はじめに
コロナ感染症の世界的な拡大は、21世紀に人類を見舞ったグローバル脅威の中でも圧倒的な勢いで、私たちの健康、経済活動、そして政治や国際秩序に影響を与えて続けている。この論考では特に、コロナ感染症と「人間の安全保障」の関係に焦点をあてて、コロナ感染症の世界的解決に向けた日本の役割や、コロナ禍における平和構築の課題について所見を述べたい。
コロナ感染症と「人間の安全保障」
コロナ禍の問題を考える上で不可欠なことは、「世界的な感染症に一国での解決はない」ということである。それは、2020年4月にフォーリン・アフェアーズ誌に掲載された「世界全員が安全にならない限り、個人の安全を保障できない」というオコンジョイワエル氏による論文にも示され、世界中の関係者の合言葉にもなっている。たとえ一国(たとえば日本)の中で一時的に鎮静化に成功したとしても、世界的に感染が拡大している限り、国境を開放し、多くの人が国外から入ってくるようになった途端、感染は戻って来てしまう。日本でいえば、来年夏に予定されているオリンピックのことを考えれば容易に想像がつくはずだ。
また世界全体での感染が続けば、世界経済の縮小が続き、それは世界中の人々を新たな貧困に追い込む。それは輸出に大きく依存する日本経済や日本企業の収益も直撃し、日本人の雇用も大打撃を受ける。つまり世界全体で解決しない限り、コロナ禍を克服することはできないのである。このように一国では解決できず、かつ私たちの安全や仕事、尊厳を直接脅かすグローバルな脅威をどう克服するかが問われているという意味で、コロナ禍の問題は、まさに「人間の安全保障」の課題だと筆者は考えている。
「グローバル・ファシリテーター」としての日本の役割
筆者は今年1月、「内戦と和平~現代戦争をどう終わらせるか」という本を中公新書から出版した。その中で、南スーダンやイラク、シリアやイエメン、アフガンなどでの現地調査の経験を基に、「日本は、中東やアフリカなどにおいて、平和国家としての信頼を、紛争当事者の双方から得ている面があり、そうした信頼を生かして、紛争当事者が直接会って、問題を自分たちで解決していくための対話を促進するような役割を果たしていくべき」と提案していた。筆者はこうした世界各地での対話の促進者を、「グローバル・ファシリテーター」と名付けている。
そしてこの「グローバル・ファシリテーター」としての役割は、紛争解決だけでなく、地球温暖化や、自然災害対策、そして感染症など、一国で解決できない「人間の安全保障」の課題の解決のために、国連加盟国やNGO、専門家などが集まり、共に解決策を模索していくための対話を促進する役割も含まれるはずと主張していた。実際これまで日本は、気候変動やグローバル・ヘルス・カバレッジの分野で、国際会議を継続して開催し、報告書を作成するなどして、国際的な議論の推進に役割を果たしてきた。こうした経験も踏まえ、「グローバル・ファシリテーター」としての役割を担うことを日本の国家戦略と位置付け、省庁をまたがる政府全体の目標にすべきだと主張した。それから二か月後、世界はコロナ一色となった。
コロナ感染症の世界的解決に向けて
その後筆者は、2020年6月11日付の毎日新聞の寄稿、同年8月16日のNHKおはよう日本の出演などを通じ、コロナ禍を「人間の安全保障」の課題と位置付けたうえで、世界全体の解決のために、日本がEUなどと協力し、中心的な役割を担うべきと訴えてきた。8月末には、コロナに関する有効で安全なワクチンが開発された際に、それを世界全体に普及するための、COVAX ファシリティという新たな世界全体の枠組みに、170か国が参加表明をし、日本も正式に参加を表明した。
COVAXは、2000年にビル・ゲイツなどが中心となりワクチンを途上国などにも安価に提供するために創設されたGavi (Global Alliance for Vaccines and Immunization)、 2017年に感染症に対するワクチンの開発のために作られた世界的なパートナーシップの枠組みであるCEPI (Coalition for Epidemic Preparedness Innovations)、そしてWHO (World Health Organization) の3者が主導している。このCOVAXに参加し、ある一定の拠出を行った国は、人口の20%まではワクチンが確保できるようになるという新たな世界的制度である。日本政府は9月20日、日本国内でワクチンを確保するための拠出金として約172億円の拠出を決定した。
COVAX ファシリティを通じた世界全体での解決に向けた制度作りはまだ始まったばかりであり、筆者はこうした枠組みを使った世界全体での解決に向け、日本は任意拠出においても、制度作りに向けた対話の促進者としても中心的な役割を担うことが重要だと考えている。9月25日に開かれた超党派の国際人口問題議員懇談会において、筆者は、①COVAXファシリティの発展途上国支援の拠出枠組み(AMC)に、EU並みの(約5億ドル)の拠出を表明すること、②それにあわせて、COVAXファシリティを世界的に盛り上げていくための国際会議の議長を行う用意があることをCOVAX側に表明すること、③ワクチンと並行して、有効な治療薬を広くまた安価に世界に普及させるための枠組み作りになどに日本が積極的に貢献すること、などを提言した。そして、このように「コロナ感染症を世界的な解決に貢献すること」は、そのまま日本人の安全や経済活動、そして雇用などを維持し守っていくことにつながると強調した。1
この発表の翌日の9月26日、菅義偉首相が、第75回国連総会の一般討論演説で、人間の安全保障とコロナ感染症の問題について、注目すべき発言を行った。「この感染症の拡大は、世界の人々の命・生活・尊厳、すなわち人間の安全保障に対する危機であります。これを乗り越えるには、「誰一人取り残さない」との考え方を指導理念として臨むことが、極めて重要です。一人一人に着目する「人間の安全保障」の概念は、ここ国連総会の場で長年議論されてきた考え方であります。議長、今回の危機に際し、人間の安全保障の理念に立脚し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの達成に向け、『誰の健康も取り残さない』という目標を掲げることが重要と考えます。(中略)各国とも協調しながら、国際的な取組を積極的に主導していきます。第一に、新型コロナウイルス感染症から命を守るために、治療薬・ワクチン・診断の開発と、途上国を含めた公平なアクセスの確保を、全面的に支援していきます。」
これに続いて10月8日には、茂木敏充外相が、発展途上国などがワクチンを手にするために、先進国が拠出を行うAMC (Advanced Market Commitment) について、まず1.3億ドルを拠出すると表明。COVAXの主要機関であるGavi のセス・バークレイ代表は、「日本が、この拠出表明によって、グローバルなワクチン普及に向けた主導的な支援国の一つになったことにとても興奮している」と表明し、日本への感謝の気持ちを率直に示した。
上の経過を見れば分かるように、筆者の提案が直接影響したわけではないが、コロナ感染症との闘いは長期戦が予想され、これからもコロナ禍を人間の安全保障の問題と捉え、日本がEUなどと協力しつつ、その解決に向けた枠組み作りに主導的な役割を果たしていくことは極めて重要だと考えている。COVAXについては、中国は10月に参加を表明したが、米国とロシアはまだ参加していない(10月21日現在)。いずれの国とも良好な関係を維持している日本が、米国やロシアに対して、この枠組みへの参加を粘り強く促していくことも、今後期待される。
世界的感染症と平和構築
一方、世界各地で紛争が続くことは、コロナの世界的解決に向けても大きな障害になるのは事実であり、短期的にはコロナ問題への対応に集中することが必要な一方で、長期的には平和作りに向けた関わりも維持し、その解決に努力していくことは非常に大切だと考えている。
コロナ禍を世界全体で解決する上で障害になる要因の一つが、世界各地の軍事紛争である。ウプサラ大学紛争データによれば、2019年の段階で、世界各地で54もの軍事紛争が起きている(年間25人以上の死者を出す武力衝突を「軍事紛争」とウプサラ大学は定義している)。そして軍事紛争が続いている間は、その地域で感染症の対策を行うことは極めて難しい。実際、2018年にエボラ出血熱が発生したコンゴ民主共和国では、東部を中心に紛争が続いており、外国の医療スタッフへの襲撃も相次いだため十分な対応ができず、収束できない状況が長く続いた。一方、2014年にシエラレオネやリベリアで発生したエボラ出血熱は、両国が国連PKOなどの長年の努力で一定の平和と安定を既に築いていたことから、何千人単位の国際医療スタッフが支援に入り、ほぼ一年で終息することができた。
国連事務総長の「グローバル停戦」の呼びかけ
その意味で、世界各地の紛争を収め、一定の平和や安定を確保することは、コロナ感染症の世界的な解決に向けても重要である。2020年3月、グテーレス国連事務総長が「人類は、コロナが引き起こす脅威への闘いに専念するために、世界各地で起きている軍事紛争の全てを停戦すべきだ」と呼び掛けた。国連本部のステファン・ドゥジャリク国連事務総長報道官に、筆者がインタビューしたところでは、「国連事務総長は、人類が戦い続けていたらウイルスが人類に勝ってしまう、という極めて単純でかつ決定的なメッセージを出すべく、この呼び掛けを行った」と話した。そして「紛争地では、どうすれば戦争からいったん身を引けるか分からなくなっている紛争当事者も多い。そんな人たちが一度、武器を置いて立ち止まり、平和への道を模索して欲しいという思いだった」と強調した。
しかし、この国連事務総長の呼びかけを国連安保理で支持する決議について、米国と中国がWHOを決議文に入れるかどうかで激しく対立し、三か月もの間、決議が採択できなかったのである。米中対立が、国際協調に悪影響を与えていることがここでも露わになった。
注目すべきは、これに対抗する動きも始まったことである。特にマレーシアが日本など10か国に「共同発起国」になるよう呼びかけ、国連事務総長の「グローバル停戦」を支持する共同声明の発表を目指した。日本も共同発起国の一つとして積極的に側面支援を行い、圧倒的多数の国が賛同。6月25日、170の加盟国やオブザーバー等(NGOは含まず)の署名を得て声明が発出された。こうした加盟国の圧倒的な声を受け、7月1日、遂に国連安保理は、WHOへの直接的な言及を避けつつ、国連事務総長のアピールを支持し、「少なくとも90日間のグローバル停戦」を求める安保理決議を採択した。
このように、「グローバル停戦」への呼びかけへの国際社会の対応は、米中対立によって国際的に一致した対応が難しい現状を露呈すると同時に、それに抗い、何とか国際協調のもとで、紛争解決やコロナ禍への対応を目指そうとする世界各国の動きが拮抗している状況が象徴的に表れている。
「グローバル停戦」の効果は?
この「グローバル停戦」の呼びかけの効果はいまだ未知数である。イエメン紛争においては、4月にサウジアラビアが2週間の一方的停戦を発表したが、イエメン国内での紛争が続く中、結局、一か月後にはサウジの軍事介入が再開された。他方、グローバルな感染症が広がる中、全面的な軍事作戦の実施を躊躇する雰囲気もシリアなどでは見られている。南スーダンでは、2018年和平合意を受け、2020年3月に新しい国民統一暫定内閣が発足し、今のところ紛争当事者間の停戦や和平プロセスは維持されている。アフガンにおいては、タリバンと米国による歴史的和平合意が2020年2月に締結され、9月中旬には、タリバンとアフガン政府による、将来のアフガン統治を巡る和平交渉がカタールで始まった。まさに、コロナ禍において各地の軍事紛争がどうなるのか、一進一退の状況が続いている。
まとめ ~日本による感染症や紛争への役割~
コロナ禍が、世界全体で何百万人単位の被害を与えていることや、世界経済に深刻な打撃を与えていることを考えると、まずは日本も「グローバル・ファシリテーター」として、コロナ禍の世界的な解決に向けて努力することが、短期的には重要だと考える。長期的には、アフガンや南スーダンなどをはじめ、世界各地での紛争当事者の対話の促進に向けて、何らかの形で仲介役を行うことは、日本の今後の新しい役割として期待されている。
「世界各地での紛争地における対話の促進」を日本の国家戦略とする明確な意思表示を政府が発すれば、現場に従事する日本の外交官、大使、JICAの関係者などで、そういった問題への関与、貢献をしたいという人はたくさんいると感じている。そんな人たちが自由に思い切って対話を促進するプロジェクトを現場・現場で考え、実施していくことを後押しする、そんな大きな方針の提示が重要だと考えている。
またそれは既に述べたように、「人間の安全保障」の課題についての日本での役割でもあろう。日本政府のトップが国家戦略として「グローバル・ファシリテーター」の役割を政府全体に伝えれば、各省庁で、検討し実施できることはたくさんあるのではないか。例えば防衛省では、自然災害時において日本各地で行っている救命活動のノウハウを、アジアやアフリカの人達に共有し、共に減災や防災、人命救助についてよりよい方法を探っていく対話を促進することもできるであろう。環境省は地球温暖化について、厚生労働省は、感染症やユニバーサルヘルスケアについて、世界各国や専門家、NGOとの対話を促進し、共によりよい解決策を目指す対話の促進ができるはずである。
今回のコロナ禍の経験は、日本が長年訴えてきた「人間の安全保障」という政策概念に、具体的な内容を加えていく大事な機会でもある。人間の安全保障の課題を世界全体で解決していく、世界的な対話の促進者としての役割を日本に期待したい。米国と中国の対立が激しさを増す中、日本のそうした役割は、世界の多くの国から期待されていると、ここ十数年、紛争地において平和構築に関する現地調査を続けている筆者は確信している。