興技術はもともと民間で汎用性のある技術として開発され、かつてのようにスペックに基づいて軍事技術と民生技術を切り分けることが難しい。民生技術として開発され、発展してきた技術が軍事的に開発されたものよりもはるかにスペックが高くなり、逆に民生技術を軍事技術に取り入れるような状況となっている。それは人工知能(AI)のように、より多くのデータを学習させることで能力を高めるためには、より広範にデータを集め、それを応用していくことで技術が進歩するという特性を持っているため、民生技術として幅広く使われる必要がある、という背景がある。また、これらの技術はグローバルサプライチェーンの中に位置づけられ、様々な国で生産される部品やコンポーネントを使って開発され、製造されるものでもある。加えて、こうした新興技術の開発は一国の研究者だけで達成されることはなく、留学生や外国からの研究者との共同研究によって生み出されることも多い。そのため、技術を管理するとしても、グローバル市場を通じて流通する製品を管理し、グローバルサプライチェーンを管理し、研究者の人の移動を管理しなければならないという複雑な状況にある。
さらにいえば、これらの技術はまだどのような形で安全保障に寄与するかが明確でないため、大量破壊兵器のように明確に機微技術と汎用品を区別することも難しく、また、安全保障を理由にビジネスを阻害するような技術管理をすることも難しい。
これまでの大量破壊兵器関連の技術は、軍事技術と民生技術が明確に区別できたため、国家が高いスペックの技術を開発し、それを「軍事技術」の名のもとに管理することができたが、現在ではそれが困難になっている。その意味では、国家主導型の経済体制をしく中国においては技術管理が相対的に容易であるのに対し、アメリカやその同盟国のように民主主義的で開放的な経済体制をもつ国では、国家が強権的に技術管理をすることが難しいのである。
5.中国は技術覇権を握るのか
では、今後中国が技術覇権を握るようになるのであろうか。中国はこれまで技術的なキャッチアップを行う国であり、外国から資本を導入して経済発展をするというモデルで経済を運営してきた国である。しかし、中国は「中進国の罠」と呼ばれる生産コストの低さを武器にした経済発展が困難になりつつあり、高付加価値産業へのシフトが求められる状況の中で技術開発に力を入れてきた。しかも、中国で深刻となる少子高齢化社会の問題を解決するため、ロボティクスやAIなどの分野に力を入れ、無人化・省力化を図ってきた。要するに労働人口が少なくなる中で、人間の労働を機械に代替させるための技術開発を軸に研究開発を進めている。
そのような中で、米中技術覇権争いが起き、アメリカが中国に対して技術移転を制約し、これまで中国が享受していたグローバルサプライチェーンからの恩恵、すなわち先端的な素材や半導体製造装置などをアメリカや西側諸国に依存することができなくなってきた。そのため、これまでは生産過程の上流にあたる高付加価値製品の開発製造も可能になるような技術開発を進めていかなければならない状況になっている。
こうした中で中国は経済安全保障の重要性を認識し始め、また、中国が持つ技術が世界をリードするものになりつつあるという自覚が芽生えてきた。それは、2020年4月に行われた習近平国家主席による講話で「キラー技術」を育成し、それによって他国が「中国の技術に依存する」状況を作り出すことを目指すという目標が語られたことにみられる。また、中国は立て続けに国家情報法や輸出管理法などを制定し、自国の技術を他国に移転することによるリスクを懸念すると同時に、アメリカをはじめとする西側諸国が何らかの技術管理によって輸出を制限するようなことがあれば、対抗措置をとれるようにしているとみられている。加えて、中国は国防法を改正し、サイバーや宇宙空間を戦闘領域と定め、これらの分野での軍事能力の強化を目指すとともに、サイバー攻撃や宇宙インフラに対する攻撃に対しても人民解放軍を動員して対抗する姿勢が示されている。
このように、中国は自らの技術管理を進めることで経済安全保障を確立し、技術覇権を握ろうとする態勢に移りつつある。技術を守るだけでなく、その技術を使って他国に対して攻撃的な措置も取りうることを明らかにすることで、米中の技術覇権における競争の俎上に上って来たとみることができるだろう。
しかし、半導体をめぐる問題にみられるように、中国の強みは生産過程の下流、すなわち大量生産品を作るところにあり、半導体製造装置のように市場の規模は大きくないが、戦略的に重要な技術分野においてはまだ競争力を十分持っておらず、これからキャッチアップしていく段階にある。ただ、アメリカが技術覇権競争を仕掛け、中国への技術移転を制限することで、中国は否が応でも自律的な技術力を高めなければならない状況に追い込まれている。こうした中で中国は国家主導で資源を動員して急速にキャッチアップしてくるであろう。そうなると中国に対して厳しい措置をとることが逆に中国の能力を高めることになるという「制裁のジレンマ」が引き起こされる可能性も高い。
ただ、技術覇権が「覇権」である以上、中国の技術力の向上だけで技術覇権を握ることは難しいであろう。その技術が魅力的であると同時に、その技術を使った社会システムが魅力的でなければ、いくら優れた技術であってもそれを導入するインセンティブは高まらない。例えばかつてフランスがインターネットの前身ともいえるミニテルという付加価値情報サービスを展開したが、その仕組みは技術的な問題よりも、その技術が生み出す社会システムに十分魅力がなかったため、国際的に広がることなく潰えてしまった。また日本の携帯電話も「ガラパゴス携帯(ガラケー)」などと呼ばれるが、その技術の高さや「iモード」といったサービスは先進的ではあったが、国際的に普及したのはよりシンプルなノキアなどの携帯電話であった。中国の技術が国際的な支持を得るためには、その技術を使った社会が魅力的なものでなければならないが、中国が国民活動を監視し、政府に対する批判を封じ込めるような形で技術を使うようになれば、一部の独裁国家には魅力的に映るかもしれないが、多くの民主主義国に普及することは難しくなるだろう。
6.日本の経済安全保障
最後に米中の技術覇権争いの中で日本の立ち位置を考えておきたい。日本はアメリカの同盟国として米中の技術覇権争いにおいては、中国と対立し、アメリカと協力する関係にある。しかし同時に日本は中国との深い経済関係があり、中国とのビジネスを阻害することも望ましくなく、また中国が技術管理を強化して日本とのビジネスを難しくするようなことも望ましくない。
そのような中で日本が注力すべきは、米中技術覇権競争の中でも自律した能力を持ち、米中両国に対してレバレッジとなるような能力を持つことである。すなわち、日本が得意とする先端的な素材やロボティクス、工作機械といった生産過程の上流にあたる技術を徹底して磨くことである。すでに述べたように生産過程の上流に関わる技術は寡占化されやすく、他国が日本に対して依存する度合いが高くなりやすい。2019年7月に日本が韓国に対する輸出管理を強化した際、フッ化水素など三品目を包括許可から個別許可に移行したことで、韓国は強く反発したが、それは韓国がこれら三品目を日本に強く依存していたからであり、これらの生産過程の上流にあたる製品がなければ韓国の主力産業である半導体の製造が困難になるからである。この措置により、韓国は日本が求めた輸出管理体制の強化を進めたが、これは日本がとった措置がレバレッジとして効果を生み、それが韓国の行動を変容させた。もっとも、日本政府は韓国の輸出管理体制の強化以上の成果を期待しているのか、韓国が求める個別許可から包括許可に戻すといったことはしていない。
いずれにしても、日本はこのように生産過程の上流にある技術を磨くことで、他国に対して影響力を持ちえる立場にあり、こうした立場を活かせば米中の技術覇権争いが激しくなる中で、日本が巻き込まれることになるのを避けるための一定の抑止力が得られると考えることができる。と同時に、経済産業省が進めた「サプライチェーン多元化補助金」のような形で、中国への依存を減らし、日本の脆弱性を低めていくことも重要になるであろう。本研究会での議論を通じて、米中の技術覇権争いの中で日本がとるべき最適な方策を見つけていくことが、この研究の究極的な目標である。