研究レポート

日韓首脳の政治判断で最大危機回避を

2020-10-07
箱田哲也(朝日新聞論説委員)
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「『大国間競争の時代』の朝鮮半島と秩序の行方」研究会 第2号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

コロナ禍で当たり前のことが当たり前でなくなった2020年。異例の1年も残すところ3カ月あまりとなった9月24日、菅義偉首相は韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と初めて電話で会談した。

菅氏の就任祝いを兼ねた会談である。だが、最も近い隣国の政治リーダー同士が言葉を交わすという当たり前のことが、なかなか実現しないのが両国の現状だ。両国の首脳が公式に対話するのは昨年12月に中国で開かれた日中韓首脳会談以来だった。

2人は、日韓間に横たわる数々の懸案に深くは踏み込まず、まずは顔合わせとばかりに対話の継続と連携の重要性を確認しあって、約20分間の会談を終えた。

最悪、報復、断交……。さまざまな否定的表現で彩られる日韓関係だが、極めて異常な状況にあることは間違いない。それはまさに首脳会談に端的にあらわれている。

憲政史上最長となった第2次安倍晋三政権の7年8カ月、日韓首脳が国際会議や五輪などの行事を除き、単独で隣国を訪問することは、ついに一度もなかった。

常に意思疎通と緊密な連携の必要性が唱えられる首脳外交を、歴史問題が阻む。

ただでさえ日韓関係には、構造的な変化に伴う懸案が相次いで浮上している。他方、最悪の事態をいかに回避するかは政治に課せられた使命であり、それゆえ首脳の特性や相性は言うまでもなく重要である。

だが、決して歴史事実ではなく、それぞれ独特の歴史観や思いこみにとらわれる安倍、文両氏に、国交正常化以来、最大の難題である徴用工問題をうまく乗り越えろというのは、何とも酷な話だった。

「安倍継承」で期待薄なのか

安倍・最長政権が、あっという間に幕を閉じ、それを支えてきた菅義偉・官房長官があれよあれよという間にバトンを継いだ。

韓国の主要メディアも一連の流れを伝えた。だが、その報道ぶりは、日韓関係の難しさのみならず、いかに隣国のありのままの姿を見つめることが困難かという本質的な課題を浮き彫りにした。

菅氏は自民党総裁選の段階から、安倍政権の路線を継承すると述べ、徴用工問題に関しても、「韓国の国際法違反に徹底して対応していく」などと語った。

これらの発言をもとに韓国で報じられたのはもっぱら、菅新政権が誕生しても日韓関係が改善する可能性は低くなった、とする悲観的な見方だった。

あらゆる問題に関して、性急に結論を出そうとするのがメディアの特性とはいえ、さすがにこれらの報道はいささか単純にすぎた。

韓国との問題を含め、安倍長期政権の重要課題を内側から見続けてきた菅首相が、日韓請求権協定に関して、これまでの日本政府の主張を突然、変更する可能性など、もとよりない。

また、徴用工問題をめぐって日韓の政府間で模索されてきたのは、日本企業に賠償を命じた韓国の大法院(最高裁)判決を受け、そこに両国が置かれている状況を踏まえた上での「解決策」である。政府間協議の結果、半世紀以上前の国交正常化時にさえ結論が出なかった、韓国併合をめぐる法的な適否にけじめがつくわけでもなく、危機を回避するための知恵をひねり出そうと努めているにすぎない。

双方の主張に違いはあれど、これまでの経緯から、まず解決策を提案するのは韓国側であり、それは当の韓国政府も十分に認識している。

菅政権は、対韓政策でも安倍政権を継承するとしているので日韓関係改善は難しいだろう、というシンプルな指摘は、あらゆる面で問題の本質と、現在展開されている協議の焦点を理解していないと言わざるをえない。

他方、韓国政府の方はというと、報道ぶりよりは、いくぶんかの期待をこめて推移を見極めようとしている。いくつかの要素がからみあっての現段階での結論だが、そのひとつは、残り任期2年を切った文政権にとって、今からまた歴史問題という先が見通せない懸案で正面衝突するほどの余裕がない、という理由のためだろう。

確かに、日本政府の従来の主張はそのままであっても、この時期にトップが交代することによる変化がないわけではない。

変化する問題の周辺環境

たとえば、仮に日韓間で徴用工問題に関する何らかの合意した場合、そこに日本側の譲歩が伴ったとしても、自民党総裁選で争った他の候補の政権に比べれば、いわゆる右側の反発は一定程度に収まる可能性がある。2015年暮れ、慰安婦問題をめぐる日韓政治合意が発表された際も「右」からは厳しい批判が浴びせられた。それでも何とか乗り切れたのは、支持基盤にその層を抱える安倍政権だったためだと言われる。

米中対立の激化や米大統領選の行方などの国際情勢も影響を及ぼすだろう。先の慰安婦合意の際も、日韓両政府はそれぞれ、米国に繰り返し自国の正当性を訴えた。だが、かつてのように米国が強い介入をする時代でなくなって久しい。トランプ米政権は日韓の歴史対立に関心を示さなかったが、政権交代が起きてバイデン民主党政権が誕生すればどうか。2013年12月、当時のバイデン氏が副大統領として訪日した直後、安倍首相が靖国神社を参拝したことに、米政府が「失望した」と表明したことは記憶に新しい。

安倍政権は安全保障面だけではなく、歴史問題でも右ウィングを広げた。韓国に対する従来型の配慮をやめ、相手側を大いに刺激した。

韓国にすればそれは、朝鮮半島の植民地支配に触れることなくまとめられた戦後70年の安倍談話であったり、国際会議での約束を反故にした「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録であったりしたわけだが、そんな「安倍案件」がなくなるとすれば、その意味は小さくない。安倍首相の退陣表明後、日本政府内の一部からは、対韓輸出規制措置を継続し続けることへの異論が出始めた。安倍案件の負担の大きさを物語る、ひとつの動きと言えるだろう。

慎重さ求められるメディア

しかし、仮に日本側にさまざまな変化があったとしても、それを生かすも殺すも文在寅政権の判断にかかっている。特に徴用工問題などについて、まず韓国側で日本側が話し合いの土台になりうると評価できる解決案を示して初めて、変化の機運を生かすことが可能なためだ。政権発足と今後の日韓関係を報じる韓国メディアに、もっとも欠けている視点は、この部分かもしれない。

ただ、新政権発足をめぐる報道では、実は日本メディアにも同じような教訓がある。

文政権の誕生に際して、日本の一部メディアは「親北(朝鮮)反日政権の発足」と報じた。何が親北、反日かという定義はさまざまだろうが、言うまでもなく話はそれほど単純ではない。とりわけ日本については、「反日」という語感がもたらす意図的なイメージよりもむしろ、関心や知識の欠如により、自ら招いた困難という方が正確ではないか。

閣僚会議などでの文氏の発言を、他の出席者から聞く限り、少なくとも日本に強い嫌悪感を抱いているわけではなさそうだ。たとえば、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)をめぐる決定でも、一部で報じられたような独断で破棄や撤回を決めたわけではなかった。徴用工問題で、なぜ日本がそれほどまでに反発するのか、戸惑いをみせる場面すらあったという。

ただ、悪意がなければ良いというわけではなく、状況認識が正確でないとすれば、問題はさらに深刻で、解決は遠のくばかりである。

他方、日韓関係において、実像とは異なる、根拠の薄いステレオタイプの報道が、いつしか独り歩きしてナショナリズムを高め、接点を見いだすのを難しくしてきた。安易に「嫌韓」「反日」といった言葉を乱用しない慎重さがメディアに求められるのは、言うまでもない。

日韓が最重視するポイント

菅首相誕生にあたり、文氏は祝辞を贈った。その中で文氏は、日本を「基本的価値と戦略的利益を共有するだけでなく、地理的、文化的に最も近い友人」と評した上で、「いつでも向かい合って会話する準備ができており、日本側の積極的な呼応を期待する」と呼びかけた。

先述のとおり、問題を進展させるためには韓国側からの提案が必要だということはわかっているが、国内向けに、韓国側が努力を続けているとのメッセージを強調したかたちだ。

公式非公式の接触を通じ、徴用工問題の要点は双方ともおおむね認識している。多くの争点があるものの、日本側は被告企業に実害を負わせないこと、韓国側はいま生きている被害者らを救済することを、それぞれ最重視している。この2点を満たす具体案を韓国側がまず示すことが、始動の条件となるだろう。

その意味で、韓国の文喜相(ムン・ヒサン)・国会議長(当時)がまとめた案は、政治の知恵を結集した労作だったが、元徴用工や支援組織などの大方の賛同を得ることはできず、文政権も否定的で日の目をみなかった。

だが、日本の被告企業の資産はすでに差し押さえられており、現金化に向けた手続きは止まっていない。韓国政府が司法への介入はできないとの建前で、緊密な連絡ができていない以上、極めて不安定な状況がなおも続く。

政治的リスクが高く、できるなら目を背けたくなる問題だが、現金化後の両国関係悪化の責任は政治が負うことになる。最大危機を回避できるのかどうか。すべては、仕切り直しで新しい関係を積み上げ始めた日韓首脳の政治判断にかかっている。


(9月25日記)