文在寅政権の「ろうそく革命」認識
朴槿恵前大統領は、5年の任期を全うできずに弾劾、罷免されるという憲政史上初の事態を招いた。反共安保と経済成長を強力な統率力で両立させた、韓国における伝統的保守の象徴たる朴正煕元大統領の娘であることを政治的アイデンティティとする朴槿恵の退場は、単なる一政権の崩壊にとどまらず、保守の道徳性と信頼性に深刻なダメージを与えることとなった。
7か月前倒しで実施された大統領選挙の結果、文在寅候補が当選し、進歩勢力は9年振りの政権復帰を果たすこととなった。文在寅政権とそれを支える与党共に民主党主流派にとって、ろうそく革命と文在寅政権の誕生は、保守から進歩へ韓国政治のヘゲモニーが移行した、単なる政権交代にとどまるものではなかった。それは、韓国における伝統的保守の終焉を示唆するものであり、もはや、保守と進歩が拮抗する理念対立の構図は崩壊へと向かい、主軸となる進歩勢力の周りに、特定の極端な政治集団を代弁するに過ぎない保守勢力が付随する、「中心・周辺政党体制」へと韓国政治がパラダイム転換していく、逃してはならないチャンスだったのである。
だからこそ、何としても総選挙を制し、続く次期大統領選挙にも勝利して進歩政権を持続させ、この流れを後戻りできないものにしなければならないわけである。「保守勢力を徹底的に潰滅させなければならない」と主張した共に民主党の李海瓚前代表が、「進歩政権20年」の必要性を唱えたのは、その証左である。
文在寅大統領は、韓国の民主主義は植民地支配からの解放とともに外部から与えられたが、それを育ててきたのは国民であったと述べている。その過程には、李承晩政権を打倒した1960年の「4.19革命」があり、「釜馬民主抗争」があり、「5.18光州民主化運動」があり、1987年の「6月民主抗争」によって遂に独裁は打倒され、韓国は民主化の時代を迎えた筈であった。しかし、「4.19革命」然り、勝利した筈の「6月民主抗争」もまたその精神が実を結ぶことはなく、未完の勝利に終わってしまったのである。民主化勢力は大統領直接選挙制の導入を勝ち取っておきながら、結果として勝利したのは、全斗煥政権の与党民主正義党の後継者たる盧泰愚候補であった。
それは、地域主義にとらわれた民主化勢力の分裂と、権力を手にする為には「6月民主抗争」の結実という大義すら捨て去る機会主義(日和見主義)のせいであった。長きにわたって反政府民主化運動を率いてきた二人のリーダー(金泳三と金大中)が特定の異なる地域を地盤として互いに引かず、一本化に失敗した時点で、民主化勢力の敗北は十分に予見された。それは政権交代と民主化実現の機会を自ら放棄したに等しいものであった。
その後、民主化勢力の主流であった金泳三の統一民主党が、全斗煥政権の流れを汲む新軍部勢力たる盧泰愚の民主正義党、朴正煕政権の流れを汲む旧軍部勢力たる金鍾泌の新民主共和党と合流した巨大与党民主自由党の結成が、32年振りの文民政権となる金泳三大統領誕生の基盤となったことは確かである。しかし、同時にそれは、金大中包囲網で全羅道政権誕生を阻止する形となって地域感情を刺激し、自らが権力を握る為に、軍出身の勢力が再起する機会を与えることにもなったのである。
こうした認識の下、金泳三とともに民主自由党に加わることを拒否した盧武鉉ら残留勢力は、地域主義と日和見主義を克服して民主化を完成させるという課題を抱えることになった。そして遂に、それを実現するチャンスがろうそく革命という形で与えられたというわけである。文在寅大統領とそれを支える与党主流派にとって、ろうそく革命は、未完の民主化に終わった「6月民主抗争」を完成させよという、国民による30年越しの命令ともいうべきものだったのである。
積弊清算の拡大と理念対立の激化
ろうそく革命を経て誕生した文在寅政権は、「ろうそく政権」を自任した。「ろうそく民心」に忠実な民心大統領として、自らを揺るがぬ正当性を持つ存在と位置づけた形である。
政権発足とともに聖域なき積弊清算を掲げた文在寅大統領は、政府機関の組織や人事を大胆に刷新する等、果敢な行動力を発揮してその決意を示した。歴代政権の下、権力と癒着して社会の隅々に蔓延した既得権を解体し、横暴が特権によってまかり通る不公正な社会を正そうとする徹底した取り組みは、ろうそく民心に応えるもので、政権支持率は高水準を維持し続けた。積弊清算は政権運営の最大の原動力ともいえるものであった。
しかるに、文在寅大統領にとって、ろうそく政権としての使命は、不完全な勝利に終わった6月民主抗争を完結させ、未完の民主化を成就させることであった。正統性を欠く既得権勢力から政治と社会の主導権を取り戻すことは、自らに課された歴史的責務ともいえるものだったのである。
文在寅政権のイデオロギーに基づく歴史観は、保守勢力を、既得権を手に社会の隅々で権勢を振るってきた親日派の系譜と規定し、民族の正統性を欠くそれら親日保守既得権勢力を一掃してこそ脱植民地化が完成し、本当の意味での解放が実現するとするものであった。そうすることで初めて民族正気が確立し、これまで欠如したまま放置されてきた韓国政治の正統性を確立することができるというわけである。そうした歴史認識に基づく積弊清算の追求は、必然的に、保守が主導してきた大韓民国の歩みそのものを否定することにつながり、保守勢力を標的とした政治報復の様相を呈していくこととなった。
地域や理念、貧富格差、世代、性別等、様々な要素による韓国社会の分裂は、国民の間に深刻な対立をもたらしており、その解消は喫緊の政治課題と言われてきた。朴槿恵前大統領も、文在寅大統領も、最優先課題として国民統合や社会融和を掲げ、その解消に取り組む決意を再三にわたって強調してきたのである。
それにもかかわらず、文在寅政権が発足と同時に強力に推進してきた積弊清算の取り組みは、歴代の保守政権期に蓄積されたとする弊害を、進歩政権の立場から正そうとする傾向を次第に強め、保守の断罪とその否定へとつながっていったのである。朴槿恵前大統領をはじめ、青瓦台秘書陣や閣僚ら政府要人、親朴槿恵系の有力議員に主要官僚、政権と癒着して不正を働いたとされる財閥の総帥まで、"朴槿恵の否定"が徹底して進められた。そして、その矛先は李明博政権へと拡大され、遂には李明博元大統領のほか、梁承泰前大法院長までもが逮捕されるなど、積弊清算の対象は保守政権期の行政、立法、司法の三府要人にまで及んだのである。
保守勢力の立場から見ると、そうした積弊清算の拡張は、権力を手にした進歩勢力が、自らをろうそく政権と位置付けて揺るがぬ正当性を付与した上で、本来、理念対立や陣営論理を前提とするものではなかった筈のろうそく革命を、独自のイデオロギーと歴史観によって恣意的に解釈し、後戻りできない形で保守を壊滅させるという政治目的を達成する為の手段として利用しながら、一気呵成に政治攻勢を仕掛けているとしか映らないものであった。それは、ろうそく民心を逸脱した、積弊清算の名の下で行われる政治報復と受けとられるほかないだけに、理念闘争と化すことが避けられず、統合や融和はおろか、社会の分裂がますます深刻化していく事態を招くことになるのは当然の帰結であった。
「ろうそく革命」と正統性の結合
文在寅大統領は、「国民が高く掲げたろうそくは独立運動精神の継承である」と述べ、ろうそく革命を抗日独立運動と結びつけた。そして、「独立運動をすると三代が滅び、親日をすれば三代が栄える」という言葉は、親日反逆者と独立運動家の境遇が解放後も変わることなく、親日勢力が羽振りを利かせ、民主化後でさえも社会を支配し続けてきたという事実を前にした時、否定することができないのが現実であるとし、「歴史を立て直すことこそが、子孫たちが堂々と生きていける道であり、民族正気を確立することは国家の責任であり義務である」としたのである。
文在寅大統領にとって、「親日残滓の清算はあまりにも長く先送りにされてきた宿題」であり、それは、「親日は反省しなければならず、独立運動は礼遇されなければならないという最も単純な価値を取り戻すこと」であり、「この単純な真実が正義であり、正義が真っ当に通ることが公正な国の第一歩」なのである。ろうそく革命を、親日残滓の清算による民族正気の確立に向けた動力として位置づけた形である。
こうして、ろうそく革命は、文在寅政権によって大韓民国の正統性と結合された。積弊清算は、既得権の解体と公正な社会の実現にとどまらない、親日残滓の清算と親日保守既得権勢力の一掃によって、大韓民国に本来あるべき正義を回復する為の作業なのである。
その目的は、朴槿恵政権の断罪や、李明博、朴槿恵の保守政権の否定にとどまらず、日本統治からの解放以来、この国を主導してきた親日保守既得権勢力を一掃して旧体制を打破し、韓国政治の主流を交代することであった。それは、解放と分断、戦争に、幾度にもわたる政治変動、と紆余曲折を経ながらも、経済発展と民主化をともに成し遂げた大韓民国の歩みにおいて、反共安保と経済開発の名の下で温存されてきた親日派とその残滓を清算する為に推進されたのである。そうしてこそ脱植民地化と真の解放が実現し、大韓民国を本来あるべき軌道に戻すことができるというわけである。文在寅政権にとってそれは、これまで欠如したまま放置されてきた政治と社会の正統性を確立する上で、必要不可欠な作業であった。
その背景にあるのは、文在寅政権を支える中核ともいえる「86世代」(1980年代に大学に通って民主化運動に身を投じた60年代生まれの世代)に代表される進歩勢力の歴史観であり、イデオロギーである。植民地支配からの解放後、冷戦構造の中で、対日協力者としての断罪を免れて温存された親日派が権力と結びついて既得権を独占し、正当性のない人たちによって、正統性が欠如したまま歪んだ国が作られ、今日まで誤った道を歩んできたのであり、それは正されなければならないというわけである。彼らにとって、1948年8月15日の大韓民国政府樹立と李承晩政権の発足は、国が正統性を欠いたまま誤った道へと進むことになる分岐点を意味するものなのである。
それはまさに、保守が主導してきた大韓民国の歩みそのものを否定することにほかならず、冷戦と分断の制約の中で安全保障と経済発展を両立し、国民を飢えと貧困から解放して、今日の国民一人当たりGDPが3万ドルを超える国を作り上げてきたという自負と誇りを持つ保守勢力としては、到底受け入れることのできない論理であった。保守勢力にとって、1948年8月15日は、今日の先進国たる大韓民国の成功神話の出発点なのである。
積弊清算による正統性の追求と日韓関係
そして、積弊清算によって正統性の欠如を克服しようとする文在寅政権の試みは、意図するか意図せざるかを問わず、日韓関係に少なからぬ影響を及ぼさざるを得ないのが現実である。
理念対立と陣営論理が支配する韓国政治において、積弊清算をめぐる確執は第一義的には韓国の国内問題である。文在寅政権が積弊清算の対象とするのは親日保守既得権勢力であり、日本でないことは確かであろう。しかし、時に極端とも思える親日残滓清算の動きは、日本から見ると理解に苦しむほかなく、国民感情を刺激することが避けられないのが実情である。積弊清算の論理が、韓国内の分裂と対立にとどまらず、結果として、日本を排除し敵視するかのような印象を与え、日韓関係に負の連鎖を作り出す一因となっていることもまた否定できないであろう。
そもそも、文在寅政権のイデオロギーと歴史観に照らして見た時、紆余曲折の末に実現した1965年の日韓国交正常化はどのように認識されるのであろうか。
それは、日本統治時代に師範学校や軍官学校で学び、大日本帝国や満洲国の教師や軍人として奉職した経歴を持つ朴正煕が、軍事クーデターという非合法的手段によって権力を奪取した後、植民地支配の不法性という妥協してはならない課題を棚上げにしたまま、屈辱外交を糾弾する声を非常戒厳令の布告で押さえ込みながら、安全保障と経済開発の名の下で正当化し、実現させたものである。それは、正統性に欠ける指導者が、正当性のない権力を行使して、正統性の欠如した国交正常化を、正当性を欠く形で強行したものであり、正統性にも正当性にも欠ける正義のない外交にほかならなかったのである。
文在寅政権にとってそれは、日本との外交案件である前に、国内政治の文脈で正されるべき積弊の対象であった。その意味において、大法院の徴用工判決は、文在寅政権による積弊清算を後押しする動力にすらなり得るものであったといえよう。
大統領選挙、全国同時地方選挙、総選挙と、立て続けに勝利したことで、文在寅政権は、地方自治体の首長、議会に、国会までも掌握する未曽有の政治基盤を手にすることとなった。残り任期をかけて、民主的長期政権による「完全に新しい国」の実現に向けた流れを、後戻りできない形で定着させる為の取り組みを加速化させていくことになろう。
米中対立の激化と新型コロナウィルス感染症の拡散によって、世界経済の先行きに不透明感が拭えない中、輸出依存度の高い韓国経済は不安定さを増している。また、朝鮮半島の恒久的平和体制構築を最優先課題とする文在寅政権にとって、バイデン、習近平による新たな国際秩序と先の見通せない北朝鮮情勢への対処は、喫緊の課題である。検察改革もいよいよ佳境を迎えつつある。
日韓関係は、文在寅政権誕生後、国交正常化以来最大ともいわれる危機に陥っており、意思疎通ルートが先細りしたまま、相互不信が一段と深まる中、膠着状態打開の糸口さえ見出せずにいるのが実情である。ただ、それにもかかわらず、任期末を迎えようとしている文在寅政権にとって、対日関係は、それが「朝鮮半島平和プロセス」の推進に資するとの判断が成り立ってこそ意味を持つ従属変数に過ぎず、それ自体が持つ独立的重要性は一層低下していると言わざるを得ない。文在寅政権下での日韓関係の打開は、バイデン政権下の米中関係の推移と北朝鮮をめぐる関係諸国の動向に左右されるものとなるであろう。(11月26日記)