はじめに
2020年のロシアで国内情勢を揺るがしているのはコロナ問題だけではない。北極圏のネネツ自治管区や極東のハバロフスク地方など、一部地域で政権に対する反発が強まっているのである。2020年7月1日に行われた憲法改正のための国民投票では、連邦全体として十分な支持を得たものの、一部地域では投票率や支持率が低く、政権への支持が盤石ではないことが露呈した。
一方、地域情勢が揺らぐ中で行われた2020年9月の統一地方選挙は、2021年に予定している連邦下院選挙の前哨戦として例年以上に注目を集めたが、結果的には政権党である統一ロシアがほぼ全域で勝利を確実にする無風の結果となった。
このように、コロナ禍で様々な動きを見せる地域情勢とほぼ無風となった統一選挙の格差に注目しながら、ロシア地域の最新情勢について考察した。
揺れる地域情勢
①マトリョーシカ型地域の合併
2020年4月2日、ロシア北極圏に位置するアルハンゲリスク州のオルロフ知事が辞任を表明すると、隣接するネネツ自治管区のツィブリスキー知事がアルハンゲリスク州の知事代行に就任した。ツィブリスキーの後任には、ベズドゥドヌィ同自治管区副知事が就任した。ロシアでは毎年9月に行われる統一地方選挙を控え、再選が危ぶまれる地域首長が辞任し、代行が任命されることは恒例となりつつあり、ある地域の首長が別の地域の首長(代行)に横滑りで就任することも珍しくない。しかし今回の異動は若干様子が違っていた。
アルハンゲリスク州とネネツ自治管区は行政・経済的に独立した別の構成主体であるが、同時に、地理的にはネネツ自治管区がアルハンゲリスク州の一部を構成している。いわゆる「マトリョーシカ型」と呼ばれる関係にある。かつてこのような地域はいくつも存在していたが、2000年代後半に合併して1つの構成主体となった(表1参照)。現在同じような構造を持つのはネネツとアルハンゲリスクの他は、チュメニ州とヤマロ・ネネツ自治管区およびハンティ・マンシ自治管区だけに留まる。
2020年5月13日、ツィブリスキーとベズドゥドヌィ両知事代行は、両地域を合併し、単一の構成主体にするためのMOUに調印した。必要な手続きを開始し、年内には住民投票を行うと発表したのである。突然であったが、連邦政府は両地域の意向を支持した。そもそも連邦政府主導の4月の人事異動はこのための準備だったとも考えられた。しかし、両地域の住民は納得せず、抗議運動がすぐに拡大した。コロナ禍で集会等が禁止される中、ネネツ自治管区の中心都市ナリヤン・マルでは、2メートルというソーシャルディスタンスを維持しながら8kmに及ぶ「人間の鎖」が結ばれた。住民の反発を受けて、わずか2週間後の5月26日、両政府は合併手続きについて無期限の延長を発表した。
両地域の合併が提案された背景には経済的な理由が大きいと考えられている。財政赤字の続くアルハンゲリスク州に資源豊富なネネツ自治管区の税収を注入することで財政の健全化を図るということだ。ネネツ自治管区は石油ガスが豊富な一方で極端に人口が少ないため、国内有数の豊かな地域なのである。しかし、税収のほとんどを資源に依存しており、地域の財政は石油価格に依存することが問題視されていた。産業多角化が進むアルハンゲリスク州と合併することで、こちらも資源依存の問題が解消されるのである。
②憲法改正のための国民投票
2020年7月1日、ロシアでは憲法改正に関する国民投票が行われた。連邦全体で見ると投票率67%、支持率77.92%と、当初の予想よりも高い結果となった。しかし地域別に見ると投票率、支持率ともに低い地域も数多くみられる。特にネネツ自治管区では投票率を加味した絶対賛成票率(有権者に対する賛成票の比率)が最も低く、単純な賛成票率を見ても唯一、過半数を下回る結果となった。野党知事が率いるハバロフスクやイルクーツク(野党知事は2019年12月に辞任しているが)でも投票率・支持率ともにワースト5に入る低さであった。その他にも、北方、シベリア、極東など、ロシアの経済発展の中心である欧州部から離れた遠隔地では経済発展の遅れなどによる政権への不満が強く、投票率(44~45%)、賛成率(60%台前半)が低くなったと考えられる。
③ハバロフスク地方の知事逮捕劇
2020年7月9日早朝、フルガル・ハバロフスク地方知事が自宅前で逮捕された。現職知事の逮捕劇は昨今のロシアでは珍しくないものの、「殺人・殺人未遂容疑」は前代未聞であり、衝撃が走った。モスクワに移送されたフルガルは2カ月の拘留を言い渡された後、さらにその期間が延長された。容疑は全面的に否定している。
1970年、ハバロフスクの隣にあるアムール州で生まれたフルガルは、地元の医科大学を卒業後、医療に従事していた。1999年以降は、副業としていたビジネスに本格的に着手するようになり、ハバロフスクに拠点を移した。2005年にハバロフスク地方議会議員に当選したのを皮切りに政治の道へと進み、2007年12月には連邦下院議員に当選。以来、2011年と2016年にも下院で再選を果たした。自由民主党所属のフルガルは2013年9月にハバロフスク知事選挙に出馬したものの、当時現職のシポルトに敗れた。これが2018年9月の知事選挙では事態が一変。1回目の投票では35.81%の支持を得て、僅差でシポルト(35.62%)をリード。2週間後の決選投票では69.57%と大差をつけて勝利したのである。野党候補の知事就任は連邦政府から歓迎されるものではなかったが、地元住民の信頼は着実に深めていた。それを示すかのように、知事選から1年後の2019年9月に行われたハバロフスク地方議会および2大都市ハバロフスクとコムソモリスクナアムーレの市議会選挙で自由民主党が圧勝したのである。
そのため、突然のフルガルの逮捕に地元住民は大きく反発した。7月11日に地方政府庁舎に隣接するレーニン広場で大規模な集会が行われ、4万人以上が参加した。抗議運動は製造業の中心地であるコムソモリスクナアムーレやアムールスクなど地方全域に拡大し、翌日まで続いた。集会の参加者はフルガルの逮捕に反発するだけでなく、2018年12月に極東連邦管区の拠点がハバロフスクからウラジオストクに移管されたことに対する不満や今になって古い事件を掘り起こした連邦当局への不信感、さらに2019年3月に拘束されたイシャエフ元ハバロフスク地方知事の保釈要求など、スローガンは多岐にわたっていた。ハバロフスクのデモは10月18日で100日を経過し、その規模は縮小しているものの、今もほぼ毎日のように続けられている。
無風の2020年首長選挙
前述のとおり、一部地域で政権に対する風当たりが強い中、2020年9月13日、18地域で首長の直接選挙が行われた。うち9地域では現職知事、残りの9地域では前任首長の辞職に伴って大統領に任命された首長代行が出馬した。一部専門家の間では、イルクーツク州、アルハンゲリスク州など政権に批判的な声が強いと考えられる地域では現職が苦戦を強いられ、決選投票にもつれ込む可能性があると予想されていた。しかし、野党第一党である共産党が7地域で候補者登録を無効にされるなど、各地で有力な対立候補が出馬できなかっこともあり、結果的に決選投票にもつれ込む地域はなく、全ての地域で現職の首長または首長代行が勝利した。
今回の首長選挙で最大の得票率を獲得したのは、セヴァストポリ市のラズヴォジャエフであった(得票率85.72%、以下同)。また、3期目となるレニングラード州のドロズデンコ(83.61%)タタルスタン共和国のミンニハノフ(83.27%)も安定した支持で再選を果たした。さらに2期目の再選を果たしたクラスノダル地方のコンドラチエフ(82.97%)や初当選となるユダヤ自治州のゴリドシュテイン(82.50%)とカムチャッカ地方のソロドフ(80.51%)も80%を超える圧倒的な支持を獲得した。一方、苦戦が予想されたアルハンゲリスク州のツィブリスキー(69.63%)やイルクーツク州のコブゼフ(60.79%)は、2位となった対立候補の得票がほかの地域と比べて高かったものの、十分な支持を獲得した。最も低い得票率であったスモレンスク州のオストロフスキー(56.54%)を除くと全員が60%以上ということで、全体的に高い得票率で現職が勝利する結果となった(表2参照)。
また、ネネツ自治管区とハンティ・マンシ自治管区では、自治管区議会議員による間接選挙で首長の選出が行われた。前者ではベズドゥドヌィが正式に知事に選ばれ、後者では、現在、唯一の女性知事である現職のコマロヴァ知事が再選した。
連邦下院選挙に向けた準備
今回の統一地方選挙は2021年9月に行われる予定の連邦下院選挙のリハーサルと見られていた。上述の結果を見る限り、連邦下院選挙でも統一ロシアが過半数を維持することはほぼ確実と考えられるが、自由民主党や共産党がここ数年の統一地方選挙で議席や得票率を伸ばしてきており、これらの党が連邦下院の議席を増やす可能性は高い。一方、公正ロシアは得票や議席を伸ばしておらず、むしろ多くの地域で支持が落ち込んでおり、議会政党としての地位を維持できるかどうかについて多くの専門家が疑問視している。そして公正ロシアに代わって他の中小規模の政党が下院で議席を獲得する可能性も否定できない。ただ、新しい政党の台頭は統一ロシアよりも共産党や自由民主党の議席を奪う可能性があり、必ずしも現政権に脅威とはならないだろう。また、電子投票や複数投票日の制度を常態化することによって、高い投票率や動員を確保できると、各政党の対応が変わる可能性はある。
統一ロシアの得票に影響するのは「形式的な」野党に対する支持率だけではない。むしろより重要となるのが、各地域における現職首長への支持だ。ここ数年、連邦政府は統一地方選挙を政権に有利な形で進めるために、再選が危ぶまれる首長については事前に交代させることで、選挙での敗北を回避してきた。この準備がうまくいかなかったことで波乱となったのが2018年の統一地方選挙であった。この教訓を得て、2019年と2020年の統一地方選挙では十分な対策がとられ、2018年の過ちが繰り返されることはなかった。2021年は連邦下院選挙と首長選挙が同時開催となるため、連邦政府は地域首長に対する住民の支持や信頼にこれまで以上に敏感になり、より入念な対策がとられることになるだろう。統一地方選挙終了後、早速そのような動きが起きている。
2020年9月17日、歴代最長の地域首長在任記録を誇るサフチェンコ・ベルゴロド州知事が辞任を表明した。1993年10月にエリツィン大統領(当時)によって州行政長官に任命されて以来、27年間、ベルゴロド州を統治してきた。再選を繰り返すたびに辞任の可能性が示唆されてきたサフチェンコだが、2022年まであと2年の任期を残して、とうとう知事生命に幕を閉じた。サフチェンコはベルゴロド州の行政から手を引く一方で同州代表の連邦上院メンバーに就任した。サフチェンコの後任には、ブツァエフ・ベルゴロド州第一副知事が就任した。ブツァエフは同日に第一副知事に就任したばかりであり、前職は2019年2月に創設された廃棄物処理システムの改革を担う「ロシア環境オペレーター」社長を務めていた。しかし、ブツァエフを知事代行に任命する正式な大統領令は署名されていない。知事選挙だけではなく、連邦下院選挙も左右する人事であるため、そう簡単に決められないということなのだろう。
おわりに
個々の地域が揺れ動く一方、連邦全体としては今のところ政権に対する安定した支持が確立されている。しかし、一地域の不安定要因がいくつも発生すれば、それが各地に波及し、いずれ大きな波になる可能性は十分にある。まさにその大きな波となりかねない統一地方選挙。2020年は無風だったものの、2021年に嵐が吹き荒れる可能性も考えられる。しかし、2021年の統一地方選挙は連邦下院選挙の同時開催が予定されるため、連邦政府にとっては最も無風で終わらせたいはずだ。今後1年の地域情勢は十分に注視が必要なのである。
表2 2020年連邦構成主体首長選挙の結果一覧 |
(出典)コメルサントで発表されているデータを基に作成。 |