2020年7月9日に文在寅大統領は半導体メーカーであるSKハイニクスの利川工場を訪問した。ここで文大統領は「我々の経済に大きな打撃になるとの懸念があったが,皆が力を合わせて危機を克服してきた。何よりも『やってみたらできた』という自信を得たことが大きい」と述べた。その上で、「我々は危機を機会と捉え,日本とは異なる途を進む」と宣言した。
日本の輸出管理強化への反発
ここで「危機」とは、前年の日本による輸出管理の見直しを指している。経済産業省は2019年7月1日に、同月4日からフッ化ポリイミド、フォトレジスト、フッ化水素の3品目の韓国向け輸出を包括輸出許可制度の対象から外し、個別に輸出許可申請を求めて輸出審査を行うことを発表した。さらに輸出管理上のカテゴリである「ホワイト国」から韓国を除外する方針を示し、意見募集を経て8月28日から実施した。これにより韓国向けの輸出には一般包括許可が適用できなくなるとともに、キャッチオール規制の対象となった。
この措置に対する韓国内の反発は極めて大きかった。与党「共に民主党」は日本の措置直後に「日本経済侵略対策特別委員会」を設立した。委員長に就任した崔宰誠議員は、7月18日に「安倍晋三政権の経済侵略は経済を媒介として(韓国に)コントロール可能な親日政権を樹立しようとするものだ」として日本に対する強い対抗措置を求めた。文在寅大統領は8月2日に「日本政府の措置は我々の経済を攻撃して我々の経済の未来の成長を妨げて打撃を加えんとする明らかな意図を持っている」「加害者である日本が「賊反荷杖の(理不尽な)」姿勢でむしろ大声を張り上げる状況を決して座視しない」と述べた。
韓国政府は日本の発表直後の7月11日には3品目の「輸出制限」措置を国際貿易機関(WTO)に提訴した。8月13日には韓国も日本と同様に韓国のホワイト国から日本を除外する方針を発表した。韓国政府は、こうした対抗措置をおこなって日本に措置の撤回を求めるとともに、さらに従来の素材、部品や製造機械の対日依存を脱却する政策を強力に推し進めることとした。
対日依存脱却の試み
1960年代半ばからの韓国の高度経済成長においては、海外から素材・部品や製造機械を輸入し、それをもとに組み立て・加工をおこなって完成品を輸出することが成長のエンジンとなった。ここで素材・部品や製造機械の輸入先として大きな役割を担ったのが日本であった。日本依存の貿易構造に対しては,植民地支配による経済侵略の再来であるとの批判も根強かった。そのため,素材・部品や製造機械の国産化も常に意識されてきた。特に1997年の通貨危機を契機に、危機の要因となった経常収支の赤字拡大への対策として、「素材・部品」産業の育成が重要な政策課題となった。2000年には「素材・部品専門企業等の育成に関する特別措置法」(「素材部品特別法」)が制定された。
その後、2000年代に韓国の経常収支は黒字基調に転換した。部品では半導体メモリや液晶デバイスの分野で韓国企業が世界をリードするようになるとともに、素材では鉄鋼や化学など多くの産業で国産化が進展した。そのため、2010年代に入ると素材・部品分野の育成は政策課題としてあまり意識されなくなっていた。2017年に発足した文在寅政権の経済政策は分配政策や大企業政策に偏重しており、産業政策の優先順位は低かった。ヘルスケアやAI、ビッグデータ、それに燃料電池など先端分野に関心を持つ程度であった。
2019年の日本による輸出管理見直しの措置、特に3品目の輸出管理強化は、韓国が主力産業である半導体やディスプレイの素材において、依然として日本に依存している現実を浮き彫りにした。これら素材は開発の難易度が高い一方で、製品の生産に必要とされるロットは大きくない。そのために韓国の素材メーカーは開発しても十分に利益が得られないと考え、生産に乗り出していなかった。日本の措置以降、韓国では素材・部品、それに同じく輸入依存度が高い製品が多く残っていた製造装置を加えて、改めてこれら分野の育成が産業政策の最優先課題として浮上することになったのである。 日本の措置発表があってから約1カ月後の2019年8月5日に、韓国政府は「素材・部品・装備競争力強化対策」を発表した。具体的には、対日輸入依存度が高い素材・部品・装備(機械設備)のなかで特に重要な100品目について、5年以内に国産化あるいは輸入先を多角化する目標を掲げた。そのために政府は毎年1兆ウォン以上の技術開発投資をおこなう方針を示した。特に初年度1年間の短期対象品目20品目のなかに、日本が輸出規制をおこなっている3品目を含めた 。2020年4月1日には素材部品特別法を全面改正した「素材・部品・装備産業競争力強化のための特別措置法」を施行した。
世界経済情勢への強い危機感
冒頭の2020年7月9日のSKハイニクスでの文在寅大統領の「やってみたらできた」発言は、対策から1年が経過して、日本が輸出を制限した3品目を中心に20品目について、対日依存を脱却するという目標の達成に目処がついたとの自信に基づくものであった。さらに「日本とは異なる途を進む」とは,具体的にはこの日、韓国政府が発表した「素材・部品・装備2.0戦略」のことを意味していた。この戦略は、過去1年間の戦略を拡張して韓国を素材・部品・機械設備の世界の供給基地にすることを目標として掲げていた。
しかし、「2.0戦略」の内容は、この日の文大統領の高揚感とは裏腹に、韓国経済を取り巻く世界経済情勢に対する危機感が強く反映したものになっていた。ここで注目すべきなのは、「産業安保」という表現が使われていることである。過去、韓国経済はグローバリゼーションの広がりのなかで世界の製品供給網、いわゆるグローバル・バリュー・チェーンを最大限に活用して成長を遂げてきた。しかし、米中対立など保護主義の高まり、さらに新型コロナウィルスの拡大は、グローバル・バリュー・チェーンに大きな衝撃を与えている。その影響は韓国経済にも及んでいる。韓国の携帯電話通信会社大手3社のひとつであるLGユープラスは,4Gのときからファーウェイの通信設備を導入していた。しかし、アメリカは韓国に対してファーウェイから5G設備を導入しないことを強く求めており,同社は対応に苦慮している。また2020年2月に中国において新型コロナウィルスの感染が急拡大した際に、現代自動車と起亜自動車はワイヤーハーネスをすべて中国に依存していたために、中国からの供給がストップすると自動車生産をすべて中断せざるをえなくなった。日本の輸出管理見直しだけでなく、こうした世界経済情勢の変化に対応して、国内生産に必要な素材・部品・機械設備を安定的に確保することが、「産業安保」上、喫緊の課題と捉えられているのである。
そのため、「2.0戦略」は、対日輸入依存度が高い既存の100品目に、欧米や中国、インド、ASEANなどに依存している238品目を新たに加えた338品目を対象品目とした。さらにバイオや環境・エネルギー、ロボットなどこれから起ち上がる新産業についてもプラスアルファとして指定し、国内企業・研究機関の技術開発や海外企業の国内誘致を積極的に進める方針を示した。これら品目に対する政府の研究開発投資も2022年までに5兆ウォン以上に拡大するとした。
野心的な産業育成戦略を打ち出した文在寅政権だが、それが成功するかは不透明である。大統領が成功を誇った3品目の対日輸入依存からの脱却にしても、多くは日本以外からの調達による成果であり、日本からの輸出が再開されたことも措置の影響を抑えられた一因となっている。国内商業生産に成功した例はフッ化水素ガスやフッ化ポリイミドにとどまる。素材・部品・機械設備の技術開発には時間がかかる上に、国内需要が必ずしも多くないためにコストの負担も大きい。グローバリゼーションの申し子とも言える韓国経済は、アンチ・グローバリゼーションの波のなかで、生き残り策を今後も模索していくことになる。