北朝鮮において、金正恩朝鮮労働党委員長の妹である金与正党第1副部長の存在が大きくなっている。一部では、健康に不安を抱える金正恩党委員長が金与正党第1副部長を「後継者」に決定したという見方も出ている。そういう見方が正しいのかどうか、北朝鮮の権力構造の中で、金与正党第1副部長が果たしている役割がどのようなものなのか考えてみたい。
金与正氏はどのように登場してきたか
金与正氏は1988年生まれで、金正恩氏と共にスイスのベルンに留学していたとされる。
金与正氏が北朝鮮メディアに最初に登場したのは、2011年12月に金正日総書記が亡くなった直後、錦繍山太陽宮殿に弔問に訪れた金正恩氏の後ろに立っている写真が公開された時だったが、この女性が誰なのかの説明はなかった。
2012年11月に金正恩第1書記が騎馬中隊を視察した際に、金与正氏が白馬に乗った映像が『朝鮮中央テレビ』で放映された。この時も金与正氏についての説明はなかった。
金正恩政権発足後の金正恩党委員長の公式報道などを報じる『朝鮮中央テレビ』の映像などには、金正恩党委員長の後ろによく登場する女性がいた。最高権力者の動静を伝える映像なのに、勝手気ままに動いている女性が背後にあり、それが金与正氏であった。一般の北朝鮮住民は最高権力者の近くに登場するこの女性が何者か気になったであろう。
北朝鮮メディアが、金与正氏の名前を公式に報じたのは、2014年3月の最高人民会議の代議員選挙で、金正恩第1書記とともに投票をした時だった。崔龍海軍総政治局長(当時)や金京玉党組織指導部第1副部長(同)、黄炳瑞同副部長(同)とともに「党中央委員会責任幹部」の肩書きで登場し、投票する様子が報じられた。
党機関紙『労働新聞』は2014年11月27日付で、金正恩第1書記が「朝鮮4.26アニメーション映画撮影所」を視察したことを報じ、これに同行した金与正氏を「党副部長」と報じた。「朝鮮4.26アニメーション映画撮影所」の視察に同行したことを見れば、金与正氏の、この時点の職責は党宣伝扇動部の副部長とみられた。
このように、北朝鮮当局は、金与正氏を表舞台に唐突に登場させるのではなく、北朝鮮住民が違和感なく受け入れるように、段階を踏みながら、次第に彼女の存在を浮かび上がらせるという手法を使った。
2016年5月の第7回党大会で、金与正氏は党中央委員に選出された。その後の最高人民会議では、代議員証とみられるものを手にした金与正氏の映像も報じられ、最高人民会議代議員にもなっているとみられた。
そして、2017年10月7日に開催された党中央委員会第7期第2回総会で党政治局員候補に選出された。
平昌で「微笑み外交」
金与正氏が国際的な注目を集めたのは、2018年2月に韓国で開催された平昌冬季五輪に北朝鮮の高位級代表団のメンバーとして訪韓したことだ。『朝鮮中央放送』は2018年2月9日、北朝鮮の高位級代表団が平昌冬季五輪開幕式に出席するために平壌を出発したと報じる中で、金与正氏を党第1副部長の肩書きで報じた。この時点では、金与正氏は党宣伝扇動部第1副部長とみられた。
さらに、北朝鮮高位級代表団は2月10日に青瓦台で韓国の文在寅大統領と会談し、金与正氏は自身を金正恩氏の「特使」であると紹介し、金正恩国務委員長の親書を渡し、文在寅大統領に訪朝を要請した。金与正氏は2月9日から11日まで韓国に滞在し、文在寅大統領とアイスホッケー女子の南北統一チームの試合を観戦するほか、韓国政府幹部たちと食事や会談を重ね、「微笑み外交」を展開した。金正恩党委員長は2月12日、金永南最高人民会議常任委員長や金与正党第1副部長らと会見し、帰還報告を受けた。
北朝鮮は2018年2月の平昌冬季五輪参加を契機に、国際社会と対話外交を展開し、金正恩党委員長は文在寅大統領、米国のトランプ大統領、中国の習近平党総書記らとの首脳会談を積極的に展開した。金与正氏は、そうした首脳会談で金正恩国務委員長(党委員長)の脇で、秘書のような役割を演じて金正恩氏を支えた。
ハノイ会談後に解任か
金正恩氏の対話外交は、2019年2月にハノイで行われたトランプ米大統領との米朝首脳会談が決裂したことで、大きな挫折を体験した。北朝鮮では米朝対話を主導した党統一戦線部幹部などが処分された。北朝鮮メディアが金与正氏を「党第1副部長」の肩書きで報じたのは、2019年3月5日にベトナムのハノイから金党委員長とともに帰国したときが最後で、金与正氏もハノイ会談後、党第1副部長を解任されたとみられた。
2019年4月にウラジオストクで行われた金正恩国務委員長とロシアのプーチン大統領とのロ朝首脳会談の際には、金与正氏は同行しなかった。
「秘書役」から「幹部」への転身
2019年6月20、21日に中国の習近平中国共産党総書記(中国国家主席)が訪朝した際の平壌空港での歓迎行事では、金与正氏は朝鮮労働党の副委員長クラスとともに歓迎行事に参加し、「金党委員長の秘書役」から「党幹部」への変身を印象づけた。2019年6月30日に板門店で行われたトランプ大統領との会談でも、金党委員長の秘書的な役割を玄松月党宣伝扇動部副部長に任せ、党幹部としての役割を果たす姿勢を見せた。
2019年8月24日に咸鏡南道宣徳付近で行われた超大型多連装ロケット砲の発射実験では、記事には名前がなかったが、これを伝える映像で金与正氏が確認され、これまで姿を見せることが少なかった軍事部門にも関与し始めたことを見せつけた。同9月10日に平安南道价川付近で行われた超大型多連装ロケット砲の発射実験では、同行幹部の名前の中に金与正氏の名前があった。しかもこの時の報道では、金与正氏の名前が、朝鮮人民軍の朴正天総参謀長(陸軍大将)の次に位置し、趙甬元党組織指導部第1副部長や李炳哲党軍需工業部第1副部長より前で報じられ、地位の上昇を感じさせた。
党組織指導部第1副部長か
北朝鮮は2019年12月28日から31日まで、異例の4日間にわたる朝鮮労働党中央委員会第7期第5回全員会議(総会)を開催し、金与正氏は再び党第1副部長に選出された。以前と同じ党第1副部長に選出されたことは、金与正氏がハノイ会談後に党第1副部長を解任されたことを確認し、それまでの党宣伝扇動部とは違う部署の党第1副部長に就任したとみられた。ミサイル発射実験など軍事的行事にまで参加していることから党組織指導部第1副部長か、もしくは金正恩党委員長の直属組織が設置され、その部署の第1副部長ではないかとみられた。
朝鮮労働党は2020年4月11日、党政治局員会議を開き、金与正党第1副部長を党政治局員候補に選出した。金与正氏は2017年10月の党中央委第7期第2回会議で党政治局員候補に選出されたが、2019年年4月の党中央委第7期第4回総会終了後に金党委員長が党政治局員、党政治局員候補と撮った記念写真に、金与正氏の姿はなかった。金与正氏は2019年2月のハノイ会談後に解任されたが、再び地位を回復したとみられた。
金与正氏はこれで党政治局員候補、党第1副部長という地位を回復し、これまでとは異なった役割を担うことになる。
アバター(分身)としての役割
金与正第1副部長は2020年3月3日夜、北朝鮮が3月2日に「超大型多連装ロケット砲」を発射したことに、韓国の青瓦台(大統領府)が憂慮を表明したことに対し、「青瓦台の低能な思考方式に驚愕」と題した談話を発表した。金与正氏の名前の談話が公式に発表されたのはこれが初めてであった。
韓国側を驚かせたのは、談話の内容が、「低能」、「青瓦台の行動は3歳児と大して違うようには見えない」、「強盗さながらのごり押し」、「どうして吐く言葉の1つ1つ、行うことの1つ1つが全てそれほどまでに具体的かつ完璧に愚かなのか」、「おびえたイヌほど騒がしく吠える」と極めて乱暴な罵詈雑言であったことだ。
一方、韓国の青瓦台は3月5日、金党委員長が「新型コロナウイルス」と闘っている韓国民へ慰労を伝える親書を、同4日に文大統領に送って来たと明らかにした。金与正氏の談話が発表されたのは3月3日午後10時半ごろだが、その夜が明けるや否や、兄の金党委員長が文大統領に慰労親書を送ったわけである。妹が青瓦台を罵り、兄が慰労の言葉を掛けるという異なった役割を演じ、韓国側を戸惑わせた。
金与正氏は3月22日には、金正恩党委員長がトランプ大統領から親書を受け取ったことを明らかにする談話を発表した。
金与正氏はトランプ大統領の親書に謝意を表明するとともに、「朝米間の関係とその発展は、両首脳間の個人的親交に絡めてうかつに評価してはならない」「それによって展望したり、期待したりしてはならない」とし、米朝両首脳の信頼関係は喜ぶべきだが、それと米朝関係は別のものだという認識を示した。
金与正氏は南北関係にも、米朝関係にも「談話」で論評を発表した。これは、単なる「党第1副部長」がなし得る行為ではない。これは金正恩党委員長の「アバター」(分身)としての発言のように読み取れた。最高権力者の言葉として発することは波紋が大きすぎ、後に軌道修正も効かないために、金与正氏の口を借りて発したメッセージだ。この談話を通じて、金与正氏は北朝鮮の実質的な「権力ナンバー2」のような存在感を示したといえる。
南北共同連絡事務所爆破を予告
金与正党第1副部長は2020年6月4日に3回目の談話を発表し、脱北者のビラ散布を激しく非難し、韓国が再発防止措置を取らなければ南北軍事合意破棄や、開城工業団地の完全撤去、南北共同連絡事務所の閉鎖もあると警告した。
金与正氏のそれまでの2回の談話は、朝鮮中央通信で報じられた。一般の北朝鮮住民の目には触れない媒体で報じられた。だが、この3回目の談話は6月4日付党機関紙『労働新聞』2面に掲載された。党統一戦線部報道官は6月5日談話で、金与正氏を「対南事業を総括する第1副部長」と表現し、金与正氏が対南事業を総括しているとした。
さらに金与正氏は6月13日にも談話を発表し、開城にある南北共同連絡事務所が「遠からず跡形もなく崩れる悲惨な光景を見ることになるであろう」と予告した。この談話も6月14日付『労働新聞』2面に掲載された。そして、北朝鮮は金与正氏の予告通り、南北共同連絡事務所を6月16日午後に爆破してしまった。
朝鮮人民軍総参謀部報道官は6月17日に、金剛山地区や開城工業団地に軍を展開し、南へビラを散布することを支援するなどとした4項目の計画を発表した。しかし、金正恩党委員長指導のもとで6月23日に、党中央軍事委員会第7期第5回会議の予備会談が開かれ、軍総参謀部が適した韓国への軍事行動計画を保留した。それまでは金正恩党委員長は登場しなかったが、妹が責任者となって行った対南攻勢に、兄が「それくらいにしとけ」と止めに入った形を演出した。しかし、南北共同連絡事務所の爆破は金正恩党委員長の了承なしにはあり得ないことであり、金与正氏が金正恩党委員長の意を受けて行ったものであったといえる。
対米関係でも長文の談話
金与正党第1副部長は7月10日に、対米関係について長文の談話を発表した。
金与正第1副部長は「私個人の考えではあるが」としながら、「朝米首脳会談のようなことが今年にはあり得ないと思う」と年内の米朝首脳会談の可能性を否定した。その一方で「両首脳の判断と決心によってどんなことが突然起こるかは、誰も分からないからである」とし、両首脳の決断次第では何が起きるか分からないとした。
南北関係に続く、対米関係についての談話で、金与正党第1副部長が南北関係だけでなく、米朝関係をも統括しているとの印象を与えた。
金与正氏は「後継者」か?
金正恩党委員長が故金日成主席の誕生日である4月15日に毎年行っていた錦繍山太陽宮殿への訪問がなかったことから、金正恩党委員長の健康不安説が浮上した。しかし、金正恩党委員長は5月1日に、順川リン肥料工場の完工式に出席し、健康不安説は打ち消された。だが、一部では、健康不安を抱える金正恩党委員長が、金与正党第1副部長を「後継者」に決定したのではないのかという見方が出た。
韓国に亡命した脱北者の安燦一世界北朝鮮研究センター理事長は2月20日に自身のユーチューブで「昨年10月に金正恩が白頭山を訪問した際、随行した幹部に『私の後継者は金与正同志』と話した」と伝えた。このあたりが火種となり、北朝鮮内で金与正氏の存在が大きくなるにつれ「後継者」決定説が流れた。
しかし、筆者はこの見方には賛同できない。
第1には、まだ30代半ばの金正恩党委員長が「後継者」を決定するとは思えない。後継者の決定は、北朝鮮の独裁体制である「唯一的領導体系」を揺るがせ、権力構造の2元化を招く。金日成主席時代の1974年2月の党中央委第5期第8回総会で、金正日氏は後継者に決定されたが、これは金日成主席が61歳の時であった。金正日氏が対外的に登場するのは1980年の第6回党大会以降である。金日成主席が1994年に亡くなるまで権力の2元化が進行したが、まだ30代半ばの金正恩党委員長が権力の2元化を容認するとは思えない。
第2は、後継者の決定には権力内部での政治的、社会的運動が随伴する。金正日氏の場合は3大革命小組が生まれ、「キョッカジテリギ(横枝叩き)運動」と呼ばれた金聖愛夫人や異母弟の金平日氏につながる人脈への弾圧が続いた。金正恩氏の場合も、偉大性を称える学習資料が生まれ、金正恩氏を象徴する「パルコルム(足取り)」という歌が歌われ、金正恩氏は「青年大将」と呼ばれた。
しかし、金与正氏の場合、その偉大性を称える学習資料や、後継者決定に付随する政治的、社会的な運動は生まれていない。党機関紙『労働新聞』などに金与正氏への特別な呼称などは生まれておらず、特別な尊敬語なども使われていない。
第3に、金正恩氏には10歳程度の長男がいるとされる。金正恩党委員長があと10年ほど執権を続ければ、長男は有力な後継者候補になる。北朝鮮は社会主義国家ながら、儒教的な考えが根強く残っており、女性が最高指導者になるには多くの困難が存在するとみられる。
さらに付言すれば、「後継者」に決定した人物は自分の名前で出た「談話」で、レベルの低い罵詈雑言を吐かない。「後継者」は後に偶像化が行われるわけで、その崇拝されるべき最高権力者が品のない言葉を吐く「談話」を残すこと自体が、金与正氏が後継者ではない証拠でもある。
金正恩氏はなぜ「金与正」氏を必要とするのか
金正日総書記は、自身の支持勢力である「3大革命小組(思想・技術・文化)」という一種の紅衛兵組織をつくり、自己の権力基盤を確立していった。金正日総書記にはこうした同世代勢力がいたが、金正恩党委員長は20代後半で最高権力者の座に就き、党中枢部に同世代勢力はいない。その意味で、血縁関係で信頼できる妹に補佐をさせるという意図があるのだろう。
また、政権発足後、軍の実力者であった李英鎬総参謀長、党の実力者であった叔父の張成沢党行政部長を粛清した。その後は「ナンバー2」の座をめぐり崔龍海氏と黄炳瑞氏を競わせた。結果的には、崔龍海氏は、絶大な権力を持つ党組織指導部長の座に就くと、ライバルの黄炳瑞氏を追い落とした。金正恩党委員長は崔龍海氏をそのまま党組織指導部長に置いておくと権力が肥大化するために、引退した金永南最高人民会議常任委員長の後任の座に就かせた。
金正恩氏にとって「ナンバー2」は、自分のライバルになるかも知れない存在でもある。最も安全な手段は、決して自分を裏切らない妹を実質的な「ナンバー2」の座に置くことである。
さらに、金与正党第1部長が対南事業や、対米事業を総括するような状況をつくり、最高権力者として言えない「本音」を、ワンクッション置いて、妹の金与正氏に語らせているともいえる。最高権力の発言や行為は、簡単に否定することが難しいだけに、妹にやらせ、最後に自身が調整するという姿勢を示すことが有用だと判断しているとみられる。
その意味で、金与正氏は金正恩党委員長の「アバター(分身)であり、2人は「一心同体」であるとも言える。おそらく、遠からず、金与正氏は党政治局員候補から党政治局員になるであろうし、兄妹で役割分担をしながら、金正恩政権を支えていくであろう。
(8月12日記)