2011年にエチオピアが建設に着手して以降、下流域のスーダン、そしてエジプトとの緊張関係が続いてきたグランド・エチオピア・ルネッサンス・ダム(GERD)をめぐる新たな合意形成に向けての協議が展開されている。しかし、その合意形成は困難を極めているほか、「アフリカの角」地域の国内政治体制の変動の影響を受けながら、どのような着地点を得られるかについては見通しが立ちにくい状況にある。ここでは、2020年に入ってからのGERDに関わる合意形成の試みの動きを観察するとともに、その背景にあるスーダンとエチオピアの国内政治体制の変動について考察を行いたい。
GERDは、完成すれば、アフリカ最大の水力発電所として、建設に当たるエチオピアにとっては国内における電力供給の増大と経済成長の実現する上での「切り札」として位置づけられている。総工費42億ドルをかけて建設されているGERDは、発電施設の遅れはあるものの、ダム本体工事がかなりの部分が完成しており、2020年7月には、エチオピアによる貯水が開始されているともされる。下流域のスーダンにとっても治水の実現と農業生産力の向上、廉価な電力の購入につながるメリットが指摘されてきた。他方、ナイル川に90パーセントの水資源を依存しているエジプトにとっては、完成後の貯水計画(どの程度の期間に、どの程度ダムを満たすか)は、これまで下流域で利用可能であった水資源の将来の量を大きく左右することになるため、従来からナイル川流域問題(hydro politics)と言う形で認識されてきた。 現状におけるGERDをめぐる問題は、貯水計画に加え、何か問題が生じた場合の紛争解決メカニズムをどのように整えておくかという点にある。これらの課題をめぐる合意文書の作成は、国際社会を巻き込んだ形で展開している。
2019年11月にはアメリカが仲介する形で、エチオピアとエジプト、スーダンの関係3カ国外相などが米国ワシントンで協議を行った。この協議を終えた11月6日には3カ国閣僚の共同声明が発表され、ダムの貯水と運用方法の合意に向けて引き続き関与していくことが確認された。そして、この共同声明を受けて、アメリカは世界銀行と合意文書を準備し、その草案が2020年2月に完成した。しかし、依然としてエジプトに有利な内容であるとして、エチオピアが合意文書への調印を拒否した。これに対し、2020年4月10日には、エチオピアのアビイ首相が暫定合意案(最初の2年間でダムを満水にできるとする案)を提出した。しかし、エジプトは合意を目指す項目を断片的に扱った合意文書には応じない姿勢を示し、物別れに終わった。その後スーダンによる仲介協議が始まったものの、6月17日には協議は中断した。6月19日には、エジプトが国連安全保障理事会に対して協議への介入要請を行うことが報道されるなど、エチオピアとの間で国連安全保障理事会に書簡を送る形での相互批判が行われる事態に至った。
6月26日、アフリカ連合(AU)議長であるラマポザ南アフリカ大統領を議長としたオンラインの特別首脳会合が開催され、GERD問題を「アフリカの問題はアフリカが解決する」という基本精神のもとでの解決を提唱する形で、AUが仲介する協議が始まった。しかし、8月10日にはAU仲介の協議も中断されている。こうした中、8月15日にはスーダンの暫定政権のハムドック首相とエジプトのマドボウリ首相間で会談が実施されたほか、8月25日にはアメリカのポンペオ国務長官がハルツームを訪問し、GERDの問題解決に言及している。同日にはアビイ首相が急遽ハルツームを訪問するなど、GERD問題をめぐると思われる活発な外交が展開されている。しかし、その解決の道筋は不明確な状況が続いている。
GERDをめぐる問題が動き始めた背景には、「アフリカの角」においてこの問題に大きく関わるスーダンとエチオピアの国内情勢が関わっている。
スーダンでは、30年にわたり大統領の座にあったバシールが、2019年4月11日に軍主導のクーデタで崩壊する。このクーデタの発生の国内的な背景は、2018年12月に始まった政権打倒の全国的な運動への展開である。「民衆革命」と称されたこうした動きは、12月19日にダマジン(青ナイル州)とセンナール州という首都から離れたスーダン南東部地域で発生した。このきっかけは食料価格の急速な値上がりと医薬品や燃料の極度の不足という経済要因であった。
2019年4月6日には軍本部前などでの座り込みのストライキが行われたことから、4月11日にアワド・イブン・オーフ第1副大統領兼国防大臣が主導するクーデタにより、バシール政権が崩壊し、直ちに暫定軍事評議会(TMC)が発足し、オーフは議長に就任した。しかし、デモ隊が強く抗議したことから、議長には陸軍中将アブドル・ファッタハ・ブルハンが指名され、副議長には(軍のクーデタから大統領を護る役割を担うべき)「迅速支援部隊」(RSF)の司令官モハメド・ハムダン・ダガロ(〈ヘメッティ〉)が就任した。
このクーデタが生じた国際的な背景には、「アフリカの角」地域をめぐる中東諸国の関係があった。バシール政権は、2017年ころからカタル、並びにトルコとの関係強化への動きを見せていた。しかし、この関係強化を注目していたのが、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)であった。実際にクーデタが発生した背後には、この両国の影が見え隠れしている。政権崩壊の最末期に、バシールはサウジとUAEが自らの政権「崩壊」に関与していると批判する姿勢を示してもいた。政権崩壊後、サウジ、UAEは、TMCへの30億ドル規模の援助を供与するなど積極的な支援を実施した。
クーデタ当時AU議長であったシーシー・エジプト大統領は、TMCの民政移管完了につき、AUの平和安全保障理事会(PSC)が当初求めた2週間を3ヶ月に延期する説得工作を成功させているが、ここにも、どのような政権の実現を望むのかの様々な思惑が垣間見える。エジプトが(緊密な関係を有する)スーダン国軍主導の移行を望んだ一方で、(イエメン内戦への派兵という実績を踏まえ)サウジとUAEはRSF支援を選好する動きにつながっていく。
しかし、2019年6月3日には、ハルツームで、軍本部前に座り込みをしていた民衆へのRSFによる攻撃で100名を超える死者がでたことで、民主化勢力とTMCの信頼関係が瓦解する結果となった。こうした情勢の中で、ポスト・バシールの枠組み作りの交渉に、エチオピアも関与する姿勢を示した。6月7日には、アビイ首相が、事前通知なしにハルツームを訪問し、仲介を行っている。エチオピアがスーダン情勢に大きな関心を寄せている背景には、スーダンの政治情勢のエチオピアへの波及懸念に加え、バシール政権下ではGERDをめぐり、比較的エチオピア寄りでもあったスーダンの姿勢が変化することで、GERDをめぐる関係が「再編」されることへの懸念があったと考えられる。スーダンでは、8月17日に合意が成立し、統治評議会(Sovereign Council)が樹立されている。統治評議会は11名で軍人5名と文民6名、そして行政を主導するハムドック首相から構成されている。2019年8月20日から39ヶ月の「集合的国家元首」という形態で、最初の21ヶ月は軍主導、残りの18ヶ月は民主導の体制と規定されている。今後予定されているとおりの民政移管が進むか注視していく必要がある。
エチオピアでも、国内の不安定化を受けて、2018 年2 月にハイレマリアム首相が辞意を表明し、2018年3 月に与党EPRDFの中央執行委員会でアビイが議長に選出され、4月2日首相に就任した。これが、一つの転換期となった。アビイは首相就任後、矢継ぎ早に国内外の改革を打ち出した。国内的には数千人規模の政治犯釈放を実施したほか、7月9日には、1998年5月以降深刻な対立関係にあったエリトリアを訪問したアビイ首相とエリトリア大統領イサイアスとの間で和平友好条約が調印された。しかも、この関係改善の仲介としてUAEとサウジが深く関与していた。そして、こうした功績が評価されて、2019年のノーベル平和賞を受賞したことに示されるように、一見すると、アビイ相の政策対応は国際的には望ましい対応にも見えるが、複雑な民族対立の構図を抱えるエチオピア国内において、新たな問題を誘発した。
与党連合EPRDFは、2012年に逝去したメレス・ゼナウィが率いるティグライ人民解放戦線(TPLF)がその中核的な役割を担ってきた。エリトリアと国境を接する地域をその中心的な拠点とするTPLFは、エリトリアとは敵対的な状況にあり続けてきた。そのため、エチオピア最大の民族オロモ出身であるアビイ首相がエリトリアと国交を回復したことに対しては、肯定的な受け止めとはならなかった。そのため、アビイ首相の改革的政策は結果的に与党連合EPRDFの連合の弱体化につながった。
この傾向は、2020年実施予定の総選挙をにらみ、(極めて短期間の間に)EPRDFを解党し、継承政党としての繁栄党を2019年12月1日に発足させる動きにつながった。この政党創設には、「メデメル」哲学(アムハラ語の単語で、相乗効果、集中、共同の運命のためのチームワークを意味)があるとされるが、ここにはTPLFが参加しなかったほか、繁栄党に参加したオロモ民主党(ODP)の一部からも批判的な意見が表出された。
コロナ禍で当初2020年5月に予定されていた選挙実施は、一度8月に延期が決定され、その後当面「コロナ禍の収束後」に再延期されている。しかし、こうした中で、エチオピア連邦政府とティグライとの間には強い緊張関係が存在している。この緊張関係は、ティグライ州だけは、連邦政府を無視する形で「違法に」9月9日に州議会選挙を実施したことに如実に現れている。
アビイ首相にとっては、GERDヘの取り組みは、こうした不安定な国内情勢をより統一的な方向に導き安定化させる上での極めて重要な政策課題となっていると考えられる。